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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

創価学会員として「靖国問題」を考える

哲学・思想史

終戦記念日を迎えるに当たり、「靖国問題」について考えたいとは前々から思っていました。
稲田防衛大臣靖国参拝の動向ばかりが注目されていますが、それはあまりに矮小化された議論です。靖国神社は、生々しい宗教的感情と、罪深い国家的な意図が交錯する複雑怪奇な存在であり、私も信仰者の端くれである以上、慎重に発言せざるを得ません(結果的に、問題を単純化している閣僚の靖国参拝には怒りを覚えています)。

哲学者の高橋哲哉は、ベストセラーとなった『靖国問題』において、以下のように書いています。

私たちに必要とされるのは、これらの感情(筆者註:靖国を取り巻く様々な遺族の感情)を直視し、それらが何に由来するのかを可能な限り「理解」した上で、靖国問題について自らの判断を形成することです。

靖国神社」を「国家が戦死者を美化するために利用した悪質な装置」と評価するのは、ある意味正しい。しかし、それを主張する人間は、それが多くの方々の「感情」をズタズタに傷つけるかもしれない事に自覚的であらねばなりません。
高橋は同書において、夫が靖国神社に合祀されている岩井益子の言葉を引いています。

私にとって夫が生前、戦死すればそこに祀られると信じて死地に赴いたその靖国神社を汚されることは、私自身を汚されることの何億倍の屈辱です。愛する夫のためにも絶対に許すことの出来ない出来事です。靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺してください。たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流して溢れ出し、それが見渡す限り、戦士たちの血の海となって広がっていくのが見えるようです。

この言葉にはかなりのレトリックが込められていると思いますが、その心情は偽りないものでしょう。靖国神社をこれほど大切に思っている人間がいるーこの事を無視して、靖国問題を語る事は出来ないと私は思っています。別に靖国神社を擁護せよと言っているのではない。靖国神社というものが罪深い存在である事は、私は百も承知ですが、靖国批判をする際には、こうした感情の存在を認識した上で主張しなければならない。だから、靖国神社は非常に重たい問題なのです。

靖国神社には、様々な語り方があるでしょう。今日よく聞くのは、憲法上の判定や、国際関係、政治上の影響などがほとんどです。
この記事で私はそのような問題ではなく、靖国神社の果たしてきた歴史的機能を認識した上で、「国立追悼施設」や「戦争責任」の問題について考えてみたいと思います。未熟ながらも日蓮仏法を信ずる一信仰者として、宗教を信じるという人間的感情を最大に尊重しながら論じてみたいと考えています。

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靖国神社が果たしてきた歴史的機能

まず、靖国神社をめぐる史実を見ながら、それが日本近代史において果たしてきた機能について概観します。端的に述べるならば、それは「死」という究極の宗教的課題を国家の対外戦略の中に位置付けて解消したというのが、私の考えです。
ここでは、①靖国神社の淵源、②対外戦争と「死の意味」の付与、③日中・太平洋戦争と英霊の神聖化に分けて見てみたいと思います。

靖国神社の淵源

靖国神社の前身である「東京招魂社」は、1870年に創建され、それが1879年に現在の名前に改称されました。建立の理由は、薩長を中心とする明治新政府と、奥羽越が同盟した旧幕府勢力が戦った戊辰戦争です。東京招魂社は、この時代の転換に際して起きた内戦の戦没者を祀るために建立されました。
ここで注目すべきは、靖国神社がその建立から政治的意図に基づいていたものだという事です。そこに祀られたのは、政府軍の戦死者(官軍)だけであり、幕府軍の戦死者(賊軍)は祀られていない。西南の役で明治政府に反旗を翻した西郷隆盛が、靖国神社に祀られていない事はしばしば言及されます。つまり、あくまで「日本政府」という立場から見て「正しい」と認定された死者だけが合祀されたのです。
また島田裕巳は、明治政府が東京招魂社への政府軍戦没者の合祀を進めた理由として、

●政府軍の指揮を高揚させる
●権力としての正当性を誇示する 

の2点を挙げています。
靖国神社が、国家の政治的意図の達成の為の性格を持たされて発足した事は、見逃してはならない事実です。

②対外戦争と「死の意味」の付与

この靖国神社の性格を大きく変える事になったのが、対外戦争です。1874年の台湾出兵を皮切りに、日清戦争日露戦争と、日本は対外戦争を推進し、それらの戦死者が靖国神社に合祀されるようになります。日清・日露戦争で合祀された戦死者の数は、なんと10万人に上りました。これは同時に、10万世帯の遺族を生んだ事を意味しており、全国からの集団参拝も始まるようになりました。こうして、靖国神社は、国民にどんどん広く、そして遺族感情という心の内奥において拡大していくのです。

高橋は、福沢諭吉が主宰していた論筆文を用いながら、当時靖国神社が果たした役割について論じています。
日清戦争に勝利した日本おいて、戦地から生きて帰還した兵士たちは英雄として持て囃されたし、その家族も誇らしかった。しかし、多くの戦死者たちの遺族は、悲しみに打ちひしがれるだけだった。
このような状況にあっては、家族が戦死した遺族の感情は、行き場がなくなってしまいます。また、次に戦争が起きた時に、「生きて帰ろう」と及び腰になる兵士が出てしまうかもしれない。そこで、「戦死」に積極的意義を与える必要が出てくる。それを果たしたのが、「靖国に祀られる」という戦死者の神聖化だったのです。
靖国合祀によって、「死の恐怖」は「大義への殉死」となり、遺族の「悲しみの感情」は「最大の名誉」となる。これを高橋は、「感情の錬金術」と呼んでいます。

これまで「池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか」などにおいて、国家神道について考察してきましたが、神道仏教キリスト教のような救済宗教ではないため、「死」の問題に対する大した教義がありません。あくまで「神話に基づく天皇の神聖性」「万世一系の天皇を戴く日本の優越性」を強調するだけだった神道が、「死」という人間にとって最重要の問題に踏み込んできた。その役割を果たしたのが靖国神社だった。私はそう考えています。

とはいえ、まだ日露戦争の時点では、「死んだら靖国で会おう」という言葉に象徴されるような、お国のために命を投げ出そうというような発想は、希薄だったようです(大江志乃夫『靖国神社』より)。
それが国民に浸透し、日本のために命を投げ出す事に大義が与えられるのは、日中戦争から太平洋戦争です。

③日中・太平洋戦争と「戦死」の神聖化

靖国神社が軍事体制の中に組み込まれ、軍国主義的対外政策に活用されていくのは、昭和10年台です。この頃になると、「国・天皇のために死ぬ」ことに究極の宗教的意義が与えられるようになりました。
時代は遡りますが、河上肇は、「日本独特の国家主義」において以下のように書いています(私による現代語訳)。

現代の日本人には、宗教的な煩悶が恐ろしいほど見られない。現代は恐るべき同様の時代であり、宗教的煩悶の大いに起きるべき時であるにもかかわらず、である。その理由は、多くの日本人が「国家教」の信者だからである。彼らにとっては、国家こそが人生の目的である。国家のために生き、国家のために死ぬことこそ、彼らの人生の目的なのである。(中略)既に国家主義は、日本の宗教になってしまった。ゆえに見てみよ、この国家主義に殉じた人間は皆、死後神として祀られている。靖国神社はその第一である。

私は、国家神道は本来「エセ宗教」だと思っています。そこには、「死」という究極の宗教的課題に対する答えがないからです。ただ、日本国を統一するための物語を提供しているに過ぎません。しかし国家神道は、「靖国神社への合祀」という祭祀によって、「死」の領域に踏み込んでくるのです。「国家のために死ぬ」事に最大の意義を与える事によって、不条理な死に意味を与える。兵士は元気付けられ、残された遺族たちは最大の名誉に浴する。
靖国神社が単なる「日本統合のシンボル」くらいの位置付けだったら、これほどの問題にならないのかもしれません。しかしこれが「肉親の死」という人間の感情のど真ん中に関わるような、センセーショナルな問題を孕んでいるからこそ、ここまでこじれるし、到底全員が納得できるような解決はできないのです。

また、ここで着目しなければならないことは、「英霊」とされた兵士が殺した外国の人々は合祀の対象ではないという事です。あくまで日本という一国家の政治的都合に基づいて、合祀者が選別されている。日本人にとっての「英霊を讃える聖地」は、中国人からすれば「侵略者を賞賛する機関」なのです。
✳︎日本軍に動員された朝鮮の方々が祀られていたり、外国人慰霊を主目的とした鎮霊社が後年建設された事を、念のため付記しておきます。

「信仰者」として靖国問題を考えるために

以上、靖国神社の建立から太平洋戦争までの歴史を概観し、それが果たしてきた歴史的役割を見てきました。それは即ち、日本政府の内戦・対外戦略によって亡くなった戦死者を祭神として祀ることによって、その死を神聖化する事。それによって、①残された遺族の悲しみを喜び・名誉という肯定的感情に転化し、②戦地に行く兵士に「戦死」を名誉ある大義と認識させることでした。さらに、国家神道に欠如していた「死の意味づけ」という宗教的課題に対する解答を補完することにより、ナショナリズムを強化したとも言うことが出来るでしょう。

これらの靖国の歴史を鑑みる時、その罪深さを感じざるをえません。しかしそれでも、靖国問題を簡単に語ることはできない。冒頭で引用した高橋の言葉通り、その罪深さを認識しながらも、靖国を汚されるなら私を殺してください」というような、遺族が持つ宗教的感情を無視するわけにはいかないからです。

特にこの事は、私のような信仰者には重要であると考えています。
いつだったか、私の嫌いな男子部の先輩の事をブログに書きました。その先輩は、「靖国神社は焼き討ちにしろ」「大川隆法はレイプ魔だ」なんて事を、平気で口にします。

私はその先輩を、糞尿以下の最低の人間だと思っています。
別に他宗教を批判するのは自由ですし、大いにやればいいでしょう。ですが、宗教という人間の心の最奥に関わる問題に触る時には、それを信じる人間の心を想像しなければならない。
我々創価学会員にも、「池田先生」という大切な存在がいます。週刊誌で池田名誉会長が人格攻撃を受ければ、心から血が噴き出るくらい傷つきます。そういう感情を持っているのに、「幸福の科学」の信者の方や、遺族の会の方々の心を慮る事はできない。そんな人間は、単なる狂信者に過ぎません。

とはいえ、今の創価学会には、その「感情」と逆のベクトルの「理解」が致命的に欠けているとも思います。もう1度冒頭で引用した高橋の言葉を引いていみましょう。

私たちに必要とされるのは、これらの感情(筆者註:靖国を取り巻く様々な遺族の感情)を直視し、それらが何に由来するのかを可能な限り「理解」した上で、靖国問題について自らの判断を形成することです。

「理解」とは、靖国神社でいうならば、それが「国家の目的に奉仕する施設」として機能してきた歴史をしっかりと批判して、認識することです。「批判」とは、「非難中傷」と同義語のように扱われることが多いですが、哲学的な意味は違います。
「critique(批判)」とは、「独断論」でも「懐疑論」でもない、理性を用いて対象をしっかりと認識することです。やや乱暴に創価学会に当てはめるならば、「創価学会は仏意仏勅の素晴らしい団体だ!」と手放しに礼賛するのでもなく、「創価学会は犯罪者集団だ!」と中傷することでもない。しっかりと学問に基づいて、それを評価すること、それが否定的なものであっても正しい批判ならば受け入れることです。

創価学会の内部では、池田名誉会長への多数の名誉学術称号を理由に、「創価学会は学術的にも評価されている」と「誤解」されているように思います。しかし、創価学会に関するまともな学術的研究は驚く程少なく、ほとんどが学会内部や御用学者による礼賛か、ゴシップ・スキャンダルの域を出ない中傷ばかりです。
こうした状況が生まれている最大の原因の1つは、学会本部があまりに閉鎖的であることだと思います。そして、創価学会の「批判」を一切受け入れられない独善的な体質にあると思っています。
創価学会が問題だらけなのは当たり前であり、むしろそれは健全であるとすら思いますが、「賞賛」しか受け入れられず、「批判」を受け入れる覚悟がない。これは私の母校の創価学園創価大学の卒業生に顕著でした。池上彰信濃町に行けば「仏敵」と罵り、学会の教義や公明党の政策に疑義を挟めば「信心が足りない」と「指導」をされる。私が在学していた創価大学でも、教授たちがしている池田思想に関する授業などは、明らかに「プロパガンダ」の域を超えないものでした。あれではもう学術機関ではない。ただの宗教施設であり、世間の学者を納得させられるような創価学会研究なんて生まれるわけがありません。
いい加減、カトリックのように「反省」するくらいの度量を持った団体になってほしいと思います。

・・・と、かなり話題が逸れてしまいましたが、要するに靖国神社という宗教問題を語る時には、それを批判的に「理解」すると同時に、靖国を取り巻く「感情」を忘れてはならないということです。

