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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

天皇制に学ぶ「忠誠」と「反逆」

哲学・思想史

先生は、天皇をどうお考えですか

『人間革命』の「地涌」の章において、山本伸一戸田城聖に投げかけた質問です。

この質問は、当時の時代思潮を表しています。
壊滅的な敗戦を迎えた日本に生きる人々は、いくつかの重要な思想課題に直面していました。
それは、戦争責任と主体性の問題です。そしてそれは天皇制」という一点において交差するものでした。なぜなら主体性の反対語である「権威」の象徴は、天皇であり、戦争責任の筆頭にあったのも天皇だったからです。

私は、創価学会の思想を考える上で天皇制の問題は非常に重要であると考えています。
それは第一に、「人間革命」という思想が戦中日本に対するアンチテーゼとして生まれたことです。そしてその戦中日本は、天皇制抜きでは語れない。後ほど詳述しますが、「人間革命」とは創価学会のオリジナルの造語ではない。それは、東大総長の南原繁などによって多用された当時の時代思潮を表す言葉だったのです。

また見落としてはならない点は、池田名誉会長が終戦を迎える17歳までの日々を、皇国思想の中で生きたということです。果たして戦時下の池田氏天皇に対してどのようなスタンスをとっていたのかわかりませんが、私は多くの国民と同じように素朴な「忠誠心」を抱いていたのではないかと思っています。そしてその忠君の心は、なかなか消えないものです。

長くなりましたが、本日は「天皇制」をめぐる戦後日本の議論がテーマです。

本稿は、連載企画「『人間革命』の時代を読む」の第2章に当たります。連載目次は、下記をご覧くださいませ。

sanseimelanchory.hatenablog.com

共産党が提唱した「天皇制打倒」

戦後日本において、天皇制打倒を提唱した筆頭格といえば、日本共産党です。
彼らはそのマルクス主義的な歴史観に基づいて、日本の天皇制を西洋の「絶対王政」に当たるものだと認識していました。すなわち日本は、中性的な封建制からは脱却しているが、フランス革命のような市民を革命を経ていない。その証左として、農村における寄生地主制度や君主制(=天皇制)が残存しているというのです。
日本共産党が目指したのは、「二段階革命」です。それは、天皇制を打倒する市民革命を達成したのち、社会主義革命を実行するというものでした。

着目すべきは、彼らが自分たちを「真の愛国政党」と位置付けて、上記の革命を主張したことです。今日の日本では「愛国」というと、ノスタルジックな「故郷に対する愛情」や、天皇への「忠君」と同義のように見られています。
しかし共産党が掲げた「愛国」とは、天皇に象徴される権威に追従せず、自主独立した人民が責任を持って祖国に貢献するというものでした。これは戦前・戦中の日本において、投獄・惨殺された日本共産党員の生き方に表れているといいます。つまり彼らは、「天皇制」「帝国主義」という権威に反対し、真に日本国の利益を追求した。つまり、天皇制」に反逆しながら、日本のためという「愛国的行動」を貫いたものだというのです。
このような「天皇制に対抗するナショナリズム」こそ、彼らが唱えた「真の愛国」でした。

天皇制への“愛着”ー丸山眞男中野重治

このような共産党の自主独立した「近代的個人」を目指す愛国のあり方は、前回の記事において言及した丸山眞男に通じるところがあります。これは、丸山がマルクス主義史観に惹かれていたことに一因があります。

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しかし、日本共産党と丸山には大きな違いがありました。それは天皇への愛着」です。
皇国思想の中で生きてきた丸山にとって天皇は、簡単に放棄できるものではありませんでした。彼は「超国家主義の論理と真理」において、天皇を頂点とする権威的なヒエラルキーを批判しますが、その執筆過程は煩悶と葛藤に満ちていたようです。
ゆえに丸山の天皇制批判は、昭和天皇を弾劾するものではない。天皇制という制度によって、精神的自由を確保できない日本への批判だったのです。

このような「天皇への愛着」は、広く共有されたものでした。
天皇退位を主張した中野重治は、天皇戦争犯罪人とした日本共産党に強く反発しています。彼が主張したのは、天皇天皇制からの解放」です。それは、全体主義によって抑圧された個人の典型を、天皇に見出すというものでした。これは、彼自身の「天皇への愛着」から生まれたものと言えましょう。

