学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

国家神道を「教育」と「宗教」から考える:池田名誉会長は「国家神道」の何に反対したのか②

(本記事は「国家神道」について考察している連載記事の第2回に当たります。第1回は以下。)

sanseimelanchory.hatenablog.com


前回の記事において、国家神道についての定義づけを試み、それを日本中心主義的な教義面と神社神道の組織化という制度面から考察しました。
今回の記事において考察するのは、「国民への教化」という側面です。これは『国家神道と日本人』で島薗進が強調していることですが、宗教・思想の歴史を考察する際には、観念や実践がどのような方法で流布したのか、また、人々がそれをどう受け止めたのかという観点からの研究が非常に大切です。

国民への教化として、「教育」「マスコミ」「儀礼」など、様々なアプローチが可能ですが、ここでは「教育」を取り上げたいと思います。そして、それらの国策を「上からのナショナリズム」とするならば、「下からのナショナリズムと呼べるような宗教界の動きも取り上げてみます。大本と日蓮主義、天理の3つです。
「教育」と「宗教界」の2つを取り上げる理由は、それが戦後の創価学会を考察する上で非常に重要だと考えるからです。現在『人間革命』の初版・第2版を読み比べる連載をしています
が、戸田会長並びに池田名誉会長の運動は「戦前日本へのアンチテーゼ」という側面が非常に強い事がわかります。その池田名誉会長が「戦前日本へのアンチテーゼ」として推進した事業として、布教活動はもちろんのこと、創価教育の学舎の創立が挙げられます。
この戦前日本の国家神道における「教育」と「宗教界」の動きを見ることにより、戦後の創価学会の活動を評価する新たな視座が得られるのではないかと期待しています。

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教育から考える国家神道:「学校行事」と「修身」

明治政府は当初、宗教団体(神社)を通じた国体論の国民への浸透を目指していましたが、途中から学校教育を通じた教化を目指すようになります。ここでは、「学校行事」と「修身」教育について考えてみます。

天皇崇敬の学校行事の整備は1880年代から推進されていき、1891年には「小学校に於ける祝日大祭日の儀式に関する規定」が発布されます。これを読んでみると、紀元節や元始祭といった皇祖皇宗を祝う祭日には、全国の学校で儀式を行うべきだと書かれている。その儀式とは、天皇皇后両陛下の御影に敬礼して万歳し、校長が「教育勅語」に沿った教えを垂れて祝祭日の意義を説明する。最後に君が代を斉唱するとあります。
この統一された儀式の形態が全国に広まったのです。

閑話休題
私には大正生まれの祖父がおり、最近かなり記憶力が怪しくなってきていますが、「教育勅語」は完全に暗記しています。もはや肉体に染み込んでいるのかと、ぞっとしたことがあります。
君が代」にも思い出があります。私は、8月15日に靖国神社に「見学」に行ったことがあります(「参拝」ではありません)。そこに来られていたいわゆる「右翼」とされる人たちの斉唱する「君が代」を聞きましたが、あんな凄まじい唱歌は聞いたことがありません。恐ろしささえ感じてしまいました。しばらくの間、日の丸を見ると、あの時のことを思い出して少々ぞっとします。多分私は、右にはなれないのだと思います。

さて、続いて「修身」教育ですが、これは「道徳」のようなものでしょう。
この「修身」を語る上で欠かせないのが、靖国神社の存在です。元来国家神道は、その起源たる記紀神話が天皇支配を正当化するイデオロギー的な色彩が強かったことからもわかるとおり、「死」といった宗教的課題に関する思想には深みがありません。平田篤胤は「神道における死後観」を展開していますが、明治政府のイデオロギー生成に多大な役割を果たした津和野藩の大国隆正などは、君臣関係を強調するような倫理的リゴリズムを唱導しています。

この「国家神道」の弱点を補う存在ーそれが靖国神社です。他の神社が皇室祭祀を中心とした祭礼を扱うのに対し、靖国神社の守備範囲は、「若くして死んだ兵士の慰霊」です。これは神話などとは次元を異にする、人間を強く捉えて離さない魔力を持っています。現在、「『人間革命』の時代を読む」と題して、戦後日本の思想を学んでいますが、最重要キーワードの1つが「死者の記憶」でした。
つまり「死」という究極の宗教的課題に対する答えを、国家神道が「公」の領域を超えて日本人に与えた、それが「御国のために死ぬ」という大義だったということが出来ます。
靖国に関しては、また終戦記念日が来る前に、大きく取り上げたいと考えています。

当時の修身の教科書に引かれている一節を引用しておきます。

今までに日本は度々よその国と戦争をしましたが、その度毎に敵と一生懸命戦って、天皇陛下に忠義をつくし、お国のためになくなった方が沢山あります。この陸海空軍の兵隊さんを神様におまつりしたお社なのです。(中略)お国のためになくなった方々をおまつりするのですから、私達も是非おまゐりしなければいけませんね。

この言葉に表れているように、靖国神社への参拝は重要な学校行事の1つにも位置付けられていました。

君のためくにのためにつくした人々をかやうに社にまつり、又ていねいなお祭をするのは天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御恵みの深いことを思ひ
ここにまつつてある人々にならつて、君のため国のためにつくさなければなりません。

靖国神社」は「修身教育」の中核に位置付けられ、「国のために死んだ」人を神聖化し、英霊のように「国のため君のために死ぬこと」に最大の宗教的・倫理的価値を与えたのです。

「下からのナショナリズム」ー大本、天理、国柱会

今年、中島岳志島薗進が対談集を発刊しました。その内容は、戦後から現代に至るまでの歴史と、明治維新から終戦までの歴史を重ね合わせ、その類似性を強調するものでした。その議論の説得性については私はなんとも言い難いのですが、参考になる点は大いにありました。その本の中で強調されていたのが「下からのナショナリズム」でした。
これまで見てきた国家神道の教義や制度、教育などの問題はすべて国家によって実行されたもの、つまり「上からのナショナリズム」でした。それに対し、宗教的ナショナリズムの発露として巻き起こる国民運動が、島薗・中島のいう「下からのナショナリズム」です。
その代表例として、3つの新宗教運動、大本・天理・日蓮主義を見てみます。

大本教

大本教は、出口なおという女教祖の神がかりから始まった教団ですが、大きく発展するのは神職資格を持つ出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の加入後です。王仁三郎の加入後、大本は教団名を「皇道大本」に改めます。「皇道」とはこれも難しい概念ですが、前回記事を取り上げた「日本型政教分離」を象徴するような語であります。

つまり、「皇道」とは万人が従うべき普遍的な「道」である。そしてそれと同時に、仏教儒教キリスト教などあらゆる教えを包摂する「寛容性」も強調されます。私には、この寛容性は、万人に服従を要求する「厳格性」を美化しただけに思われます。
このように神道に限りなく接近し発展した大本教でしたが、その神話解釈が天皇否定につながるとみなされ、昭和になって大弾圧を被ることになります。

天理教

天理教もまた、農家の主婦だった中山みきの神がかりから誕生した教団です。私は神がかりがあまり好きではないですが、天理の初期思想には着目すべき点があると考えています。中山は、「こふき」という文書に集約される創造神話を説きますが、記紀神話と大きく異なっていることがあります。それは、「人類の誕生」を展開し、平等な世界を説いたことです。記紀神話は天皇支配を正当化する目的に編纂された側面が強いので、その創造神話の主役は、神々とそれに連なる天皇だけです。民衆は、「国土」の付属物の草のように描かれている。それに対して天理の神話は、人類をみな同じ親神から生まれた兄弟であるとする神話を説きます。このような、国家の中からは生まれない、民衆の論理に基づいた思想を展開することこそ、宗教の役割であると私は考えています。
しかしこの天理は、行政やマスコミ、宗教界から大批判を浴び、これはたまらないと政府に擦り寄ります。日露戦争に際しては多大な寄付を行い、その根本教義も国家神道的なものに変更しました。
このように国家とは異なる原理を持つ宗教も、天皇国家の枠内にはめられ、国家神道イデオロギー浸透の役割を与えられていきます。