靖国神社」という固有名詞の重要性

靖国問題を語る際に話題になるのが、「国立追悼施設」の問題です。最近では下火になりましたが(そもそも存在しているのか?)、小泉時代靖国参拝への批判が高まったことを背景に、新しい「国立追悼施設」の建設が議論されました。
菅原伸郎の『戦争と追悼』によれば、その時に構想された追悼施設の特徴は以下のようなものです。

●「無宗教」➡︎宗教施設のように対象者を「慰霊する」のではなく、死者を「悼み、思いを巡らせるもの」。追悼の形式も、訪問者の自由に基づく。
●「対象者の拡大」➡︎明治維新以降日本の関わった対外紛争におけるすべての戦没者が対象。外国人も含む。
●「平和祈願」➡︎追悼と「不戦の誓い」「平和祈願」は一体のものであるとする。

「無宗教」と「対象者の拡大」に関しては、神道に基づき、その合祀者を限定している靖国神社への対抗を強く意識していることがわかります。

私は、海外における「無名戦士の墓」のような、全戦没者の追悼を目的にした国立追悼施設は建設してもいいという立場です。
しかし違和感を覚えるのは、こうした国立追悼施設が靖国神社を代替するというような、安易な主張です。国立追悼施設を作ったとしても、それが靖国神社を代替することはありえない。それは論理では割り切れない、人間の「宗教的感情」に基づいているからです。

例えば、自分の息子や恋人、夫、父親、友人が「死んだら靖国に祀ってくれ」「靖国に祀られることが本望だ」と言い遺して戦死したとしましょう(わざわざ仮定しなくても、実際に起きたことです)。その遺族の感情を受け止められるのは、「靖国神社」しかありません。いくら平和を叫んで無宗教の追悼施設をつくっても、そこに祀られる事は死者の本懐ではない。その施設に、遺族の宗教的感情を満たす力は無いのです。
いくら靖国神社のことを批判したとしても、それは無駄です。亡くなっていった死者の声は、遺族にとって無限の重みを持つのです。

高橋哲哉の「国立追悼施設」論の検討

続いて、本稿で何度も言及している高橋哲哉の議論について考察したいと思います。高橋は、上述の「国立追悼施設」について否定的です。その理由は、「国立追悼施設」が「第二の靖国」になる可能性があるからという事です。

どういう事でしょうか。
それは、日本が未だに「戦争をする国」だからです。例を挙げて考えてみましょう。
尖閣諸島に中国の不審船が来たとします。それが海上保安庁の船と衝突して、小競り合いになったとしましょう。結果、中国人と日本人、それぞれに死者が出たとします。その時に追悼対象になるのは、「日本人」だけです。

これは、国立追悼施設が日本による「国立」である以上、避けられない事です。日本にとって、海上保安庁の日本人は「平和のために亡くなった」方ですが、中国人は「平和を乱そうとした賊」になってしまう。このような日本の「政治性」が存在する限り、合祀する死者を選別してきた靖国神社となんら変わり無いのです。さらに、これは高橋が書いた時点では起きていなかったことですが、2015年に平和安全法制が可決され、海外で自衛隊員が死ぬ可能性が高まりました。彼らをどのように追悼するのかーこれは非常に重い課題です。

さらに高橋は、日本の「戦争責任」についても論及しています。「国立追悼施設」を巡る議論では、日本の戦争責任については曖昧にされている。否定できない事実は、戦死した日本人兵士が侵略を働き、大勢の人間を陵辱し殺害した「加害者」でもあった事です。
創価学会の中では有名な話ですが、日中国交正常化の際に周恩来総理は、日本の戦争責任の所在を「軍部指導者」に限定し、日本人も侵略を受けた中国人と同じく「被害者」であるとしました。このロジックに基づいて、賠償権を放棄したのです。
これを偉大だと持て囃す人が多いのですが、この歴史観には、完全に「中国の民衆の視点」が欠けています。彼らの肉親を殺したのは、紛れも無く「日本人兵士」なのです。また、先の戦争が日本人の国民的熱狂によって支えられた事は(少なくともそういった時期があった事は明白)、中国人にとって看過できない。私は、日中国交正常化時に中国側が戦争責任追求をしなかった事は政治的判断として凄いと思いますが、それも完璧で無い事は理解しなければならない。
結局、この日本の戦争責任を曖昧にしたまま、「過去の戦争を受け止めて、未来の平和を祈る」といっても、それは欺瞞だと高橋は言うのです。

真に靖国神社と異なる国立追悼施設を作るための2条件として、高橋は以下の2点を挙げています。

●完全なる平和国家の実現
戦争責任の明確化

高橋の論の検討

高橋の議論は説得的なのですが、私はどうしても賛同できない。まずそれが現実的な提案というよりも、理念の提示にとどまっているからです。とはいえその事には、高橋も自覚的でありましょう。哲学者として、国立追悼施設の理念を示そうとしたのだと思われます。

しかし、高橋の言う「政治性の排除」は、「平和国家の実現」「戦争責任の明確化」と果たして等しいのでしょうか?
国際社会が暴力性に富んだ場所である以上、たとえ完全な平和(戦争放棄、交戦権放棄、戦力不保持)を達成したとしても、それは一時的な状態にすぎないのではないか。結局日本が一国単位で平和を達成しても、他国が武力を有している以上、日本もまた「潜在的には戦争をする国家」に当たるのでは無いかと思います。
そもそも最初から持っていないもの(交戦権・戦力)を、「放棄」「不保持」する事はできない。それを「放棄」「不保持」にするという選択ができるならば、「保持」「行使」する選択もできるのではないでしょうか。
結局、「政治性の放棄」は、「平和国家の実現」をしても達成されない。それは、日本国という「政治的主体」が「政治性」を放棄するという、矛盾した、つまり不可能な主張に見えます。可能であるとすれば、「世界同時革命」のように、「世界永遠平和」が達成された時でしょう。そうすれば、高橋の言う「国立追悼施設」はできるのかもしれない。しかし少なくとも、日本一国で「平和国家」を達成することはできないし、理想の国立追悼施設を建設することもできない。

また私は、「政治性の無い戦争責任の追及」「政治性の無い歴史観」が大嫌いです。日本の左翼や創価大学生などにも多いのですが、「戦前の日本を全否定する」「諸悪の根源は戦前の日本」という歴史観があります。これは私には、日本人として非常に無責任に感じられます。

戦後の日本は、戦前の日本を完全に否定して成立しているのでは無い。顕著な例が、「皇室祭祀」です。天皇陛下の生前退位をめぐって少し話題になりましたが、明治維新に伴って拡大・整備された記紀神話に基づいた儀礼は、今日まで継続している。
また何より強調すべきは、日本の首相は安倍晋三であることです。彼の国家観・歴史観については、よく知られた事でしょう。国民の支持があって、戦前と連続性のあるイデオロギーを持った人物が首相になっている。安倍晋三軍国主義者だ、などと低レベルな事を言っているのではありません。ただその思想は、戦前から弛まず流れ続けている日本的な神話に立脚しているのです。そうした思想を持つ日本人が一定数いる事も、否定できません。

安倍晋三に代表される日本の思想的系譜は、決して無視できないと思います。それを所与のものとして受け止めて、それを土台としながら日本的な歴史観を確立しなければならないと私は思っています。日本人として、歴史を語る、国立追悼施設を語る、というならば、過去の遺産を簡単に否定するのは、あまりにも無責任です。
「政治性の無い歴史観」は、所与の条件を無視した、おとぎ話にすぎない。少なくとも、右派的な物語に勝てるだけの思想構築の力を、左翼は持ち合わせていないように思われます。

右翼が侵略戦争の歴史を無視あるいは美化して、独善的な国家観を形成する。
それに対して左翼は、所与の歴史と安全保障環境の変化を無視した平和国家観を築く。
この両者を止揚するような議論が必要とされているというのが私の考えです。

「平和国家」と「戦争責任

さて、靖国について長々と論じてきましたが、結局収斂することの無い論考になってしまいました。
結局この問題は、靖国神社を取り上げるだけでは済まされず、高橋のように「平和国家」と「戦争責任歴史認識」という、アポリアに踏み込まなければならない問題だからです。しかし私には到底、その課題に取り組む力が無い。ただ、努力は続けようと思います。

今年の天皇誕生日はどのような日になるのか、まだわかりません。
しかし、今上天皇の誕生日であり、A級戦犯が絞首刑にされた日でもあるその日に向けて、この課題に取り組んでいきたいと思います。

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【参考文献】

●慰霊と招魂ー靖国の思想

 靖国の慰霊のシステムについて的確な言語表現で指摘する古典的名著。

慰霊と招魂―靖国の思想 (岩波新書)

慰霊と招魂―靖国の思想 (岩波新書)

 

 ●靖国問題

ベストセラーにもなった、哲学者・高橋哲哉による靖国観。戦争責任靖国問題について考えるとき、賛否はどうあれ、高橋の考え方は理解しなければいけない。 

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

 

靖国神社 

 手っ取り早く靖国神社の歴史を学びたいならこれ。高橋や村上のように特定的立場をとることなく、宗教学者として客観的叙述に努めた一書。

靖国神社 (幻冬舎新書)

靖国神社 (幻冬舎新書)

 

 ●倫理21

戦後日本最大の思想家・柄谷行人による戦争責任論。「そもそも責任とは何か?」という哲学的問いから始まり、目からウロコの連続。

倫理21 (平凡社ライブラリー)

倫理21 (平凡社ライブラリー)

 

 ●ゲンロン2 慰霊の空間

 視座は違うけれど、2016年に発刊された「慰霊」を巡る一書。

ゲンロン2 慰霊の空間

ゲンロン2 慰霊の空間

 

 

『人間革命』における国家神道批判:池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか③

3代会長の思想

「新・人間革命」に見る創価学会の他宗批判

現在聖教新聞に連載中の「新・人間革命」において、宗教社会学者のウィルソンと山本伸一の対談が描かれています。
これについては様々論じることができますが、1つはその他宗批判のスタンスが挙げられます。文面を表層的に読んでいると、「念仏はダメだ」と言っているように見えますが、着目すべき点はそこではないと思います。
とりあえず私が重要だと思う事を、2つ挙げておきます。

山本伸一法華経「唯一主義」ではなく法華経「第一主義」を取っていること。

山本伸一は、日蓮法華経以外の経典も用いていた事を挙げながら、日蓮が他の経典・宗教を全否定したわけではないとしています。これは昨今、そして今後の創価学会の立場を表していると思います。つまり、創価学会だけが正しい「唯一主義」ではなく、他の宗教にも一定の価値を求めるが創価学会が相対的に優れているという「第一主義」をとっているということです。
日蓮を虚心坦懐に読めば、明らかに他宗を全否定しており(不幸の根源と言っている)、他経を用いていたことを理由に、他宗にも寛容だったと結論する事はかなり難しいと思います。つまり池田名誉会長の「第一主義」は、日蓮思想の究明ではなく、創価学会の立場表明だと私は考えています。

山本伸一が「信者に生じる効果」を理由に念仏を批判していること

山本伸一は、念仏に見られる浄土思想が信者に厭世的な人生観を持たせる、と強く批判しています。これは、日蓮が行った念仏批判と大きく異なっています。『守護国家論』などにおける日蓮の念仏批判は。その教義を法華経と対置することによって低いものだとする教理的なものでした。また日蓮の他宗批判は、中国天台の五時八教の教判に基づいて、諸経・経典の優劣を論じるものです。
しかし日蓮の用いた「五時八教」は、今日の仏教学からすれば到底受け入れられないものなので、現代宗教である創価学会がこれを用いるのは時代錯誤でしょう(まだこの誤魔化しは続いており、大いに用いられていますが)。また、「どの教団が釈尊の教えに一番近いか」「大聖人直結の団体はどれか」といった論争は本当に不毛であり、「どこを探しても釈尊日蓮の精神なんてないよ」と言いたくなります(もちろん教団にとっては必要でしょうから、教団職員や御用学者は必死に取り組むべきです)。
そこで池田名誉会長は、宗教が人間にもたらす精神運動に着目しています。これは、宗教研究では非常に重要な視座だと、私は思います。私は、他宗批判をかなり馬鹿らしい試みだと考えていますが、宗教を理解するにあたって、その信者の精神生活に着目する事が重要であることは否定できません。

前置きが長くなりましたが、本日は池田思想における「国家神道」について考えていきたいと思います。上述の「新・人間革命」の考察からわかる事は、他宗教を頭ごなしに否定するのは頭が悪すぎるということです。しっかりと論点を明確にして、批判する対象の何が問題かを明らかにすること。これは「国家神道」という悪の権化のように語られるものについて考察する際にも、例外ではありません。

そういった問題意識に基づいて、これまで国家神道の定義・構成要素について考察してきました。
今回からは、『人間革命第1巻』『21世紀への対話(以下、「トインビー対談」)』『社会と宗教(以下、「ウィルソン対談」)』を取り上げ、その神道批判について考えてみたいと思います。

《本稿は「池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか」というテーマの論考の第3回です。第1回・第2回は、以下をご覧ください。》

