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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

3.16ノ思ヒ出

雑文

今年も、3月16日がやってきました。
この日が近づくと私は何だかそわそわした感じというか、平穏とは程遠い心境になります。

3月16日―。
1958(昭和33)年のこの日に、「広宣流布の模擬試験」と呼ばれる式典が開かれたことが、その淵源です。
当時飛ぶ鳥落とす勢いだった創価学会は、時の首相で安部晋三のおじいちゃんである岸信介を招き、「広宣流布が達成された暁には、政治家のトップが出席するような巨大式典が開催されるんだ、その予行演習をやるんだ!」というコンセプトの下、会合を企画。若手会員を中心に、6000名が参加しました。
結局、岸信介はドタキャンしたものの、会のコンセプトを「広宣流布を全て青年に託す式典」に急遽転換。「創価学会は宗教界の王者である!」「未来は君たちに任せる。頼むぞ広宣流布を!」など、今日まで伝えられる戸田会長の名言が発せられ、内部的な創価学会史においては欠かせない1日となりました。
この式典の約半月後に戸田会長はご逝去。その事実もあって、3月16日は「戸田会長が遺言を残され、後事を託された日」として語られる事が多いです。

そしてこの日は、創価学園の卒業式でもあります。創価学会的にトップレベルに重要な日ですから、学会の会合が行われてもよさそうなものですが、池田会長は基本的に毎年、創価学園の卒業式に出席されてきました。

第40回卒業式(2010年)を最後に、池田会長が出席をすることはなくなりましたが、私が在学していた頃は毎年池田会長はご来学され長時間のスピーチを下さいました。

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我ながら、どうして未だに創価学会員として生き続けているのだろうと考える事がよくあります。
まず、男子学生部や男子部の活動は大嫌い。どこに行っても話の合わない先輩や年長者ばかりで、本当に疲れることばかり。
F活動もしていないどころか、公明党に投票すらしていない(これは別記事で詳述したいですが、私は「日本の政治の中心点、一番考察すべき論点は公明党にはない、と考えているため)。
またこれはかなりそもそもの話ですが、私は「人間革命」「宿命転換」といった思想が大の苦手。私は同語をカント的な自由論の文脈で考えていますが、絶対他者としての神を描くキリスト教が大好きで、なおかつ経験論/宿命論者的な傾向の強い私には、「人間革命」や「宿命転換」は傲慢かつお花畑な言葉に聞こえてしまうことが多い。
さらに「永遠の生命」についてもあまり好きではなく、肉体の消滅とともに生は跡形もなく消え去るという反定立命題的な主張が、体幹に染み付いているように思います。

しかし未だに学会に所属し、そこから離れられず、何だかんだでかなりのロイヤリティを抱いている理由は、池田会長(以下、池田先生)に拠る所が大きい。
私は性格が悪く、ごちゃごちゃと文句ばかり言っている人格破綻的人間ですが、池田先生のことは大好きなのだろうと思います。先述の3月16日も、池田先生に直接お会いした忘れられない思い出になっています。未だに夢に見ることがあり、目覚めたら涙を流しているなんていう精神的に不安定な側面もあります。

創価学園生、創価大学生は、池田先生の事を「父親」と位置づける事が多いように思いますが、私もそれと同部類です。思うに、「師匠」は選ぶ事ができるが、「親」は選ぶ事ができない。もはや遺伝子に情報を組み込まれているくらい、池田先生という存在は私の人生にとって「不可避な課題」となってしまっている。
さらに子どもの頃から大の生意気だった私は、小学生の頃には両親を「阿保」と決めつけ、「親孝行」の重要性を強調する人格者を多く輩出している創価学園/大学で教育を受けたにもかかわらず、親に対してかなり無関心です。結局親と呼べるような存在に1番近いのは、池田先生になる。

元職員の御三方に代表される、学園/創大を出たにもかかわらず、頭の悪い形でしか池田先生を語れない方々に怒りを覚えてしまうのも、池田先生が父親のような存在だからでしょう。

やや自分語りが多くなり恐縮ですが、学園的、創大的に「3.16」は”決意を新たにする日”です。
同学校の卒業生として、本日を迎えての”決意”を素直に書くと、以下の2点に要約されます。

1)学園/創大卒業生として社会的に影響力を持てるようになる
2)高学歴な方にも理解できる形で池田先生を語る言葉を手に入れる

1については、私が特に広告・メディア業界にいるから感じることでしょうが、学園/創大卒業生が非常に少ない。一方で、東大京大はもちろん、早稲田や慶応の卒業生が非常に強く、大学的な人脈が仕事の成果に影響する局面を多く見ました。「社会で実証を示す」の私なりの俗的理解は、「学園/創大出身者が出世して、癒着する」ことです。自分自身も仕事をしっかり頑張って、同業界に進みたい後輩をサポートできるようになりたい。

2については、「池田大作率いる創価学会は、反知性的な馬鹿集団」と思っているエリートの方々に、限定的に反論できるようになる事です。「池田大作率いる創価学会は、反知性的な馬鹿集団」という命題には、私も完全な反駁ができませんが、部分的には主張できる事があるのではないかと思います。それは、池田先生がかなりのインテリであり、その主張も学術的に評価できるのではという(希望的?)観測に基づいています。これは牧口会長も同じく。

折伏や選挙がねぇじゃねぇか」という叱責が私の中にこだましていますが、先述の通り私は現在の日本の政治状況では、少なくとも国政では公明党支援をするつもりはない。さらに折伏についても、「創価学会に入れば誰でも幸せになれる!」と全く思っていないため、他人にそれを勧めることは難しい(ローティの影響?)。

結局褒められた卒業生にはなれませんでしたが、一応学園/創大卒業生として今後も頑張ろうと思います。

 

【末尾にお知らせあり】今日の創価学会における日恭・日淳評価

聖教新聞に連載中の『新人間革命』において、池田名誉会長の会長ご勇退への言及が始まりました。30巻程度を予定しているとしてスタートした『新人間革命』も、いよいよ佳境に入っているのだと思われます。

私が本連載で注目しているのは、細井日達の位置づけ」です。

創価学会日蓮正宗からの分離独立の際に、「日顕という極悪僧侶の出現により、宗門は謗法の団体と化した」という歴史の統括を行いました。当時の話を聞くと、阿部日顕の名前が書かれた紙や写真を「踏み絵」したり、日顕撲滅唱題会を開催したりと、色々と考えられない話が飛び出します(現場に近い幹部が行ったものに過ぎず、本部の指示があったかはわからない)。さらに、宗門のスキャンダル暴露は苛烈を極め、田中金脈を暴いた立花隆を「感心」させるまでになりました(『立花隆の書棚』)。

このような歴史的統括を行った理由は、宗門の歴史を全て否定すると、それがそのまま学会の歴史を自己否定することになってしまうからでしょう。初めから宗門が「謗法団体」であったならば、それに教義や本尊において依存しており、密接に結びついていた創価学会もまた「謗法団体」となってしまう。
ゆえに、日顕という人格的欠陥性を強調する事によって、歴史に断絶をつくった。つまり、それまで日蓮正統の宗派と規定していた団体を、「極悪法主の出現により、大謗法の邪宗門と化した」と総括したのです。

とはいえ、この統括方法には限界があります。
まず、日顕より前の時代の宗門史評価が曖昧なままであるからです。創価学会が使う「第一次宗門事件(1970年代後半)」と「第二次宗門事件(1990年前後)」という名称が示す通り、2つの騒動は相互の独立したものではなく、むしろ連続的に捉えられています。つまり、日顕という「極悪法主」の出現によって、急に「邪宗門化」したのではない。日顕より前から「謗法団体」としての潜在的要素があったという事が、示唆されているのです。

さらに『人間革命』では、戦時中に宗門が政府の政策に迎合した話や、戸田会長の「宗門の邪宗化」を予期したような発言(「追撃の手を緩めるな」)などが出てくる。これらを見ると、創価学会の歴史における日蓮正宗は、初めから純粋清浄な団体ではなく、何らかの「潜在的悪性」をはらんだ存在として認識されているのだと考えられます。「善」とも「悪」とも描く事ができない微妙な存在。それが日顕より前の宗門ということになります。

細井日達は、まさにそのような「微妙な存在」の極致と言えましょう。宗門が完全なる「邪宗門」と化す歴史の変節点の直前に位置する人物であるからです。日達の評価は、宗門全体の評価の中でも、重要な位置を占めると私は考えています。

そこで、『新人間革命』の連載を待っている間に、『人間革命』第2版における宗門ならびに歴代猊下歴史的評価を見てみたいと思っています。
ここでは「一人立つ」の章を取り上げます。初版における記述を視座としながら、第2版を読み、そこからわかる今日の創価学会における宗門評価について考えます。特に、第64世法主の日恭ならびに第65世法主の日淳の位置付けがポイントとなります。

日蓮正宗を「謗法団体」などと記載しておりますが、それは私の個人的見解ではなく、創価学会においてなされている宗門への評価です。学会と宗門の一連の騒動については緒言入り乱れており、私自身は判断がつきかねています。しかし、阿部日顕の「極悪性」や僧侶の「堕落」などを理由に宗門を「絶対悪」と決めるける歴史的統括は、乱暴と言わざるを得ないと考えています(創価学会が教団としてそのような立場を取らざるを得ないことは理解しています)。
ちなみに私は、日蓮正宗を1つの伝統的仏教団体と考えており、「邪宗門」などとは規定しておりません。

戦友としての堀米(日淳)

物語は戸田会長の出獄の僅か2日後の昭和20年7月5日の回想から始まります。戸田会長は病身に鞭打ちながら、中野の歓喜寮(日蓮正宗寺院)を訪れます。そこでは、堀米住職と再会(のちに法主となる日淳)。その約1年後、牧口常三郎の1回忌が同じく歓喜寮で行われ、その模様が描かれます。

《第1版》
「昭和二〇年七月五日ー彼(筆者註:戸田城聖)はこの日、暑い日中は家にいたが、日も傾きかけた時、脳裏から離れなかった宗門の様子を知ろうと、歓喜寮の堀米尊師を訪ねた」(182頁)

《第2版》
「彼は、出獄の日の翌々日、一九四五年(昭和二〇年)七月五日は、暑い日中は家にいたが、日も傾きかけたころ、脳裏から離れなかった宗門の様子を知ろうと、歓喜寮の堀米泰栄住職を訪ねた。」(217頁)

「尊師」という言葉が「住職」に変わっています。「尊師」とは私には聞きなれない単語でしたが、先輩に聞いたところ、宗門からの独立前には普通に使われていた敬称です。日蓮正宗から独立した宗教教団になったのですから、この変更は自然でしょうが、小説の地の文において敬称が使われているのは奇異にも思われます。よくわかりませんが、当時の創価学会と宗門の関係の微妙さが感じられます。

さらに、以下のような堀米住職への呼びかけの名称も変わっています。

《第1版》
「先生・・・」(183頁)

《第2版》
「ご住職・・・」(218頁)

【考察】
「先生」とは、今日の創価学会では原則として「永遠の指導者」である三代会長にしか使われない敬称のため、呼び名が変わっているのだと考えられます。

そして、同章を読み進めていくと、以下のような記述があります。

《第1版》
堀米尊師は、彼の傍に寄って、痩せた手をのばし、戸田の手をとった。大御本尊の真ん前であった。戸田は、思わず両手でその手を握った。すると堀米尊師は、もう片方の手をその上に重ねた。二人は、互いに抱擁するような姿で、戦友のように固く握り合ったのである。
二人のあいだには、語るべき多くのことが溢れていた。だがあまりの懐かしさに、その感慨は、言葉にはならなかった。ただ、無言で固く握っていた手が、言葉以上の多くを語っていた。(183頁)

《第2版》
堀米は、彼の傍に寄って、痩せた手をのばし、戸田の手をとった。御本尊の真ん前であった。戸田は、思わず両手でその手を握った。すると堀米は、もう片方の手をその上に重ねた。二人は、互いに抱擁するような姿で、戦友のように固く握り合った。
二人のあいだには、語るべき多くのことがあふれていた。だが、あまりの懐かしさに、その感慨は言葉にはならなかった。ただ、無言で固く握っていた手が、言葉以上の多くを語っていた。(218頁)