日蓮主義

そして、国柱会などに代表される日蓮主義です。戦後の日蓮研究を見ていると、戦前の国家主義日蓮解釈に反論するという側面が大きいことに気づかされます。
日蓮主義者の代表格は、国柱会を組織した田中智学でしょう。彼の『世界統一の天業』などを見ると、日本の国体と日蓮の目指すものの一体性が主張され、日蓮仏法に帰依した天皇と日本国を中心に世界統一をするという、恐ろしい思想が説かれています。石原莞爾宮沢賢治が彼に影響を受けていたことは有名ですし、牧口常三郎国柱会に出入りした時期があったようです。2・26事件に連座した北一輝日蓮主義者でした。
創価学会がこの日蓮主義をどのように評価しているのか、私は上手く答えられません。しかし、「あれは日蓮大聖人を利用しただけだ」「日蓮仏法をわかっていない」などの評価は短絡的であると思います。オウム事件の際に、様々な教団が「あれは宗教ではない」と非難しましたが、そのような総括はよくない。そこに宗教が共通して持つ危険性を見出すべきだと思っています。
私の考えでは、宗教とは世界の外部の「他者」に出会わせてくれるものです。宗教を信じる人間は、現世的な世界内部のものから逸脱して、神や仏、普遍的法といった「他者」と出会うことになります。そしてその「他者」との出会いの結果得られた観念を、現世にフィードバックするのです。
このフィードバックが上手くいけば、利己主義ではなく利他主義を、拝金主義ではなく倫理主義を、国家主義ではなく人間主義を、といった社会的に有用な思想・行動を生み出すことができるかもしれません。しかしそれが失敗すると、地下鉄サリン事件日蓮主義といった凄惨な結果を生み出しかねません。「創価学会は別だよ」と言って自教団は例外にしたいと考えたくなりますが、それは誤魔化し以外の何物でもないと私は考えています。

(続く)

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 【参考文献】

ポストモダンの新宗教―現代日本の精神状況の底流

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国家神道と日本人 (岩波新書)

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道徳教育の歴史―修身科から「道徳」へ

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日本宗教史 (岩波新書)

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講座日蓮〈4〉日本近代と日蓮主義 (1972年)

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靖国問題 (ちくま新書)

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靖国神社の祭神たち (新潮選書)

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池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか①:「国家神道」の定義を考える

「池田名誉会長は国家神道の何に反対しているのか?」

終戦を間近に迎えた今日この頃、上述の問いについて考察したいと考えています。17歳の時に終戦を迎えた池田名誉会長は、その青春を戦争によって大きく狂わされたと言えます。折に触れて、国家神道に対して否定的な主張をされており、『人間革命』初版をみると、異常なまでの怒りが描かれている事に驚きます。

しかし、池田名誉会長は国家神道の何に反対したのでしょうか?それを全面的に否定したならば、池田名誉会長は、天皇制や神社も無くなるべきと考えたのでしょうか?

創価学会の活動をしていると、他宗教を盛んに批判する方に出会いますが、私は他宗批判はかなり慎重に行わなければならないと考えています。
例えば、「神道は戦争を招いたから、邪教だ!」などと軽々しく口にすると、「お前らだって日蓮主義を生んだだろう!」とブーメランが返ってきます。

他の宗教を批判する際には、その宗教を徹底否定するというような安易なものではなく、
「何を批判するのか」という論点を明確にし、その上で議論すべきだと私は思っています。
国家神道も同じです。左翼などは、それを「絶対悪」だと認識して攻撃しますが、それが往々にして「国家神道が何であるか」という認識を怠った知的怠慢の結果である事が多いように思います。これは学会にも言えることであり、真言宗でも、念仏でも、日蓮宗でも、日蓮正宗でも、批判する時にはそれをしっかり認識すべきです。つまり、学会内の教義から見た(偏狭な)理解ではなく、その宗派に立った人物の著作や学術書を読んで理解を深めて、論点を明らかにしてから批判すべきだと私は思っています。

そこで、「池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか?」という点を考えるにあたり、国家神道とは何なのかという問題を考えたいと思います。

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国家神道の構成要素

国家神道」という定義は難しく、学者の間でもかなりの議論になっているようです。
村上重良は、名著『国家神道』において、その構成要素を以下の3つに分けています。

神社神道
皇室神道
③国体の教義

神社神道とは、キリスト教でいうところの「教会」、つまり神社という宗教団体だと理解していいと思います。その民間の教団である神社が皇室祭祀を中核とする②「皇室神道」に結び付けられ、国家主導の祭祀に組み込まれたと、村上は述べています。
「国体」とはこれも難しい言葉ですが、「神々の系譜を受け継ぐ天皇が統治してきた日本は、特別な国家だ」という観念です。皇室祭祀は、天孫降臨神武天皇の即位を祝するなど、「万世一系」の歴代天皇の特別性に基づいた祭祀です。日本の国家の優越性を強調する根拠が、「万世一系」の天皇であり、皇室神道と国体の教義が深く結びついている事がわかります。そして、その皇室祭祀を全国的に行う組織が神社なのです。

これに対し、神道学者の葦津珍彦は、「本来神社神道は素晴らしい存在なんだ。国家神道は、悪巧みを持った国家によって利用された特別な一形態に過ぎないんだ」としています(私のかなりの意訳なので、原書を読んでいただきたいです)。つまり、「神社が国家と結託して戦争を巻き起こした」「神道は戦争を誘発しかねない危険な宗教だ」という主張に対する反論なのです。これは神道学者ならではの回答だとは思いますが、私も一信仰者としてこの意見をある程度擁護したいと考えています。

また、宗教学者島薗進は、葦津のような国家神道神社神道の一形態」と見なすような意見を偏狭だとしています。つまりそれは、神社神道という祭祀組織という一観点から見た国家神道に過ぎず、皇室祭祀や国体論、国民への教化などの別の側面を捨象したものだというのです。島薗は、「戦後も残る国家神道」ということを強く意識しているので、このような主張をしているのだと思います。末木文美士もまた、同じような見方をしています。

島薗は、上述の村上説にも一定の評価を示しますが、②皇室神道と③国体論の結びつきの弱さを指摘しています。そして、天皇崇拝や国体論の観念がどのように国民に広がったのかという点を考察し、「教育勅語」やメディア、祝祭日のシステムなどを考察しています。

国家神道の定義と考察すべき諸側面

上述の諸先生方の著作を読み、私は国家神道を以下のように定義したいと思っています(ご指摘いただいて、成る程と思ったら随時修正)。

定義:戦前の日本が国家として主導した神道の一形態。記紀神話に基づいた皇祖皇宗の権威を根拠に、日本国の特別性を強調する。それを制度化するために、皇室祭祀を整備・強化し、皇室祭祀という国家的祭祀を行う機関として神社神道を全国組織化。さらに、それを国民に教化するために、さらに教育・メディア・祝祭日などの諸政策を実行した。

分解すると、以下のようになります。

(教義)万世一系の天皇の神聖性を根拠に、日本の優越性を強調。
(制度)皇室祭祀・伊勢神宮を頂点に全国の神社を組織化。
(政策)教育・メディア・祝祭日などを通じた教化政策の実行。
(目的)国民への天皇崇拝・国体論の教化、浸透

それぞれ、詳細を検討していきましょう。

教義:国家公認の神話と皇室祭祀

国家神道の中核をなすのは、日本中心主義に結びついた「アマテラス=天皇」の系譜を強調する神話です。その神話については、覚書程度ですが、拙の別ブログでまとめています。

kierkegaaaard.hatenablog.com

要するに、神々の系譜を継ぐアマテラスの孫であるニニギが天上から地上に降臨し(天孫降臨)、ニニギのひ孫が始祖である天武天皇となり、今上天皇までその皇統が継がれているというものです。その皇祖皇宗が統治する国は、日本しかなく、ゆえに日本は特別な国であるという日本中心主義が成立します。
この天皇を中心とした特別な国のあり方の観念を「国体」と呼びます。

そもそも古代から中世の思想を見ていると、日本の神々を仏の仮の姿だとする本地垂迹説や、日本を「辺土」として相対化するような思想が目立つのですが、いつの間にか日本が世界の中心になっています。その系譜も、簡単に下記記事にてまとめています。

kierkegaaaard.hatenablog.com

この国家神道における神話を考える際に欠かせないのが「祭政一致」と「政教分離」の問題です。即ち、どのようにして仏教儒教キリスト教といった宗教と、この国家公認の神話が共存していたのかという問いです。これは、国家と教団の関係という「制度」的な問題と、国民の「内面」の問題に大別されます。それについては、追ってみていきましょう。

制度①:皇室祭祀と全国の神社の組織化

続いて、上述の神話に基づいた日本中心主義的な国家神道が、どのように組織に受肉したのかという「制度」面を見ていきます。

その完成系は、皇室祭祀と神社の祭祀を結び付け、アマテラスを祀った伊勢神宮を頂点に全国の神社を組織化したものです。

まず皇室祭祀の拡充が挙げられます。天皇陛下の生前退位をめぐり、その皇室祭祀の多さが注目を浴びましたが、それらの大多数は明治維新の後に整備・拡充されたものです。例えば、明治維新とともに新しく始められた「元始祭」は天孫降臨を祝うものですし、「紀元節祭」も神武天皇の即位を記念するものです。これらは、天地開闢からアマテラス、ニニギ、神武天皇、歴代天皇という系譜を強調するために創設されたのです。