第1回:そもそも、国家神道とは何か

第2回:国家神道を「教育」と「宗教」から考える

『人間革命』を論ずるに当たって

まず本記事では、『人間革命』を取り上げたいと考えています。
しかし『人間革命』を論ずる時、「トインビー対談」や「ウィルソン対談」には生じない困難が生じます。それは、『人間革命』が小説であるということです。
対談集でしたら、池田名誉会長の発言をそのまま池田思想として解釈して問題ないでしょう。しかし、史実を基にしているとはいえ、『人間革命』はフィクション・作品世界です。主人公も戸田城聖であり、戸田会長が語っていることについて、それを池田思想と読むことは無理がありますし、またそれを戸田思想として読む事にも異論が生じるでしょう。

しかし私は、『人間革命』を、池田思想の表明として読んでいいと考えています。
その理由は、まず戸田会長と池田会長の師弟関係と思想的一体性が強調される創価学会において、池田会長が自身の考えと大きく異なる戸田会長の思想を記述するとは考えられないからです。よって、小説の中に出てくる戸田会長の言葉も、ある程度池田思想に近いものとして解釈して良いのではないかと考えています。
また、これは『人間革命』初版に特に言えることですが、作者である「池田大作」が前面に出てくるのがこの小説の特徴です(私は第2版にはない魅力であるとも思っている)。単なる歴史小説という作品世界にとどまらず、作者が自身の考えを声高に唱えている。この特徴を鑑みる時、『人間革命』は創価学会の歴史を観察者的に記述したものではなく、池田名誉会長が思想を表明した作品であると言っても良いのではないかと考えています。

よって問題がある事は承知していますが、『人間革命』の文章を池田思想の表明として読むことをお許しいただきたいと思います。

GHQの「神道司令」をまず読んでみよう

これまでの連載において、「国家神道」の特徴について、長々と考察してきました。
その特徴の1つは、戦前の日本政府が天皇の神聖性と日本国の優越性を国民に浸透させるために、神社神道を国家機関とし、厚遇したことでした。更には、学校教育を通じて、その教義を国民に浸透させようとしました。

GHQはこれを問題視し、戦争推進のイデオロギー的役割を果たした国家神道を解体。その文書がいわゆる「神道司令」です。『人間革命』について論じる前に、この「神道司令」を読みながら、GHQ国家神道批判を見てみたいと思います。GHQの「神道司令」には、非常にオーソドックスなアメリカ的宗教観が現れていると私は認識しています。それを読むことによって、『人間革命』の神道批判を評価する1つの視座が与えられると考えられます。

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様々な政教分離の形

神道司令」を読む前に、アメリカの政教分離について理解する必要があります。「政教分離」といっても各国色々です。例えばフランスではちょっと前に、ムスリムの女子がスカーフを巻いて登校をしたことが問題になりました。これは、フランスの「ライシテ(非宗教性)」の原則に抵触するというものでした。フランスという国では、「公」と「私」の空間をしっかりと分ける。そして、「私」では宗教を自由にやっていいけど、学校などの「公」では我慢してくださいという、こういう政教分離の形をとっています。けれども、外出時には常にスカーフをしなければならないムスリムからすれば、「公」とか「私」とかいう空間分けは、かなり乱暴で人権侵害に見えるのです。
ちなみに戦前の日本は、「私」の領域で信教の自由を認めて、色んな宗教を信じて良いとしました。しかしそれは、「公」の領域で全国民が守るべき「普遍的真理」である国家神道を遵守することが大前提でした。

アメリカの政教分離の特徴は、何でしょうか。様々挙げられますが、1つは「Seperation of religion and state(宗教と国家の分離)」ではなく、「Seperation of church and state(教会と国家の分離)」であるという事です。アメリカの大統領が就任時に、聖書に手を置く事は有名ですが、つまり完全に宗教を政治の領域から排除しているわけでは無い。教会などの宗派・宗教団体に国家が特権を与えたり、弾圧したり、あまりに接近しすぎることを禁じているのです。
この政教分離策の根本には、「宗教は本来いいものだ」という考え方があります。宗教は人間に活力を与えるいいものだけど、それが国家と癒着して利用されたりすると、とんでもない事になる。だからしっかり分離しましょう、という考え方です。

神道司令」に見るGHQ国家神道批判

このアメリカの政教分離の基本原則を念頭に、「神道司令」というGHQが日本政府に出した覚書を見てみましょう。GHQの文章は、カタカナと漢字が混じっていて非常に読みづらいのですが、ネット検索してみたところ、現代語訳にしてくださっている方がいましたので、それを使わせていただきます。

shibari.wpblog.jp

まずは、この「神道司令」が出された目的を見てみます。

一国家指定の宗教の祭式に対する信仰、信仰告白の直接的あるいは間接的な強制から日本国民を解放するために、戦争犯罪・敗北・苦悩・困窮および現在の悲惨な状態を招いたイデオロギーに対して行われた強制的財政援助から生じる日本国民の経済的負担を取り除くために、神道の教理や信仰を歪曲して日本国民をあざむき、侵略戦争へ誘導するために意図された軍国主義的で過激な国家主義的宣伝に利用するようなことが再び起きることを妨止するために、再教育によって国民生活を更新し、永久の平和および民主主義の理想に基礎を置く新しい日本の建設を実現させる計画に対して日本国民を援助するために、ここに以下の指令をする。

ここに書かれている目的は、以下の3つです。
①国家指定の宗教を国民に強制しないため
②戦争推進のイデオロギーに協力させられた経済的負担を除去するため
神道の教義を歪曲して国民を欺き、侵略戦争に導いた歴史を繰り返さないため

特に着目すべきは、③だと思います。つまり、国家神道とは、本当の神道ではない。神道の教義を歪曲して、侵略戦争のために利用したエセ宗教なのだ、ということです。つまり、GHQは、神道自体を否定していないのです。それが国家によって利用され、国民に強制される事は問題だけれども、神道の教義や信仰自体は問題ないのです。
また、②においては、「イデオロギー」という言葉が使われている事に注意すべきです。つまり国家神道の「教義」は、宗教的教義ではなく、政治的イデオロギーなのだというGHQ国家神道認識が現れています。

また、神道が一宗教として認められるために必要な条件をあげた箇所があります。

神社神道は国家から分離され、その軍国主義的あるいは過激な国家主義的要素を剥奪された後は、もしその信奉者が望む場合には、一宗教として認められるであろう。加えて、それが事実日本人個人の宗教なり、哲学なりである限りにおいて、他の宗教同様の保護が許容されるであろう。

 ここでは神道が①国家からの分離と、②軍国主義的要素を剥奪されたら、一宗教として認めますよ、と書いてあります。

ここでも、国家神道の問題として、「国家と分離していないこと」が挙げられています。
問題は②でしょうか。これは「軍国主義的要素」という、国家神道の教義的側面に踏み込んでいます。それではこの「軍国主義的要素」とは何か。それについて言及された箇所を見てみましょう。

(ヘ)本指令中に用いられている軍国主義的ならびに過激な国家主義イデオロギーという表現は、日本の支配を以下に掲げる理由のもとに他国民ならびに他民族に及ぼそうとする日本人の使命を擁護し、あるいは正当化する教え、信仰、理論を包含するものである。

(1)日本の天皇はその家系、血統、あるいは特殊な起源であるゆえに他国の元首より優れているとする主義
(2)日本の国民はその家系、血統、あるいは特殊な起源であるゆえに他国民より優れているとする主義
(3)日本の諸島が神に起源を発するがゆえに、あるいは特殊な起源を有するがゆえに他国より優れているとする主義
(4)その他、日本国民を欺き、侵略戦争へ駆り出させ、あるいは他国民の論争の解決の手段として武力行使を謳歌させるに至らせたような主義

これは大別すると、以下の2つに収斂されると思います。

①日本国が他国よりも特別だという主義
②他国に武力行使したり、侵略したりする主義

しかし、民間の宗教団体である神社神道がこのような主義主張を持つことを、果たして禁じることができるのか疑問です。現に、今日の神社本庁の幹部や保守政治家の発言などを見ると、②こそないですが、①に当たるような発言なんて山ほどあります。これを禁じる事は、それこそ政教分離に反するのではないでしょうか。

しかし私は、GHQが「その軍国主義的あるいは過激な国家主義的要素を剥奪された後は」というように、「剥奪」という言葉を使っている事がミソかなと考えています。つまり、軍国主義イデオロギーというトンデモない思想は、神道という宗教の中から出てきたものではない。国家が神道の教義に植え付けたものなんだ、だからGHQが権力で「剥奪」しないといけないんだという考え方なのかな、と思います。
権力(戦前の日本政府)によって「強制」されたものだからこそ、権力(GHQ)によって「剥奪」してもよい。これは政教分離に反しない、ということでしょうか?
ですから、「日本は神の国朝鮮半島奪還!目指せ大東亜共栄圏!」という思想を持つ国民が出ても、それは国家に強制されたものではなく、その国民自身の信条の発露だったら何の問題もないということになります(少なくとも「信教の自由」の問題との絡みにおいては)。

ともあれ、この神道司令から分かることは、GHQ国家神道の「教義」を問題にしていない。国家と癒着しすぎて利用されたという「制度」面に問題を見出しているということです。これは、次節以降で、池田名誉会長の国家神道批判を見るときに、重要な視座となります。

『人間革命』における神道

やっと、『人間革命』に入ることができます。
まずは、『人間革命』では、このGHQによる政教分離政策をどのように評価しているのでしょうか。

信教の自由は、宗教の勝劣、浅深の戦いの場をつくることである。広宣流布は、信教の完全な自由の下でなければ、達成は困難なことだ。(149頁)

この文章を見ると、GHQによる信教の自由の確立を、池田名誉会長は肯定的に評価しているようです。創価学会の目指す「広宣流布」は、信教の自由がなければ達成できない、その条件が整ったのだと。
しかし、戸田が戦前の創価教育学会幹部との懇談で、次のように語るシーンがあります。

「そりゃ、軍部は崩壊したさ。だがね、何千、何万とある邪宗教団は崩壊したかい?根本的に見れば、条件はいささかも変わっていない。むしろ、これからが社会的混乱の隙に乗じて、邪教ははびこるだろうよ。それは火を見るよりも明らかなことだ」
彼は、戦後の精神的、物質的混乱に乗じて、雑草のように邪宗教が広まってゆくことを見抜いていた。
信教は自由だ。大衆は、宗教の正邪を知らぬ。宗教の規範も知らず、宗教教育も受けずに今日まで来ている。この信教の自由、宗教の戦国時代こそ、折伏の戦いを勇敢にしなければならぬ時だ、と彼(戸田城聖)は思った。(176頁)

ここで戸田は、軍部が崩壊して信教の自由が確立しても、「根本は何も変わっていない」と言っています。つまり、大衆が邪宗を信じるという根本問題においては、状況は同じであると述べているのです。これは、「宗教は本来いいものだ」というGHQの、というよりもアメリカ的な政教分離原則とは異なるものです。
つまり国家神道の問題は、国家がそれを国策として制度化・教化を推進したということだけではない。その誤った教義を、大衆が信じたことにあるというのです。
さらに、よりはっきりと国家神道の教義を批判した箇所があります。

GHQは、占領の基本政策として、日本の民主化のために、神道の国家保護を断ち切ったが、神道こそ、敗戦の最高責任者であり、最大の戦争犯罪人であることは、知る由もなかった。

かなり過激な文章ですね。
つまり、GHQ政教分離国家神道解体)は不十分だ、彼らは神道の邪義を知らなかったのだと言うのです。「国家神道」ではなく、「神道」となっている事に注意が必要です。つまり、「国家神道」が国家保護を受けなくなって「神道」になっても、それは本質的ではない。つまり、池田名誉会長の神道批判の最大の根拠は、その教義的問題なのです。

国家神道は指導者に狂気をもたらす

他にも、『人間革命』では、国家神道が激しく非難されています。それを、いくつかを引いてみましょう。

軍部政府は、いかにも愚劣で狂信的で、わが同胞に対してすら、暴力的で、不条理であった。そのような、狂気をもたらしたものの根源が、軍部政府の精神的支柱であった、国家神道にほかならないことを、彼(戸田城聖)は骨身にしみて、熟知していたからである。(9頁)

日本政府が無謀な戦争に突入したのは、「神道が指導者に狂気をもたらしたからだ」と言っています。これはかなり過激です。さらにこんな記述もある。

国の命運が尽きた時は、大政治家も、名将も、ともに福運がなくなり、懸命な知恵も革新も喪失して、先手を打てなくなってしまうものだ。否、それらの指導者階層の福運が尽きたがゆえに、国の福運が消えたとも言える。この方程式は、いかなる国でも、家でも、同じことである。(84頁)

「命運」という言葉を「福運」と同じ意味だとするならば、この文章は、

国に福運が無くなる➡︎指導者の福運がなくなる➡︎国の福運がなくなる・・・

という負のスパイラルを描いているようです。着目すべきは、「たとえ有能な政治家でも、福運がなければ国を滅ぼす」と言っていることです。これはかなりドラスティックです。なぜならいくらいい政治家が出ても、福運がない限り、日本は良くならない。そこには、「正法を信じる政治家の出現」、つまり創価学会の政界進出が不可欠だと言っているようなものです。