「大御本尊」が「御本尊」に変わっていることは措いておいて、堀米住職と戸田会長の再会の様子が「戦友のように」と描写されています。これは初版と第2版で変わっていない。のちに詳細を確認しますが、堀米は戦時中に宗門の中心人物として奔走した人物のようです。創価学会における戸田会長と、日蓮正宗における堀米住職。両者が「軍部政府」という共通の敵に異なる立場において共に戦った事が、示唆されています。

戸田会長の偉業の強調

上述の文章から、今日も創価学会は、堀米の戦時下での功績に対して一定の歴史的評価をしている事がわかります。しかし、以下のような記述の変更もあります。

《第1版》
堀米尊師は、戦時下、総本山の中枢であり、宗門の矢面に立って戦ってこられた。特に、国家権力に対峙する一切の衝にあたり、骨身を砕いて来ていた。
戸田城聖は、学会の要として、あらゆる受難を一身に浴びてきていた。そして、弾圧の二年の歳月は、二人を全く隔離していたのである。複雑怪奇ともいうべき、時代の激流は、助け合い、呼び合う二人を、見る見る遠ざけてしまった。流れの上には、誤解や曲解が流木のように、浮かんだり、消えたりしていた。(183頁)

《第2版》
堀米は、戦時下、総本山の中枢にあった。
総本山は、自己保身のため、最終的に軍部政府に屈したが、一方で、戸田城聖は、学会の要として軍部政府と対峙し、あらゆる苦難を一身に浴びてきていた。そして弾圧の二年の歳月は、二人を全く隔離していた。複雑怪奇ともいうべき時代の激流は、二人を、見る見る遠ざけてしまった。流れの上には、誤解や曲解が流木のように、浮かんだり消えたりしていた。
(219頁)

第1版では、「宗門では堀米住職が、創価学会では戸田会長が正法護持に死闘した」とされており、両者の偉業は相互に比肩するものと位置付けられている。
しかし、第2版では戸田会長の偉業のみが強調されています。つまり、戦時中の政府による宗教弾圧に対抗した点において、戸田会長の功績は、堀米に勝るとされています。そのことは、以下の文章が第2版では削除されている事からも解釈できます。

《第1版》
後世の歴史家は、この昭和の最大の法難にあたって、勇敢に弾圧と戦った人は、二人いたというだろう。
一人は、日蓮大聖人の法水を、微塵も汚すことなく護り切った、本山側の堀米尊師ーと、一人は、最大の講中である創価学会側の戸田城聖その人であるーと。
ともかくも、やがて、世界人類を救済しゆく最高無二の大宗教は、この二人によって、七百年以来の危機を切り抜けたのである。(184頁)

難しいのは、戦時中の日蓮正宗が「軍部に屈服した」と評価されており、かつ堀米住職が「本山の中枢にあった」とされていることです。これを、「日蓮正宗が軍部に屈服したのは、本山の中枢にあった堀米にも責任がある」と解釈することもできます。

堀米の戦時中の抵抗について

しかし、以下のような記述も見られます。

【第1版】
堀米尊師は、後に六十五世の猊座に登られた方である。
戦時中、総本山の中枢として、数々の難局打開に身を捧げて奔走され、寧日なかった。軍部政府は思想統一政策の必要から、宗教の統制にまで乗り出してきた。そこで、日蓮大聖人の教義に基づくとされている各宗派を、身延山日蓮宗を総本山として、一宗に取りまとめることを企んだのである。とくに軍国主義者たちの暗躍は活発となってきた。
残念なことに、本宗の僧侶の中にも、軍部に迎合し、神本仏迹論などという狂言を唱え、あまつさえ、政府当局の言うままに、邪宗身延派との合同を企んで、獅子身中の蟲となった者さえあったのである。(191頁)

《第2版》
後に六十五世の法主となった堀米は、戦時中、数々の難局の打開に奔走した。
そのころ、軍部政府は、思想統一政策の必要から、宗教の統制にまで乗り出してきた。彼らは、日蓮大聖人の教義に基づくとされている各宗派を、身延山を総本山とする日蓮宗に合同させ、一宗に取りまとめることを企んだのである。特に軍国主義者たちの暗躍は活発となってきた。
日蓮正宗の僧の中にも、軍部に迎合し、神本仏迹論などという狂言を唱え、あまつさえ政府当局の言うままに、身延派との合同を企んで、獅子身中の虫となった者さえあったのである。(227頁)

表現は変わっていますが、初版・第2版ともに、「堀米は難局打開に奔走した」とされている。
少なくとも今日でも創価学会は、堀米に一定の評価をしていることがわかります。これを、上述の戸田会長の記述と総合すると、以下のようになります。

●戦時中の軍部による宗教弾圧への抵抗において、戸田会長の功績は類例が無いほど顕著である。
●堀米住職も軍部に完全に迎合することなく、一定の役割を果たしたが、それは戸田会長に比肩するものでは無い。

日恭ならびに日達への言及

そして、生前の牧口会長が登山を命じられ、「神札を受けてはどうか」と持ちかけられるシーンです。

《第1版》
昭和十八年六月、学会の幹部は、本山に登山を命ぜられた。そして、一人の僧侶から『神札』を一応、受けるようにしてはーとの話があった。(193頁)

《第2版》
一九四三年(昭和十八年)六月二十七日、学会の幹部は、総本山に登山を命ぜられた。当時の法主・鈴木日恭ら立ち会いのもと、宗門の庶務部長から、「神札」を、一応、受けるようにしては、との話があった。(229頁)

第1版では、神札を受けることをすすめたのは、「一人の僧侶」となっていますが、第2版では固有名詞が登場している。しかもそれが時の法主であり、庶務部長だと言います。「日恭が戦時中に軍部に迎合した」という話は、私も何度も聞いた事がありましたが、学会の公式見解としては聞いた事がありませんでした。この記述から、日恭が「軍部政府に迎合した」、少なくともその動きを「看過した」という事ができます。
さらに名前こそ出ていませんが、神札をすすめた人物として庶務部長が挙げられています(渡辺慈海という人物のようです)。

以上から、戦前の宗門について、創価学会は以下のように総括しているのだと考えらえます。
●宗門は、組織として時の政府に迎合した
●日恭法主も、その迎合に責任がある(積極的に戦争協力した、などとはこの章からは読み取れないが、少なくとも「看過した」と解釈できる)

そして、本章には細井日達も登場します。

【第1版】
尊師の左脇に、唱題しておられた細井精道尊師こそ、第66世の現日達猊下であられる。戦時中の宗門厳護の戦さには、堀米尊師の身に影の添うがごとく活躍され、堀米尊師の御登座の下にあっては、宗務総監として、宗門の要となって、今日の大宗門への、発展の原動力となられた方であった。(196頁)

これは第2版では削除されています。これは日達への評価云々はあまり関係無いと私は考えています。本文では日達は、堀米住職のサポート役という副次的な役割を果たしたとされているので、堀米の評価が相対化されたことに伴う評価の変更だと思われます。本文から、今日の創価学会の日達評価は読み解く事ができません。

 

《お知らせ》

仕事が忙しくなるため、更新頻度を下げさせていただきます。

また、検索エンジンやリンク先、ブックマークからのアクセスが中心となってきたので、頃合いを見てブログ村から撤退します。

 

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ヘーゲルとの復縁を決意:『小論理学』を読む①

哲学・思想

現代思想をを勉強しはじめました。
きっかけは、「創価学会員による創価ダメ出しブログ」の管理人の否創価活動家さんと「学問と信仰」の問題について、意見交換したことです。

宗教を勉強していくと、どうしても学問と自分の所属教団の教義が矛盾してしまうという事態が発生します。そうした時に、「学問を完全に無視する」か、「教義を捨てる」という立場をとる事もできますが、それは極端にすぎると思います。

矛盾する両者の間に立ち、両極のどちらでもない新しい立場を創出することーそれが思想という試みであるように、私には考えられます。

とはいえ、そんな巨大な任務を私の独力で行うことはできません。
そこで、「理性と宗教」というような問題を頭がおかしくなる程考えてきた、ヨーロッパの大哲人たちに学ぶ事から始めようと思いました。

とりあえず取り掛かるのは、カント、ヘーゲルキルケゴールカール・バルトです。

本稿で着手するのは、ヘーゲル『小論理学』です。

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ヘーゲルの嫌な思い出

実は私は、創価大学時代にこの本に挑戦したことがあります。
法学部だった私は、論理学を勉強し、その中でヘーゲルを知って同書を手に取りました。
しかし本当にわけがわからない。法律の条文の方が、何億倍も易しい。論理学は「クリアでシンプル」なものだという私の先入見は、粉々に砕け散りました。

結局挫折し、私はヘーゲルとの絶縁を決意しました。

しかし社会人になってから思想に興味を持った私は、色々と本を読みましたが、絶縁したはずのヘーゲルは至る所に姿を現しました。どうやらヘーゲルは、通過しなければならない関門のようです。
近代哲学を学ぼうと決めた以上、ヘーゲルと復縁しなければならないと重い腰を上げることにしました。

とはいえ、前回の挑戦時よりは、読書量は積み上がっておりますので(まだまだ浅学ですが)、あの時よりは上手く付き合えるのではないかと期待しています。

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読書の方針

ヘーゲルを読むに当たって、以下を基本的な読書方針にしたいと考えています。

●原書に忠実に読む

ヘーゲルには様々な解説本が出ていますが、あえてそれらを使わずに、ヘーゲルのテキストに向き合おうと思っています。まぁ過去にヘーゲル解説本を何冊か読んでしまっておりますので、それらから完全に自由に解釈することは不可能ですが、できる限りの努力はします。

「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」というようなキャッチコピー的なヘーゲル理解に引きずられないよう、十分注意したいと思います。

また、私はドイツ語はできませんので、松村一人訳『小論理学』(岩波書店)を使用します。場合によっては英語版を購入して、理解の助けとします。

辞書だけは使用させていただきます。『岩波小辞典 哲学』を使います(『岩波思想・哲学大辞典』が欲しいですが、なかなか手が出ません。「ヘーゲルを読了できたら買う」と決めるのもアリかもしれません)。

●わからない所はわからない

どうせ私の頭では、壁にぶつかる事は目に見えています。「わからない所はわからない」と決めて、そうはっきり書きます。あまりにわからないことばかりが続き、迷宮に迷い込んだ場合、の就職・結婚・親の介護を全て断念して哲学科の大学院に進んだ友人に助けを借りながら、脱却を試みます。

論理学とは何か?

それでは早速、『小論理学』の第1章「予備概念」を読んでいきます(「序文」は、とりあえず措いておきます)。
同章は、以下のような一文から始まります。

論理学は純粋な理念に関する学、言い換えれば、思惟の抽象的な領域にある理念に関する学である。(95頁)

恐らく、ヘーゲルという人はこの本において、自分独自の論理学を打ち立てようとしているだろうと予想できます。そこでまずは論理学という言葉を、定義しているのでしょう。それによれば、論理学は「理念」に関する学のようです。参考までに辞書を引いてみると、

イデー(理念と同義):ヘーゲルは、イデーをまた絶対的実在とする絶対的観念論を展開した。彼のイデーは論理的イデー、自然、精神の三段階を通じて弁証法的に自己発展するものである。

とあります。よくわかりませんが、ヘーゲルは「イデー=理念」を「絶対的実在」として持論を展開したようです。何が言いたいのかわかりませんが、とりあえず措いておきましょう。

続いて「思惟」という言葉も辞書で引いてみると、以下のようにあります。

感性の作用と区別され、概念・判断・推理の作用をいう。われわれはこれらによって感性的に与えられた材料を総括し、対象の諸側面の連関、全体、法則性、本質を認識する。

感性とは、外界を感覚的に感受する作用です。いま、私の机の上にコーヒーがあります。これを視覚的に捉えるのは、「感性」の仕事です。それに対して、「コーヒーとは、飲み物である」「コーヒーとは、液体である」というような命題をつくるのは、「思惟」の仕事でしょうか。

このような抽象的な領域で働く「思惟」を対象とした学問を、ヘーゲルは論理学としているようです。これは、我々の考える論理学と、近いのではないでしょうか。
例えば植物学では、「植物とは、光合成をする生物である」というような内容を扱います。つまり、「植物」という外界の対象を研究する学問です。

それに対して、「論理学」とは、上述の「植物とは、光合成をする生物である」という考察の前提となる思惟作用を対象にします。つまり、「AはBである」と「AはBでない」という2つの命題は、同時に成立しないというような人間が持つ思考作用を対象とするものです。

発展・生成するヘーゲル論理学

理念は、形式的な思惟としての思惟ではなく、思惟に固有の諸規定および諸法則の発展する全体としての思惟であり、そして思惟はこのような全体を自ら作り出すのであって、すでにそれを所有しそれを自己の内に見出しているのでは無い。(95頁)

これだけ読んでも、現時点ではチンプンカンプンです。しかしなんとなく分かることは、ヘーゲル論理学は、矛盾律のような、我々の思惟の形式・法則を対象にしている。しかし、どうやらその思惟は、諸法則はもともと持っているのではなく、思惟自身が発展しながら自らそうした法則を作り出していくようです。
ヘーゲル論理学は、思惟の諸法則を静的に観察するのではなく、動的に発展するものとして把握していくようです。これについてはまだわかりませんので、追って明らかになっていくのでしょう。

事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!