そしてこの皇室祭祀と一致した祭礼を行う国家の機関として、全国の神社が組織化されていったのです。明治以前の神社は、それぞれの伝統や地域事情を反映した様々な儀礼を行っていましたが、皇室祭祀が神社祭祀の中核を占めるようになっていきます。1907年には内務省によって「神社祭式行事作法」が告示され、全国の神社の祭礼の方式まで規定され、アマテラスを祀る伊勢神宮を頂点にした「神社神道」という全国組織が出来上がったのです。
これは、神社が民間教団としての「宗教」ではなく、国家祭祀を行う「非宗教・国家機関」になったと解釈できます。

制度②:「日本型政教分離」という特殊形態

ここで問題になるのは、仏教儒教キリスト教などの他宗教との関係です。
これは、国家神道」は国家統治のための祭礼や日本人としての道徳に当たるものであり、「宗教」ではないという奇妙な位置づけがされていました。
「宗教」という言葉は定義が難しいですが、政教分離などの制度的な問題を語る際には、「教会や教派などの自発的信仰者から成る宗教組織」と定義される事が多いです。この定義に従うならば、国家神道」とは国民すべてが関与すべき「祭祀」や「道徳」という「公(パブリック)」な領域に属するものであり、個人の内面に関与する「宗教」という「私(プライベート)」なものとは、カテゴリーが違うものであるとするのです。このような奇妙な棲みわけによって、「祭政一致」と「政教分離」は両立することとなります。

とはいえ、このような特殊な「日本型政教分離」が確立するまでに、政府は紆余曲折を経なければなりませんでした。
維新後の明治政府は、キリシタン禁制といった宗教弾圧や全国民を神社に登録させようという「氏子調制度(うじこしらべせいど)」などのかなりラディカルな対策をしています。
しかしこれはさすがに激しい抵抗を呼び、1872年には「教部省(きょうぶしょう)」の設置というやや軟化した方策をとります。これは、神道以外の宗教勢力も認めるという比較的穏健なものでしたが、それは「大教」の流布という国家の意向に沿う教団のみを認定するというものでした。「大教」とは、「敬神愛国」や「皇上奉戴」など、要するに祭政一致的な国策に協力する教団だけは活動していいよ、というかなり乱暴なものです。
これも反発を招き、1880年代には、宗教団体はある程度の自由な活動を認められるようになりました。
そして1900年には、「日本型政教分離」が行政制度上確立します。つまり、神社神道を統括する「神社局」とその他宗教団体が属する「宗教局」という、二元的な体制ができたのです。「神道は宗教に非ず」ーこの事が法的に確立した画期であると見る事ができます。

(以下の記事に続きます)

sanseimelanchory.hatenablog.com

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【参考文献】 

国家神道と日本人 (岩波新書)

国家神道と日本人 (岩波新書)

 

 

国家神道 (岩波新書)

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日本宗教史 (岩波新書)

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神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

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古事記 (岩波文庫)

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日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)

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日蓮の本尊義の鳥瞰図(日蓮遺文を「再読」する番外編)

日蓮思想をめぐる議論は様々あるが、その第一は本尊論である。
これは創価学会員にとっても非常に重要である。なぜなら、今日学会が「謗法教団」として攻撃する日蓮正宗との論戦において、本尊義は一大論点となっているからである。

1991年に創価学会が分離独立して以降、自前で本尊を会員に下附することになった後や、2014年に学会が会則を変更し、「本門戒壇の大御本尊」を授時の対象から外した後には、日蓮正宗ならびに顕正会からの批判が殺到した。

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「本門戒壇の大御本尊」を一大秘法とする説を主張しているのは、日蓮正宗ほか一部の教団だけであり、それを受時の対象から外したからといって、日蓮系の教団としては何の問題もない。しかし創価学会はこれまで、「本門戒壇の大御本尊」を自分たちの正統性の根拠として、他教団を激烈に攻撃してきた。「日蓮正宗の教義に依存していたからやむをえなかった、学会は本来寛容な団体だ」と路線転換したように見えるが、果たして「やむをえなかった」という姿勢であれ程過激な姿勢をとる事ができるのか、私には疑問である。また、一大秘法思想を信仰させてきた会員にも動揺が走った。日蓮遺文に基づいた教義論争よりも(日蓮遺文から一大秘法説を証明するのも完全否定するのも困難)、このような「自語相違」への批判の方が多勢を占めているように思われる。

私は2014年の会則変更に賛成しているが、学会本部の「全ては日蓮正宗のせい」というような姿勢には疑問を感じている。「本門戒壇の大御本尊」を授時の対象から外したのは、大石寺教学から脱却して自分たちの教義的正統性を証明するため、布教活動の円滑化のため(よく言えば世界広布推進のため)などだと思われる。しかし、そういった教団にとっての都合を、全て「日蓮正宗が大謗法の教団と化したから」だとするメンタリティは理解しかねる。そもそも、日蓮正宗との分離独立騒動の際にも、「日顕という極悪法主が出て血脈が途切れた」という説明が会員になされた。このような「絶対悪」を作ってそれを攻撃し、自分たちの変節を正当化する手法は、どうしても好きになれない。
客観性を擲って、「創価学会の事は嫌いになっても、池田先生の事は嫌いにならないでください」系の学会員を自称する私の感情を晒すならば、全ての責任を池田名誉会長に押し付けてきた歴史を反省すべきだと思うのである。

「過去を反省できない」ーこれは、創価学会、そして公明党にも共通した悪い体質だと私は認識している(これについてはまた別記事にて仔細に考察する)。

話が逸れてしまったが、「本門戒壇の大御本尊」を巡る議論は、日蓮の本尊義の中でもかなり狭い、特殊な議論である。日蓮宗を見ればわかるように、そもそも釈尊仏像を本尊とするか、曼荼羅を本尊とするかで、何百年も争われている。
そこで、日蓮の本尊義を巡る議論を概観し、その鳥瞰図を知ることが必要であると考える。今日の学会は日蓮正宗との神学論争ばかりしているが、せっかく分離独立したのだから、もっと日蓮思想を巡る様々な議論を見るべきだと私は思っている。学会本部の教学部のエリートたちは、既にかなり高度な研究をしていると友人からは聞いている。広く日蓮の教義に関する諸説を学ぶことは、今後どんな教義が本部によって打ち出されても動揺しない準備にもなるだろう

そこでここでは、人本尊と法本尊を巡る様々な議論を、いくつかの著作・論文を見ながら考察してみたい。ちなみに私は、日蓮はその思想遍歴において人本尊と法本尊の間を揺れ動いたが、晩年には法本尊優位に行き着いたのだと解釈している。

本尊論の全体

先述の通り日蓮の本尊論は、その本質が「人本尊」か「法本尊」かというだけで、議論がゴマンとある。さらにその本質が物質化した形態も、様々である。
「人本尊」とは仏や菩薩などの人格的なものを本尊とするが、「法本尊」は法を本尊とするものである。
鈴木一成は、その本質と形態を以下のように分類している。

①人本尊

釈迦一尊(A)➡︎久遠実成の釈尊
一尊四士(B)➡︎久遠本仏を中心に、地涌の四菩薩を加える。
二尊四士(C)➡︎一尊四士に多宝如来を追加。

②法本尊

首題本尊(A)➡︎中央に南無妙法蓮華経の七字を書かれた本尊。
曼荼羅(B)➡︎十界勧請の大曼荼羅
一塔二尊四士(C)➡︎題目宝塔を中心に、二尊四士が並列。

私のような創価学会員にとって馴染み深いのは、曼荼羅(②ーB)だけである。これは、仏界から地獄界までの十界の代表が配されていることから、「十界勧請」の形式をとっていると言われる。それは妙法蓮華経の塔中の左右を釈迦と多宝の二仏が座を占め、さらに地涌の菩薩のリーダーである四菩薩が脇を固める。文殊・弥勒なども眷属として位置し、万民や十方の諸仏も大地の上に座する。

首題本尊(②ーA)は、創価学会員の私には見慣れないものであるが、中央に南無妙法蓮華経の七字を書かれた、「略式本尊(そう考えるとわかりやすいので私はそう呼んでいる)」である。どうやら初期日蓮が図顕して門下に与えていたようであり、曼荼羅に慣れた私からするとかなり物足りなく感じる(ネットで検索すると出てくる)。どうやら日蓮曼荼羅は、年を追うごとに発展していき、その形態も様々なようである。これについては詳細は別記事で考察したいが、私は「観心本尊抄」以降の曼荼羅が「本門の本尊」であると信じている。

