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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

造反した創価学会職員3名の救いようのない「病い」:創価同窓の後輩としての苦言

創価学会職員3名によるブログが話題になっている。

元創価学会職員3名のブログ

この3名の内2名は、創価学園創価大学を卒業後、学会本部に就職した経歴を持ち、僕の同窓の先輩でもある。
絵に描いたような「創価エリート」の彼らだが、2012年に学会本部を懲戒解雇された。

ブログによれば、彼らが創価学会を解雇・除名されるに至ったのは、当時の所属組織の幹部の成果主義的な活動の進め方や(いわゆる折伏・選挙の数)、閉鎖的な組織運営に疑問を持ち、「積極的に建設的な意見を伝える」ようになったという。その結果、地方転勤などの理不尽な人事を受け、果てには懲戒解雇に至った。
その過程において、原田会長や長谷川理事長などの最高幹部に不正人事を直訴したり、池田名誉会長に組織の腐敗を訴える手紙を届けようと試みたらしい。

その後この3名は、集会やサイレントアピール(「現執行部は退陣を!」「戦争法案反対!」などと書かれたプラカードを持って学会本部の前に立ち続ける)を通じて、「腐敗した学会本部を外部から変える」ことを試みている。また、ブログでは様々な学会本部の内情を暴露しており、メディアの取材にも「来るもの拒まず」で積極的に応じているようである。管見の限りでも、朝日新聞週刊ダイヤモンド日刊ゲンダイ週刊金曜日にて取り上げられている。

「学会本部を外部から変える」などという無理難題に自らの人生を捧げるというのだから、その熱意には大層感心するが、彼らを見ていると何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。

それは彼らの中に、創価学園創価大学生特有の「病い」を見てしまうからだろう(1名は創価教育を受けていないが)。
といっても、創価学園・大学の教育を全否定する気は毛頭なく、人格的に優れた人物を多く輩出しているし、その多くは常識的であり社会的に成功を収めている。
だが、卒業生によく見られる除きがたい欠点が存在し、それをこの諸先輩方は嫌という程体現している。

先輩を非難するのは憚られるが、同窓の後輩として、その「病い」におかされた行動に苦言を呈したいと思う。

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第一の「病い」:「悪の糾弾」に固執する短絡性

まず第一に、矛盾や不正に直面した際に、「悪を糾弾する」といったアプローチしかとることのできない短絡性である。

我々は社会において生きている限り、様々な矛盾や不正と出会う。自らの倫理観に反する仕事をしなければならないこともあれば、人格的に破綻した人間と協働せざるをえないこともある。圧迫された弱者に出会うことなど、日常茶飯事である。

そういった現実を甘受せず、理想を保ち続ける人間は立派であるが、現実から遊離して自らが「諸悪の根源」と認識したものを攻撃することだけに労力を費やすのは、全く幼稚と言わざるを得ない。

声を上げるという判断が正しい事もあるだろう。しかしそんな事ばかりしていても、組織から排除されるだけであり、組織の改善には何の役にも立たない。

どうにもならない現実を受け止めながら、課題を認識して対策を立て、漸次的に改善していく。
大体の場合において、そういったアプローチをとるのが妥当であろう。

しかし我が同窓の先輩方は、組織内で「勇敢に声を上げる」以外の方途を見つけることができなかったようである。挙げ句の果てには、「池田先生に直訴する」という伝家の宝刀に頼ろうとしたようだが、叶わなかった。

そして現在も、ブログにおける内部告発やサイレントアピール、集会といった「言論活動」を精力的に行っており、全く成長していない。

しかも最近の彼らの活動は、安保法案を成立させた公明党の批判と、それを是認した創価学会執行部の退陣要求に、多くの時間を割いているようである。また、様々な学会本部の内情を暴露しているが、彼らが懲戒免職に至った過程と全く無関係な情報も多い。

つまるところ何をしたいのか、彼らが目指すものは何なのか、全くわからない。
彼らのような「破邪顕正」的な思考回路しか持たない人間は、現実的な目標やそれに至るまでの道程を示す能力が皆無なので、迷走するしかない。
要するに彼らは、信仰者としてではなく、一社会人として未熟なのである。

第二の「病い」:自らの正義を微塵も疑わない独善性

第二の「病い」は、自らの絶対的正義と相手の絶対悪を信じてやまない独善性である。

彼らのブログを読んでいると、その自己陶酔的な語調に強い吐き気がする。

引用するに堪えない文章ばかりだが、7月12日に更新されたばかりのブログから一部を紹介しよう。どうやら御三方は7月3日に、彼らを支持する一部会員とともに、「戦争法案を推進する公明党は支援しない!」「安保法案反対の会員を処分するな!」などと書いたプラカードを使ったサイレントアピールを敢行したようである(もはや「安保法案反対」「公明党批判」の団体になっている)。