要約すると、池田名誉会長はGHQのように、「愚かな指導者が国家神道を利用した」とだけ述べているのではありません。国家神道を信じたために、指導者は愚かになった」と言っているのです。これは創価学会の政治進出と非常に整合的だと私は思います。

国民の責任の強調

そして池田名誉会長の国家神道批判は、国民の責任の追及にも及びます。

宗教の無智による大謗法が、国家を死滅に追いやった。だが、誰一人、これに気付くものはいなかったのである。
このように、神道を中心とした政治形態は、祭政一致の古代を手本として、神がかり的な全体主義の権力を、国民の上に振るい始めた。
一国が滅びるのも当然のことであった。無智によるとはいえ、敗戦という総罰を受けざるをえなかったのは、残念という他はない。(219頁)

つまり、民衆の宗教に対する「無智」が「敗戦という総罰」を齎したのだというのです。これは今日から見ると過激に見えますが、国民に責任を求めるというのは、敗戦直後の思潮を見るならば、それほど珍しくはありませんでした。「『人間革命』の時代を読む」という連載で戦後思想を読んでいますが、丸山眞男大塚久雄小田切秀雄荒正人などは敗戦の原因を日本国民のあり方に求め、独自の思想を展開しています。また、戦後盛んになった平和運動も戦時中の「悔恨」「責任意識」に基づくものでした。
しかし、その責任の所在を「宗教への無智」に求める論を、私はほとんど読んだことがありません。当時の宗教界の指導者たちは、どんな文章を書いていたのか一度調べてみたいです。

しかし「無智」という言葉を使うときに生じる疑問は、果たしてそれが「責任」を伴うものなのかという点です。「国家神道が不正であると知りながら、反対しなかった」というならば、その責任を追及できるでしょう。しかし、「国家神道などの宗教について無智であり、反対も批判もできなかった」人間に、責任の所在を求められるのかは疑問です。
しかし、池田名誉会長は、「無智」を静的な状態を表す概念ではなく、アクティブな態度決定の結果であると考えているようです。

政府は、国家統治上、神道の「神勅」を、その政治体制の根本原理として、それに結びつく天皇を、神聖にして不可侵な存在にしてしまったのである。
軍部政府の時代になると、この問題は日本国民のタブーとなった。少しでも疑点を抱く人文科学者たちは、反逆者として非道な弾圧を蒙らなければならなかった。
国民の誰もが知っていながら、そのくせ、無関心のままにすぎる盲点に、いつかなっていた。(219頁)

日蓮大聖人はそれ(筆者註:絶対間違いないもの)を、明確に、具体的に、教示くださっている。それを人々は、知ろうとしなかった。そして、七百年が過ぎた。(108頁)

この2つの文章を総合すると、日蓮が絶対的真理を明らかにして700年が経過するというのに、その間日本国民はそれを「知ろうとしなかった」、「無関心だった」。
つまり、日蓮仏法を知ろうとせず、無関心に生きてきたその態度の結果が「無智」であり、その態度に責任を求めているのだと言えましょう。
これは、戦後の創価学会の激烈な折伏運動と整合的です。

日蓮教学に基づく国家神道批判

それでは、国家神道が「邪教」であるという根拠は、なんでしょうか。
池田名誉会長は、牧口・戸田会長が神札を拒否する場面において、以下のように記述しています。

大聖人の御聖訓によれば、天照大神とは法華経守護の神に過ぎない。法華経に祈ってこそ、天照大神の功力が現れる。神自身には力がない。哲学、理念がまったくないのである。
今、法華経の文底独一法門の大御本尊を無視して、一守護神に過ぎない天照大神だけを祈るゆえに、その神札には魔がすみ、魔神の札と化し、祈りは叶わず、一国の人々の頭脳を狂気と化したのである。親を見捨て、子を尊ぶに等しき狂態の姿であった。(192〜193頁)

つまり皇祖皇宗の淵源であるアマテラス(天照大神)は、法華経に祈願するものを守護する1つの神に過ぎない。その守護神に祈ると逆に罰が下る、という議論です。これは日蓮思想の中の神仏習合的な思想に、大石寺教学の「大御本尊」信仰を混ぜて、国家神道を批判したものでしょう。
この批判は、特に思想的価値はないと私は考えています。これは創価学会日蓮正宗の中でしか通用しない国家神道批判です。展開しなければならないのは、「哲学・理念がまったくない」の部分ですが、そういった記述は『人間革命』内にはありません。

三つの神の分類の基づく神道批判

さらに池田名誉会長は、『人間革命』において「神には3種類ある」という議論を展開しています(210頁〜213頁)。かなり長文なので、私の要約を記述させていただきます。

①人間の想像力が生んだ神

エホバやアッラーなどが該当する、一神教的な神だが、その実体は存在しない。結局は人間の想像力が生んだ幻影に過ぎず、これを拝むことは頭脳を狂わせる。
デカルトスピノザヘーゲルの汎神論的な神も、所詮は空想の生んだ神である。

②先祖信仰に基づく神

死んだ祖先を神として祀るもの。天照大神も、天皇の先祖である。
これは先祖を敬うという道徳的感情を宗教にでっち上げたものに過ぎない。そもそも人間が死んだ瞬間、神になるなどという不合理は、到底受容不可能である。

仏教に説かれている神

仏教を受持したものを守る諸天善神。これは、日蓮仏法を信仰して初めて、神としての働きを表す。この神は、①のような絶対唯一神としての神と異なり、生命の働きを表したものである。一人の人間も、全宇宙も生命体であり、その中に諸天善神も悪鬼神も存在する。
日蓮が図顕した御本尊に照らされてこそ、この生命の実在を知ることができる。

この議論には、かなりの批判が伴うでしょう。
①の神を「人間の想像力が生んだ神」としているが、③の神も「人間の空想の産物」と言ってしまえばそれまでです。また、スピノザヘーゲルの汎神論的な神と、「生命体」において働きを成す神の違いが明確ではありません(デカルトが汎神論者か、という点にも異論が出るでしょう)。
また、天照大神は、大衆の祖先信仰とは次元を異にする記紀神話に説かれる神であり、それを「先祖が死んだら神になるなど不合理だ」という批判で跳ね除けられるのか疑問です。

『人間革命』を読む限りでは、池田名誉会長の神道の教義的批判は、不十分である、もしくは創価学会員にしか受容できないもののように思われます。このテーマが「トインビー対談」や「ウィルソン対談」においてどのように展開されているか、注視する必要があります。

創価学会は国教化を目指していたのか

このような国家神道批判を見るとき、思い浮かぶ1つの問いがあります。
それは、「創価学会日蓮仏教の国教化を目指していたのか」という点です。第1回の連載で、「国家神道」を以下のように要素分解し、定義しました。

(教義)万世一系の天皇の神聖性を根拠に、日本の優越性を強調。
(制度)皇室祭祀・伊勢神宮を頂点に全国の神社を組織化。
(政策)教育・メディア・祝祭日などを通じた教化政策の実行。
(目的)国民への天皇崇拝・国体論の教化、浸透

GHQ政教分離政策は、この制度・政策的側面を解体したと言えるでしょう。天皇の神聖性と日本の優越性を説く「教義」は否定していない。今日でも戦前に近い信仰を持っている人間は、たくさんいます。ただそこに、国家的保護がないのが違いです。

しかしこれまで見てきた通り、池田名誉会長の国家神道批判は、その「教義」に集中している。すると、「正しい宗教だったら、国教化してもいいんじゃないか」という発想が出てきます。
しかし、『人間革命』ではそれは否定されています。その他、当時から「政教一致」批判はかなり多かったと思われますが、それに対する反論が述べられています。それは、下記2点に集約されます。

●国家が強制した宗教は、真の宗教ではない。民衆の中で民衆によって広がった宗教こそ、本物の宗教である。
王仏冥合とは、正しい宗教によって幸福になり、優れた知恵を手に入れた人間が政治を行うというものである。

これらを見ると、国教化の方向性は否定されているように見えます。
しかし、明治政府のような「上からの国教化」ではなく、「下からの国教化」の可能性は残されているのではないでしょうか。つまり、ある宗教を信じる人間が国民の中で多数を占め、それらの国民の総意の結果として、国教化が達成されるというものです。
国教化は極端かもしれませんが、「特定の宗派(創価学会日蓮正宗)に何らかの特権・利益を与える」ことを考えていたのではないか。創価学会が当初、「国立戒壇」の建立を主張していたことは、有名な話です。

これは、昭和20年〜30年代の創価学会の出版物を研究し、明らかにしなければならないでしょう。

少なくとも国家神道に対する批判として、それが神道の教義的批判に集中しており、その政教一致という制度的問題への批判を欠いている事は、注目すべき点であるように私には思われます。

総括と課題

『人間革命』における国家神道批判について見てきました。
その特徴は、国家神道政教一致的なあり方を批判した制度的な批判よりも、神道の教義的批判が多いことでした。
しかし、この批判には幾つかの問題点があります。

●教義的批判が日蓮教学の枠内に止まっている

国家神道の教義的な未熟さが何度も指弾されていますが、それは全て日蓮教学(大石寺教学)に基づいています。つまりこれは、創価学会の内部にしか通用しないものです。
よってそれの思想史的な価値は殆ど無いと言わざるを得ません。しかしこれは、『人間革命』という著作が会員の教化を目的にしている以上、やむを得ないと思います。
国家神道の教義的側面の批判は、池田名誉会長が非学会員の識者と対談した対談集を見なければなりません。

●信教の自由への積極的意義が不明瞭

小説の中で信教の自由は、「歓迎すべきもの」として記述されています。しかし、それは「自分たちの布教の基盤が整った」からに過ぎず、「邪教が蔓延る温床ができた」という否定的評価もされています。
つまり「信教の自由」には、積極的意義が与えられておらず、「戦前の国家神道という邪教を押し付けられる体制よりはマシ」という程度の意義に止まっているようです。
公明党との関係を非難されることの多い創価学会ですが、その政教一致批判を跳ね返すには、「信教の自由」「政教分離」を積極的に評価する発想が必要だと私は考えています。
思想的な議論を深める、思想的な円熟を可能にするものこそ「信教の自由」だー。
政治学における「熟議型デモクラシー」や「ラディカルデモクラシー」のような概念から、考えることができるのでは無いかと私は思ってます(政治学以上に現実から遊離しそうですが)。

次回以降、「トインビー対談」と「ウィルソン対談」を見ていきたいと思います。

余談:おすすめブログ

『人間革命』における神道などの他宗批判はかなり過激です。これは、かつての創価学会の姿を学ぶ、非常にいい資料となっています(改訂により段々消えていくでしょうが)

今回の記事を書くにあたり、「創価学会 邪宗」などでネット検索をしていたらたまたま見つけた、学会員の方によるブログがあります。

nitiren21.blog.shinobi.jp


これは非常に勉強になるブログです。
島田裕巳が「創価学会は元気が無くなった」と言っていましたが、その通りだと思います。かつてのように、学術的研究を無視して独善的・排他的な教義を作ることもできなくなり、教団の巨大化により社会的責任も増して、過激な他宗批判もできなくなりました。
このブログには、「かつての創価学会」の発想が、如実に表れていると思います(ブログタイトルは「21世紀の日蓮仏法」というより、「古き良き時代の創価学会思想」の方が適していると思います)。学会的発想の「原型」を見たい方に、本ブログは非常にオススメです。

追記:初めて見たブログかと思っていたら、以前記事で引用してました。失礼いたしました。

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【参考文献・ブログ】

●『宗教から読むアメリカ』
アメリカの宗教事情が良くわかる、目からウロコの一冊です。

宗教からよむ「アメリカ」 (講談社選書メチエ)

宗教からよむ「アメリカ」 (講談社選書メチエ)

 

 ●『国家神道と日本人』

国家神道を一側面からではなく、総合的に把握できる面白い本です。

国家神道と日本人 (岩波新書)

国家神道と日本人 (岩波新書)

 

 ●「シノドス

スカーフ事件について、わかりやすい解説がされています。

synodos.jp

「人間革命」をスピリチュアルな言葉にしないために:「政治と文学」論争から考える

哲学・思想史

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げさらに全人類の宿命の転換をも可能にする」

『人間革命』冒頭の有名な一節です。数ある池田名誉会長の言葉の中でも、これが一番有名かもしれません。またこの「人間革命」の思想は、創価学会の中でも中核を占めている事に異論はないでしょう。
しかし、この人間革命という言葉が個人の信仰実感を語るものに留まっており、思想史的な価値が明らかにされていない事は、私は結構残念に思っています。いくら「人間革命」と叫んだとしても、似たような思想は掃いて捨てるほどあり、戦後日本ではその傾向は特に顕著です。戦前のファシズムへの反動として、「人間革命」的な、個人を変革しようという発想が登場するのは極めて自然であり、それだけではなんのオリジナリティも無い。
「他の思想とは全然違う。唯一の正法たる日蓮大聖人の仏法による真の人間改革なのだ。それを現実の人生・運動で展開したのが池田先生なのだ」というような、創価学会の中でしか通用しない位置付けしか与えられていないのが現状では無いでしょうか。

本日は、「『人間革命』の時代を読む」と題して、荒正人を中心に、戦後の政治と文学をめぐる論争を見てみます。本問題を考察するのが重要であると考える理由は、荒正人らの『近代文学』で活躍した文学者たちが、「個の改造により、国家を良くする」という発想を持っていたことです。さらに荒正人は、当時の思想世界で忌避されていた「コスモポリタニズム」的な思想をを唱えていますが、これは『人間革命』冒頭の「全人類の宿命の転換」につながるのではないか。
本稿は、「人間革命」の思想史的考察の1つの準備となります。

《本稿は連載企画「『人間革命』の時代を読む」の一部です。連載目次一覧は下記。》

sanseimelanchory.hatenablog.com

「政治」と「文学」どちらが上か?