釈迦一尊(①ーA)とは、文字通り釈尊の仏像を本尊とするものである。一尊四士(①ーB)とは、釈尊が「本門寿量品の釈尊」であるとし、それを小乗や大乗仏教釈尊の仏像と差別化するために、地涌の菩薩のリーダーである四菩薩(上行菩薩など)を脇に置くものである。二尊四士(①ーC)とは、一尊四士に多宝如来を加えたものである。

一塔二尊四士(②ーC)は、南無妙法蓮華経と書かれた宝塔を中心に二尊四士が脇を固める。二尊四士と似ているが、あくまで題目という法が本尊である。

日蓮遺文における本尊義

問題は、日蓮がその著作の中で本尊についてどのように語っているかであるが、これは非常に解釈が難しい。法本尊優位とも、人本尊優位ともとれる表現が混在しているからである。どうやら日蓮宗ではこの人法勝劣をめぐり、何百年も議論をしているようである。
学会3世である私は、「身延は本尊で迷走している」と教えられてきたが、日蓮遺文を読むと、なる程、確かに「迷走」する理由もわかる。これは非常に解釈が難しい。望月歓厚などは、「日蓮遺文から一義的な本尊の形態を結論することは不可能」というような論文を書いているが、それを言ったらお終いだろう思う。
また、学会が教義面において長年依存してきた(し続けている)日蓮正宗でも、曼荼羅だけでなく日蓮御影も本尊とされているようである(『富士宗学要集』より)。

伝統仏教団体の教義から自由な在家集団の一会員である私にできるのは、日蓮遺文を虚心坦懐に読むことである。
長くなってしまったので、次回の記事で日蓮遺文を年代順に読んでいきたい。

(続く)

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「ご了承」不在の時代①:活動家でも反逆者でもない生き方

ここ数年、創価学会の「内紛」が目立つようになっている。
その筆頭は、安保関連法の成立に反対する創価学会員の反対運動だろう。天野達志氏を筆頭に、三色旗を振って国会前に詰め掛ける学会員がメディアでも大きく取り上げられた。
さらに2014年に創価学会は、かつて自分たちの唯一の正統性の根拠としていた「本門戒壇の大御本尊」を受時の対象から除外すると発表。これをめぐり、(調査や報道等ございませんので管見の限りですが)会員に動揺が走り、反対の声を上げる会員が出た。
そして、学会本部に造反し除名処分となった職員3名による学会本部への批判運動。彼らのブログを見ている限りでは、単なる造反劇に止まらず、一定数の会員に支持を集めているようである。

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70年代に見られた日蓮正宗との対立による集団脱会や、90年代の宗門からの分離独立に比べれば、これらの騒動はまだまだ小さいと言えるのかもしれない。しかし、これらの騒動には、これまで見られなかった1つの共通点がある。それは、学会に反旗を翻した人間が、「池田名誉会長に違背する学会執行部・公明党を糾弾している」という事である。

過去に学会に造反した人間の主張を見ると、それはほとんどが「反・池田」の旗を掲げるものだった。原島嵩や龍年光、藤原行正、矢野絢也、大橋敏雄、福本潤一等、彼らの主張は池田名誉会長を糾弾するものだった。さらに1991年に創価学会日蓮正宗から分離・独立した際に、学会を脱会して法華講員になった人は大勢いる(創価学会では彼らを「退転者」と呼ぶ)。彼らの脱会理由を調査した研究などはないが、「退転者」が集団執筆した『サヨナラ私の池田大作』を読むと、それは全て「大聖人の精神に違背した池田大作創価学会に別れを告げる」という趣旨のものである。

しかし最近の造反者に目をやると、彼らの全ては池田名誉会長を「池田先生」と呼んで師と仰ぎ、その指弾の矛先は学会本部や公明党に向けられている。これまでも同様の形式をとった批判はあっただろうが、脱会や大規模な批判キャンペーンに至ることはほとんどなかったと私は理解している。

なぜ、このような事態が生じているのか。
一言で言ってしまえば、「池田名誉会長が会員の目に触れる会合に出られなくなった」という一点に尽きるのだけれども、事態はそう単純ではないと私は考えている。すなわち、これまで創価学会が内部に抱えてきた「顕教」と「密教」の二重構造の矛盾が、池田名誉会長の「ご承認」の不在によって一気に表面化したというのが私の認識である(これだけ読んでも意味不明だと思われるが、詳細は追って説明させていただく)。

そこで本稿では、現在創価学会において起きている「学会本部・公明党批判」の構造を分析し、それがこれまでも学会内に生じていた事、それが池田名誉会長という絶対的指導者の存在により表面化しなかった事を明らかにする。

私は現在学会内で起きている一連の騒動について考察する事は、創価学会にとって非常に重要であると思っている。なぜならそれが、これまでの学会が乱用してきた「反逆者」のロジックでは処理できないものだからである。「反逆者」のロジックとは、創価学会に反旗を翻した人間を「信心のない犬畜生」「師弟の精神を失った忘恩の輩」等と糾弾するものである。
しかし、「ひとりの学会員」として公明党ならびに学会執行部にノーを突きつけた天野達志氏に見られるように、彼らは彼らなりに池田名誉会長の精神を理解・消化して、現実の活動を展開している。彼らを「信心がない」「師弟がわかっていない」と非難するならば、それを非難する人間は、何を根拠に自分が「信心がある」「師弟がわかっている」と思っているのかという話になる。それは結局、「創価学会執行部と公明党は池田先生の精神を正しく継承している。ゆえに、それに反対する人間は極悪人だ」というような主張に行き着かざるをえない。それを基礎づけるには、日蓮正宗の「唯授一人血脈相承」のような、3代会長の「信心の血脈」が学会執行部やそのご子息に継承されているというような教義をつくらなければならないだろうが、流石に学会の体質上無理であろう事に異論はないだろう。
池田名誉会長の思想は、学会執行部や公明党議員だけのものではない。天野氏のような一会員にも、原田会長や谷川主任副会長と同等に、池田思想を解釈・実践する権限があるはずである。とはいえ、あまりに種々雑多な主張が「我こそは正統の池田後継者なり」という信念に裏打ちされて登場するのは、組織運営上非常にマズい。だから、学会本部は「反逆者」ロジックでない、組織を穏当にまとめるための融和的なロジックを考えなければならない。

そしてこれは、学会執行部よりも、私のような一末端会員にとってこそ重要であると考えている。私は、「池田先生大好きの典型的学会員」を自認しているが、矯正しがたい歪な性格が災いし、明日には不満の心が爆発して「反逆者」となりかねない。
しかしこれは、私のような社会生活不適合者だけに当てはまるものではない。私の周囲を見ていても、公明党を非難したり、2014年の学会会則変更の取り消しを求めたり、学会本部の腐敗を糾弾したりしている学会員は、決して異常者でない。これまで信仰生活に真面目に取り組んできたからこそ(選挙活動を含む)、自分の信念(=彼らにとっての池田名誉会長の精神)に反する行動を起こした公明党創価学会に怒っているのである。

今後、学会本部や公明党に対する批判は増加する一途だろう。その時に、「組織の言う事には全て従う熱心な活動家」か「組織の方針に反対する反逆者」というどちらかの生き方しか提示されていない事は、組織運営上の問題よりも、会員一人ひとりの幸福という観点から見た時に問題がありすぎる。また、創価学会の意向に異を唱える事が長期的なスパンで見れば学会にプラスをもたらすこともあるだろう。
本稿は、「池田名誉会長のご承認が不在になった」今の学会を、これまでの学会と比較する事によって明らかにし、その中で「イエスマン」でも「反逆者」でもない第三の「学会員としての生き方」を考える準備段階でもある。

(続く)

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牧口・戸田会長の投獄・獄死の意味を再考しなければならない:日本共産党とリベラリストの思想から

「牧口会長と戸田会長は、勇気を出して軍部政府に反対した。だから偉かった」

創価学会初代・二代会長の牧口・戸田両氏は、治安維持法不敬罪によって逮捕され、投獄されています。牧口会長は、獄中にてお亡くなりになられている。
この両会長の投獄の記憶は、今日の創価学会の「反戦平和」「反権力」というアイデンティティ・ブランド構築にも不可欠なものとなっています。また池田会長が創価学会に入会した理由も、「戸田先生は戦争に反対して牢獄に入られた。その人なら信頼できる」というものだとされている。つまり、戸田会長と池田会長を結ぶ交差点も、「戦争反対」なのです。

この牧口会長と戸田会長の投獄の歴史は、創価学会の対外宣伝にもよく使われますし、左派知識人への学会理解の推進にも一定の役割を果たしてきたように思われます。

しかし私は、今の創価学会の牧口会長・戸田会長の投獄に対する認識は、かなり甘いと思っています。それが象徴的に表れているのが、「軍部政府に反対したから偉い」という、冒頭の文章です。今日の学会において両会長の投獄が語られる時、それ以上の中身はほとんどない。

