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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

「池田先生が仰るのだから、絶対正しい」:嗚呼、恥ずべき哉、此の『未成年状態』

「お前の意見は、池田先生の仰っていることと違うから、間違っている」
15歳で創価高校に入学して以来、何度言われたかわからない言葉です。
こんな事を大真面目でいう人間に会う度に、嫌気がさし、全身が重くなるような疲労感を覚えました。
「池田先生の思想と違う!」という言葉は、高校卒業後も止むことがなく、創価大学や学生部でも盛んに使われました。ようやく創価教育の学舎を卒業して、この言論封殺から解放されたかと思いきや、男子部の先輩に同じ言葉を言われ続ける日々が待っておりました。
最近では、もうこの類の言説からは一生逃れられないのだと、半ば見限っております。

カント『啓蒙とは何か』における「未成年状態」

「池田先生が言われているのだから、絶対正しいのだ」等と公言して憚らない人間は、自らの頭で考える事を放棄した、如何に恥ずべき状態にあるかをまったくわかっていない。

ここでカントの『啓蒙とは何か』から言葉を引きましょう。言うまでもなく、牧口常三郎初代会長がその思想形成において多大な影響を受け、獄死の間際まで格闘された哲学者です。また、池田名誉会長とトインビーの対談を少しでも読めば、カント哲学が下敷きになっている箇所の多いことに容易に気づかされます。 

「啓蒙とは、人間が、自らに責任がある未成年状態から抜け出ることである。 未成年状態とは、他人の指示なくしては自分自身の思慮分別を用いることができない無能力状態のことである。
自らに責任があるというのは、この未成年状態の原因が、思慮分別が欠けているからではなくて、他人の指示なしに、自分の思慮分別を用いるだけの決意と勇気を欠いている点にあるからなのである。
『Sapere aude! 自分自身の思慮分別を用いる勇気を持て!』、すなわちこれが、啓蒙の標語なのである。」

カントの言葉を借りれば、池田名誉会長の言葉(他人の指示)を全ての判断基準・物差しとして用いることは、「未成年状態」である。そういった人間は、自分自身の思慮分別(理性)を用いる勇気がないのです。

この「池田先生が言うから正しい」という主張の主語は、容易に拡大されていきます。
創価学会が言うことなのだから正しいのだろう」と言って、その教義や会則に一切の疑問を持たない。「絶対正しい」という命題を覆す現実に直面しても、それにフタをしてしまう。
公明党が推進しているのだから正しいのだろう」と言って、その中身を見る事をせず、一切の政策に賛成する。「公明党が推薦するなら信頼できる」と、知りもしない自民党候補に投票する。

「お前もカントを使ってるじゃないか」と言われそうですが、全く異なります。私は「カントは絶対正しい」という命題から出発していない。その主張の根拠を見て批判し、取捨選択する。現実とその主張を目の前に並べて、それに妥当性があると判断したら、その言を引用する。こういう態度で臨んでいます。またこれは、教団内部でしか通用しない「特殊用語」から脱却し、学問・哲学という「共通言語」を用いて意見を主張しようという試みです。

師匠の「ご了承」を得なければ前に進めない悲劇

このような「未成年状態」は、至る所に見られます。

安保関連法の成立を巡り、創価学会創価大学の中で、公明党に批判を加える人たちが注目されました。私は当初、彼らの動きに対して期待を持っておりましたが、それはすぐに失望に変わりました。
彼らの主張は結局のところ、「池田先生の言葉と違うから、反対だ」というものに終始していたからです。たまにそれ以外の意見が聞こえてきたかと思えば、「憲法学の偉い先生が違憲と言ってるから反対だ」という、権威に盲従したものに過ぎませんでした。
勿論、自分なりの意見を持っていらっしゃる方もいるでしょう。しかし私がお会いした方はほとんど、法案を読んだこともない。憲法学の偉い先生の意見についても、「集団的自衛権違憲だ」という結論部分しか知らない。こういった方が大半だったのではないかと思います。

この「未成年状態」の極致は以前紹介した、創価学会を造反した3人の元本部職員のブログに現れていると思います。

3名について紹介した批判記事は以下。

sanseimelanchory.hatenablog.com

彼ら3人の内2人は、創価学園創価大学の同窓の先輩ですので、何度も批判するのは憚られますが、やはり彼らは「病んでいる」と言わざるを得ません。

彼らが安保法案についての態度を表明した記事「■① 安保法制に対する私たちの考えと決意」から引用しましょう。

今回の安保法制は、創価学会の存在意義、そして師匠の築いてこられた民衆城である創価学会の根本にかかわる問題だと私たちは感じています。
だからこそ私たちは、今回の安保法制について、私たちの師匠であり、命がけで「平和主義」を訴えてこられた「創価三代の永遠の師匠」であられる池田先生の「ご了承」が果たしてあったのかどうか、師匠の弟子として、確認しなければならないと考えております。

