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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

「『人間革命』新旧版を読み比べる」序章:連載開始にあたって

これから複数回に分けて、『人間革命』の第1版と第2版を比較検討する「読み比べ・『人間革命』新旧版」を始めたいと思う。

2014年に、創価学会の歴史を描いた小説『人間革命』の改訂が行われることが発表された。

改訂は既に完了されており、全12巻の第2版全てが現在入手可能である。

第2版発行の理由として、創価学会は以下の2点を挙げている。
①宗祖に違背して腐敗堕落し、仏意仏勅の団体である創価学会を破壊しようとした日蓮正宗からの分離・独立を考慮に入れて、推敲すべきであるということ。
②原稿執筆後に発見された新資料が存在するため、それらを加味して改訂すべきであること。
さらに、「50年後の若い読者が読んでもわかりやすいような表現にする」という点を、池田名誉会長本人に確認したとされている。

私は第2版発刊当初、この事には無関心だった。
『人間革命』は初版を何度か通読しており、今更読み直す気もなかったし、どうせ日蓮正宗礼賛箇所の削除や分離独立に伴う教義変更の反映など、自分たちの正統性を強調するための内輪的な改訂に過ぎないだろうと考えていたからである。

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改訂箇所の検討に至った理由

しかし今回、その改訂箇所を検討するに至ったのには、理由がある。
第一に、この問題に関心を持っている人間が、私の周りに一定数いたらからである。私には、創価学会の動向をウォッチしている物好きの友人が何名かいるが(恐らく私は彼らに利用されている)、彼らに何度もこの事を質問されていた。しかし、「暇がないのでチェックしていない」という回答を繰り返すのも嫌になり、一度調査をしてみようとした。またこのブログを開始してから、法華講員の方からこの件について質問を頂いたことも、きっかけとなった。
本当は、第1版と第2版を比較するなどという面倒な作業は誰かにお願いしたかったのだが、ネット検索をしても、詳細に検討したHPが見つからない。脱会者や日蓮正宗の信者の方などがこのような作業をしてくれているだろうと期待していたのだが、「人間革命改訂は池田本仏論を確立するため」などと主張するものしか見つからなかった。
そこで止むを得ず、自分でこの作業をすることにした(もしこのような取り組みをされている方を知っておられたら、ご一報いただけると幸いです。中止するか、独自性を出すことを考えるか、何らかの対応をします)。

第二に、他宗教との関係や学会の過去の歴史について、現在の創価学会本部がどのような公式見解を持っているのか、わからない点が多々あったからである。
はっきり言って創価学会は、かなりの「自語相違」を繰り返してきた。学会書籍は、その出版年代によってその主張が大きく異なる。私に限らず、今の学会本部が何を考えているのか、わからない人は多いのではないかと思う。
現今の学会本部の考えを理解するにあたり、『人間革命』を考察することは、適当な方法ではないかと、私は考えるに至った。
なぜなら『人間革命』は数ある学会書籍の中でも、最重要の位置を占める作品だからである。当然、その推敲とあらば、自分たちの教義・見解を矛盾なく反映しようと、学会本部の職員も本気を出して取りかかるはずだ。
さらに前述の通り、『人間革命』第2版は、「50年後の若い読者」も想定した上で改訂されており、今後の学会の「スタンダード」を示しているとも言える。

主に上述の2つの理由から、このような取り組みへの着手を決意するに至った。

比較検討の指針

比較検討をするに当たり、いくつかの指針を示しておきたい。

①教義・見解の変更を反映したと考えられる改訂部分のみを取り上げる
今回の改訂理由の1つは、「よりわかりやすくするため」であるとされている。
第2版は初版よりもかなり読み易く、簡単になっている。私の周りの友人も「読み易くなった」という感想が大半(というか全て)であった。

「人間革命は読みづらい」とは、私が子供の頃から何度も聞いてきた感想である。読書が嫌いという会員には、本書を読むのはかなりの苦痛を伴うものであろう。
しかし、創価学会の教義の根幹は、牧口・戸田・池田という3代会長の人生を師匠として、手本にする事にある。『人間革命』は、戸田会長と池田会長が共に生きた時代を描いたものであり、それを会員に認知させるのは学会にとって最重要命題である。
「難しい」という理由で会員が『人間革命』を忌避するという事態は、学会本部としても避けたいに違いない。