明らかにしなければならない事の1つは、「両会長が当時の日本の何に反対したか」という点です。これをはっきりさせていないから、一部の史料を過度に取り上げて、「牧口は法華経信仰を貫いただけで、戦争には肯定的だった」などという浅い言説が跋扈するのです。こんなに偉大な牧口・戸田両氏を会長に持っているのだから、神話化して「偉い偉い」と言うのではなく、しっかりと学問によって明らかにすべきです。

そしてもう1点、「戦争に否定的だった」「獄死するまで戦った」だけでは、はっきり言ってそんなに偉くないのです。戦争に反対した最大勢力は、日本共産党です。また、宗教弾圧に関しても、大本教などの弾圧に比べれば、創価教育学会へのそれはまだまだ甘い。他にも思想犯とされた人間は沢山います。さらに世界史に視野を広げれば、反戦・反権力を貫いた人物なんて、一々取り上げていられない程います。
果たして、牧口・戸田両会長と日本共産党大本教は何が違うのか。両氏の戦いは、世界史的に見ても特筆すべきなのか。そうだとしたら、その理由は何なのか。

そこで本日は、戦時下において時の政府に否定的だった「日本共産党」と「オールドリベラリスト」について考えます。どちらも戦争に反対した人たちです。
「戦争に反対した」ーその1点だけでは牧口・戸田会長と同じです。彼らと両会長を差別化するためにどうしたらいいか。それを考えるための準備作業の1つとして、本稿を位置付けたいと思っています。

(本稿は「『人間革命』の時代を読む」という企画の一部です。連載目次は下記をご覧くださいませ。)

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戦後、日本共産党は絶大な精神的権威を誇っていた

1945年の終戦から約10年間、日本共産党の精神的権威は、絶大なものでした。これには色々と理由がありますが、何と言ってもそれは「戦争に反対した唯一の政党だった」からです。
徳田球一宮本顕治などの戦中非転向を貫いた共産党幹部は、今日の我々からは想像もつかない程の尊敬を勝ち得ていました。
それはマルクス主義に惹かれた人物に限りません。マッカーサー徳田球一などを高く評価していたように、反共のアメリカでさえ彼らを尊敬していたのです。さらに、反マルクス主義の学者たちにとっても、共産党は批判する事の難しい権威となっていました。

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共産党が絶対的な尊敬を勝ち得た背景には、戦後の人々が共有していた「罪悪感」「悔恨」という感情が挙げられます。
戦争中の為政者や知識人のほとんどは、程度の差はあれ戦争を推進・賛美していました。その自身の人生における汚点は、深い悔恨を生み、汚点を持たない清廉潔白共産党にひれ伏すしかなかったのです。
さらに積極的に戦争を賛美しなかった人間や、当時ほとんど影響力のなかった丸山眞男のような若手知識人も、敗戦という破綻を迎え、それまでの自身の態度を省みる義務に直面していました。
さらに注目すべきは、「戦死者の記憶」です。戦友を亡くした復員兵は、「友の代わりになぜ自分が生き残ったのだ」という悔恨に苛まれ、夫や息子を戦場に送り出した女性たちもその行為を悔いました。

丸山の「悔恨共同体」という言葉は、当時の日本の思潮をよく表現しています。

また、当時はマルクス主義が最先端の「科学」と見なされていた事も挙げられます。戦後日本の経済的格差は凄まじく、いたるところに窮乏の惨状が溢れていました。こうした日本の状況を現実的に解決するサイエンスとして、マルクス主義経済学は期待を集めたのです。

「左翼」とは本来、「人間の理性に信頼を置き、理想社会の実現を目指す」ものです。
この原義を見るとき、今日の左派政党にはがっかりさせられます。戦後の世界経済史を見ると、60年代くらいは資本主義と社会主義は、「経済成長」という点で対抗し合っています。しかしいつの間にか、今日の共産党社民党のように「成長より国民の生活」というような主張がされるようになりました。
彼らの口から聞かれるのは、極端な理想論ばかり。「理性」を忘れて「理想」だけを保持しているように見えます(彼らの「理想社会」像も今日ではかなり瓦解している)。
今の日本政治において、左翼的な「理性主義」は非常に重要であると思います。左派政党が存在感を示すなら、左翼の原義と科学的姿勢に立ち返るべきだと思います。

共産党の「民族」観

本企画の冒頭で述べた通り、日本共産党は「真の愛国の党」を掲げていました。
これは、当時の国際共産主義路線に沿っていました。当時の国際的な共産主義運動の思想的基盤となったバルティスキーの論文を見てみると、「共産主義者やすべての左翼労働者には愛国心が欠けている」と述べた上で、「保守派」を打倒すべきと主張している。その「保守派」の例が、ナチスドイツの占領下で傀儡政権と成り下がった保守勢力です。彼らは、「愛国主義」を掲げていながら、その実態は「売国奴」そのものだった。それに対して、バルティスキーが「本当の愛国者」のしたのが、占領国においてレジスタンスを行った共産主義者たちです。

この主張において攻撃されているのは、一見「愛国的」に見える自国中心主義の帝国主義者たちです。バルティスキーいわく、彼らのような独善的で排他的な帝国主義は本当の愛国ではない。フランス革命や植民地独立運動に見られるように、自己民族のために戦い、かつ他民族を尊重する勢力こそ、本当の愛国者だというのです。

また、バルティスキーは、コスモポリタニズムも激しく非難しています。共産主義は国際的連帯を目指しているが、それは各国の共産主義者たちが祖国という基盤に立って行うものだというのです。自分の民族の利益から遊離した活動を行うコスモポリタニストは、「国際的なブルジョワ」に過ぎない。これは今日的にいうと、どんどん海外移転を進めるグローバル企業だと思います。またこのバルティスキーの批判は、今日の反グローバル主義者たちの主張にも似ています。

日本共産党も、このような国際的な潮流を受け、「真の愛国の政党」を掲げました。それは、皇統に基づいた日本中心観を持ち出し、アジアへの侵略を推進して、挙げ句の果てには米国との無謀な戦争に突入した戦時政府への批判でもある。彼らのようのな帝国主義者は、愛国者のようでありながら、その実態は全く異なる。自分たちのような戦争に反対した勢力こそが、真の愛国者だというのです。

池田名誉会長の愛国観

この「愛国」というキーワードは、戦後の創価学会の歴史を見る上でも重要だと思っています。理由は、池田名誉会長が戸田会長との初めての出会いの時にした質問の1つが、「本当の愛国者とはどんな人か」だった事です。19歳の池田青年は、「本当の愛国者」たることを希求して生きていたのです。
これは何度も書いている事ですが、池田名誉会長も「時代の子」です。会長が17歳までを皇国思想の中で生きた事を考えるとき、「日本」「天皇」「愛国」といった発想にとらわれ続けた事は、極めて自然です。
創価学会に入会した後の活動においても、この「愛国者」をめぐる問題は、池田青年の頭から離れなかったのではないでしょうか。もしかしたら、今日まで名誉会長にとっての大きなテーマかもしれない。少なくとも池田名誉会長は、日本の歴史認識問題や教育政策について積極的に発言されています。これは、名誉会長の「日本人」として、「愛国者」としての思いの発露かもしれません。

池田思想における「愛国」。
私は、「公明党」と「日中関係」の2つが、この問いに対する重要なキーワードだと思っています。それについては、また別記事にて考察したいと思っています。

オールドリベラリストとは

共産主義者たちに続き、戦後に保守論壇を形成した「オールドリベラリスト」について考えてみます。和辻哲郎津田左右吉・田中美知太郎、小泉信三などが代表例です。
この「オールドリベラリスト」という括り自体、結構乱暴であり、便宜的なものに過ぎないとも言えますが、その特徴を抽出してみます。

まずは世代ですが、敗戦時に50代以上であり、大正時代に青年時代を送った事です。これは、若手保守派知識人との違いを考察する上で重要になります。年代だけならば、戸田会長とも近しい人たちだと言えます。
もう1つは彼らの多くが、戦争に否定的だったことです。これは後述しますが、「戦争に反対したから偉い」という至極単純な主張に対して、彼らの姿勢は疑問を投げかけてくれます。
さらに、天皇制という既存の体制を重視し、共産主義に対して強い抵抗感があったことが挙げられます。

まず彼らの思想を考察する上で欠かせないのが、彼らが上流階層に位置する「勝ち組」「文化人」だったということです。
このことは、彼らが共産主義を嫌ったことと不可分です。つまり、労働者が力を持ち、自分たちにとって都合の良い体制を崩壊させようとする共産主義には、否が応でも否定を貫かねばならなかったのです。
これは、彼らが戦争に否定的だった理由にも通じます。上層階級のエリートではなく、下層階級出身の軍人が影響力を増大させていくことは、彼らにとって我慢ならないことでした。
彼らが戦後に「天皇擁護」を掲げたのも、日本の既成秩序が崩壊することを恐れたからでした。
彼らの思想的立場は、体系的思想よりも一種の生活感覚に基づいていた。この事に注意するべきです。

