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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

学会再建に乗り出す戸田城聖:「再建」の章を読み比べる

本日は、『人間革命』第1巻2章「再建」を読み比べたいと思います。

本記事は、2014年に改定された『人間革命』第2版と初版を比較検討するものです。ここでは、第1巻「再建」の章を取り上げます。目次一覧は、下記をご覧くださいませ。

sanseimelanchory.hatenablog.com

「再建の章」あらすじ

出獄した戸田城聖は、創価学会の再建に乗り出す。そのためには、戦時中に壊滅してしまった彼の事業を再建する必要があった。彼は、戦争が終われば学問を渇望する子供が増えることを予想し、通信講座の開始を着想する。最大の課題である資金を調達するため、長年の友人である小沢の元を訪問。さらに、政界の大物・古島の邸宅を訪れ、終戦の目処を確認し、開業への準備を着々と進めていく。

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想定読者の変化

(第1版)

どん底に来ると、人生は何とわびしいものであろうか。日本の指導者が、もし賢明なる指導者であったならば、常に、民衆に充実した人生を送らせたことであろう。国民は、この苦悩を永久に忘れてはならない。(43頁)

 

(第2版)どん底の生活は、人々に極めてわびしい思いをさせた。民心は、既に、軍部指導層から離れていた。指導者が賢明でありさえすれば、よもや国民全体を塗炭の苦しみに落としはしないことを、人々は本能的に直覚していたからである。(58頁)

【考察】

「忘れてはならない」というメッセージ性の強い表現が、「直覚していた」という客観的記述に代わっている。これは、想定する読者が変わった事が背景にあると考えられます。
第1版の執筆時は昭和39〜40年。まだ戦後20年であり、戦争の記憶もそれなりに残っていたと考えられます。そのため、「この苦悩を忘れてはならない」というメッセージが、ある程度響くものだったと思われます。
しかし、第2版発行時は既に終戦から約70年が経過しています。さらに本書の改訂が「50年後の読者も想定」しているものである以上、その読み手が戦争経験を有していないという前提に立つ必要が出てきます。そのため、「忘れてはならない」というメッセージではなく、当時の国民の心情を叙述したような記述になったのだと考えられます。

処世訓の削除

(第1版)

彼の、数多い事業の一つでも再建の糸口を握るためには、まず、生々しい実態を知る必要があった。実態を知らないで再建はありえないからである。かくて常に、建設に生き抜く人生には、未来が輝く。最後の勝利の建設によって、人生の勝負が決するのだ。

(第1版)

一切の事業を推進するのは、所詮、すべて人である。その成否の鍵は人間革命に尽きる。事業に左右されるか、事業を左右するかによって、事業の未来の運命は決まる。(47頁)

(第1版)

事業は、果断と、智慧と、信用が大事だ(54頁)

【考察】

上述の3箇所の記述は、どちらも初版にはあるが、第2版にはない記述です。
このような小説の流れとは無関係の「処世訓」的な言葉が所々に登場するのが、第1版の特徴であるが、第2版では削除されています。これは、「客観的な歴史叙述」の性格を強めようとしたものだと考えられます。しかし、私のような第1版に親しんだ会員からすると、所々に「池田大作」という人間が物語の語り手という立場を超えて顔を出すのを魅力と感じていたために、少々残念でもあります。

「学会外の友情」についての記述の削除

(第1版)

友情は強い。真の友情は、百の親類に優るといった人がいる。しかし友情にも、世法の友情と、仏法の友情がある。世法の友情は、深いようで、浅い。現実の苦境と利害にあって、自然に離れてゆく性質を含んでいる。時としては一転して醜い嫉妬にも変わり得る。そのような時に、妻や女性が介在するのも珍しくない。信心、そして主義主張に生きる同士の友情は、目的達成のために、生命を賭しての擁護があり、励まし合いが存する。彼との長年の親交は、主義主張のものではなかった。(58頁〜59頁)

(第1版)