 何て師匠に忠実な弟子なのだろうと涙が出ます。「安保法制の可否」という政治的見解を持つために、師匠の「ご了承」が必要だと言うのですから。とりあえず彼らには、小学校に入り直す事をすすめたいと思います。

「池田先生」という安全地帯への逃避

とはいえ、こういった類の意見は、創価学園、大学でもよく耳にしたのも事実です(やはりこの元職員の御三方は、卒業生に見られる悪習を悉く体現している)。

安楽死の是非」「死刑廃止の必要性」といった倫理学的なテーマについて、同窓の友人と語る事がよくありました。こういった場においては、過去の議論の蓄積を批判的に考察しながら、自分なりの立場・態度を決定して、その根拠を述べるのがオーソドックスなものでしょう。
しかし多くの友人は、『21世紀への対話』などの池田名誉会長の著作を開いて、「先生は生命尊厳、死刑廃止と言われているから、反対だ」と言い出します。あまりに低レベルな主張に腹が立ち、「死刑賛成論」をぶつけてやると、返ってくるのはあの言葉です。

「おまえの意見は、池田先生の思想と異なっているから間違っている」

私の感じた疲労感が、少しはおわかりいただけましたでしょうか?

こういう主張をする人間は、要するに「答えがない問題に耐えられない」のだと思います。
安楽死や死刑制度などといった倫理学的なテーマは勿論の事、安全保障や憲法改正といった政治的な問題にも、絶対的な答えは存在しない。

我々はこういった問題に直面するとき、賛成と反対の両極を揺れ動き(賛成・反対という二分法でないことも多い)、確かな足場を得られない不安に苛まれながらも、自分の頭で考えて答えを出そうと努力します。
この不安定な状態は、とても辛い。
ましてや、「神は存在するか」「人生に生きる価値はあるか」「なぜ自殺してはいけないのか」といった根源的な問いは、それと本気で格闘した人間を、狂気に誘い込むだけの魔力を持っています。

こういった動揺に立ち向かう勇気が持てない。
だから、自分の頭で考える事をやめ、「池田先生」「創価の思想」といった絶対的な安全地帯に逃避したくなるのです。
さらに厄介なことに、そういった信仰という名の盲従に堕した人間は、自分と違う意見に対してひどく不寛容になる。そして、「師弟の精神に反する」「信心が足りない」などといった言葉を使って、反抗者を罵るのです。これはとんでもない愚行、暴挙と言わざるを得ません。

「学園生がかわいそうだ」

最後に、私が創価高校にいた頃に読んだ、ある逸話を紹介します。

これは、斎藤ベンツえく子女史という創価大学出身のロシア語通訳の方が語っておられたものです(学園在学時に読んだのですが、いくら調べても出典が見つかりませんでした。趣旨の説明にならざるを得ませんが、基本的な内容は間違っていないはずです)

斎藤女史は、池田名誉会長が高校生向けの著作『青春対話』を出版されるにあたり、「学園生はかわいそうだ」と言われたのを耳にしたそうです。斎藤女史のお子様も学園で学ばれており、「なぜこんな素晴らしい教育を受けている学園生がかわいそうなのか」と怪訝に思われたとのこと。
すると、池田名誉会長は、次のように言葉を続けました。
学園生の前にはあまりに偉大な結論が突きつけられている。もっと自由に考える機会があってもいいのではないだろうか。そう考えて、今回の『青春対話』発刊に踏み切ったんだ」

私はとてもすごいエピソードだと思います。

池田名誉会長は、客観的に見て創価学会の「ワンマン」です。
同じく「ワンマン」である、一代で大事業を築き上げた創業社長などを見ていると、その自己批判性のなさに辟易とすることがあります。それは、彼らの成功哲学が社会的実証によって完全に支えられており、その圧倒的権威から異を唱える人間が周囲から消えていくため、自らを省みる契機を持たないからでしょう。

池田名誉会長にも、そういうところがあると思います。
ただ、自分という絶対的権威の言葉が組織内の人間を圧迫する危険を認識し、その潜在的被害者の状況に思いを馳せ、そして現実的な取り組みに着手するのは、なかなかできないことだと思います。

「池田先生の意見と異なるから、間違っている!」という常套句を頻発していらっしゃる皆様。
どうかその喉元まで出かかった言葉を一旦飲み込んで、それが池田名誉会長の本意なのか自問自答してください。

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