若手知識人との隔絶

オールドリベラリストが描いたような心情は、若手のエリート知識人にも共有されていたものでした。例えば丸山眞男は、戦地に動員されるという経験によって、社会階層の低い軍人と多く接触しました。その結果、彼は「大衆への蔑視」を心情として持つようになりました。

しかし、オールドリベラリストたちが戦前体制への回帰を志向したのに対し、丸山や竹内好などは強く反発します。これは、世代間格差による戦争経験の違いが理由であると考えられます。
オールドリベラリストたちは、日本が戦争に突入した理由を、「軍人の台頭と暴走」であると考えていました。それは突発的な異常事態であり、軍人をコントロールできる仕組みさえ整えれば、慣れ親しんだ戦前の大勢の方が好ましいと考えたのです。津田左右吉などがこの例です。

それに対し、丸山は反発します。丸山も東大助手を務めていたエリートでしたが、従軍によって下層民との接触を経験し、自分たち知識人が抱いている観念的思想が大衆と隔絶していることを思い知らされていました。日本においてマジョリティを形成していたのは、知識人たちが抱いていたような近代的な国家観ではない。非常に情緒的で暴力的契機をはらんだ神がかり的なファシズムだったのです。
つまり、日本の敗戦は、「軍人の台頭と暴走」などという突発的な事件によるものではない。戦前の日本のあり方に関わる根本的な問題だったのです。
丸山の「国民主義」思想は、こういった経験と不可分と言えるでしょう。

牧口・戸田会長の偉大さとは何か?

「牧口・戸田会長は戦争に反対したから偉い」
この主張は、日本共産党やオールドリベラリストと両会長を、「戦争反対」を基礎に等値するものです。
しかし共産主義というイデオロギーと、エリート特有の保守的傾向・大衆蔑視を理由に戦争反対をした人物たちと、牧口・戸田会長は本当に同じだったのか?創価学会は、この点についてよく考察する必要があると思います。
戦前の研究は資料が馬鹿高く、私には到底できませんが、優れた研究を紹介するくらいの事は、このブログでもやっていきたいと考えています。そして、両会長の特異性について考えていきたいと思います。

そして、もう1つ。長年の疑問が「池田名誉会長はなぜ共産党に入らなかったのか」ということです。
私は以前、池田名誉会長と宮本顕治共産党委員長の対談集『人生対談』を読んだことがあります。本当は改めて購入したいのですが、かなりのレア本になってしまい、現在手元にはありません。私の記憶によれば、終戦間もない頃池田青年は宮本顕治の演説を聞きに行ったというエピソードが披瀝されていたように思います。これは、戸田会長と出会う前です。
池田名誉会長の入信の理由は、「戦争に反対して牢獄に入った戸田先生なら信用できる」ということだったとご本人が語られています。
しかし、戦争に反対した唯一の政党である日本共産党には入ることはなかったのです(宮本顕治はリンチ事件容疑もありましたが…)。
これはなぜなのだろう?これに対する答えの出し方自体検討がつきませんが、共産党が神聖視されていた時代に、池田青年がそれを選ばず、弱小宗教団体である創価学会を選んだことは、非常に興味深く思います。

 

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創価学会執行部のホンネ:2014年会則変更問題をめぐって

いつもブログを読んで頂いている方より、天野達志さんの新サイトについてメールいただきました。

soka-dakkan.amebaownd.com

昨年の安保法案成立時に、「ひとりの学会員」として公明党に「ノー」という声を上げられた天野さん。三色旗を振りながらのその活動は、様々なメディアでも取り上げられ、一躍時の人(?)となりました。

私は、学会員が個々の政策について議論し、場合によっては公明党を批判していくのは極めて健全だと思います。デモという形が私は嫌いですが、それもあっていいと思います。
けれども、天野さんのサイトを見たら、その活動範囲がかなり広がっていてビックリしました。
まず、スローガンが「三代会長の、池田先生の創価学会を取り戻そう!奪還!!DAKKAN!」となっており、どこかの政党が掲げていた「日本を取り戻す」というスローガンを彷彿とさせます。
そしてその主張も、「ひとりの創価学会員として安保法制に反対する」から、かなり拡大しています。主なものは以下。

●安保法制を認めた創価学会に反対!!
●2014年の会則変更をした創価学会に反対!!

そしてこれらの主張の前提となっているのが、「池田先生の教えに違背した学会本部執行部が悪い」というもの。最近かなり増えている論調であり、私が以前下記の記事で紹介した、造反本部職員三人組とも瓜ふたつの主張です。

造反した創価学会職員3名の救いようのない「病い」:創価同窓の後輩としての苦言

うーん、まぁどんな活動しようとも自由ですけど、違和感ありまくりです。
とはいえ、天野さんのような方が出てきて、それを支持する学会員さんが一定数いるのは、創価学会公明党が使っている「タテマエ」に説得力がないことが一因だと思います。

学会の会則変更の際は、「世界広布を推し進めるため」「時代の変化に合わせて教義を変えるため」。
安保法制の際は「世間は色々言ってるが、公明党はしっかり歯止めをかけた」「平和のために必要な法案だ」。

はっきり言って、子供騙しの域かな、と思います。まぁ、それらも全部本当といえば本当なんですが、これで納得できない会員さんが出るのは当たり前です。憲法学者の偉い先生がいろいろ言ってるのに、「いや実は俺たちの方が正しいんだよ」なんて、信じるのは難しいです。
また、池田先生が会合にご出席されなくなった今、「学会本部執行部は大丈夫か?」「先生を無視してるんじゃないか?」と思う会員さんが出ても不思議じゃないでしょう。

この安保と会則変更の2件に関して、実は結構のメール・メッセージをいただいています。
そこで、本記事では、僕が思っている「創価学会公明党のホンネ」を書いてみたいと思います。あくまで僕の推論に基づいたものです。「学会と公明党の言っていることが信用できない」という方の、思考の一助となれば非常に嬉しいです。

注)以下の記事は、創価学会員の方が読むことを前提に書いております。他の宗教の方が見ると、奇異・不快に映るかもしれません。ご了承ください。

 

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「本当は時代遅れの日蓮正宗の教義なんて、さっさと捨てちゃいたい。でも会員さんの理解が進まないから、ちょっとずつやるしかない」

 

これが創価学会本部の本音だと、私は考えています。

2014年の創価学会の会則変更。
最大のポイントは、「弘安2年の本門戒壇の大御本尊」を受時の対象から外したことでしょう。かつて日蓮大聖人の「出世の本懐」として、自分たちの正統性の最大の根拠としてたものを変更したのですから、これに動揺するのは当たり前です。

これは私の意見ですが、この変更は何の問題もありません、大賛成です。
「執行部の暴走」なんていう、短期的な事件ではないです。1990年ごろからの既定路線であり、もっと言うと1970年代にはこのような変更に向けて学会は動いていました。
何より、この変更は池田先生の長年の宿願であると私は考えています。

まず前提として認識すべきことは、創価学会日蓮正宗は正反対、水と油。
創価学会は、海外布教を推進し、その教義や信仰の形態も変えていきましょう、場合によっては日蓮よりも釈尊を立てましょうくらいの、(よく言えば)「柔軟」な教団です。日蓮大聖人は鎌倉時代の人ですから、その教義も今日から見れば色々と問題があります。それも、仏教学や文献学、解釈学を取り入れて変えていきましょう、というスタンスです。そして何より、池田先生の思想・人生と不可分の新宗教です。

それに対して日蓮正宗は、室町時代・江戸時代の価値観で存在しているような、伝統仏教団体の中でも保守的な教団です。教義変更なんてトンデモない、儀式も伝統を重んじなければダメだ。仏教学や文献学?そんな青い目をした西洋人に仏教はわからない、我々は「文底」を読むのだ。

まぁ要するに、全然違うのです(どっちが正しいという問題ではない、全然違うってことです)。
しかしこの両者は、最近まで一緒に活動していたのです。それもかなり特殊な形態です。
創価学会は、教義と本尊という信仰の中核を日蓮正宗に依存しながら、独自路線を展開。政界に進出して一大勢力となり、中国やソ連とも太いパイプを築いてしまう。キリスト教イスラム教とも積極的に交流する。その国々のお国柄に合わせて、教義も見直していこうとしている。
こんな両者が上手くいくわけがありません。