これまで述べてきたとおり、戦後約10年間の日本共産党の精神的権威は、今では考えられないほどでした。その最大の根拠は、彼らが戦争に反対した唯一の政党だったことです。
この日本共産党と雑誌『近代文学』の論客たちが対立したのが「政治と文学」論争です。

まず、共産党の文学に対する考え方を見てみましょう。社会主義国家を目指す彼らは、それを「文学」といった文化的な営みではなく、「政治」の力によって達成しようとしていました。つまり、「政治」は「文学」に絶対的に優位するものだったのです。
彼らは、文学創作に耽る人間を自己中心的なプチブルと規定し、その根性を改めて「民衆」の中に入り、共産党の目的達成のために創作に取り組むべきだと考えていました。共産党と関係を持ちながら創作をした文学者を、戦前はプロレタリア文学者、戦後は民主主義文学者と呼ぶことがあります。

こうした共産党との軋轢を孕みながら生まれたのが、雑誌『近代文学』です。当時参加していた論者たちは、本多秋五荒正人小田切秀雄などが挙げられます。
本多秋五は、『近代文学』の創刊号において、以下のように述べています。

政治は外律的、文学は内誘的である。

保守反動と罵られる人々の作品であろうとも、芸術的に優れたものでありさえすれば良しとする。

つまり、共産党の主張とは真逆の芸術が政治より大切だという「芸術至上主義」です。本田がこのような極端な主張をしたのには、戦前の文学への失望・反省と、戦後の共産党に戦前の軍部政府との類似性を感じたからだと私は思います。

戦前の文学者には、時流に妥協して戦争賛美の文章を書いた人間が大勢いました。戦前の帝国主義という「政治」に自らの「文学」を屈服させ、未曾有の敗戦を招いたわけです。本多が戦時中にどんな文章を書いていたのか私にはわかりませんが、少なくとも正義を貫いたというような満足感はなかったのではないか、そこに自分の「文学」に対する反省と、戦時中の文学者への失望があったのではないかと思われます。

そして、この「政治」に「文学」を屈服させるという基本姿勢は、戦後の日本共産党も一緒です。共産党もまた、彼らの政治的理想実現のために「文学」を動員している点では、戦前となんの変わりもない。相違点を挙げるとすれば「やろうとしている政治が正しいからいいのだ」という、共産党内部にしか通用しないものしかありません。

「内なる天皇制」の打破:「芸術至上主義」というアンチテーゼ

近代文学』の同人たちが主張したことは、「芸術至上主義」にとどまりませんでした。一点付言しておくべきことは、『近代文学』同人が、決して反共主義ではなかったことです荒正人小田切秀雄などは共産党員でした。彼らは戦時中の日本を見て「幻滅」するあまり、「政治」を無視することがどうしてもできませんでした。
「芸術至上主義」とは、政治的無関心の表明ではなく、それが1つの政治的立場であったのです。それは、「文学」によって自己の内面の改造によって、社会を変革するという主義主張だったのです。

それが象徴的に表れている言葉として、「内なる天皇制」の打破があります。荒正人は、『近代文学』における誌上座談会で次のように語っている。

文学者は政治の事だから俺は知らんぞと言って看過したり、或は共産党に一枚加わって天皇戦争責任を追求(ママ)するーそういう態度においては文学者の戦争責任は絶対に追求できないんだよ。文学者が文学的に天皇戦争責任を追求するならば、自分の内部にある『天皇制』に根ざす半封建的な感覚、感情、意欲ーそういうものとの戦いにおいて初めて天皇制を否定する事ができ、究極において、近代的な人間の確立という一筋の道が開けてくるんじゃないか。

つまり、プロレタリア文学者(民主主義文学者)のように、共産党との関係において、文学活動をしても、天皇制という日本の病根を退治する事はできない。それは制度的な問題ではなく、日本人の内面に根ざしたものであるから、「内なる天皇制」を打破して近代的人間を確立しなければいけない。それが文学という人間の内面に関係する営為を職とする文学者に課せられた使命だ、ということです。

この荒正人の主張に、丸山眞男大塚久雄との類似性を発見するのは、私だけではないでしょう。現に荒正人など『近代文学』の同人たちは、丸山・大塚と対談し、一定の見解の一致をみているようです。
丸山については、過去記事「」などで何度もその思想を振り返ってきたので、ここでは大塚の思想を簡単に概観しておきましょう。大塚といえば、「文系の大学1年生がハマる思想家ランキングベスト10」に入るのではないかと私は思いますが、その名前はマックス・ウェーバーと強く結びついています。

彼は、ウェーバーの思想を日本に応用し、「近代的人間類型」を日本に定着させようとしました。ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(プロ倫)では、宗教的倫理に基づいて職業に従事する個人の「自発性」が、資本主義社会の合理的発展に資する様が描かれています。
大塚はこのウェーバーの思想を援用して、日本人が「自発性」な「国民」として、国民経済の発展に資することを主張しました。これは、丸山の思想とパラレルと言ってもいいと思います。丸山は、日本人が真の「個人主義者」たるを追求することによって真の「国家主義」を達成せんとする「国民主義」を主張しました。両者は政治・経済の違いはあれど、日本に「近代的個人」を確立しようとしたという一点で重なり合っているのです。

戦時下に対する悔恨

荒正人小田切秀雄などの『近代文学』同人もまた、丸山・大塚と同じ「近代的個人」の確立を文学というフィールドで達成しようとしたと評価する事ができます。
彼らが日本共産党のように制度的変革に向かうことなく、「内なる天皇制」のような内面の問題に向かったことは、彼らの戦時中の自分に対する悔恨と不可分です。

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荒正人は戦時中、マルクス主義に基づいた文学研究会を催したことから、投獄された経験を持っています。そこでの経験を彼は、悔恨とともに回想しています。獄中において「囚人のドン」のような立場に立っていた彼は(この表現が正しいか自信がありませんが)、他人の飯や毛布を奪い、利己主義に生き抜いていたと言います。日本人の戦場における残虐行為も、自身の略奪行為と連続的に捉えられるものだったのです。

田切もまた、文学者の戦争責任の追求を激しくしますが、それは自己責任の糾弾でもありました。

戦後の日本人には、「戦争責任」という共通した経験がありました。ゆえに、個人の次元における「戦争責任」の追及は、他の日本人の「戦争責任」の追及にも等しく、さらに「日本国の変革」にもつながるものだったのです。それこそ、彼らが呼ぶところの「内なる天皇制」の打破だったのです。
丸山や荒正人の文章を読んでいると、その迫力に圧倒されそうになります。それは、戦時中の日本の問題を、戦後という安全地帯から客観的に観察したのではなく、戦後も自分の精神に巣食う問題として主体的に取り組んだ「真剣さ」が伝わってくるからだろうと、私には思われます。それに対して、当時の日本共産党の文章はプロパガンダとしては面白いですが、あまり響いてきません。これは、今日の共産党社民党が叫ぶ「格差是正」や、シールズが歌う「戦争法制絶対反対」が全く感動を呼ばない感覚と似ています。

日本共産党の思想的貧困

しかし、こうした『近代文学』における「政治と文学」論争が注目を集めたのも、せいぜい1947年までで、尻すぼみ的に収束しています。そのきっかけの1つが、「東大細胞」における分裂騒動があります。「細胞」とは政党の基礎組織のことで、「東大細胞」にはあの渡辺恒雄(愛称:ナベツネ)も所属していました。

この「東大細胞」で、『近代文学』の影響を受けた革新派と、党中央に忠実な公式派が内紛を起こし、分裂にまで至ったのです。この背景には、共産党が予定していたゼネストが占領軍によって中止され、「革命は無理なんじゃないか」という空気が蔓延して共産党の求心性が低下したことがあります。共産党は、この東大細胞での騒動を重く見て、学生党員を大量に除名にします。先述のナベツネも党を追われ、読売新聞に入社しました。さらに、『近代文学』をブルジョワ思想に過ぎないと批判するキャンペーンも、大々的に実施しました。
「政治と文学」論争は、結局深まりを見せることなく、いつの間にか立ち消えとなってしまったのです。

私はこの「政治と文学」論争を見るとき、日本共産党の根深い病理をかんじざるをえません共産党幹部が戦争に反対して非転向を貫いたという「非転向神話」は、過度な自己陶酔を生んだばかりで、戦後の運動にとってかなり否定的に働いたように見えます。
まず彼らは、戦前の失敗を振り返る事が全くなかった。戦前の共産主義運動が挫折したことも、時の政府という絶対悪によって弾圧された結果だと、安易に総括してしまった。その反省なき回顧は、戦前に自分たちが展開した活動の問題点や、戦時中に転向した多くの党員を覆い隠して成立しているものでした。さらにその神話は、現在の自分たちの理論や運動を絶対化するものとなり、それに反抗するものを除名処分にするという共産党の暗黒史を招いたように思われます。

またそれは、戦争を経験した国民と、非常に乖離していたように思います。彼らは戦争を経験し、深い悔恨を抱いていた。その「悔恨」を共産党の自画自賛的な非転向神話は、受け止められていなかったのだと思います。あるとすれば、自分たちの「悔恨」「罪悪感」を覆い隠してくれる正義集団として共産党が機能した場合でしょうか。それは、個人の問題を団体に所属することによって隠蔽し、内面の問題を制度を論ずることによって唾棄せんとする、私からすると「近代的個人」から遥かに程遠い無責任な集団主義のように思われます。
これに近い主張として、「創価学会日蓮正宗)という謗法の団体に所属している時点で、与同罪だ!」というものがあります。こういう主張を真面目にする方は、21世紀を生きる私には理解不能の中世的世界を生きていると思われますので、正面から議論しても無駄だろうと思っています。

荒正人の「人類」「難民」

最後に考えたいのが、荒正人が使った「人類」「市民」という概念です。これは、池田名誉会長の「人間革命」思想を考える上で非常に重要であると私は考えています。

戦後間もない日本の言論世界では、「市民」という言葉はほとんど使われていないか、使われていても否定的に定義されている事が多いです。今日、「市民」が使われるとすれば、安保法制や9条改憲に反対する「市民団体」が代表的でしょうか。そこでは、国家権力に対する自発的な個人というような意味で使われているように思われます。

しかし戦後日本は大きく状況が異なっていました。
その理由は、「市民」という言葉が、「ブルジョワ(金持ち)」のような意味を持っていたからだと考えられます。
当時の日本の経済的格差や階層格差は、今日からはとても想像できないものでした。まず、農村人口が国民のマジョリティを占めており、彼らを「市民」と呼ぶのは、多くの人にとって奇異に映りました。「市民」とは都市においても、「エリートサラリーマン」や「文化人」、「知識労働者」などを指すのが、一般的な言語感覚に適ったものだったのです。

このような当時の社会状況と言語感覚を鑑みる時、「市民」という言葉が「ブルジョワ批判」に使われることはあっても、今日の日本のように「国家権力に対する個人」のように用いられなかったことは自然であると思います。丸山が「国民主義」や、大塚が「近代的人間類型」という概念は、西洋政治思想における「シトワイヤン(市民)」に非常に近いと思われますが、独自の概念を用いて日本国民について論じた事は、こうした背景があるからだと考えられます。

「市民」という言葉を、「近代的個人」というようなポジティブな意味で用いた数少ない思想家の一人が、荒正人です。これは、「共産党に対するアンチテーゼ」という側面を強調するためだったと思われます。マルクス主義において、「市民」とは「ブルジョワ」という打倒されるべき存在と等置される事が多かったため、あえてそうした用語を用いることによって共産党のあり方に異を唱えたのでしょう。

そして着目すべきは、荒が「人類」と「難民」という概念を「市民」と並べて使っていたことです。

今日でこそ「世界市民主義」「コスモポリタニズム」などといったタームが持て囃されるようになりましたが(その内実は薄っぺらいが)、当時そういった思想は忌避される傾向が強かった。まず共産党は、コスモポリタニズムを「国際市場で金を儲けまくるブルジョワ」のように考えており、「民族」という語を前面に押し出していました。「民族」の強調を除いては、これは今でも変わっていないように思えます。また、丸山眞男も、コスモポリタニズムに批判的でした。これは、新しいナショナリズムを探求した彼の立場から考えれば、非常に自然だと思われます。戦後間もない日本では、戦前を反省して国際主義に立とうという人間は少なく、むしろ新しい日本のあり方、戦前と異なるナショナリズムを構築しようという試みが盛んでした。