論理学は直観的なものを取り扱うものではなく、(中略)、純粋な抽象物を取り扱うものである。それは純粋な思想の内へ退き、純粋な思想をしっかりと捉え、純粋な思想のうちで動く力と熟練とを要する。(95頁〜96頁)

これについては、我々が「論理学」と聞いてイメージするものと近いと思います。すなわちそれは、経済学が経済を対象としたり、植物学が植物を対象としたりするのとは異なり、純粋な「抽象的な思考」を対象にするものです。ヘーゲルもこれには同意していますが、「思惟の評価」に対しては過去の哲人たちに異論があるようです。

思惟の評価となると、これを非常に低く評価するような考え方もあり、また非常に高く評価するような考え方もある。前者のような考え方の例としては、それは思想に過ぎないというような事が言われている。この場合思想は、単に主観的なもの、恣意的なもの、偶然的なものと考えられていて、事柄そのもの、真なるもの、現実的なものでは無いと考えられているのである。(99頁)

ここでは、「思惟に対する評価」として、それを「低く評価する立場」と「高く評価する立場」の2つが挙げられています。「低く評価する立場」の例として、思惟を「単なる主観的なもの」と捉えて、それは現実世界とは違うよ、という立場をとっています。
これは伝統的形而上学や大陸合理論、イギリス経験論、批判哲学などを念頭に置いていると考えられますが、あえて卑近な例で考えてみましょう。

コンサルタント」とされる方々がいらっしゃいます。ロジカルシンキングの権化ともいえる存在であり、現実をロジカルに把握して、ロジカルにソリューションを提供する。膨大な資料の海に揉まれながら、果てしないエクセルの密林を逍遥し、極めて整然とした答えを出す。

私も憧れた時期がありましたが、よく聞くのは「コンサルタントは現実離れしている」というものです。彼らは理路整然としていて美しいパワーポイントを作るが、それが必ずしも現実に合致しているわけではない。乱暴に言えば、「現場を知らない」。

すごく俗っぽい解釈をすると、「現場主義」も、この「思惟を非常に低く評価する」1種と言えるのかもしれません。つまり、会議室でお偉いさんたちが考えた戦略やマニュアルは、現実に合致しない。重要なのは、個別具体的な事実であり、事件である。

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」的な立場です。

かなり極端な話をしてしまいましたが、ヘーゲルの挙げている「思惟を低く評価する立場」は、論理学(ロジカルシンキング)を主観的なものに過ぎず、「現実それ自体」とは乖離したものと捉えるものであると言えるでしょう。

精神とは神であり、思惟のうちにある

そして、ヘーゲルの言う「思惟を高く評価する立場」です。

しかし他方にはまた、思想を非常に高く評価する考え方もあって、われわれは思想のみが最高のもの、すなわち神の本性に達しうるのであって、感覚は全く神を認識する事ができないと考える事もできる。(99頁)

「思惟」と「思想」の語義を一緒のものと仮定すると、思惟こそが「神の本性」に達することができるんだという、非常に大胆な立場です。
先ほどの「思惟を低く評価する立場」、俗っぽくいうと「現場主義」は、コロコロ変わる現実に左右されてばかりおり、神や真理を全く認識することができないといいます。

注目すべきは、ヘーゲルが「思惟を低く評価する立場」よりも、「高く評価する立場」の記述に、大幅に紙幅を割いていることです。

神は精神であるから、精神及び真理のうちで崇拝されねばならないと言われている。感覚的なものは精神的なものではなく、精神の最奥のものは思想であり、精神のみが精神を認識しうるのである(中略)精神的な内容、すなわち神そのものは、思惟のうちにおいてのみ、また思惟としてのみ、その真の姿のうちにあるのである。したがってこの意味から言えば、思惟は単に思想に過ぎないものではなく、むしろ最高のものであり、厳密に言えば、永遠で絶対的なものをとらえる唯一の形式である。(99頁〜100頁)

思惟を「永遠で絶対的なものをとらえる唯一の形式」であるとしています。これが、「思惟を高く評価する立場」についての記述なのか、それともヘーゲル自身の立場なのか、文脈からは必ずしも明らかではありません。

ですが、「①思惟を低く評価する立場」と「②思惟を高く評価する立場」の2つを例示して、前者を軽く記述して終わらせる一方、後者を何倍もの文量で記述している事を考えると、ヘーゲルの立場は②に近いのかもしれない、と仮定してもいいと思います。

また、「神は思惟の中にある」という記述も重要かもしれません。「①思惟を低く評価する立場」をコンサルタントという俗な例で考えてみましたが、それは彼らのロジカルシンキングが、必ずしも現実と一致していないというものでした。
つまり、主体(コンサルタント)における「認識」と、客体(ビジネスの現場)という「対象」が一致していないというものです。

しかし、上述の文章でヘーゲルは、思惟の対象として「神」をあげています。さらにその「神」は、人間の思惟の中にあるという。これだけではまだよくわかりませんが、巷のロジカルシンキングの本が夢にも思わないような、とてつもない構想をヘーゲルは持っているようです。

「精神」とは何か

「精神」という言葉がどうやらヘーゲルの中では、非常に重要なタームのようなので、考えてみましょう。もう1度前述の文章を引用します。

神は精神であるから、精神及び真理のうちで崇拝されねばならないと言われている。感覚的なものは精神的なものではなく、精神の最奥のものは思想であり、精神のみが精神を認識しうるのである(中略)精神的な内容、すなわち神そのものは、思惟のうちにおいてのみ、また思惟としてのみ、その真の姿のうちにあるのである。したがってこの意味から言えば、思惟は単に思想に過ぎないものではなく、むしろ最高のものであり、厳密に言えば、永遠で絶対的なものをとらえる唯一の形式である。(99頁〜100頁)

「精神」というと、我々の言語感覚では、人間の中にある「心」だとか「魂」のようなものと思われますが、ヘーゲルは違うようです。

つまり「精神」とは、「神」なのです。
そしてどうやら、その「精神」とは、我々から隔絶したところにあるものではない。「精神の最奥のものは思想である」と書かれている通り、我々の思惟作用と不可分のもののようです。

私には「思惟」と「思想」の違いがまだわかりませんので、等置していますが、以下のことは明らかではないでしょうか。

精神とは「神」という絶対的な存在である。しかしそれは、この世界から完全に独立して存在する絶対者ではなく、我々が生み出す「思想」と連続的に存在している。

とはいえ、「崇拝されなければならないと言われている」と、他人の意見を客観視するような書き方をされているので、これがヘーゲルの意見なのか、まだわかりませんが。

矛盾する「思想」の語義の解釈

そして上述の文章では、一見矛盾する2つの命題が示されています。

① 精神の最奥のものは思想である。
② 思惟は単に思想に過ぎないものではなく、むしろ最高のものである。

1の命題では、思想は「精神の最奥のもの」と、非常に高いランクを与えられています。しかし2の命題では、「思想に過ぎない」というネガティブな語のように使われています。
これはどのように考えればいいのでしょうか?

私の考えでは、「思想」というおなじ言葉が、全く違う意味で使われているのだと思います。
つまり1の命題では、思想とは、「精神=神」の最奥のものという意味で使われている。
それに対して2では、先述の「思想を低く評価する立場」にとっての「思想」という意味で使われているのです。もう1度引用してみましょう。

思惟の評価となると、これを非常に低く評価するような考え方もあり、また非常に高く評価するような考え方もある。前者のような考え方の例としては、それは思想に過ぎないというような事が言われている。この場合思想は、単に主観的なもの、恣意的なもの、偶然的なものと考えられていて、事柄そのもの、真なるもの、現実的なものでは無いと考えられているのである。(99頁)

つまり、思想とは、「思惟を低く評価する立場」の人たちにとっては、「主観的・恣意的・偶然的なもの」に過ぎないのです。このような意味で、「思想」という言葉が使用されているのだと思われます。

読書歴の浅い私ですが、読書する際には用語の定義を絶対視するのではなく、その文脈において柔軟に捉えることが必要であると考えています。

論理学を尊敬しろ!:ヘーゲルの論理学礼賛

そして、ヘーゲルは、「論理学」という学問を礼賛する文章を書きます。

論理学がこのような地盤を持っている限り、われわれはそれに普通払われている以上の尊敬を向けなければならない。(101頁)

「論理学を尊敬をしろ、まぁ今でも尊敬されてはいるが、まだ十分じゃないんだよ」とヘーゲルはそう書いているわけです。
なぜ尊敬しなければならないのか。それをヘーゲルは、2つの理由から説明しています。

第一の理由は、以下の通りです。

人間は、自分が何であるかを知り、また自分のする事を知ることによって、動物から区別される。(100頁)

つまり人間を人間たらしめるもの、それこそが「自分自身を知ること」、それをする学問が論理学であるからという理由です。論理学は、自分の思惟の活動を対象として考察し、展開される。これは動物にはできないことであり、人間を尊厳ある存在たらしめるものだ、ということです。

確かに動物を「思惟活動のできない存在」と規定するならば、彼らに論理学なんて無理でしょう。思惟能力のない動物は、論理学はもちろん、あらゆる学問をすることは一切不可能です。
もっというと、論理学が対象とする「思惟」を与えられてすらいない。例えば、「砂漠のど真ん中でイルカの生態について研究しろ!」といっても、無理でしょう。

第二の理由は、以下です。

思想はこの感覚の最後の名残からさえ去って、自由に自己のうちに安住し、内外の感覚をしりぞげ、あらゆる個人的な関心や傾向を遠ざける。論理学がこのような地盤を持っている限り、われわれはそれに普通払われている以上の尊敬を向けなければならない。(101頁)

つまり、論理学とは、「感覚」という不確かなものを一切廃した学問である。そうした学問は、論理学だけだというのです。
さらに論理学は、「自己のうちにあるもの」を研究対象とします。先ほどヘーゲルは、「神は思惟のうちにある」というような事を書いていました。ここでは詳細は書かれていませんが、どうやらこの当たりにも、「尊敬すべき理由」が存在していそうです。
(続く)

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創価学会の信仰の本質とは何だろう:内村鑑三『基督教徒のなぐさめ』を読む②

創価学会考 政治考(公明党)

暑い日が続きますね・・・。
前回に引き続き、本日も、内村鑑三『基督教徒のなぐさめ』を読みながら、「組織に反対意見を持ちながらも信仰を貫く生き方」について、考えていきたいと思います。

(前回記事は以下)

sanseimelanchory.hatenablog.com

 

教会に捨てられた内村鑑三

教会の見解に反して、自分の意志を貫いた内村鑑三
しかしそれは、教会の聖職者や神学者、他の信徒を敵に回し、「反逆者」「異端者」と罵られるに至りました。

【原文】
余は教会に捨てられたり、余は余の現世の楽園と頼みし教会より勘当せられたり。
【現代語訳】
私は教会に捨てられた。私は、私がこの世の楽園としていた教会から勘当されてしまったのである。