「文章をわかり易くするのはカムフラージュで、本当は自分たちに不都合な歴史を隠蔽するのが目的だ」という批判をよく聞く。
しかし、「文章をわかり易くする」という点も、上述の学会本部の意図を考える時、改訂の重要な理由だったのではないかと私は考えている。

しかし、「文章がどのように簡易化されたか」という点を考察する事は、この企画の趣旨に反する。
そこであくまで、初版発刊以降の創価学会の教義・見解の変更を反映したと考えられる箇所のみを取り上げて、考察する事とする。

②当面は発刊された順に考察をしていく
当面は、第1巻第1章から順に、時系列的に『人間革命』新旧版を比較考察していきたいと思う。

「当面は」と書いたのには、理由がある。
現在の私は、第1巻から第12巻までの全てを網羅的に考察する事を目指しているが、所詮私も一介のサラリーマンである。仕事が忙しくなれば、当然そちらを優先するし、このような取り組みが結局私の興味関心に起因している以上、いつ飽きるかわからない。
また、本ブログにも一定数のご批判をいただいているので、メンタルの弱い私の心が折れてしまい、予告なしの閉鎖をしないとも限らない。

そのような事情を鑑みる時、網羅性に固執することなく、より学会の教義・見解の相違が先鋭的に現れていそうな箇所を優先的に考察するということも必要かと思われる。
現在視野に入れているのは、日蓮宗との法論を描いた「小樽問答」や、日蓮正宗との衝突のきっかけとなった「狸祭り事件」などである。また、牧口・戸田両会長と共に獄に繋がれ、非転向を貫きながらも、後に「裏切り者」と弾劾されるに至った元理事長の矢島周平に関する記述も、気になっている。
時系列を無視して、これらの章の考察が始まったとしても、どうかご容赦願いたい。

③使用する『人間革命』の版について
第2版については、現在販売されているものを使えば、問題ないだろう(流石にこんな短期間で大きな記述の変更はないと信ずる)。

問題は、初版の方である。
今回、大々的に『人間革命』の改訂が報じられたが、果たしてこれ以前に記述の変更がなかったかと言うと極めて怪しい。日蓮正宗からの分離独立から20年以上経過しており、その間に改訂が全くされていないとは考えにくい。そこで少なくとも、分離独立以前に出版された初版本が必要となる。

幸いにも比較的古参会員である我が家の本棚には、昭和40年の初版本発刊元年のものがあったので、これを使用すれば問題ないと考えられる。

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しかし、第11巻は1980年に聖教新聞紙上で連載が開始されたが、単行本化は1992年、つまり日蓮正宗からの分離独立以後である。当然、分離独立に伴う教義・見解の変更を反映したものになっていることが予想される。
本来であれば、聖教新聞に連載された文章と単行本化されたもの、さらには第2版を比較すべきなのだろうが、現在の私は過去の『聖教新聞』を閲覧できる環境にない(どういう意図が働いているのかわからないが、過去の聖教新聞へのアクセスは、驚くほど限られている)。
そうである以上、第11巻以降の第1版・2版の比較検討は、どちらも日蓮正宗からの分離独立を経たものにならざるを得ない。

とはいえ、この取り組みも全く無駄であるとは考えていない。分離独立から20年間の間にも、創価学会は大きく変化をしてきた。その変化を描く事は、十分可能であると考えている。

終わりに

以上が、「読み比べ・『人間革命』新旧版」の序説である。
私は専門の研究者でもない、浅学の一会社員に過ぎないので、多くの問題が生じると思う。ご批判やご指摘等を随時いただきながら、進めていきたいと考えているので、遠慮なくご連絡いただければと思っている。
自説にこだわることなく、積極的に修正・加筆していきたい。

本連載の目次一覧は、下記をご覧くださいませ。

sanseimelanchory.hatenablog.com

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