そうした時代背景を考える時、荒正人が「人類」「難民」という語を用いたことは、特筆して良いと私には思われます。
彼がその後を用いた理由は、彼がキリスト教の洗礼を受けていたこと、ヒューマニズムを掲げる白樺派の影響、外国人との個人的交流など様々でしょうが、なんといっても彼の獄中体験がそのキーだと私は考えています。
荒は戦中を回想して次のように書いています。

牢獄にゆくか、外国に逃げるか、それ以外に生きた青春を確保する純潔な手段はないように思われた

総動員体制の日本に与することなく、自身の立場を貫くには、投獄か亡命しかなかった。いずれにしても、友人・家族など全ての同胞から逸脱した「難民」にならざるをえなかったのです。それは、丸山的な「国民」とも、マルクス主義的な「階級」とも異なるものでした。

今後の私の研究課題

この荒正人の戦争体験に基づく「難民」思想は、創価学会について考察する際にも非常に重要であると思います。世界市民主義的思想を展開した牧口会長や、地球民族主義を提唱した戸田会長は、どちらも投獄された「難民」だったということができます。
そして、その両会長の系譜上にある池田名誉会長は、人間革命思想を主張しました。
もう1度冒頭の文章を引用しましょう。

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げさらに全人類の宿命の転換をも可能にする」

「一国の宿命の転換をも成し遂げ」については、丸山などが探求した国民主義に重なる点があると思われます。しかし、「全人類の宿命の転換」は、戦後の新しいナショナリズム探求にはない発想です。それは「日本人」ではなく、さらに普遍的な「人間」「人類」のあり方を探求した思想であるように思われます。

この人間革命思想を考察するにあたり、私には現在以下の課題が思い浮かんでいます。

①そもそも人間革命とは

冒頭で書きましたが、「人間革命」という言葉はあまりに適当に使われているように思います。かくいう私も、この言葉に馴染みすぎて、果たして人間が「革命」するとは何なのか、それと国家や人類との関係は何なのか、はっきりと答える事ができない。もう1度池田思想を読み、この言葉を宗教用語としてではなく、思想として捉え直す必要があります。

②1965年頃の思想状況

『人間革命』の連載が開始したのは昭和39年。その頃、「人類」「世界市民」というような言葉は、どのような文脈で語られていたのか。それは「個人の改造」というような観念と結びついていたのか。つまり池田名誉会長の「人間革命」思想を同時代的な思想と並列した時に、オリジナリティがあったのかという事です。そもそも「人間革命」という言葉は、創価学会の造語ではないので(恐らく東大総長・南原繁が最初に使った)、言葉だけ叫んでも悲しいだけです。①の「人間革命」という言葉の思想的内実に加え、「時代的文脈」の考察も必要でしょう。

③「人間革命」の対抗思想

そして「人間革命」という言葉が、果たしてどういった思想へのアンチテーゼとして唱えられたのかという事です。これは思想を語る時に私が気を付けていることですが、思想とは神様の啓示が降りてくるような、何の脈絡もなく生まれるものではない。何かに対抗する形で生まれるのがほとんどだと思います。例えば、丸山の国民主義思想は、戦時中の日本の天皇制へのアンチテーゼでしたし、荒正人共産党に対抗する形で生まれました。カントは、伝統的形而上学やヒュームに対抗する形で『純粋理性批判』を書き、ヘーゲルマルクスは、近代市民社会に対抗しようとしてその思想を展開した。
果たして、池田名誉会長は、何に対抗して「人間革命」思想を提唱し、運動を展開したのか。私は戦時中の日本にキーがあると考え、現在近代史を勉強中です。

④牧口・戸田会長の記憶の思想化

これは、池田名誉会長が牧口・戸田会長の獄中体験をどのように受け止め、思想化したのかということです。
これは、今日の創価学会で盛んに用いられる「師弟不二」という言葉を語る際にも重要なことだと考えています。私は男子部の先輩などが使う「師弟不二」という言葉が大嫌いです。それは、彼らが神秘的だと批判する「唯授一人血脈相承」と全く変わらない、スピリチュアルな概念になってしまっているからです。
勿論「師弟不二」とは宗教用語としての側面が強いので、神秘化するのは自然でしょう。しかし、そんな側面ばかり強調していると、三代会長の思想は世間から隔絶した「創価学会にしか通用しない秘伝の教義」になってしまうでしょう。
果たして、池田名誉会長は、牧口・戸田会長の思想や人生をどう受け止め、時には否定し、自身の思想を形成したのか。こういった営みを怠ると、3代会長の歴史上の位置付けは、「日本という小国に生まれた宗教団体の教祖三人衆」のようになってしまいます。
今回、荒正人の「人類」的発想は、その獄中経験と不可分だったと論じました。これは、牧口・戸田会長の獄中体験・獄死という歴史を、池田名誉会長はどう受け止めたのかという問いを、私の中に生じさせました。

以上、課題を並列して終わりましたが、これには非常に時間がかかりそうです。私は一介のサラリーマンですので、余暇を使ってこれをやるしかない。恐らく10年くらいかかるんじゃないかと悲しくなりますが、やむを得ません。未熟で無能ですが、少しずつ勉強しながらご批判をいただいて成長していくしかありません。
ともあれ、「人間革命」という言葉を、単なる学会内にしか通用しない宗教的教義にしないこと。そのためにたとえそれが宗教的権威を消失させたとしても、思想史的にそれを意義づけること。これは、非常に重要な課題であると今の私は思っています。

 

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国家神道を「教育」と「宗教」から考える:池田名誉会長は「国家神道」の何に反対したのか②

3代会長の思想

(本記事は「国家神道」について考察している連載記事の第2回に当たります。第1回は以下。)

sanseimelanchory.hatenablog.com


前回の記事において、国家神道についての定義づけを試み、それを日本中心主義的な教義面と神社神道の組織化という制度面から考察しました。
今回の記事において考察するのは、「国民への教化」という側面です。これは『国家神道と日本人』で島薗進が強調していることですが、宗教・思想の歴史を考察する際には、観念や実践がどのような方法で流布したのか、また、人々がそれをどう受け止めたのかという観点からの研究が非常に大切です。

国民への教化として、「教育」「マスコミ」「儀礼」など、様々なアプローチが可能ですが、ここでは「教育」を取り上げたいと思います。そして、それらの国策を「上からのナショナリズム」とするならば、「下からのナショナリズムと呼べるような宗教界の動きも取り上げてみます。大本と日蓮主義、天理の3つです。
「教育」と「宗教界」の2つを取り上げる理由は、それが戦後の創価学会を考察する上で非常に重要だと考えるからです。現在『人間革命』の初版・第2版を読み比べる連載をしています
が、戸田会長並びに池田名誉会長の運動は「戦前日本へのアンチテーゼ」という側面が非常に強い事がわかります。その池田名誉会長が「戦前日本へのアンチテーゼ」として推進した事業として、布教活動はもちろんのこと、創価教育の学舎の創立が挙げられます。
この戦前日本の国家神道における「教育」と「宗教界」の動きを見ることにより、戦後の創価学会の活動を評価する新たな視座が得られるのではないかと期待しています。

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教育から考える国家神道:「学校行事」と「修身」

明治政府は当初、宗教団体(神社)を通じた国体論の国民への浸透を目指していましたが、途中から学校教育を通じた教化を目指すようになります。ここでは、「学校行事」と「修身」教育について考えてみます。

天皇崇敬の学校行事の整備は1880年代から推進されていき、1891年には「小学校に於ける祝日大祭日の儀式に関する規定」が発布されます。これを読んでみると、紀元節や元始祭といった皇祖皇宗を祝う祭日には、全国の学校で儀式を行うべきだと書かれている。その儀式とは、天皇皇后両陛下の御影に敬礼して万歳し、校長が「教育勅語」に沿った教えを垂れて祝祭日の意義を説明する。最後に君が代を斉唱するとあります。
この統一された儀式の形態が全国に広まったのです。

閑話休題
私には大正生まれの祖父がおり、最近かなり記憶力が怪しくなってきていますが、「教育勅語」は完全に暗記しています。もはや肉体に染み込んでいるのかと、ぞっとしたことがあります。
君が代」にも思い出があります。私は、8月15日に靖国神社に「見学」に行ったことがあります(「参拝」ではありません)。そこに来られていたいわゆる「右翼」とされる人たちの斉唱する「君が代」を聞きましたが、あんな凄まじい唱歌は聞いたことがありません。恐ろしささえ感じてしまいました。しばらくの間、日の丸を見ると、あの時のことを思い出して少々ぞっとします。多分私は、右にはなれないのだと思います。

さて、続いて「修身」教育ですが、これは「道徳」のようなものでしょう。
この「修身」を語る上で欠かせないのが、靖国神社の存在です。元来国家神道は、その起源たる記紀神話が天皇支配を正当化するイデオロギー的な色彩が強かったことからもわかるとおり、「死」といった宗教的課題に関する思想には深みがありません。平田篤胤は「神道における死後観」を展開していますが、明治政府のイデオロギー生成に多大な役割を果たした津和野藩の大国隆正などは、君臣関係を強調するような倫理的リゴリズムを唱導しています。

この「国家神道」の弱点を補う存在ーそれが靖国神社です。他の神社が皇室祭祀を中心とした祭礼を扱うのに対し、靖国神社の守備範囲は、「若くして死んだ兵士の慰霊」です。これは神話などとは次元を異にする、人間を強く捉えて離さない魔力を持っています。現在、「『人間革命』の時代を読む」と題して、戦後日本の思想を学んでいますが、最重要キーワードの1つが「死者の記憶」でした。
つまり「死」という究極の宗教的課題に対する答えを、国家神道が「公」の領域を超えて日本人に与えた、それが「御国のために死ぬ」という大義だったということが出来ます。
靖国に関しては、また終戦記念日が来る前に、大きく取り上げたいと考えています。

当時の修身の教科書に引かれている一節を引用しておきます。

今までに日本は度々よその国と戦争をしましたが、その度毎に敵と一生懸命戦って、天皇陛下に忠義をつくし、お国のためになくなった方が沢山あります。この陸海空軍の兵隊さんを神様におまつりしたお社なのです。(中略)お国のためになくなった方々をおまつりするのですから、私達も是非おまゐりしなければいけませんね。

この言葉に表れているように、靖国神社への参拝は重要な学校行事の1つにも位置付けられていました。

君のためくにのためにつくした人々をかやうに社にまつり、又ていねいなお祭をするのは天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御恵みの深いことを思ひ
ここにまつつてある人々にならつて、君のため国のためにつくさなければなりません。

靖国神社」は「修身教育」の中核に位置付けられ、「国のために死んだ」人を神聖化し、英霊のように「国のため君のために死ぬこと」に最大の宗教的・倫理的価値を与えたのです。

「下からのナショナリズム」ー大本、天理、国柱会

今年、中島岳志島薗進が対談集を発刊しました。その内容は、戦後から現代に至るまでの歴史と、明治維新から終戦までの歴史を重ね合わせ、その類似性を強調するものでした。その議論の説得性については私はなんとも言い難いのですが、参考になる点は大いにありました。その本の中で強調されていたのが「下からのナショナリズム」でした。
これまで見てきた国家神道の教義や制度、教育などの問題はすべて国家によって実行されたもの、つまり「上からのナショナリズム」でした。それに対し、宗教的ナショナリズムの発露として巻き起こる国民運動が、島薗・中島のいう「下からのナショナリズム」です。
その代表例として、3つの新宗教運動、大本・天理・日蓮主義を見てみます。

大本教

大本教は、出口なおという女教祖の神がかりから始まった教団ですが、大きく発展するのは神職資格を持つ出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の加入後です。王仁三郎の加入後、大本は教団名を「皇道大本」に改めます。「皇道」とはこれも難しい概念ですが、前回記事を取り上げた「日本型政教分離」を象徴するような語であります。

つまり、「皇道」とは万人が従うべき普遍的な「道」である。そしてそれと同時に、仏教儒教キリスト教などあらゆる教えを包摂する「寛容性」も強調されます。私には、この寛容性は、万人に服従を要求する「厳格性」を美化しただけに思われます。
このように神道に限りなく接近し発展した大本教でしたが、その神話解釈が天皇否定につながるとみなされ、昭和になって大弾圧を被ることになります。

天理教

天理教もまた、農家の主婦だった中山みきの神がかりから誕生した教団です。私は神がかりがあまり好きではないですが、天理の初期思想には着目すべき点があると考えています。中山は、「こふき」という文書に集約される創造神話を説きますが、記紀神話と大きく異なっていることがあります。それは、「人類の誕生」を展開し、平等な世界を説いたことです。記紀神話は天皇支配を正当化する目的に編纂された側面が強いので、その創造神話の主役は、神々とそれに連なる天皇だけです。民衆は、「国土」の付属物の草のように描かれている。それに対して天理の神話は、人類をみな同じ親神から生まれた兄弟であるとする神話を説きます。このような、国家の中からは生まれない、民衆の論理に基づいた思想を展開することこそ、宗教の役割であると私は考えています。
しかしこの天理は、行政やマスコミ、宗教界から大批判を浴び、これはたまらないと政府に擦り寄ります。日露戦争に際しては多大な寄付を行い、その根本教義も国家神道的なものに変更しました。
このように国家とは異なる原理を持つ宗教も、天皇国家の枠内にはめられ、国家神道イデオロギー浸透の役割を与えられていきます。