所詮小沢の友情は、世間一般の平凡な友情でしかなかった。人は無理からぬことと許すかも知れぬ。だが戸田の友情は、それを越え、一切の財力、権力を超越した真の友情であったのだ。小沢にはそれがわからなかった。(67頁〜68頁)

【考察】

これは戸田が、旧来の友人・小沢を訪問した時の記述です。
上述の2箇所も、第1版にはあるが、第2版では削除されているものです。
これらの記述は、「仏法の友情」と「世法の友情」を対置して、前者の絶対的優位を主張するものです。
この記述がなくなった理由として、私は以下の2点を考えています。

①運動論の変化の反映

第一に、創価学会折伏運動の変化である。昭和39年頃は、教団が拡大していた時期です。当時の会員にとって、周囲のあらゆる人は「折伏の対象」であり、潜在的な「仏法の友情」を築く相手だったのではないでしょう。そうした運動の中では、「仏法の友情」の優位性を強調して折伏運動を鼓舞することは、合理的であると考えられます。
しかし、昨今の学会では状況は変わっている。国内会員数は飽和状態に達しており、「友好拡大」、つまり非会員の創価学会理解を進める事が推奨されています。そうした状況下では、「世法の友情」を「浅い」と断ずることは都合が悪いと言えるでしょう。

②想定読者層の拡大

第二に、想定読者の拡大です。初版刊行時の『人間革命』は、会員に学会の歴史を周知させることに主眼を置いていたのではないでしょうか。しかし、前述の通り、非会員の学会理解を深めようとする運動も推奨されている今、「非会員」の読者も視野に入れる必要を、学会本部は感じたのではないかと私は考えています。

法華経の行者に関する記述の変化

(第1版)

戸田は、この時、ぽつんと言った。

「ぼくは、やっぱり、末法法華経の色読者だよ」(68頁)

 

(第2版)

戸田は、この時、ぽつんと言った。

「ぼくは、やっぱり、末法法華経の行者だよ」(86頁)

【考察】

これは戸田が小沢に言ったセリフであるが、「末法法華経の色読者」が「末法法華経の行者」になっています。
これは、現在の会員にとって馴染み深い「法華経の行者」に変えただけであり、それほど大きな意味はないと私は思っています、戸田城聖の「獄中の悟達」について考察する際にこの等置が妥当か再考したいと思います。

政界の大物・古島の礼賛の削除

(第1版)

乱世には、有能な人が、高潔な人が、どれほど不遇であることか。ある時は、国賊とののしられ。ある時は、臆病者と嘲られたりする・・・。いかなる時代の推移、動乱にも、自己の信念を屈せず、一直線に貫き通す人は、誠に尊い。時代は流れた。人の心も動いていた。今、両者とも、各々主義主張は異なるとはいえ、いずれも、次の時代を待っているのだった。(75頁)

これは、政界の大物・古島の元を戸田が訪問した時の記述です。初版にのみ記載されています。
古島を褒めたセリフのようでありますが、第2版では削除されている。私はこの政界の大物が誰が知りませんが、この古島という人物に気を遣った記述だったのではないかと思います。
第1版執筆当時は、この古島と戸田の面談から20年。まだ古島が健在であるか、その流れを引く人物がいたのではないかと推測されます。戸田会長とは随分懇意のようですから、その交友関係が池田会長に受け継がれていたことも予想されます。
しかし、面談から約70年経った今では、別段おべっかを使う必要もないのでしょう。

寺院名の削除

(第1版)

戸田の近くの坂上に、瑞泉寺というかなり大きな寺院があった。(79頁)

(第2版)

戸田の家の近くの坂上に、かなり大きな寺院があった。(99頁)

【考察】

寺の固有名詞が消えています。
瑞泉寺とは、以下の寺院であると考えられるが、どうやら禅宗系の寺のようです。

www.zuisho-ji.or.jp

削除されている理由がよくわからないが、それほど着目する必要もないと私は考えていまし。

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