熱烈な信仰者として生きてきた内村。その内村にとって、教会から捨てられることは、何を意味していたのか。
本稿は、客観的学術研究ではなく、創価学会員の私のアクチュアルな問題意識に基づいたものです。でしたら、内村鑑三の立場に自分を重ね合わせて、実存的に主観的にその心情を想像することも許されるでしょう。

例えば私が、創価学会から除名されたらどう思うか。しかも除名の原因が、「現在の創価学会が、自分の愛する池田先生の精神に反している」という自分なりの正義・信念に基づいた行動の結果だったのならば。

私は、「アンチ創価学会」と言われる事も多い。それは当たっているでしょう。私は、学会の主張や運動の99%に批判的であり、かなり突き放した意見を述べる事もあります。学会の内部は、無知や盲信、不条理と呼ばざるを得ないものも多く、それらに全て肯定的になれというのは、自己欺瞞に陥るほかはない。

それでも尚、学会は偉大であると思います。学会のお陰で人生の悲運を乗り越えた人々を、私は限りなく見てきましたし、私もその一人であります。
創価学会を絶対無謬の存在と考えて、世間的に見れば「カルト」と評さざるを得ない主張や活動を繰り広げている方が大勢いる。私はそに違和感を覚えながらも、同時に心から尊敬している。
その姿には、世間的な地位や金銭の追求に終始する政治家や拝金主義者や、自分は賢者であると傲慢に生きる評論家や学者には無い、崇高さがある。たとえ傍から見たら愚かであったとしても、そこにこそ人生の真理があると思わされることがある。

そのような創価学会は、私にとって自分自身それ自体であるとも言える。
そんな学会に捨てられたとしたら、自分の精神の背骨が音を立てて崩れ、もはや立っていられないかもしれない。
内村のいう「教会から捨てられる」ということーその事は、私にとって切実な響きを持って胸に迫ってきます。

「キリスト」と「キリスト教」は違う

自分の精神の背骨を抜かれてしまった内村鑑三。彼はどのようにして立ち上がったのか。少々長いですが、彼の文章を引用します。

【原文】
人は真理を知るの力を有し、ただちに神の「インスピレーション」に接するを得るものなりとは余がキリスト教基本の原理と信ずる処なり、教会必ずしも真理の証にあらざるなり、教会は真理を学ぶにおいて善良なる扶助なるべけれども、真理は教会外においても学び得べきものなり。
(中略)
ああ神よ、この試練にして余のいまだ充分に爾を知らざる時に来たりしならば余は全く爾の手より離れしならん、しかれども爾は世に堪ゆ能わざるの試練を降さず、教会は余が自立し得る時にあたって余を捨てたり、教会我を捨し時に爾は我を取り挙げたり、余の愛するもの去て余はますます爾に近く、国人に捨てられて余は爾の懐にあり、教会に捨てられて余は爾の心を知れり。


【現代語訳】
人は真理を知る力を有している。私は、神の「インスピレーション」に接する事によって真理を得ることが、キリスト教の基本原理と信じている。教会は必ずしも真理の証ではない。教会は真理を学ぶ上では善良な助けとなるけれども、真理は教会の外でも学ぶことができる。
(中略)
ああ神よ、この試練によって私がまだあなたを十分に知らなかったとしたら、私は完全にあなたを捨て去っていたでしょう。しかしあなたは、私が耐えることのできない試練を下さることはない。教会は、私が自立できる時に私を捨てた。教会が私を捨てた時に、あなたは私を取り上げてくださった。私の愛するものは去ったが、私はますますあなたに近くなった。同胞に捨てられて、私はあなたの懐に入ることができた。教会に捨てられる事によって、私はあなたの心を知ることができた。

教会に捨てられた内村が悟ったこと。それは、「教会」や「教義」などといった、イエス以外の人間がつくったものが取り除かれた、純粋な「イエス・キリストの心」だったのではないでしょうか。

創価学会立正佼成会日蓮正宗日蓮宗という教団がたくさんあります。それぞれ異なる教義や儀礼を持つ。それらは、全て「一生成仏」の実現という仏法本来の目的の「善良な扶助」となるべきもの、あくまで日蓮仏法を信ずる信者の信仰を補助するための、相対的なものに過ぎません。

しかし、それらが「組織信仰」となって本末転倒を引き起こしたり、偏狭な教義論争で信者の分断を招いてしまったりする。そして更には、教団の政治的立場が、熱心な信者を「反逆者」と決定づけ、信仰から離れさせるに至る。これらは大変な悲劇であると思います。

内村は、キリスト教会から捨てられた。しかし、教会から捨てられたからこそ、キリスト教会という相対的な存在を遥かに下に見下ろしながら、真に信ずべきもの、「キリストの真理」を自覚するに至ったのではないでしょうか。

宇宙の教会

内村はさらに筆を進めます。

【原文】
神の教会は宇宙の広きがごとく広く、善人の多きがごとく多し、余は教会に捨てられたりしかして余は宇宙の教会に入会せり。
余は教会に捨てられて始めて寛容寛有の美徳を了知するを得たり、余が小心翼翼神と国とに事えんとする時にあたって、余の神学上の説の異なるより教会は余の本心と意志とに疑念を懐きついに或は余を悪人と見るに至れり。

【現代語訳】
神の教会は、宇宙のように広い。善人が多いように多い。私は、教会に捨てられた、しかし私は宇宙の教会に入会したのである。
私は、教会に捨てられて始めて寛容の美徳を知る事ができた。私がビクビクしながら国と教会に貢献しようとするに当たって、私の神学上の説が異なることにより、教会は私の本心と意志とに疑念を懐き、ついには私を悪人と見るに至った。

教会に捨てられた内村は、地上の教会ではなく、「宇宙の教会」に入るに至ったと言います。これは即ち、カトリックプロテスタント英国国教会、ユニテリアン派など様々な地上的教派を遥かに見下ろした、普遍的な絶対者に帰依する立宗宣言とも言えるでしょうか。

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この文章は本来、こうした教派や教義などの相対的な違いを乗り越えて、「イエス・キリスト」自体に迫ろうという試みでもあります。

しかし敢えて、この文章を「創価学会の内部事情」という非常に狭い世界において解釈するという、「誤読」を試みてみましょう。

創価学会員」と一括りにしても、様々な意見があり、論点があります。

創価学会の御本尊には功徳があるか
・本門戒壇の大御本尊を出世の本懐と信じるか
・3代会長を永遠の指導者と仰ぐべきか
日蓮末法の御本仏であるか
日蓮正宗は邪教であるか
・財務や聖教新聞の講読料、印税中心のビジネスモデルは適正か
公明党への支援活動をすべきか
・平和安全法制に賛成するか

などなど、挙げればキリがありません。

これらの全てに賛成できる方は、稀でありましょう(前述の通り私も、99%は批判的です)。そして厄介な事は、公明党への支援活動」や「平和安全法制」といった、時流によって大きく旗色の変わる政治的な問題が前面に突き出し、教団を二分してしまう事です。そしてそれは、反対を唱える人を教団に居づらくさせてしまう。

この原稿の執筆動機は、「池田名誉会長ご不在の時代」に、もはや組織が一枚岩になる事が困難になり、様々な意見が噴出せざるをえない事に対する危惧でした。
そこでしなければならない事は、学会員の意見を1つにまとめようと、外圧を加える事ではないと私は思います。
創価学会内に存在するあらゆる論点の中で、「創価学会の信仰の本質」を抽出すること。その本質における同意を重視しながらも、それ以外の論点は寛容になり、多種多様な意見を許容することです。

キリスト教徒でない私が語るのもおこがましいですが(というか資格がないかもしれない)、キリスト教における本質とは以下ではないでしょうか。

●イエスを「キリスト(救世主)」であると信ずること。

内村鑑三は、教会に捨てられた。捨てられたからこそ、三位一体などに関する教義論争や政治的衝突によって分裂を繰り返してきた、たくさんのキリスト教会の教派から自由であり得たのだと私は思います。
彼は、「イエスこそキリストである」というキリスト教の本質を見抜く事ができた。だからこそ、偏狭な教義論争や政治紛争を遥か上空から見下ろし、「宇宙の教会」に入会する事ができたのだと私には思われます。

創価学会の信仰の本質とは何か

それでは、創価学会の信仰の本質とは何でしょうか。私の考えでは、以下の2点です。

創価学会の本尊に祈ることにより、功徳が受けられると信じる事。
②3代会長、特に池田名誉会長を「永遠の指導者」と仰ぐ事。

(これについては私の考えですので、また会員の方からご批判いただければと思います)

まずは①について。創価学会の下附する本尊に祈るという行為は、創価学会の信仰活動の中核と言えるでしょう。この行為により、功徳が受けられると信じられなければ、創価学会に在籍する意義が問われます。
ちなみに、「功徳が受けられる」という言葉は、厳密には定義しません。「功徳」とは主観的な概念であり、それを「一生成仏」のような抽象的・彼岸的概念で解釈する方もいれば、「病気の克服」のように具体的・現世的に解釈する方もいる。どちらが正解だとか、高尚かという問題ではなく、それぞれ信仰者が「学会の下附する本尊に祈る事が、自分に価値をもたらす」と感じる事が重要だと思います。

続いて、②について。創価学会の教義は、日蓮原理主義ではない。それは、3代会長、とりわけ池田名誉会長の思想・人生と不可分です。我々は、池田名誉会長の言葉を通じて日蓮思想を解釈し、『人間革命』などを通じて学んだ池田名誉会長の人生を「日蓮仏法の体現」と考えています。いわば池田名誉会長は、創価学会の「信仰者のモデル」のような存在であるわけです。

会則変更と勤行要典改正によって、3代会長の位置づけが「広布の指導者」から「永遠の指導者」に変わりました。これも解釈が難しいですが、「宗教活動の運動論の指導者」という相対的な位置付けから、3代会長を「仏教史の中でも特異な存在」と位置付け、その人生や思想、信仰態度を「我が人生・信仰の絶対的規範」とすることだと私は解釈しています。

この3代会長、中でも池田名誉会長の思想を通じて日蓮思想を解釈し、その人生を自らの目指すべき理想像とすること。これが私の考える創価学会の信仰の、第2の本質です。

①と②を高い要求に感じられる方もいらっしゃるかもしれない。「御本尊を信じられない」「池田先生を師匠と思えない」とは、私も何度も受けてきた相談ですし、私自身悩むことがある。
しかし、信仰という精神活動に到達点はありません。大切な事は、「まだ信心の確信なんてないけれど、御本尊を信じよう」「偉大さがよくわからないけど池田先生に学ぼう」というような、上述の2点を志向して生きる「態度」「心構え」でしょう。その途上での様々な煩悶や懐疑、葛藤の生じるのは至極当然であり、それらの人間的感情をもって「学会員失格」などとすべきではない。

①に対して疑義がある方は、日蓮正宗を選ぶ。そういう選択は、私は本当に賢明だと思っています。学会の本尊認定権にどうしても疑義があるならば、信仰活動を継続することは非常に難しいと思います。それを「不信心」などと罵ってはいけないと思います。
また、「②池田名誉会長を信じられるが、①御本尊には帰依しない」という佐藤優的な生き方も考えられます。

②3代会長に関してもそうであり、これをどうしても受け入れられないならば、学会にいる事はかなり辛いでしょう。私は、「創価学会だけが日蓮正統の団体」という立場をとっていません(私の解釈では創価学会も、似た立場をとっています)。創価学会という教団は、日蓮を厳密に解釈しようという教団というよりも、池田名誉会長を「信仰のモデル」と仰ぐ新宗教的色彩の強い教団です。

もしも②の受容が難しいが、日蓮や御本尊は信じられるというならば、日蓮系の教団は日本にたくさんあるし、そちらを選択するのもアリです。それが本人にとっての幸福ならば、これもまた「不信心」などと罵ってはいけない。それも尊敬すべき、偉大な決断です。

公明党の支援活動について

強調されるべきは、学会の組織活動においては、上述の2点以外は極力寛容であることです(上記2点の指導に当たっても注意が必要ですが、本稿では措いておきます)。

最大のものが、公明党の支援活動。これはもう今後、ある程度自由を許容していかざるを得ない。特に、公明党が与党に残り続けるならば、それが採用する政策や意思決定は、政治色をどんどん増していきます。

