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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

A級戦犯はなぜ天皇誕生日に処刑されたのか:「生前退位」報道に際して

天皇陛下が「生前退位」の意向を示されていることが報道された。
もし本当ならば、日本における天皇制について、生涯をかけて熟慮されてきた末のご判断だと思う。
政権にとっては、大変な難題となってしまったが、今後の行く末を注視したい。
また、天皇制ついてこれまでの人生でほとんど考えてこなかったと猛省中であるので、勉強し意見構築していきたい。

今上天皇について考える際に、おすすめの本がある。
猪瀬直樹氏の『ジミーの誕生日』である。

猪瀬氏といえば、都知事時代の政治資金問題の悪印象ばかりが持たれていることが非常に残念だが、少なくとも作家としては一流であると思う。近現代日本史を考察する際に、彼の本から教えられるところは大きい。

ジミーの誕生日の件、心配です」

この本は、猪瀬氏に送られてきた1通の手紙から始まる。
差出人は、ある貴族(子爵)の孫にあたる女性。
彼女は、子爵夫人であった祖母の戦時下から戦後にかけての日記を見つけた。その日記は、昭和23年12月7日に「ジミーの誕生日の件」に言及したまま終わっていた。
この謎が気がかりで仕方がなかった彼女は、猪瀬氏に調査を依頼したのである。

猪瀬氏は、この「ジミー」が「皇太子明仁」(今上天皇)であると考えた。
ジミーとは、連合軍に日本が占拠された後、学習院に赴任したアメリカ人英語教師が、皇太子明仁につけたニックネームである。
その英語教師の授業では、生徒は皆英語名で呼ばれていた。

この事を文献を通じて知っていた猪瀬氏は、「ジミー」が今上天皇であると仮説を立てた。
さらに猪瀬氏が、手紙の差出人に彼女の父親について尋ねたところ、学習院において皇太子明仁と同級生であったことがわかったのである。

それでは、「誕生日の件」とは一体なんなのか。

これは、「A級戦犯」絞首刑が、昭和23年の12月23日、つまり天皇誕生日に執行されることへの危惧だったのである。
子爵夫人は、GHQの中心人物の1人だったケーディスと親交があった。彼から東条英機の死刑執行が皇太子明仁の誕生日になることを告げられたと考えられる。

昭和23年12月23日0時1分30秒、東条英機ら4名の絞首刑が執行された。
まるでその日を迎えるのを待っていたかのように。

アメリカ世論の中でも、「裕仁を死刑にすべきだ」という声があったが、東京裁判では天皇戦争責任は問われなかった。昭和天皇戦争責任が問われた場合、皇太子明仁も捕らえられ、アメリカに輸送される可能性もあったが、実現しなかった。

しかしアメリカはA級戦犯をその日に死刑にすることにより、皇太子明仁に一生消えることのない「死の十字架」を背負わせたのである。

本の終盤、手紙の差出人である子爵夫人のお孫さんは、猪瀬氏にこう尋ねる。
「でも、東条が殺された日など、今では誰も覚えていませんよね」
それに対し、猪瀬氏はこう答えた。
「ただひとりを除いてはね」

このことを念頭に、今上天皇のこれまでの平和活動を見ると、実に感慨深いものがある。
日本について考察するとき、天皇制への問題を避けて通ることはできない。

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