これが顕在化したのが「昭和52年問題」、そしてこれは池田先生の会長ご勇退につながっていきます。この時何があったのか、ゴシップレベルの話しか残っていなくて、私にはよくわかりません。
しかし、2014年の会則変更に関わる「教義」の問題に着目すれば、少しはわかる事があります。
それは創価学会、そして池田先生が、日蓮正宗が完全に無視していた仏教学や文献学などの成果を積極的に取り入れようとしたことです。その頃書かれた『仏教史観を語る』などを読むとよくわかります。
池田先生については、良い悪い評価様々ありますが、私はかなりのインテリ・知識人である事は間違いないと思っています。その著作を読んでいると思いますが、宗教指導者でありながら、かなりの合理主義者です。
はっきり言って日蓮正宗の「一大秘法」「唯授一代血脈相承」「日蓮本仏論」などの教義は、世間の学者はみんな馬鹿にしています。アカデミズムを重視する池田先生がそれらを「変えたい!」と思ったのは、当然と言えば当然なのです。

そこで池田先生は、創価学会独自に日蓮仏法を解釈しようとした。しかしそれは、日蓮正宗からすればタブーだった。そこに、山崎正友やら、原島嵩やら、御本尊模刻事件やら・・・とカオスの様相を呈していく。そして、先生は辞任せざるをえなくなった・・・。
これは、第一次宗門事件を教義解釈という一面から見た解釈です(かなり複雑怪奇な事件なので、簡略化はお許しくださいませ)

要するに言いたい事は、創価学会は1970年代から、ずっと大石寺教学からの脱却を図ってきたという事です。それはやがて1990年初頭の第2次宗門事件につながり、両者は別れる事になる。

創価学会は、少しずつ日蓮正宗の教義を捨て去ってきたわけです。
急に捨て去れなかった理由は、日蓮正宗との軋轢。そして、学会員さんが動揺するからです。
「唯授一人血脈相承」も、当初は「日顕で血脈は切れた!」というものでしたが、いつの間にか「神秘的な血脈観」として相承の教義自体が全否定されるに至りました。そして、「生死一大事血脈抄」を使って「信心の血脈」が強調されるようになっています。

このような長期的な流れの中に、2014年の会則変更は位置付けられます。「本門戒壇の大御本尊」は、大石寺教学の根幹中の根幹。そしてそれを「一大秘法」だと定める限り、日蓮正宗の絶対的優位は揺るがないのです。これを捨て去る事は、創価学会、そして池田先生にとって宿願だったわけです。

「会則変更に、池田先生のご了承はあったのか」という問いを発せられる方が多くいますが、当然あったと思います。
というか、これは池田先生が1970年代から率先して進められてきた事です。約40年の時を経て、ようやくそれが叶ったのです。

「学会寄りで書く」と決めたからか、かなり日蓮正宗の教義を非難するようなものになってしまいましたが、もうこれはどちらが正しいというものではないです。池田先生は、合理主義・アカデミズムを重視されましたが、それも万能ではないでしょう。明治以前のパラダイムから仏教学・文献学を相対化するという立場もありでしょう。

日寛のような江戸時代的パラダイムの「文底読み」を好むならば、日蓮正宗がいい。
西洋的な学問的考証を好むならば、創価学会がいい。
私のような西洋中心主義者は、迷わず創価学会ですが(といっても、創価学会の教義や運動にも、問題ありまくりですが、今後に期待しています)。

また、本門戒壇の大御本尊を信じておられる方も、これまでの信仰を全て捨て去る必要はないし、学会をやめる必要もないです。
本門戒壇の大御本尊も、変わらず功徳がある「本門の御本尊」であることに変わりはありません。各家庭の日達や日寛の御本尊に祈る時に、大御本尊を念頭に祈っても、それは学会の会則には抵触しないと思います。大御本尊を受時の対象にしないのは、それに功徳・力がなくなったからではなく、「大謗法の地にあるから」というのが創価学会の立場だからです。

ただ学会の会則に賛成するならば、「大御本尊唯一主義」(一大秘法思想)だけは捨てなければなりません。「本門戒壇の大御本尊に直結しない、他宗の御本尊は謗法だ!」という立場です。
これは、身延日蓮宗などの大聖人の直筆曼荼羅などに功徳を認める事になりますが、今の時代この位の寛容性は持つべきだと私は思います。また、キヨスクのような露店で売られている土産曼荼羅には私も否定的ですが、それは教義や功徳の問題ではなく、御本尊の扱いに関するメンタリティを批判すれば良いと思います。

とはいえ、御本尊という宗教的な感情がモロに関わる領域の話なので、そう簡単には割り切れないと思います。ただ、日蓮正宗という全く異なる教団に依存せざるをえなかった創価学会の宿命として、受け入れていかなければならないのだろうと思います。

長くなったので、公明党と安保については、別記事で言及します。

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日蓮遺文を再読するに当たって③:別に「池田教」と言われたって胸を張っていればいい

「文証を出せ!」
嗚呼、こんな言葉を全く無反省にいう人間が大嫌いです。

創価学会員である私は、大学生の頃から、何度も日蓮正宗との「対論」に駆り出されています。「対論」とは、要するに「創価学会こそ日蓮正統の教団だ!日蓮正宗は邪教だ!」ということを、日蓮正宗の人と議論するわけです。

これを私は非常に「くだらない」と思っています。
はっきり言って決着なんて着きません。
大体いつも、日蓮正宗秘伝の(学術的に一切信頼不可能な)「相伝書」なるものの偽書問題で紛糾したり、スキャンダル合戦になってしまったり、と酷いものです。

教団というものの本質上、自身の正統性を証明しようとする試みは不可欠でしょう。しかし、そんな「くだらない」試みは、信濃町の宗教官僚や出家僧侶といった「きわめて特殊」な職業に就いた人間に丸投げしておけばいい。さっさと協約でもなんでも結んで、こんな不毛な論争で会員の手を煩わせるのは止めるべきです。ただでさえ、選挙や新聞啓蒙に忙しいのだから。そんな暇あったら、題目の一遍でもあげたほうがよっぽど有意義です(比較するのもおこがましい)。

(本記事は、連載企画「日蓮遺文を「再読」する」の一部です。連載一覧目次は、下記をご覧くださいませ。)

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歴史という場の中の「イエス」の探求

長くなりましたが、本日は「日蓮遺文を読む」シリーズ序論の最終回です。
前2回の記事において、「歴史的アプローチ」と「非歴史的アプローチ」について叙述しました。その上で、このブログでは「歴史的アプローチ」を重視し、「鎌倉時代の日本という場を生きた日蓮という1人の人間」を探求しようと思っています。

このような探求をするにあたり、非常に参考になる本があります。
田川建三の『イエスという男』です。

イエスという男 第二版 増補改訂 | 田川 建三 | 本 | Amazon.co.jp

これは、聖書に描かれるような「救世主(キリスト)としてのイエス」ではなく、「1世紀パレスチナを生きた1人の男・イエス」を歴史学的に明らかにする試みです。私はこれを読んだ時、「これが歴史学か」と目から鱗が落ちました。そして、自分の日蓮理解を反省せざるをえませんでした。

田川の言葉を引用します。

「イエスは殺された男だ。ある意味では、単純明快に殺されたのだ。その反逆の精神を時代の支配者は殺す必要があったからだ。こうして、歴史はイエスを抹殺したと思った。しかし、そのあとを完全に消し去ることはできなかった。それで、今度はかかえこんで骨抜きにしようとした。」

田川は、イエスを「時代に反逆した先駆者」と位置付けています。イエスは、当時隆盛を誇っていたユダヤ教を批判し、挙句の果てには十字架に架けられました。
これと同じ評価を、日蓮にすることもできるのではないかと思います。念仏や国家権力という一大勢力に立ち向かい、極寒の地に流罪までされたその生涯は、「時代に反逆した先駆者」の名に相応しいでしょう。
しかし田川は、後世の人間がイエスを「骨抜き」にしたといっている。どういうことか。

体制は、その人物を偉人として褒め上げることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう。カール・マルクスが社会科の教科書に載った時、もはやカール・マルクスではなくなるということだ。こうしてイエスも死んだ後で教祖になった。

イエスにしても、マルクスにしても、日蓮にしても、彼らは「時代の先駆者」として、体制に反抗し続けた存在でした。しかし彼らは、キリスト教ソビエト連邦、そして日蓮正宗創価学会という「既成勢力」によって教祖として組み込まれてしまった。それが田川に言わせれば「骨抜き」なのです。

冒頭で「文証を出せ!」という言葉に対する嫌悪感を述べました。私がそれを嫌うのは、それが時代の先駆者だった日蓮の生き方に迫ろうとするものではなく、800年後を生きる日蓮と全く無縁な教団や自分の生き方を正当化するために日蓮の言葉を用いることだからです。
そんな体制的な態度を取った瞬間、日蓮の姿は消えて無くなる。そこに出来上がるのは、自分たちの都合や願望を投影した「偶像としての日蓮」に過ぎません。