平和安全法制の議論の際に、公明党の矛盾を指摘する声が相次ぎました。しかし私の考えでは、あれは公明党の矛盾というより、「日本の矛盾」です。公明党共産党のような「万年野党」の立場をとらない限り、直面せざるを得ないものです。
政治という矛盾と不条理に満ちた世界に突入する決意をした以上、創価学会本部は、会内の意見が割れることを覚悟しなければならない。

公明党改憲勢力ではない!」と信じたい気持ちもわかりますが、いずれ9条改憲(3項加憲ではなく2項改憲)は直面せざるを得ない問題だと思います。こうした政治的な問題によって、創価学会が分裂するのは、非常によろしくない。

創価学会本部は、これまでのように公明党への全面的支援活動を続けながら、組織の一体性を保ちたいというならば、公明党に「連立脱退」を要求すべきでしょう。与党である以上、公明党の政治的判断が創価学会の宗教的思想と乖離していく事は、避けられないからです。その時公明党は、共産党社民党のような路線を選ばなければなりません。

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もし与党への残留を選択するならば、学会員の公明党への支援の程度は弱めていかざるを得ない。現在の創価学会では、公明党への支援活動は「法戦」とされ、宗教的動機と不可分のものになっています。政治的行動と宗教的動機を深く結びつけている以上、「安保法制は池田先生の絶対平和主義に反するから反対だ!」という意見が出ることなんて、当たり前すぎます。
そうした異論を「信心がない」などと抑えつける組織運営では、信仰の中核である「御本尊への祈り」「3代会長への尊敬」さえ揺るがしかねない。それは組織の体面を保持するだけであり、宗教団体の中核である信仰を骨抜きにしてしまいます。

残された難問

しかし、まだ残された難問があります。それは、①本尊義と②3代会長の思想の間に位置し、引き裂かれた会員さんがいる事です。

それは、「本門戒壇の大御本尊」を巡る教義変更に如実に表れている。
創価学会は、2014年にかつて日蓮の「出世の本懐(生まれてきた意味)」と位置付け、自分たちの正統性の根拠としてきた「弘安2年の本門戒壇の大御本尊」を受時の対象から外しました。

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2014年といえば、すでに池田名誉会長が会合にご出席されなくなった後です。
この教義改訂により、創価学会執行部は、池田先生の精神に反して暴走している!」と抗議の声を上げた方が、私の周りにもいらっしゃいます。未だに納得できていない、年長の会員の方も沢山いる。

しかしこれは、以前以下の記事で書きましたが、池田名誉会長の長年の宿願であるというのが私の考えです。

創価学会執行部のホンネ:2014年会則変更問題をめぐって

池田名誉会長に批判的な人(平たく言えば嫌いな人)は、「池田率いる創価学会は、暴走している!」と声をあげればいいし、その葛藤はそこまで深刻ではない。そういう方には、日蓮正宗というオルタナティブもある。

しかし問題は、池田名誉会長を尊敬し愛しながらも、この教義改訂に納得できない人でしょう。こういう方が取れる態度は、以下の2つです。

A.教義改訂に池田名誉会長の「ご了承」が無かったと仮定して、学会執行部を非難する
B.「池田名誉会長」と「本門戒壇の大御本尊」の二者択一を迫られ、その葛藤に無限に苦しむ

深刻なのは、明らかにBでしょう。
合致していたはずの信仰の対象であった「池田名誉会長の思想」と「本門戒壇の大御本尊」が分裂して、相互に相容れなくなり、安住できる場所を失ってしまうのです。これほど苦しいものはない。

果たしてどのような立場をとればいいのか。
この分裂状況の中に無い、平成生まれ学会員の私には、教えを垂れる資格はないでしょう。
これは、このような悩みを抱えてしまった方が、実存的に解決しなければならない問題です。こうした矛盾した2つの命題に引き裂かれた時、偉大な思想が生まれるのだと私は思います(他人事のようで申し訳ないですが、私にはこれしか言えない)。

しかし、私なりの意見を述べる事は最低限許容されると思っています。
これについては、次記事にて述べさせていただきます。

「組織信仰」と「自分信仰」

かなり長くなってしまいましたが、内村鑑三を読みながら、「教会(宗教団体)に頼らない信仰」について考えてきました。
彼が言う通り、本末転倒の「組織信仰」は絶対に避けるべきです。

しかし、この「組織信仰」よりも、もっと厄介な人間がいると思っています。
それは、「今の創価学会には池田先生の精神はない」などと決めつけ、熱心に組織活動をする会員さんを見下したり、馬鹿にしたりする人間です。

その人間が学会員を自称し、池田名誉会長を指導者と仰ぐならば、池田名誉会長が決死で創り上げてきた創価学会を、なぜ簡単に唾棄できるのか。たとえその人にとって、創価学会に池田名誉会長の精神が形骸化しているとしても、この池田名誉会長が創価学会に全生命を賭してきたという歴史的経緯をどう受け止めているのか。私には全く理解できません。

別に「組織活動をやめる」というのも選択肢の1つですし、場合によっては学会員として偉大な決断でしょう。そういう生き方を選んだ方は私の周りにもいるし、中には尊敬している人も一定数いる。

しかし、創価学会を簡単に見限って、池田名誉会長が建設してきた学会の活動に真剣に励む人間を見下すメンタリティが、全く理解できない。少なくとも、「非活」という選択は、池田名誉会長を愛していればいるほど、大きな苦しみを伴う選択であり、嬉々として自分を絶対化して他人を侮蔑する事のできるようなものではないはずです。

そういう人間は、結局「組織信仰」よりも桁違いに厄介な、「自分信仰」に陥っている。我見を絶対視して謙虚さを失うのは、信仰者として一番恥ずべき事だと私には思われます。

内村鑑三が、「無教会派」として一番主張したかった事ーそれは、「教会の人間を見下すこと」ではない。人間が作り上げたものを絶対視する「自分信仰」「人間信仰」への警鐘だった。それが私の考えです。
それについては、次回詳述します。

(続く)

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【追記あり】創価学会に反対する会員を「反逆者」と罵ってはいけない:『基督教徒のなぐさめ』を読む①

創価学会考

私には、創価大学生だった頃から男子部となった今日まで、意識して続けていることがあります。
それは、「学会を辞めたい」「学会が嫌いだ」という人と積極的に話すことです。

創価学会の全てが無謬だと思っていた頃の私は、彼らを「信心がない」と決めつけ、活動させようと「啓蒙」を続けていました。
しかし、彼らの言葉を聞くうちに、自分の態度を恥じるようになりました。

「御本尊に祈る意味がわからない」
「池田先生の偉大さがわからない」
「友人を失ってまで、折伏や選挙をしたくない」
「成果ばかりを求める組織に疲れた」・・・・・

これらは全て、彼らの心の声です。そして学会の中には、彼らを救うことのできる思想が存在していない。
彼らに投げかけられる言葉は決まって、「とりあえず活動しよう」「祈って不信と戦うんだ」「法戦で自分の壁を破るんだ」など、彼らの態度を変更させようと迫るものばかりです。彼らの心の声を、肯定するような言説は、学会の中に存在していませんでした。

そして、近年よく聞くようになったのが、以下のような言葉です。

「今の学会は、池田先生の精神から反している」
公明党のやろうとしていることに反対だから、もうF活動はしない」
「学会の会則変更に納得できない」

これらの意見を発する人に共通する事は、彼らが池田名誉会長を愛し、自分なりに熱心に信仰に励んできたことです。以前から学会には色々な意見を言う人がいましたが、最近は特に多様な意見が表面化するようになったと思います。ひとりの学会員・天野達志さんの活動などは、その典型でしょう。

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その理由については、また別記事で仔細に考察する予定ですが、一言で言えば、「池田先生が会合に出られなくなったから」でしょう。

池田名誉会長が会員が目にする会合に出席されなくなってから、学会と公明党には様々な変化がありました。最大のものは、平和安全法制の成立と会則の変更でしょう。これらの問題は、組織を二分するほどの重大な問題ですし、これらの動きに反対する学会員さんが出たことは極めて自然です。

これまでにもこのような大問題はありました。教団を揺るがした最大の事件は、日蓮正宗からの分離独立でしょう。この時にも会員に動揺が走り、退会する会員が一定数出ました。

しかし、このような過去の事件の際に反旗を翻した会員と、安保法制ならびに会則変更に異を唱える会員には、大きな違いがあります。それは、前者では「池田大作は間違っている!」という主張が大多数だったのに対し、後者は「今の創価学会は池田先生の精神を忘れている!」というものであることです。

つまり、安保法制の成立や会則変更といった大きな変化が、池田名誉会長の「ご不在」の間に起きてしまった。この事は、創価学会執行部や公明党は、池田先生のご了承なしで暴走している」という疑念を生み、「反学会・反公明党」の運動を引き起こしたのです。
私の周囲にも同様の意見を持っている方がいますし、結果組織に居づらくなり、離れてしまった友人もいます。

この傾向は、今後も強まっていかざるをえないでしょう。はっきりと申し上げるならば、池田先生もご高齢ですから、私たちは将来の学会について真剣に考えなければならないのです。その将来の学会では、さらに様々な意見が噴出して、分派ができるような事も十分考えられます。

しかし現在の創価学会には、その来るべき将来に対応できる思想・言説は、全くないでしょう。
それは当然といえば当然です。「学会に反対する」「学会は間違っている」と主張する人間を受け止める言説など、学会本部から出てくるはずがない。それは、組織を自ら破壊する自虐的な思想になりかねない。

結局、学会内部から出てくる言説は、「組織から離れたら、信心が狂うよ」「教義も大切だけど、活動が根本だよ」「公明党は歯止めになっているんだよ」「公明党が勝つ事が、先生にお応えすることなんだよ」など、組織維持を目的にしたものだけ(註:本稿末に追記あり)です。
それが極まった時、反対者を「反逆者」「不知恩の輩」「共産党員」などと罵るに至るのです。

要するにこれらは全て、反対者の「態度の変更を迫る」という外圧的なものなのです。

これらの動きは創価学会が巨大組織である以上仕方がないですし、学会に「反対者に寛容になれ!処分するな!」と言っても、よほど大規模な運動にならない限り、無駄だと思います(註:本稿末に追記あり)。それは、組織維持の論理に反するからです。

しかし私は、創価学会という一教団や公明党という一政党の、極めて相対的、政治的な変節によって、それまで信心を真面目にしてきた会員が不幸になる事は、避けたいと思っています。

そこで、内村鑑三の『基督教徒のなぐさめ』を、「教団と異なる意見を持ちながらも、信仰を保持する思想」として、読んで見ることにしてみました。

このブログのテーマの1つは、「バリ活でもアンチでもない生き方」を探求することです。学会と異なる意見を持った時に、組織に全面的に賛成する「バリ活」になろうと自己欺瞞に陥るのでもなく、学会を全否定する「アンチ」にもならない。組織と反対の生き方を持ちながらも「一信仰者」としての姿勢を保つという、第三、第四・・・の生き方を考察していきたい。

僭越ながら、そのような想いのもと、偉大なる内村先生に学びたいと思っています。

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教団と異なる意見を持ってしまった内村鑑三

それでは早速、『基督教徒のなぐさめ』を読んでみましょう。文体が古くて少々読みづらいかもしれないので、私お手製の現代語訳も併記します(誤りがございましたらご指摘下さい)。

そもそも内村鑑三は、優秀な儒学者の家に生まれた、バリバリの江戸時代型日本人でした。彼が熱烈な愛国者であった事は有名です。しかし、その先祖伝来の宗教を捨てて、イエスを信じて基督教徒となったわけです。しかし、現実はそう甘くなかった。

【原文】
余は基督教会は善人のみの巣窟にあらざるを悟らざるをえざるに至れり、余は教会内においても気を許すべからざるを知るに至れり、しかのみならず余の最も秘蔵の意見も、高潔の思想も、勇壮の行績も、余をして基督教会を嫌悪せしむるに至れり。

【現代語訳】私は、キリスト教会が善人だけの教団ではないと悟らざるを得なかった。私は、教会の中においても、他人に気を許すことができない事を知った。それだけでなく、私の偽らざる意見も、高潔な思想も、勇敢な行績も、私にキリスト教会を嫌悪させるに至った。