日蓮主義

そして、国柱会などに代表される日蓮主義です。戦後の日蓮研究を見ていると、戦前の国家主義日蓮解釈に反論するという側面が大きいことに気づかされます。
日蓮主義者の代表格は、国柱会を組織した田中智学でしょう。彼の『世界統一の天業』などを見ると、日本の国体と日蓮の目指すものの一体性が主張され、日蓮仏法に帰依した天皇と日本国を中心に世界統一をするという、恐ろしい思想が説かれています。石原莞爾宮沢賢治が彼に影響を受けていたことは有名ですし、牧口常三郎国柱会に出入りした時期があったようです。2・26事件に連座した北一輝日蓮主義者でした。
創価学会がこの日蓮主義をどのように評価しているのか、私は上手く答えられません。しかし、「あれは日蓮大聖人を利用しただけだ」「日蓮仏法をわかっていない」などの評価は短絡的であると思います。オウム事件の際に、様々な教団が「あれは宗教ではない」と非難しましたが、そのような総括はよくない。そこに宗教が共通して持つ危険性を見出すべきだと思っています。
私の考えでは、宗教とは世界の外部の「他者」に出会わせてくれるものです。宗教を信じる人間は、現世的な世界内部のものから逸脱して、神や仏、普遍的法といった「他者」と出会うことになります。そしてその「他者」との出会いの結果得られた観念を、現世にフィードバックするのです。
このフィードバックが上手くいけば、利己主義ではなく利他主義を、拝金主義ではなく倫理主義を、国家主義ではなく人間主義を、といった社会的に有用な思想・行動を生み出すことができるかもしれません。しかしそれが失敗すると、地下鉄サリン事件日蓮主義といった凄惨な結果を生み出しかねません。「創価学会は別だよ」と言って自教団は例外にしたいと考えたくなりますが、それは誤魔化し以外の何物でもないと私は考えています。

(続く)

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 【参考文献】

ポストモダンの新宗教―現代日本の精神状況の底流

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国家神道と日本人 (岩波新書)

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道徳教育の歴史―修身科から「道徳」へ

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日本宗教史 (岩波新書)

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講座日蓮〈4〉日本近代と日蓮主義 (1972年)

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靖国問題 (ちくま新書)

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靖国神社の祭神たち (新潮選書)

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池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか①:「国家神道」の定義を考える

3代会長の思想
「池田名誉会長は国家神道の何に反対しているのか?」

終戦を間近に迎えた今日この頃、上述の問いについて考察したいと考えています。17歳の時に終戦を迎えた池田名誉会長は、その青春を戦争によって大きく狂わされたと言えます。折に触れて、国家神道に対して否定的な主張をされており、『人間革命』初版をみると、異常なまでの怒りが描かれている事に驚きます。

しかし、池田名誉会長は国家神道の何に反対したのでしょうか?それを全面的に否定したならば、池田名誉会長は、天皇制や神社も無くなるべきと考えたのでしょうか?

創価学会の活動をしていると、他宗教を盛んに批判する方に出会いますが、私は他宗批判はかなり慎重に行わなければならないと考えています。
例えば、「神道は戦争を招いたから、邪教だ!」などと軽々しく口にすると、「お前らだって日蓮主義を生んだだろう!」とブーメランが返ってきます。

他の宗教を批判する際には、その宗教を徹底否定するというような安易なものではなく、
「何を批判するのか」という論点を明確にし、その上で議論すべきだと私は思っています。
国家神道も同じです。左翼などは、それを「絶対悪」だと認識して攻撃しますが、それが往々にして「国家神道が何であるか」という認識を怠った知的怠慢の結果である事が多いように思います。これは学会にも言えることであり、真言宗でも、念仏でも、日蓮宗でも、日蓮正宗でも、批判する時にはそれをしっかり認識すべきです。つまり、学会内の教義から見た(偏狭な)理解ではなく、その宗派に立った人物の著作や学術書を読んで理解を深めて、論点を明らかにしてから批判すべきだと私は思っています。

そこで、「池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか?」という点を考えるにあたり、国家神道とは何なのかという問題を考えたいと思います。

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国家神道の構成要素

国家神道」という定義は難しく、学者の間でもかなりの議論になっているようです。
村上重良は、名著『国家神道』において、その構成要素を以下の3つに分けています。

神社神道
皇室神道
③国体の教義

神社神道とは、キリスト教でいうところの「教会」、つまり神社という宗教団体だと理解していいと思います。その民間の教団である神社が皇室祭祀を中核とする②「皇室神道」に結び付けられ、国家主導の祭祀に組み込まれたと、村上は述べています。
「国体」とはこれも難しい言葉ですが、「神々の系譜を受け継ぐ天皇が統治してきた日本は、特別な国家だ」という観念です。皇室祭祀は、天孫降臨神武天皇の即位を祝するなど、「万世一系」の歴代天皇の特別性に基づいた祭祀です。日本の国家の優越性を強調する根拠が、「万世一系」の天皇であり、皇室神道と国体の教義が深く結びついている事がわかります。そして、その皇室祭祀を全国的に行う組織が神社なのです。

これに対し、神道学者の葦津珍彦は、「本来神社神道は素晴らしい存在なんだ。国家神道は、悪巧みを持った国家によって利用された特別な一形態に過ぎないんだ」としています(私のかなりの意訳なので、原書を読んでいただきたいです)。つまり、「神社が国家と結託して戦争を巻き起こした」「神道は戦争を誘発しかねない危険な宗教だ」という主張に対する反論なのです。これは神道学者ならではの回答だとは思いますが、私も一信仰者としてこの意見をある程度擁護したいと考えています。

また、宗教学者島薗進は、葦津のような国家神道神社神道の一形態」と見なすような意見を偏狭だとしています。つまりそれは、神社神道という祭祀組織という一観点から見た国家神道に過ぎず、皇室祭祀や国体論、国民への教化などの別の側面を捨象したものだというのです。島薗は、「戦後も残る国家神道」ということを強く意識しているので、このような主張をしているのだと思います。末木文美士もまた、同じような見方をしています。

島薗は、上述の村上説にも一定の評価を示しますが、②皇室神道と③国体論の結びつきの弱さを指摘しています。そして、天皇崇拝や国体論の観念がどのように国民に広がったのかという点を考察し、「教育勅語」やメディア、祝祭日のシステムなどを考察しています。

国家神道の定義と考察すべき諸側面

上述の諸先生方の著作を読み、私は国家神道を以下のように定義したいと思っています(ご指摘いただいて、成る程と思ったら随時修正)。

定義:戦前の日本が国家として主導した神道の一形態。記紀神話に基づいた皇祖皇宗の権威を根拠に、日本国の特別性を強調する。それを制度化するために、皇室祭祀を整備・強化し、皇室祭祀という国家的祭祀を行う機関として神社神道を全国組織化。さらに、それを国民に教化するために、さらに教育・メディア・祝祭日などの諸政策を実行した。

分解すると、以下のようになります。

(教義)万世一系の天皇の神聖性を根拠に、日本の優越性を強調。
(制度)皇室祭祀・伊勢神宮を頂点に全国の神社を組織化。
(政策)教育・メディア・祝祭日などを通じた教化政策の実行。
(目的)国民への天皇崇拝・国体論の教化、浸透

それぞれ、詳細を検討していきましょう。

教義:国家公認の神話と皇室祭祀

国家神道の中核をなすのは、日本中心主義に結びついた「アマテラス=天皇」の系譜を強調する神話です。その神話については、覚書程度ですが、拙の別ブログでまとめています。

kierkegaaaard.hatenablog.com

要するに、神々の系譜を継ぐアマテラスの孫であるニニギが天上から地上に降臨し(天孫降臨)、ニニギのひ孫が始祖である天武天皇となり、今上天皇までその皇統が継がれているというものです。その皇祖皇宗が統治する国は、日本しかなく、ゆえに日本は特別な国であるという日本中心主義が成立します。
この天皇を中心とした特別な国のあり方の観念を「国体」と呼びます。

そもそも古代から中世の思想を見ていると、日本の神々を仏の仮の姿だとする本地垂迹説や、日本を「辺土」として相対化するような思想が目立つのですが、いつの間にか日本が世界の中心になっています。その系譜も、簡単に下記記事にてまとめています。

kierkegaaaard.hatenablog.com

この国家神道における神話を考える際に欠かせないのが「祭政一致」と「政教分離」の問題です。即ち、どのようにして仏教儒教キリスト教といった宗教と、この国家公認の神話が共存していたのかという問いです。これは、国家と教団の関係という「制度」的な問題と、国民の「内面」の問題に大別されます。それについては、追ってみていきましょう。

制度①:皇室祭祀と全国の神社の組織化

続いて、上述の神話に基づいた日本中心主義的な国家神道が、どのように組織に受肉したのかという「制度」面を見ていきます。

その完成系は、皇室祭祀と神社の祭祀を結び付け、アマテラスを祀った伊勢神宮を頂点に全国の神社を組織化したものです。

まず皇室祭祀の拡充が挙げられます。天皇陛下の生前退位をめぐり、その皇室祭祀の多さが注目を浴びましたが、それらの大多数は明治維新の後に整備・拡充されたものです。例えば、明治維新とともに新しく始められた「元始祭」は天孫降臨を祝うものですし、「紀元節祭」も神武天皇の即位を記念するものです。これらは、天地開闢からアマテラス、ニニギ、神武天皇、歴代天皇という系譜を強調するために創設されたのです。

そしてこの皇室祭祀と一致した祭礼を行う国家の機関として、全国の神社が組織化されていったのです。明治以前の神社は、それぞれの伝統や地域事情を反映した様々な儀礼を行っていましたが、皇室祭祀が神社祭祀の中核を占めるようになっていきます。1907年には内務省によって「神社祭式行事作法」が告示され、全国の神社の祭礼の方式まで規定され、アマテラスを祀る伊勢神宮を頂点にした「神社神道」という全国組織が出来上がったのです。
これは、神社が民間教団としての「宗教」ではなく、国家祭祀を行う「非宗教・国家機関」になったと解釈できます。

制度②:「日本型政教分離」という特殊形態

ここで問題になるのは、仏教儒教キリスト教などの他宗教との関係です。
これは、国家神道」は国家統治のための祭礼や日本人としての道徳に当たるものであり、「宗教」ではないという奇妙な位置づけがされていました。
「宗教」という言葉は定義が難しいですが、政教分離などの制度的な問題を語る際には、「教会や教派などの自発的信仰者から成る宗教組織」と定義される事が多いです。この定義に従うならば、国家神道」とは国民すべてが関与すべき「祭祀」や「道徳」という「公(パブリック)」な領域に属するものであり、個人の内面に関与する「宗教」という「私(プライベート)」なものとは、カテゴリーが違うものであるとするのです。このような奇妙な棲みわけによって、「祭政一致」と「政教分離」は両立することとなります。

とはいえ、このような特殊な「日本型政教分離」が確立するまでに、政府は紆余曲折を経なければなりませんでした。
維新後の明治政府は、キリシタン禁制といった宗教弾圧や全国民を神社に登録させようという「氏子調制度(うじこしらべせいど)」などのかなりラディカルな対策をしています。
しかしこれはさすがに激しい抵抗を呼び、1872年には「教部省(きょうぶしょう)」の設置というやや軟化した方策をとります。これは、神道以外の宗教勢力も認めるという比較的穏健なものでしたが、それは「大教」の流布という国家の意向に沿う教団のみを認定するというものでした。「大教」とは、「敬神愛国」や「皇上奉戴」など、要するに祭政一致的な国策に協力する教団だけは活動していいよ、というかなり乱暴なものです。
これも反発を招き、1880年代には、宗教団体はある程度の自由な活動を認められるようになりました。
そして1900年には、「日本型政教分離」が行政制度上確立します。つまり、神社神道を統括する「神社局」とその他宗教団体が属する「宗教局」という、二元的な体制ができたのです。「神道は宗教に非ず」ーこの事が法的に確立した画期であると見る事ができます。

(以下の記事に続きます)

sanseimelanchory.hatenablog.com

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【参考文献】 

国家神道と日本人 (岩波新書)

国家神道と日本人 (岩波新書)

 

 

国家神道 (岩波新書)

国家神道 (岩波新書)

 

 

日本宗教史 (岩波新書)

日本宗教史 (岩波新書)

 

 

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

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古事記 (岩波文庫)

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日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)

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日蓮の本尊義の鳥瞰図(日蓮遺文を「再読」する番外編)