自分たちの教義を「発見」しようとする試み

クェンティン・スキナーという政治思想研究者の『思想史とは何か』という本があります。これから日蓮を読むにあたって、1番参考にしたいと考えている本の1つです。
スキナーは以下のように述べています。

もっとも根強い神話が生ずるのは、それぞれの古典的作者が、それぞれの歴史家の主題を構成するとみなされるトピックスについて何らかの教義を説いているだろうとの期待をもって歴史家の側が構えている時である。危険なことに、そのようなパラダイムの影響下に(たとえ無意識のうちにではあれ)置かれてしまうと、いわば指定済みのあらゆるテーマについて、その著者の教義を「発見しよう」とする気になるまではほんの一歩である。

少々読みづらいですが、日蓮に当てはめて意訳するとこういう事です。
私のような学会員や法華講員が日蓮遺文を読む時、どうしても先入観にとらわれてしまう。それは、大石寺教学や創価思想といった後世の人間が作った「パラダイム(認識の枠組)」です。日蓮が何を言っているのか、耳を澄ますように遺文を読むのではなく、大石寺教学や創価思想がそこに書かれているのを「発見」しようとして読む。それが日蓮の意図と異なるのは明らかであり、「自分の信仰が正しい」と自らの宗派への信心を自己強化する試みに過ぎません。

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「聖人御難事」の解釈について

その後世の教義の最たるものが「本門戒壇の大御本尊」でしょう。それについては、以前下記の記事にて記述しました。

ゆとり世代学会員の本音②:質問にお答えして - 学会3世の憂うつ

大前提は、私はそれへの信仰をする人を最大に尊重しますが、学術的にはかなり疑わしいという事です。その文献学的な理由は以下の2点に収斂されます。

①「本門戒壇の大御本尊が絶対」という主張の根拠になる史料が、偽書の疑いだらけ。また日寛など後世の人物のアクロバティックな解釈に依存
②「日蓮真筆」とされる遺文や史料から、「本門の戒壇一大秘法」説を導く事はかなり困難

①については、日蓮正宗が外部の研究者に対してかなり閉鎖的なので、決着がつく事はないでしょう。
②については、創価学会が長年採用してきた「聖人御難事」における「出世の本懐」解釈が挙げられます。

仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。

この「余は二十七年なり」という文言から、この遺文の執筆された弘安二年に日蓮は「出世の本懐」を遂げたと解釈されます。そして、その「出世の本懐」こそ「本門戒壇の大御本尊」建立だというのが、かつての創価学会と今日の日蓮正宗の見解です。
しかし、「聖人御難事」には、その「本門戒壇の大御本尊」の事は一切出てこない。「出世の本懐」といえば、「俺はこのために生まれてきたんだ!」という人生の総決算のようなものです。それを明かした筈の書に、それを書かないというのは首を傾げざるを得ない。
この「聖人御難事」を根拠に「本門戒壇の大御本尊は日蓮の出世の本懐だ!」と主張している仏教学者を、日蓮正宗創価学会以外では、私は1人も知らない。

私は「本門戒壇の大御本尊」を信じる人を否定しませんが、少なくともこの「聖人御難事」の解釈にはかなり無理があると思います。
スキナー風に言うならば、予め「本門戒壇の大御本尊こそ出世の本懐」という先入見・パラダイムを有している人間だけが、そこに「一大秘法」信仰を見出す事が出来るのだと思います。そういえばこの事を法華講員の幹部の方との法論で指摘したら、「西洋人には到底わからない文底の世界の解釈なのだ」という反論をされました。返す言葉が見つからず、完全論破されてしまいましたね。
この「出世の本懐」説を創価学会は既に廃棄しましたが、私はそれに賛同しています。

創価学会は池田教でいいし、日蓮正宗は日寛教でいい

とはいえ、創価学会日蓮遺文の読み方にもかなりの問題があります。一例を挙げましょう。
「御義口伝」に、以下のような文章があります。

一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。

恐らく、これを読んだ学会員が想起したのは、若き日の池田名誉会長の大阪での選挙戦でしょう。池田名誉会長は、この日蓮遺文の一節を読みながら、それを体現し凄まじい戦いをしたとされています。

実は「御義口伝」は偽書説が強いのですが、それは措いておきます。
問題は、学会員がこの言葉を日蓮が発した文脈においてではなく、「池田名誉会長の生き方」と連関させて認識しているという事です。つまり日蓮の思想は、池田名誉会長という1人の人物の生き方に現れていると、学会員は信じている(かくいう私もそうです)。そのような「先入見」を持って、日蓮遺文を読んでいる。また、学会員の日蓮理解は、殆どが池田名誉会長の日蓮解釈に基づいています。

以前、「創価学会は池田教だという指摘は全く正しい」という記事を書きました。この意見は変わっておりません。

創価学会日蓮を宗祖としながらも、それを「池田名誉会長」というプリズムを通して解釈し、その活動を展開する「池田教」であると考えています。
これは別に創価学会を揶揄しているわけではありません。何より私自身立派な創価学会員であり、池田名誉会長を愛しております。別に池田教だと揶揄されたって、堂々と胸を張っていればいいじゃないかと思います。こんな1千万人単位の人間を惹きつける稀有な人物を指導者に持ったのですから、変に日蓮正宗への対抗意識を燃やして神学論争に終始せず「日蓮正統の団体」なんてこだわらなくてもいい。ただし、池田本仏論などのレベルの低い主張には反論すべきですが。

またこれは、創価学会に限った話ではない。「創価学会は池田教」と揶揄する日蓮正宗の方は多いですが、私から見ると「日蓮正宗は日寛教」です。
日寛を尊敬している創価学会員は多いですが、その日蓮解釈は、今日の文献学・解釈学から見ると問題がありすぎです。「本門戒壇の大御本尊」「一大秘法」「日蓮本仏論」「唯受一人血脈相承」などの日寛の思想は(全てを日寛に帰することは出来ませんが)、明らかに彼独自のものであり、そのパラダイムを継承して教義を構築すると、「日寛教」と呼んで構わない宗派ができあがります(「日有教」などでも別に構いませんが、「日顕教」ではないと思います。日顕日蓮正宗への思想的貢献はほとんど無いというのが、私の理解です)。

「江戸時代の人間(日寛)と、現代を生きている人間(池田名誉会長)を同列にするな!」と言われるかもしれませんが、私から見るとそんなに大差ない。こんな両者が「日蓮正統」を巡って論争をしているのは、非常に滑稽だなと思います。そんな不毛な議論よりも、日蓮遺文を拝しながら、御本尊に題目をあげるべきです。

私はこの認識に立った上で、「池田教」を選んで生きております。

教義構築ではない日蓮に迫る試み

話が大きく逸れましたが、本連載「日蓮遺文を「再読」する」とは、イデオロギーに満ちた日蓮解釈ではなく、思想史的に日蓮に迫ろうとする試みであります。

上述の田川建三の言葉をまた引きます。

1人の歴史的人物をどう描くかは、とどのつまり、その人の生きていた歴史の場をどう捉えるかという問いに帰着する。たとえ抽象的思想の言葉であろうとも、1人の歴史的人物の言葉をとらえようと思えば、その人の生きていた歴史的場を見なければならない。

イエス像を描く課題はどこまで己の思い入れを制御して、イエスをイエス自身として描けるか、ということになろう。言い換えれば、イエスが生きていた時代の状況の中でイエス像を描くということにほかならない。その歴史的状況をどこまで深く広くとらえることができるか、という課題であり、その状況の中で、密接不可分に、その状況そのものを全身で呼吸しているものとして、しかもその状況に激しく抗った者としてイエスを描く、という課題である。そしてそこに浮かび上がるのは、とても私の理想像なんぞを生易しく投入するわけにはいかない、一人のものすごい人間がいる。

日蓮を、「末法の御本仏」としてその言葉を絶対化するのではなく、あくまで「鎌倉時代の日本を生きた一人の男・日蓮」に迫る事。その時代的制約の中で、彼はどう生き、その思想を生成したのか考える事。これが本連載の課題です。
そもそも、「御本仏」と仰がなければ読めない思想家なんて、なんの価値もない。また、一人の人間としてみた時に果たしてどれだけすごいのか。この生身の日蓮像を「御本仏」論は覆い隠してしまうと考えています。

もちろん私は創価学会員ですから、創価学会の教義を捨て去る気はない。たとえそれに問題があろうとも、立場上それを保ち続けなければなりません。
けれども別に、その教団的な視点以外の視点を持ってもいいじゃないか。そう思うのです。

さて、いよいよ次回からは「守護国家論」や「立正安国論」に取りかかり、その念仏批判を中心に考察していきます。

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