熱烈なキリスト信者だった内村も、キリスト教会という教団に失望せざるを得なかった。それは、彼の信仰心が「純粋」だったからでしょう。純粋で高潔にイエスを信じていたからこそ、それとキリスト教会の乖離を感じざるを得なかった。
この内村の感覚は、ある程度理解できるという学会員さんも多いのではないでしょうか。

内村は、自分の「秘蔵の意見」とキリスト教会の見解が異なる事を述べています。その時に彼は、教会という組織に従うか、自分の意思に従うかという選択を迫られる。

【原文】
余の思想ならびに行績においてしばしばかのキリスト教先達者、この神学博士と意見全く相合するを得ざるに至れり、或は余の一身を処するにおいて忠実なる一信徒より忠告を蒙るあり、いわく、「君の行績は聖典の明白なる教訓に反せり君よろしく改むべし」と、親愛なる友人の忠告として余は再び三度己を省みたり、されども沈思黙考に加うるに祈祷と聖典研究の結果を以てしかしてのち友人の忠告必しも真理なりと信ぜざる時はやむをえず自己の意志に従いたり

【現代語訳】
私の思想と行動において、しばしばキリスト教の先達者や神学博士と意見が全く異なるようになった。私は自分の態度を決定するにあたって、ある忠実な信徒より忠告を受けた。それは、「君の行動は、聖書に明らかな教訓に反しているから、改めなさい」というものだった。親愛なる友人の忠告を受け止め、私は何度も自分を省みた。しかし、思索をめぐらして、祈りと聖書研究を重ねた結果、その友人の忠告が正しくないと思った時には、自分の意志に従った。

キリスト教先達者(学会幹部のようなもの?)と意見が異なってしまった。その時に内村は、他の信徒から「考えを改めろ、お前はキリストに反している」と言われたわけです。

しかし内村は、祈り、聖書を読み、考えて、「自分が正しい」と結論した。自分の意志に従ったわけです。

反対意見を唱える人を「反逆者」と罵ってはいけない

しかしこの生き方は、彼を窮地に追いやります。

【原文】
ついには教会全体より危険なる異端論者、聖書を蔑ろにする不敬人、ユニテリアン(悪しき意味にて)、ヒクサイト、狂人、名誉の跡を追う野望家、教会の狼、等の名称を付せられ、余の信仰行蹟を責むるに止まらずしてよの意見も本心もことごとく過酷の批評を蒙るに至れり

【現代語訳】
ついに私は、教会全体から、「異端者」「聖書を蔑む不信心者」、「ユニテリアン」、「ヒクサイト」「狂人」「名誉を追う野望家」「教会の狼」などと呼ばれ、私の信仰や行動を責めるだけでなく、私の意見や本心も全て過酷に非難されるようになった。

自分の意志を貫いた結果、内村は教団から異端者や狂人扱いされるに至ったわけです。

安保法制成立に反対した学会員の中には、「お前は共産党だ!」と言われた方もいたそうです(陰口レベルでは、私も何度も聞きました)。内村が直面したのは、この状況に似ているかもしれません。
「そんな主張をするなんて日顕宗だ!身延だ!念仏だ!」なんて事を言う先輩にも、私はお会いしたことがあります。しかし、こうしたレッテル貼りは、本当にやめたほうがいい。内村は以下のように書いている。

【原文】
余はかつて聞けり、無病の人をして清潔なる寝床の上に置きしかして彼は危険なる病に罹れる患者なれば今は病床の上にありと側より絶えず彼に告れば無病健全なる人も直ちに真性の病人なると、人を神より遠ざからしめ神の教会を攻撃せしむるものは必しも悪鬼とその子供に非ざるなり。

【現代語訳】
私はかつて聞いたことがある。健康な人を清潔な寝床の上に寝かせて、「お前は重病人だから、病床の上にいるんだぞ」と絶えず言い続ければ、健康な人間もすぐに本当の病人になってしまう、と。人を神から遠ざけたり、神の教会を攻撃させる者は、必ずしも悪鬼とその子供ではないのである。

つまり、どんなに信仰深い人間も、「信心がない」「共産党員だ」「日顕宗だ」などと言い続けると、その人間は本当に「信心がない」人間になってしまう。人を信仰から遠ざけるのは、「魔」だけではない、熱心な信者が他の信者の信心を奪うことがあり得るのです。

創価学会公明党は、反旗を翻した人間を「反逆者」と罵り、それを「絶対悪」と位置付けることにより、自分たちの正当性保証に不利な歴史を、総括(隠蔽・改竄ともいう)してきました。
私の意見では、竹入義勝などの例は、明らかに創価学会公明党も「やりすぎ」です。宗門からの独立の際の「日顕は極悪坊主」というネガティブキャンペーンも、信者へのPR戦略としては優れていても、倫理的には褒められたものではありません。

百歩譲って、創価学会本部という巨大官僚機構がそのような戦略をとらざるを得ないとしても、現場の組織では避けたほうがいい。
つまり信濃町の「反逆者論法」に従って、組織に反対意見を述べる人間を、「信心がない」「反逆者」などと決めつけていると、その人間は創価学会、さらには御本尊や池田名誉会長からも離れてしまうわけです。
たとえ、「健康な人間」、つまり「強い信仰心を持っていた人間」であったとしてもです。このような例を私は、創価学園時代から何度も見ています。

創価新報などに掲載される「絶対悪」「反逆者」等の浅薄な批判からは距離を置いて、それを冷淡に見る必要があると私は考えています。それは普段の学会活動において、「反逆者論法」を他の会員さんに「悪用」するのを避けることにもつながるはずです。

✳︎(筆者註)共産党日蓮正宗の名前を出しましたが、この2つを揶揄しているのではありません。ただ、この両者が現在の創価学会の中において、「反逆のシンボル」のように扱われている事から、このような表現を例示しています。これは私の宗教・政党批判ではなく、「お前は日顕宗だ!」という言説が「お前は信心がない反逆者だ」という弾劾と同じ意味を持っている創価学会内部の事情によるものです。また後述しますが、私は日蓮正宗を「邪教」などと思っておらず、信徒の方にも尊敬している方がいらっしゃいます。

続きは、以下。

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文中の以下の表現に関しまして、渋調さんより、ご指摘をいただきました。

結局、学会内部から出てくる言説は、「組織から離れたら、信心が狂うよ」「教義も大切だけど、活動が根本だよ」「公明党は歯止めになっているんだよ」「公明党が勝つ事が、先生にお応えすることなんだよ」など、組織維持を目的にしたものだけです。

ご指摘①:「組織維持」は、「目的」ではなく、「広宣流布のための手段」ではないか。

筆者回答:上述の言葉の発話者は、それを利他的な目的や、創価学会の究極目的である「広宣流布」のためなど、純粋な動機に基づいて行っている。これらへの配慮をすることなく、それらの言説を、「組織維持」という組織の内在論理からのみ説明した事は、配慮が足りなかったと反省している。

とはいえ、「広宣流布」は、創価学会内部にのみ通用する理念であるため、それを使用して上述の言葉を使う事は、「組織の意見に反対してしまった人」を対象にした本稿の目的に反するように思われる。

なので、「組織維持を目的にしたものだけです」を「それを言われた人間にとって、組織の目的に賛成する事を要求されるものに映ってしまうものである」に変更したい。

 

さらに、以下の表現について、ご指摘いただきました。

これらの動きは創価学会が巨大組織である以上仕方がないですし、学会に「反対者に寛容になれ!処分するな!」と言っても、よほど大規模な運動にならない限り、無駄だと思います

ご指摘②:「反逆者」は組織維持に反するため処分されるが、反対者は組織維持の論理に反しない。

筆者回答:

これについては、「反対者」と「反逆者」について、本稿での定義をしておきたい。私が考える両者の違いは、何らかの造反行為をした主体者の「動機」の違いである。

つまり、「反逆者」とは「組織の破壊を目的とした活動を行う人間」である。

それに対して「反対者」とは、「組織の見解が組織本来の目的に反していると認識し、それについて反対の声を上げる人間」である。

この両者には確かに大きな違いがあるように見えるが、組織側から見て重要なのは、その人間の「動機」ではなく造反活動が組織に齎した「結果」である。ゆえに、組織破壊を目的としていなくても、結果的に組織側にとって都合の悪い結果を齎す事があり得る。よってその結果を見て、「処分」を下す事があり得る。例えば、竹入義勝矢野絢也などが、はじめから組織破壊を意図していたのか、私には疑問である。また、創価学会を解雇・除名された3人組は、「組織改善という純粋な動機」から造反活動を続けているというが、学会本部の内部事情の暴露などは、明らかに組織破壊という結果をもたらしている。彼らが純粋な動機で活動しているというのは、嘘であるとも考えられるが、そんな事は分かりようがないし、私は彼らには嘘をつくほどの能力はないと考えている。

そもそも私も、創価学会が反対者を処分しているなどと考えていなかった。しかし、創価学会を解雇・除名された3人組の開催した会合に参加した知人によれば、そのような「処分」を受けた会員が一定数いたという。そして彼らは、ひとりの学会員・天野達志氏などともに、「反対した会員を処分するな」という運動を繰り広げているという。

即座に組織の横暴だ等という気はないし、創価学会が不当な処分をしているなどとは私は考えていない。

しかしこのような実体験に基づいた運動が一定規模になっている以上、「組織が反対者を処分している」という事実を、とりあえず受け止めて、論を進めなければならないのかもしれないと思っている。

 

 

 

 

造反した創価学会職員3名の幼稚な教条主義:絶対平和主義再考の必要性

雑文

これからある文章を引用する。

公明党の山口代表は、朝日新聞の記者から党創立者の池田名誉会長の安保法への考えについて聞かれ、「直接伺う機会がないので、私には答えようがない」と返答したという。
思わず絶句し、怒りで体が震えた。
師を師と思わぬ、誤魔化しの回答。
もはや公明党には、師匠の精神は無くなったと判断することが、極めて自然である。

この言葉を聞いて、鳥肌が立つのは私だけだろうか?

これまで何度か記事にしてきた、創価学会本部を除名にされた職員の三人組。
どうやら相変わらず熱心に造反活動をしているようで、創価学会本部の暴露本の出版が決定。本日8月20日は、憲法学者の木村草太を招いて、平和安全法制についての講演を拝聴するとのこと。
ブログではその告知に加え、平和安全法制成立への並々ならぬ怒りが披瀝され、公明党創価学会本部を「師敵対」として糾弾している。

その現実認識を表現するには「幼稚」の一言で十分であり、あれこれと政治運動をする前に「ちゃんと高校の教科書を読んで勉強して下さい」と言いたくなる。
こうした愚かな3名と一緒に活動している会員さんがいる事は、この上ない悲劇であるが、御三方に言わせればそれも「池田先生に違背した学会本部と公明党が悪い!」という事になるのだろう。

f:id:sanseiblog:20160817130021j:plainhttp://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-15.html

この御三方の内、2名は創価学園・大学のご出身。つまり私の同窓の先輩なのである。

今更言うまでもないが、私は彼らに対してかなり否定的である。
そのブログを読んでいると、その幼稚さに呆れかえってしまう。
しかし最近では、なんとも言えず、悲しくなってしまうようになった。

創価学園・大学の創立から半世紀が経とうとしている。
しかし、これだけの蓄積が経てもなお、我が母校は池田名誉会長という創立者に依存し続けている。これが果たして、創価教育の姿なのかと目を覆いたくなる。

非会員の方には意外かもしれないが、創価学園・大学では宗教教育は行われていない。まぁ実際にはかなりグレーなものも多いのだが、少なくともそれは「宗教機関」ではなく、「学術機関・教育機関」を目指して創立されたのである。

なぜ、学会内の人材グループではなく、学術的研究・教育を行う学校を創立しなければならなかったのか。それは「自分の頭で考えて行動し、価値を創造する」人間を輩出するという、創価教育の精神に則ったものではなかっただろうか。