日蓮思想

日蓮思想をめぐる議論は様々あるが、その第一は本尊論である。
これは創価学会員にとっても非常に重要である。なぜなら、今日学会が「謗法教団」として攻撃する日蓮正宗との論戦において、本尊義は一大論点となっているからである。

1991年に創価学会が分離独立して以降、自前で本尊を会員に下附することになった後や、2014年に学会が会則を変更し、「本門戒壇の大御本尊」を授時の対象から外した後には、日蓮正宗ならびに顕正会からの批判が殺到した。

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「本門戒壇の大御本尊」を一大秘法とする説を主張しているのは、日蓮正宗ほか一部の教団だけであり、それを受時の対象から外したからといって、日蓮系の教団としては何の問題もない。しかし創価学会はこれまで、「本門戒壇の大御本尊」を自分たちの正統性の根拠として、他教団を激烈に攻撃してきた。「日蓮正宗の教義に依存していたからやむをえなかった、学会は本来寛容な団体だ」と路線転換したように見えるが、果たして「やむをえなかった」という姿勢であれ程過激な姿勢をとる事ができるのか、私には疑問である。また、一大秘法思想を信仰させてきた会員にも動揺が走った。日蓮遺文に基づいた教義論争よりも(日蓮遺文から一大秘法説を証明するのも完全否定するのも困難)、このような「自語相違」への批判の方が多勢を占めているように思われる。

私は2014年の会則変更に賛成しているが、学会本部の「全ては日蓮正宗のせい」というような姿勢には疑問を感じている。「本門戒壇の大御本尊」を授時の対象から外したのは、大石寺教学から脱却して自分たちの教義的正統性を証明するため、布教活動の円滑化のため(よく言えば世界広布推進のため)などだと思われる。しかし、そういった教団にとっての都合を、全て「日蓮正宗が大謗法の教団と化したから」だとするメンタリティは理解しかねる。そもそも、日蓮正宗との分離独立騒動の際にも、「日顕という極悪法主が出て血脈が途切れた」という説明が会員になされた。このような「絶対悪」を作ってそれを攻撃し、自分たちの変節を正当化する手法は、どうしても好きになれない。
客観性を擲って、「創価学会の事は嫌いになっても、池田先生の事は嫌いにならないでください」系の学会員を自称する私の感情を晒すならば、全ての責任を池田名誉会長に押し付けてきた歴史を反省すべきだと思うのである。

「過去を反省できない」ーこれは、創価学会、そして公明党にも共通した悪い体質だと私は認識している(これについてはまた別記事にて仔細に考察する)。

話が逸れてしまったが、「本門戒壇の大御本尊」を巡る議論は、日蓮の本尊義の中でもかなり狭い、特殊な議論である。日蓮宗を見ればわかるように、そもそも釈尊仏像を本尊とするか、曼荼羅を本尊とするかで、何百年も争われている。
そこで、日蓮の本尊義を巡る議論を概観し、その鳥瞰図を知ることが必要であると考える。今日の学会は日蓮正宗との神学論争ばかりしているが、せっかく分離独立したのだから、もっと日蓮思想を巡る様々な議論を見るべきだと私は思っている。学会本部の教学部のエリートたちは、既にかなり高度な研究をしていると友人からは聞いている。広く日蓮の教義に関する諸説を学ぶことは、今後どんな教義が本部によって打ち出されても動揺しない準備にもなるだろう

そこでここでは、人本尊と法本尊を巡る様々な議論を、いくつかの著作・論文を見ながら考察してみたい。ちなみに私は、日蓮はその思想遍歴において人本尊と法本尊の間を揺れ動いたが、晩年には法本尊優位に行き着いたのだと解釈している。

本尊論の全体

先述の通り日蓮の本尊論は、その本質が「人本尊」か「法本尊」かというだけで、議論がゴマンとある。さらにその本質が物質化した形態も、様々である。
「人本尊」とは仏や菩薩などの人格的なものを本尊とするが、「法本尊」は法を本尊とするものである。
鈴木一成は、その本質と形態を以下のように分類している。

①人本尊

釈迦一尊(A)➡︎久遠実成の釈尊
一尊四士(B)➡︎久遠本仏を中心に、地涌の四菩薩を加える。
二尊四士(C)➡︎一尊四士に多宝如来を追加。

②法本尊

首題本尊(A)➡︎中央に南無妙法蓮華経の七字を書かれた本尊。
曼荼羅(B)➡︎十界勧請の大曼荼羅
一塔二尊四士(C)➡︎題目宝塔を中心に、二尊四士が並列。

私のような創価学会員にとって馴染み深いのは、曼荼羅(②ーB)だけである。これは、仏界から地獄界までの十界の代表が配されていることから、「十界勧請」の形式をとっていると言われる。それは妙法蓮華経の塔中の左右を釈迦と多宝の二仏が座を占め、さらに地涌の菩薩のリーダーである四菩薩が脇を固める。文殊・弥勒なども眷属として位置し、万民や十方の諸仏も大地の上に座する。

首題本尊(②ーA)は、創価学会員の私には見慣れないものであるが、中央に南無妙法蓮華経の七字を書かれた、「略式本尊(そう考えるとわかりやすいので私はそう呼んでいる)」である。どうやら初期日蓮が図顕して門下に与えていたようであり、曼荼羅に慣れた私からするとかなり物足りなく感じる(ネットで検索すると出てくる)。どうやら日蓮曼荼羅は、年を追うごとに発展していき、その形態も様々なようである。これについては詳細は別記事で考察したいが、私は「観心本尊抄」以降の曼荼羅が「本門の本尊」であると信じている。

釈迦一尊(①ーA)とは、文字通り釈尊の仏像を本尊とするものである。一尊四士(①ーB)とは、釈尊が「本門寿量品の釈尊」であるとし、それを小乗や大乗仏教釈尊の仏像と差別化するために、地涌の菩薩のリーダーである四菩薩(上行菩薩など)を脇に置くものである。二尊四士(①ーC)とは、一尊四士に多宝如来を加えたものである。

一塔二尊四士(②ーC)は、南無妙法蓮華経と書かれた宝塔を中心に二尊四士が脇を固める。二尊四士と似ているが、あくまで題目という法が本尊である。

日蓮遺文における本尊義

問題は、日蓮がその著作の中で本尊についてどのように語っているかであるが、これは非常に解釈が難しい。法本尊優位とも、人本尊優位ともとれる表現が混在しているからである。どうやら日蓮宗ではこの人法勝劣をめぐり、何百年も議論をしているようである。
学会3世である私は、「身延は本尊で迷走している」と教えられてきたが、日蓮遺文を読むと、なる程、確かに「迷走」する理由もわかる。これは非常に解釈が難しい。望月歓厚などは、「日蓮遺文から一義的な本尊の形態を結論することは不可能」というような論文を書いているが、それを言ったらお終いだろう思う。
また、学会が教義面において長年依存してきた(し続けている)日蓮正宗でも、曼荼羅だけでなく日蓮御影も本尊とされているようである(『富士宗学要集』より)。

伝統仏教団体の教義から自由な在家集団の一会員である私にできるのは、日蓮遺文を虚心坦懐に読むことである。
長くなってしまったので、次回の記事で日蓮遺文を年代順に読んでいきたい。

(続く)

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「ご了承」不在の時代①:活動家でも反逆者でもない生き方

創価学会考

ここ数年、創価学会の「内紛」が目立つようになっている。
その筆頭は、安保関連法の成立に反対する創価学会員の反対運動だろう。天野達志氏を筆頭に、三色旗を振って国会前に詰め掛ける学会員がメディアでも大きく取り上げられた。
さらに2014年に創価学会は、かつて自分たちの唯一の正統性の根拠としていた「本門戒壇の大御本尊」を受時の対象から除外すると発表。これをめぐり、(調査や報道等ございませんので管見の限りですが)会員に動揺が走り、反対の声を上げる会員が出た。
そして、学会本部に造反し除名処分となった職員3名による学会本部への批判運動。彼らのブログを見ている限りでは、単なる造反劇に止まらず、一定数の会員に支持を集めているようである。

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70年代に見られた日蓮正宗との対立による集団脱会や、90年代の宗門からの分離独立に比べれば、これらの騒動はまだまだ小さいと言えるのかもしれない。しかし、これらの騒動には、これまで見られなかった1つの共通点がある。それは、学会に反旗を翻した人間が、「池田名誉会長に違背する学会執行部・公明党を糾弾している」という事である。

過去に学会に造反した人間の主張を見ると、それはほとんどが「反・池田」の旗を掲げるものだった。原島嵩や龍年光、藤原行正、矢野絢也、大橋敏雄、福本潤一等、彼らの主張は池田名誉会長を糾弾するものだった。さらに1991年に創価学会日蓮正宗から分離・独立した際に、学会を脱会して法華講員になった人は大勢いる(創価学会では彼らを「退転者」と呼ぶ)。彼らの脱会理由を調査した研究などはないが、「退転者」が集団執筆した『サヨナラ私の池田大作』を読むと、それは全て「大聖人の精神に違背した池田大作創価学会に別れを告げる」という趣旨のものである。

しかし最近の造反者に目をやると、彼らの全ては池田名誉会長を「池田先生」と呼んで師と仰ぎ、その指弾の矛先は学会本部や公明党に向けられている。これまでも同様の形式をとった批判はあっただろうが、脱会や大規模な批判キャンペーンに至ることはほとんどなかったと私は理解している。

なぜ、このような事態が生じているのか。
一言で言ってしまえば、「池田名誉会長が会員の目に触れる会合に出られなくなった」という一点に尽きるのだけれども、事態はそう単純ではないと私は考えている。すなわち、これまで創価学会が内部に抱えてきた「顕教」と「密教」の二重構造の矛盾が、池田名誉会長の「ご承認」の不在によって一気に表面化したというのが私の認識である(これだけ読んでも意味不明だと思われるが、詳細は追って説明させていただく)。

そこで本稿では、現在創価学会において起きている「学会本部・公明党批判」の構造を分析し、それがこれまでも学会内に生じていた事、それが池田名誉会長という絶対的指導者の存在により表面化しなかった事を明らかにする。

私は現在学会内で起きている一連の騒動について考察する事は、創価学会にとって非常に重要であると思っている。なぜならそれが、これまでの学会が乱用してきた「反逆者」のロジックでは処理できないものだからである。「反逆者」のロジックとは、創価学会に反旗を翻した人間を「信心のない犬畜生」「師弟の精神を失った忘恩の輩」等と糾弾するものである。
しかし、「ひとりの学会員」として公明党ならびに学会執行部にノーを突きつけた天野達志氏に見られるように、彼らは彼らなりに池田名誉会長の精神を理解・消化して、現実の活動を展開している。彼らを「信心がない」「師弟がわかっていない」と非難するならば、それを非難する人間は、何を根拠に自分が「信心がある」「師弟がわかっている」と思っているのかという話になる。それは結局、「創価学会執行部と公明党は池田先生の精神を正しく継承している。ゆえに、それに反対する人間は極悪人だ」というような主張に行き着かざるをえない。それを基礎づけるには、日蓮正宗の「唯授一人血脈相承」のような、3代会長の「信心の血脈」が学会執行部やそのご子息に継承されているというような教義をつくらなければならないだろうが、流石に学会の体質上無理であろう事に異論はないだろう。
池田名誉会長の思想は、学会執行部や公明党議員だけのものではない。天野氏のような一会員にも、原田会長や谷川主任副会長と同等に、池田思想を解釈・実践する権限があるはずである。とはいえ、あまりに種々雑多な主張が「我こそは正統の池田後継者なり」という信念に裏打ちされて登場するのは、組織運営上非常にマズい。だから、学会本部は「反逆者」ロジックでない、組織を穏当にまとめるための融和的なロジックを考えなければならない。

そしてこれは、学会執行部よりも、私のような一末端会員にとってこそ重要であると考えている。私は、「池田先生大好きの典型的学会員」を自認しているが、矯正しがたい歪な性格が災いし、明日には不満の心が爆発して「反逆者」となりかねない。
しかしこれは、私のような社会生活不適合者だけに当てはまるものではない。私の周囲を見ていても、公明党を非難したり、2014年の学会会則変更の取り消しを求めたり、学会本部の腐敗を糾弾したりしている学会員は、決して異常者でない。これまで信仰生活に真面目に取り組んできたからこそ(選挙活動を含む)、自分の信念(=彼らにとっての池田名誉会長の精神)に反する行動を起こした公明党創価学会に怒っているのである。

今後、学会本部や公明党に対する批判は増加する一途だろう。その時に、「組織の言う事には全て従う熱心な活動家」か「組織の方針に反対する反逆者」というどちらかの生き方しか提示されていない事は、組織運営上の問題よりも、会員一人ひとりの幸福という観点から見た時に問題がありすぎる。また、創価学会の意向に異を唱える事が長期的なスパンで見れば学会にプラスをもたらすこともあるだろう。
本稿は、「池田名誉会長のご承認が不在になった」今の学会を、これまでの学会と比較する事によって明らかにし、その中で「イエスマン」でも「反逆者」でもない第三の「学会員としての生き方」を考える準備段階でもある。

(続く)

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