誰もが創価が嫌いで声を上げているのではない。師の仰せを守りたいと血の涙を流しながら、懸命に声を上げ続けているのである。

しかし、権力の魔性に取り憑かれた学会本部は、そうした人間の声が聞こえなくなっているのである。

もはや彼らが罹患している病気は中二病ではないのかと思いたくなるようなポエムだが、この文章に、彼らの世界観が象徴的に表現されていると思う。

即ちそれは、
●自分=本当はそんな事をしたくないが、正義の為にやらざるを得ない極めて倫理的な存在
●相手=「権力の魔性」に取り憑かれ、師匠・池田先生に違背した絶対悪の学会本部・公明党
である。

このような非常に単純な善悪二元論的に物事を把握し、自らに正義がある事を微塵も疑わず、相手に絶対悪とレッテル貼りをして認識する努力を怠るその姿勢は、彼らが非難する日本共産党顔負けである。

このような独善的な人間が生まれてしまうのは、これは全く不幸なことであるが、彼らが「議論」をする機会に恵まれなかったことに一因があるだろう。

「議論」とは「折伏」と大きく異なる。
折伏」とは、自らが正しいと信ずるものを相手にも信じさせようとする試みである。つまり、その「折伏」というコミュニケーションにおいては、絶対的真理は折伏をする側の人間にあり、その人間は自らを反省する契機を持たない。ただ、自らの信念を相手に移植しようと試みるだけである。
それに対し「議論」とは、それに参加する人間は皆、完全な真理を有していない。むしろ、自らの不完全な意見・信念を他者の批判に晒すことにより、自らの意見の未熟さを認識してそれを改め、真理に近づこうとする試みである。
どうやら元本部職員の御三方は、「折伏」という思考回路しか持っていないのだろう(これは決して「折伏」という布教活動を否定するものではない。それしかできないのが問題なのである)

恐らく彼らは、これまでの宗教生活を通じて、「池田名誉会長・創価学会=絶対正義・無謬」という信念を確固たるものとしてきたのだろう。また同時に、「池田名誉会長・創価学会の指導を実践する自分=絶対正義・無謬」という自画像を形成してきたのだろう。
しかしそれは「池田名誉会長の指導に違背する学会本部=絶対悪」「池田名誉会長の指導を忠実に実践する自分=絶対正義」という等式に容易に転化してしまう。

そのような思考回路を持った人間は、簡単に「聖戦」というテロリズムに突入してしまう。

全く、彼らの「病い」は重いのである。

3名の行動に感じる新時代の到来

色々と手厳しく書いてしまった。今日ほど感情的に筆を走らせたことは珍しい。
これは彼らが私と似た経歴を持つことによる、同族憎悪なのかもしれない。

ちなみに、彼らは以前主催した座談会において、今回の選挙で話題になった小林節氏を招いて講演してもらっている。「今の公明党池田博士の思想に反している」という同氏の発言を受け、狂喜乱舞した3名の姿が思い浮かぶ。
この座談会は8月20日にも開催されるようであり、安保法案成立の過程においてスターになった憲法学者・木村草太氏が来るようだ。しかし木村氏の性格を考えると、小林節氏のようなリップサービスはせずに、憲法解説を粛々と行うことが予想される。また、これまで木村氏は公明党の果たした役割を評価する発言も重ねてきたので、この座談会でも自らの学問的良心に基づいた主張をして欲しいものである。
とはいえ本部職員の3名は、たとえ木村氏が公明党評価の発言をしても、自分たちの都合のいいように記事にすることは間違いないが。

ともあれ、彼らの造反劇に、新しい時代の到来を感じざるを得ない。
このような事態は、池田名誉会長が学会の中で存在感があった時にはあり得なかっただろう。
以前であれば彼らのように幹部糾弾をして徒党を組めば、池田名誉会長によって非難され、「池田名誉会長のご指導=自分たちの実践」という等式が音を立てて崩れ去ったはずだからである。
その「最後の砦」が崩れた後は、自らの意見を捨てて反省するしかない。もしくは、「池田名誉会長=絶対正義・無謬」という等式を捨て去り、日蓮や戸田会長、もしくは社会的規範を持ち出して、「日蓮仏法・戸田会長・社会的規範に反する池田名誉会長=絶対悪」「日蓮仏法・戸田会長の指導・社会的正義を忠実に実践する自分たち=絶対正義」という立場に立たざるをえないのである。
これまでに造反した学会本部や公明党議員は、そのほとんどが「池田名誉会長への造反」という形をとった(原島嵩氏や藤原行正氏、龍年光氏など)。

しかし今後は、池田思想の正統な実践者を自負する人物が大勢出ることだろう。彼ら3名の池田名誉会長の言葉を振りかざしての造反は、そのような時代の到来を予感させる。
また、1人の偉大なカリスマが圧倒的な支配力を持っていた組織は、そのカリスマを失うと分裂をしてしまう事は、歴史が教えるところである。

僕は一会員として、学会の分裂は決して望まない。
であるから学会本部職員の方々は、派閥が出来てしまうのは仕方ないにしても、組織の維持を重要視するという穏健な態度と、自らの誤りを認めて改める謙虚な姿勢を持ち、余程のことがない限り、組織を割るような真似はしてほしくないと思う。
動揺して迷惑を被るのは、現場の学会員であるから。

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