しかし、創立から半世紀を経てもなお、同校は「池田先生教条主義」を貫いて自分で考えることをしない人間を量産し続けている。

「山口公明党代表が池田先生にご了承をとっていないなんて、とんでもない!」

こんな事を平気で言う、元職員3人組がその典型である。

彼らの行状を見るにつけ、私は再度池田名誉会長の「絶対平和主義」について考察する必要を感じるに至った。そのアプローチについては後述する。

まずは元職員のブログから、彼らの思考体系を分析し、創価学園・大学が脱却しなければならない幼稚な思考プロセスを明らかにしたい。これは単に愚かな3名の糾弾に終始するものではない。創立から半世紀を経てもなお学園・大学を捉えている問題的思考を、一卒業生として批判することである。そしてそれは、私の自己批判・自己反省でもある。

また、予め述べておこうと思うが、私は学会員が行う「安全法制反対運動」に否定的ではない。ひとりの学会員・天野達志氏などには尊敬を払っており、「公明党を徹底非難する熱心な創価学会員」「組織ではなくご本尊中心の信仰者」という生き方を、内外に示してほしいと期待している。また、創価大学有志の会も、あのくらいの運動は全然OKという立場である。関西で行われたという、木村草太を招いての学会員による勉強会には、大賛成している。こういう会は、どんどんやっていい。むしろ彼らを見て「信心がない」などと言って、政治参加に伴う公共精神と宗教的動機を分離して考えられない人間の方に、嫌悪を感じる。

であるから私が非難するのは、3人の政治的立場ではなく、宗教官僚という「極めて特殊な職業」を選んだにもかかわらず、その立場を理解できない幼稚さと無責任性である。また、その活動根拠・方法の短絡性や社会人としての未熟さであり、創価学園・大学卒業生によく見られる「池田先生教条主義」である。
(それを詳細に語った記事は以下がある)

sanseimelanchory.hatenablog.com

 

ただ、私は安保法制には「違憲だが容認」という極めて微妙な立場をとっており、創価大学有志の会についても結局は、私の嫌いなSEALsやオールド左翼と何ら変わりない活動に止まっていることから、やや否定的であることも付言しておく(これについては長くなるので、また記事にします)。

元職員3人組の思考回路を考察する

早速、元職員3人組の思考回路について、そのブログ文から考察してみたい。以下は、3人組が公明党の「加憲」ならびに「平和安全法制成立」に関する評価についての文章である。

無論師匠が目指されてきたのは、「絶対平和」である。
それは戦争の放棄と戦力の不保持を謳った平和憲法を堅持し、その精神と理想とを、世界の人々の心に植え付け、戦争放棄の人間世界を築くことである。
非暴力、そして「対話」という手段で、また人間外交によって世界平和を実現することである。
いや、そうはいってもそれは宗教上の話であり、政治の世界ではそうはいかない。宗教と政治は別だ。
しかし、本当にそうだろうか。

ダラダラとしてわかりづらい文章だが、それには一応以下の「葛藤」「弁証法」らしきものに分解できる。

テーゼ:池田名誉会長の思想は「絶対平和主義」であり、公明党はそれに反しているから悪である。
アンチテーゼ:政治と宗教は次元が異なるから、公明党は、現実的な選択肢をとらなければならない。

この2つの異なる見解を示した後の、彼らの結論は以下である。

いや、むしろ真逆である。
三代の師匠はそのことを、命を削って我々弟子に教えてくださった。

(筆者註:池田名誉会長の指導の引用が続く。彼らの文章の内部に、池田名誉会長の言葉を位置付けるのは、私の良心に反するが、そうも言ってられないので1つだけ引いておく)

「一切の軍備は撤廃すべきであるというのが、私の信念です」(名誉会長)

公明党の議員は師匠の弟子である会員が当選させ、その弟子の戦いによって成り立つ政党である。(中略)創価の政党が、師の思想、また世界平和とは真逆に進んでいいはずがない。
武力で他国を威圧することが、どうして平和に繋がるのか!
抑止力を高め、どうして対話が進むのか!
平和の党という看板を掲げながらも、我々の師匠が命を賭けて伝えて下さる平和思想とは、完全に真逆ではないか!

これまでの議論の蓄積を全てひっくり返し、「先生がこう言われているんだ!」という「熱情」が結論を決める。そこに成熟した思考は一切見られない。

結局彼らは、池田名誉会長のテキストという「聖書」に基づいた神学的解釈しかできない。二者択一を迫られた時には、それぞれの主張の合理性や現実妥当性を考察することなく、「池田先生はこう言われている!」と言って、感情的に燃え上がり、独善的に結論を出す。全ては、「池田先生の言葉」から、演繹的に導かれる命題に従って答えを出すのみであり、考察すべきたくさんの問いに蓋をして逃避するのである。

この3名のブログは緩慢と長文が書き綴られているが、結局全てのロジックは、「池田先生教条主義的」に帰結する。

「ご了承」の要求

この3名の池田名誉会長への依存体質は、「ご了承」の要求という形において、その極致に達する。冒頭で引用した文章を、再度見てみたい。

公明党の山口代表は、朝日新聞の記者から党創立者の池田名誉会長の安保法への考えについて聞かれ、「直接伺う機会がないので、私には答えようがない」と返答したという。

思わず絶句し、怒りで体が震えた。
師を師と思わぬ、誤魔化しの回答。
もはや公明党には、師匠の精神は無くなったと判断することが、極めて自然である。

どうやらこの文章の執筆者は、山口公明党代表が平和安全法制の成立にあたり、池田名誉会長と面会して「ご了承」をとらなかった事に対して、かなりの怒りを覚えたようだ。
つまり彼らは、公明党の理想像として、「法案の議論の度に、賛否を池田名誉会長に一々確認する政党」を掲げているのである。こんな斬新なビジョンを描ける御三方の異能には、脱帽する。というか、「勝手に震えていろよ」と思う。

さらに、3人組が平和安全法制についての態度を表明した記事「安保法制に対する私たちの考えと決意 」には、以下のような記述がある。

私たちは、今回の安保法制について、私たちの師匠であり、命がけで「平和主義」を訴えてこられた「創価三代の永遠の師匠」であられる池田先生の「ご了承」が果たしてあったのかどうか、師匠の弟子として、確認しなければならないと考えております。

ここでも出ました、「ご了承」である。

彼らに出来ることはたったの2つ。
1つは、池田名誉会長のご指導という「不磨の大典」を神学的に解釈して、それに外れた「仏敵」を徹底指弾すること。
もう1つは、新しい状況が生じてどうしていいかわからなくなったら、池田名誉会長に頼って、指示をいただくことである。

この御三方は、アラフォーである。
40の男が、未だに乳離れできずに、お母ちゃんのオッパイを吸い続けている。
その醜態には、もはや憐れみさえ感じるようになってきた。

「アンチ学会」という救われ方

これまで私は彼らの活動について、「こんなアホなことさっさと辞めればいいのに」と思ってきた。しかし、彼らへの憐れみが募るにつれ、考えが変わってきた。

彼らは、「アンチ学会本部」「アンチ公明党」という生き方を選択する事によって、ある意味で学会と公明党に救われているのである。

学会を退会して、過激な学会批判を繰り広げている人と話していると、「この人は、学会無しではもう生きていけないんだな」と思わされる。つまり、「学会を批判する」ということが、自己定義、アイデンティティの確立に不可欠になっている。その意味では、「学会こそ我が人生」という学会員と同じく、学会に救われているのである(私もそうである)。

そもそも、学会から心身ともに「脱会」出来ているならば、わざわざ近づいて批判する必要もない。生活圏に入ってこないように遠ざけ、無視しておけばいい。
それが出来ないのは、「学会非難」という自分なりの「正義」に生きる事が、その人間にとっての人生の態度となっているからだろう。

創価学会は、泥をかけられる事によって、その泥をかける人間を救うという、損な役回りを任されているわけだが、このくらいの事は甘受すべきだと私は思っている。
ちなみに「相手を非難する事によって自分も存在できる」とは、創価学会が「日顕宗」批判をするのも同様だと思う。完全な「精神の独立」が出来ているならば、放っておけばいい。それが出来ないのは、彼らから真に独立できていないからである。

造反3人組も同様である。再度彼らのポエムを引用したい。

もはや今の学会本部には、師匠の精神が形骸化しているとしか思えない!
ならば、真の弟子が勇気の声を上げ続けねばならぬのだ!
師の正義を守り抜くために、心ある同志が皆で叫ばねばならぬのだ!

つまり、自分たちを「師匠の精神を知る真の弟子」と位置付けて、諸悪の根源である学会本部を攻撃している。

「池田先生に違背した学会本部・公明党を糾弾する」ことが彼らの生きがいならば、それを続ければいいと、最近ではそう思うようになってきた。
憲法学者小林節が、彼らが主催した講演会に参加した際に、「学会本部を外から変えるというような無謀な事はやめて、‘池田教’のような一派を作ったほうがいい」と言ったそうだが、これは結構正しい。

彼らの運動が学会本部に及ぼす影響なんてほぼ無いだろうし、多くの会員は彼らを馬鹿にしているのではないだろうか。もうこんな誰のためにもならない運動を続けるなら、自分たちで一宗派を作って信仰活動をした方がいい。それか、彼らの政治的主張は共産党に近いようだから、入党して9条護憲を訴えればいい。共産党の機関紙・赤旗も、彼らがやりたくて仕方がない学会本部の内部事情暴露を喜んで掲載してくれるだろう。日本共産党は、「元学会本部職員」という異色のキャリアを持つ人間が歓迎される、数少ない場所の1つである。

だが、創価学会を無視して彼らは生きていけない。「池田先生の指導に忠実な自分たち」という自画像を描き、「師匠に違背した極悪の学会本部・公明党」を糾弾すること。それが彼らの生きている世界であり、そういう形でしか自分を保てないのならば、そうやって生きていけばいい。

ただ、あまり多くの会員を巻き込まないでほしいと思う。彼らは社会人として未成熟であり、集団のリーダーには不適格である。こんな人間に率いられて不幸になる会員が出ない事を、切に祈る。
ただ、彼らの極めて特殊で幼稚な活動に共感することができ、彼らと心中しても構わないという人間のみ、彼らに付き従えばいい。
多くの会員さんは純粋だから、彼らのような人物につくのではなく、常識的な人物に集まってほしい。そしてそれが、学会の幹部だというのが理想なのだが、それも難しい状況があることは、理解しなければならないとは思っている。

創価学園・大学卒業生としてすべき事は何か

さて、元本部職員3名に現れている「池田先生教条主義」を見てきた。これはこの3名が異常なのではなく、私の同窓の友人にも同様の思考をする人間は大勢いる。

誤解していただきたくないのは、私は池田名誉会長の宗教的指導を「如是我聞」的に読むことを否定していないことである。そもそも私自身、「池田先生大好きの典型的創価学会員」を自認しており、カルトだと罵られても、池田名誉会長を「永遠の指導者」と仰いでいる。御本尊への祈り方や宿命との戦い方などに関しては、そのご指導を真摯に拝するようにしている。私もいわゆる「未活」ではなく、真摯に信心に励んでいる学会員さんを馬鹿にするつもりは全くないどころか、尊敬しているし、日々怒られている。

しかし問題は、社会的・政治的行動をする時に、安易な「教条主義」に陥って稚拙な行動をとってしまう事である。3人組の一連の活動は、紛れもなくこれに当たる。政治的意見構築に池田名誉会長の「ご了承」を求める無責任体質には、丸山眞男も仰天だろう。

そして何より私は、こんな「教条主義」的意見構築や行動決定を、池田名誉会長は望まれていないと思う。

初めの問いに戻るが、なぜ学術・教育機関である創価学園・大学が創立されたのか。
1つには「自分の頭で考えて真理を認識し、価値を創造する人間」を輩出する創価教育の実践場をつくるためだろう。
そしてこれは私の考えだが、「池田名誉会長の思索に迫る」こと。これが我々創価学園・大学出身者の使命であると思っている。

当たり前の事が忘れられがちだが、池田名誉会長は人間である。
その思想も、神が預言者に啓示を行うように池田名誉会長の脳内に宿ったものではない。人類の叡智の結晶である学問との対話を繰り返しながら、その思想を紡ぎ出してきたという事を、忘れてはならない。
その結論部分だけを取り上げて、「池田先生は戦争反対だと言ってるから、安保法反対!」というのは、この池田名誉会長の知的営為に対する冒涜であるとすら思う。

こうした池田名誉会長の知的営為を少しでも理解しようとする事。
それが学術機関である創価学園・大学の卒業生の使命であり、思考を放棄する教条主義者となる事ではないと思う。
その思索の結果が、池田名誉会長の結論と異なっていても、私は全然いいし、むしろ健全だと思っている。

これを「我見」「傲慢」と否定する意見もあろう。
それも当たっているのかもしれない。所詮、池田名誉会長という稀有な指導者の思想など、我々凡人には到底理解できないものであり、それにただ従っていた方がいいのかもしれない。

しかしもうそういう時代ではない。また、創価学園・大学が創立された理由がわからない。戦前の国民学校が皇国思想を身体的・精神的に染み込ませる役割を果たした様に、創価教育の学校機関も、創価学会の教義でその人物をがんじがらめにするために創立されたのだろうか。そうでは無いと信じたいし、だとしたら私はファシズムの被害者である。

「宗教」「信仰」という謙虚さを取り戻させてくれる次元に生きながら、その実践的な場である社会・政治において、自分の頭で考えて価値創造を目指す。
これが私の考えるあるべき姿である。

池田名誉会長の絶対平和主義

平和安全法制が成立し、憲法改正にも話題が集まっている。9条改正が俎上に上る日も、そう遠くはないのかもしれない。

そこで池田名誉会長の絶対平和主義を、私も一創価学会員として考えなくてはならない。
3人組のような「池田先生教条主義」的にではなく、足りないオツムを駆使しながら、極力池田名誉会長の思考過程に迫らなければならない。

現在考えているのは、以下のアプローチである。

●思想史の考察

先述の通り、池田名誉会長は人間である(こんな命題を唱えるのは恥ずかしい)。
神の啓示を受けて、絶対平和主義を唱えているのではない。そこには、人類の叡智の長年の議論の蓄積があり、それらを批判的に受け止めながら、仏法者として出した結論だろう。

まず行うことは、「平和主義」を巡る過去の議論を考察し、その中に池田思想を位置付けることである。
現在の私の想像では、憲法9条的な平和思想はカントに端を発して、日本では中江兆民内村鑑三などが論じている。トルストイやラッセル、ガンジーなども外せない。これらの思想的巨人の思想を逍遥しながら、池田名誉会長も現在の立場を決定したはずであるから、過去の偉人の平和思想を追うことはそのまま池田名誉会長の足跡を辿る事にもなろう。

●池田名誉会長の文献考察

池田名誉会長が「啓示」を受けて思想を表明する預言者ではない以上、その思想は固定的なものではなく、「生成する」もの、即ち変化するものであると仮定できる。池田名誉会長の文献を時系列的に読みながら、その変化とその時代的背景や要因を関係づけて考察すること。さらには、同時代を生きた思想家との関連を調べること。
これはかなり大変そうだが、何年かけてもやる価値はある。

創価学会史の考察

忘れてはならないのは、池田名誉会長が自分の思う通り、好き勝手に発言しているのではないという事である。公称約800万世帯の巨大教団の精神的指導者であり、政権与党の創立者でもある。その発言の影響力は測り知れなく、様々な意図を持った人間に監視されている。発言1つが、多くの人間の人生に決定的な影響を与えたり、組織的崩壊を招きかねない立場である。
こうした池田名誉会長の立場や権力関係も考察しなければならないだろうが、何せこれは資料が少ない。池田名誉会長と同時代的に生きている以上やむを得ないが、今後閉鎖的な学会本部から考察に値する資料が出るのか甚だ疑問である。
できる限り、という但し書きをつけねばならない。

こうした探求は所詮「歴史研究」に過ぎないという批判もあろうが、池田名誉会長の言葉をそのまま受け止めるのではなく、その思考過程に迫ろうという試みは、アクチュアルな意思決定に役立つ。

池田名誉会長の意思を政治に反映したいと望むならば、やるべきことは3人組のように「ご了承」を求めることではない。「もしも池田名誉会長が公明党代表だったら、どのように主張するだろうか」という、非常に知的緊張度の高い問いを引き受ける事である。
この問いに回答するためには、歴史の中に生成した池田名誉会長の人間らしい思索過程を明らかにする必要がある。さらにこれは例であるが、山口公明党代表の置かれている権力関係や政治的文脈を考察する。そして、そこに池田名誉会長を代置した際に、どのような思索が可能になるのか考えるのである。
こんな方法に限界はあると非難されるだろうが、教条主義的に池田名誉会長の言葉を振りかざす人間よりマシな点は、理性を用いている以上「議論」ができる事である。

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法然は日蓮並みの迫害を受けた異端者だった:初期日蓮を読むに当たって

日蓮思想

「念仏を国家弾圧せよ!」

日蓮遺文を読むこの企画、ようやく序論を終えて遺文に取り掛かることができます。
全体の構成はまだ朧げにしか考えておりませんが、まず考察したいと考えているのは、初期日蓮の代表作守護国家論」「立証安国論」です。

日蓮遺文の中で1番有名なのは、おそらく「立正安国論」でしょう。日本史の教科書にも出ていたような記憶があります。
しかし、改めて「立正安国論」を読んでみると、もうかなり危険な書です。突き詰めればそこに書かれているのは、「念仏を国家弾圧しろ!」という事です。

私はこれまで何度も創価学会の中で、「守護国家論」「立正安国論」の講義を受けてきました。そのほとんどは、「邪宗が国と人生を滅ぼす」や、「宗教は積極的に政治に参加すべき」、「日蓮仏法、ひいては創価学会こそ唯一の正しい団体」というものでした。
これらの解釈を否定する気はありませんが、それらの主張が「日蓮正宗などの他宗批判」「公明党の支援」「創価学会の正統性証明」という、アクチュアルな活動と結びついて語られている事には、自覚的であるべきだと考えています。

これまで、テキスト解釈の方法について考察してきました。
この「守護国家論」と「立正安国論」を読むにあたっては、当時の思想状況との関連を重視したいと考えています。そこで本日の記事では、(まだ日蓮遺文に入る事はできません・・・)、法然の『選択本願念仏集』を読んで、その基本的思想について考えてみたいと思います。

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(本記事は、連載企画「日蓮遺文を『再読』する」の一部です。連載目次一覧は、下記URLをご参照ください)

sanseimelanchory.hatenablog.com

法然日蓮並みの弾圧を受けた異端者だった

これは創価学会ではほとんど知られていない事ですが、法然は「選択念仏」を説いた事により、流罪に処せられ、その著作は焼かれ、死後は墓まで暴かれています。彼もまた日蓮と同じく、既成勢力に逆らい、自分の信念を貫いた時代の先駆者だったのです。
私は、法然という人物に非常に魅力を感じています(念仏思想も実はかなり好きです)。学会が日蓮遺文を表層的に解釈するだけで、念仏批判に終始している事は、この法然という日本仏教史における人間国宝にフタをする、もったない事だと思っています。また、日蓮の思想的発展の認識を阻害する要素にもなっていると思います。

それではなぜ法然は弾圧されねばならなかったのか。それは、彼の「選択念仏」という思想に理由があります。

そもそも念仏とは、法然が発明したものではありません。中国仏教界に端を発する、伝統的な由緒ある修行の1つです。1052年に「末法」に突入したと信じられていた当時の時代状況と相まって、念仏は誰にでも実践できる「易行」として流行していました。若き日の日蓮が修行をした最澄寺においても、念仏を唱える浄土信仰は実践されていました。

伝統的な行として確立していた念仏。しかし法然が主張したのは、「念仏以外に救いの道はない」というものだったのです。これは、極楽に往生できる修行は無数にあるというのが、当時の伝統仏教における一般的な見方でした。法然排他主義は、こうした仏教界における「融和主義」に抵触するものだったのです。

法然が『選択本願念仏集』にて展開している思想を図示すると、以下のようになります。

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(A)聖道門を捨てよ

まず法然は、聖道門と浄土門を区別する。聖道門とは、「自分の力で現世において悟りを得る仏教」であり、浄土門とは「他力によって浄土で救いを得る仏教」です。法然は、末法の悪世では自力で悟りを得る事は難しいとします。

(B)雑行を捨てて正行を選択せよ

その「浄土門」、「雑行」を捨てて「正行」を選択せよと言う。「正行」、「ただ一心に阿弥陀仏の名前を唱えたり、礼拝したり、賛嘆すること」です。「雑行」とは阿弥陀仏の浄土経典以外のものを読む事です。

③助業を抛ち、称名念仏を選択せよ

そしてその「正行」の中でも、「助行」ではなく、「正定行=称名念仏」を選択せよと主張するのです。

このように、仏教を分類した上で、正しい方を選択していき、最終的に念仏を選び取る。なんだか任用試験で習った「五重の相対」を思い出しました。

重要な点は法然が、阿弥陀仏の名前を唱える「称名念仏」こそ末法に相応しい救済の道だと主張した事です。

万人に浄土への道を開くための念仏

この念仏を唯一の救済の方法とした「選択念仏」思想が伝統仏教界の反発を招いた事は、先述の通りです。
我々が考えなければならない事は、法然がなぜ称名念仏を声高に主張したのか、という事です。

実は私は、法然が念仏以外の修行を否定する排他主義者ではなかったと考えています。彼は、念仏以外の修行を否定していない。

たとえば、『選択本願念仏集』で最初に否定される「聖道門」でも、それを選択しない理由は、末法では自力で悟りを得るのが難しい」からだと述べている。つまり、念仏以外を「邪教」だと決めつけるような排他主義ではなく、それを実践する「民衆」の立場に立ったからだと私には思われるのです。

当時の仏教界において、念仏は「他のいかなる行にも耐えられない愚かで下賤なものがする方便の行」だとされていました。念仏以上に重視されていたのは、寺院や仏像を建立したり、大量の経典を書写する修行でした。平安時代の貴族は、財力にものを言わせて、写経や阿弥陀堂の建立に熱心でした。
しかしこれでは、極楽往生は一部の金持ちや生まれのいいものに限定されてしまいます。法然の問題意識は、ここにあったのではないかと思うのです。

梅原猛は、『法然の哀しみ』の中で、『選択本願念仏集』を以下のように絶賛しています。

それ(筆者註:『選択本願念仏集』)は、では珍しくすがすがしい、論理的に一貫した無駄のない思想書である。そしてその思想は、インドにも中国にもない法然独自の思想である。そのような思想の根底には、彼が信ずる阿弥陀仏や釈迦の平等な慈悲がある。阿弥陀や釈迦が平等な慈悲を持つ以上は、どうして少数の人間しかできない行を往生の行とするかという強い確信が法然にはある。

極楽往生が一部の特権階級にだけ限定されている現実。今は末法の濁世であるという時代意識。そのような時代に対する強いアンチテーゼとして、伝統仏教の価値観を全て否定するような形で、称名念仏を主張したのではないでしょうか。そしてそれは、仏の救済の平等性への熱烈たる法然の信念に基づいていたと思います。

しかし法然は、伝統仏教と国家によって大弾圧を受ける事となりました。比叡山延暦寺と奈良の興福寺を中心に、糾弾は激化。当時の天皇家摂関家仏教の権威を利用して、荘園支配を行っていました。つまり、政治権力と伝統仏教の結びつきは非常に強かったのです。それは、公武政権からの大弾圧を招き、法然は流罪に遭い、その死後も弟子への弾圧が続いたのでした。

日蓮の思想課題

日蓮の思想生成を考えるとき、それが法然の選択念仏と強い関連を持っていたことに気づかされます。それは、単に念仏を「邪教」とレッテル貼りして非難するようなレベルの低いものではない。
念仏思想の卓越した点を吸収し、それに惹かれながらも、全力で否定して乗り越えようとする。日蓮思想は、そのように生成したのだと、私は考えています。

日蓮思想において最重要の「唱題行」は、法華経信仰を易行として確立したものです。私はこの唱題行は、法然の「万人に成仏の道を開く」という精神を継承したものに思われるのです。
しかし日蓮は、法然を乗り越えようとした。浄土教が「穢土」とした現世=娑婆世界をどのように肯定していくか。果たして人間は、生きたまま幸福になることはできるのか。
この日蓮が死力をかけて取り組んだテーマもまた、法然との格闘の中で生まれたと見ることができます。

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(続く)