日本の民主化は「人間革命」ー南原繁

東大総長の南原繁は、天皇への強い忠誠心を持ちながら、天皇の自主退位を主張した人物です。

南原は日本の敗戦の原因を、丸山と同じく「独立した個人としての人間意識」が不足していたことに見出します。
しかし、その「独立した個人」とは、自己の利益追求に終始する功利主義者ではない。彼は、「独立した個人」が可能になる足場として、「民族」を提唱します。南原はもともとフィヒテの研究者でしたので、それはフィヒテ思想を日本という文脈の中で展開したものでした。
即ちそれは、「民族」という具体的・歴史的な共同体の中に自分を位置付けることにより、倫理的基盤が与えられ、私的利益追求の重視から脱却でき、「真の自由」を確保できる。さらにそれは、国際社会に参与する足場となるというものです。

その南原にとっての天皇とは、そのような倫理的源泉である「民族」と自由な個人を象徴するものと規定されるものでした。
しかし、このような規定に立つ時、1つの問題が起きる。自由な個人を象徴する天皇は、当然自らの行動を自ら律する自由と責任を持ちます。即ち、天皇の「戦争責任」の問題が浮かび上がるのです。

そこで南原が目指したのが、皇室典範の改正です。最近話題になっているこの法律には、「自主退位」の規定がありません。南原が目指したのは、天皇が「一個の自由な人間」として責任をとり、退位することができるよう、皇室典範を改正することでした。これは結局実現せずに終わりましたが、この南原の思想に私は舌を巻きました。天皇への絶対忠誠を揺るぎないものとしながら、それを「近代的個人の象徴」と位置付け、戦争責任と自主退位の問題まで引き受けてしまうのですから、そのスケールに驚かされます。南原の思想に触れた後ですと、自民党改憲草案なんてとても読めたものじゃありません。

最後に、南原において注目すべきは、彼が「人間革命」という言葉を東大卒業式で使ったことです。戸田城聖がそのことを知って喜んだ、というエピソードを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
「人間革命」は、今日あまりに手垢がつきすぎてしまった用語ですが、一度全ての先入観を捨て去って、その誕生の瞬間に注目する必要がある。また、創価学会がそれを使用し始めた時代状況と文脈を研究する。これは不可欠であるように思われます。
いずれ着手したいのですが、いつになるでしょうか。。。

「忠誠」と「反逆」の表裏一体関係

天皇制を巡る議論を様々見てきましたが、私の頭から離れなかった問題があります。
それは、創価学会と池田名誉会長に対する「忠誠」と「反逆」の問題です。
こんな事を言うと怒られそうですが、戦時下の大日本国帝国と天皇に絶対忠誠を誓った軍国青年たちは、私の周りの創価大学OBと重なってしまいます。

何も戦時下の天皇崇拝と創価学会の池田会長崇拝が同じだなんて言うつもりはありません。しかし、我々は創価3代の会長を「永遠の指導者」と定めています。これはかなり難しい思想課題であり、一歩間違えればかなりグロテスクな思想が出来かねない。また、日蓮の位置付けも、宗門から破門された学会にとって取り組まねばならない宿題となっています。
タテマエを捨て去って、天皇を「現人神」とした戦前の日本に学ぶことも、創価思想の構築には有効ではないかと思うのです。

天皇への忠誠の果てに敗戦を迎えた当時の日本人を見ていると、「忠誠」が「反逆」と表裏一体にあることに気づかされる。
つまり、それ(天皇)を強く信じていればいるほど、その脆弱性が露呈した時の「失望」は大きくなります。その「失望」は、かつて自分が信じていたものへの強い「抵抗・反逆」となります。「天皇のために死ぬ」と決意していた青年が、戦後「天皇処刑」を主張する事は、決して珍しくなかった。

何度も言及して申し訳ないのですが、造反した元創価学会本部職員の3名がいらっしゃいます(以下記事参照)。

sanseimelanchory.hatenablog.com

彼らは現在、盛んに学会本部攻撃(反逆)を続けていますが、そのきっかけとなったのは、組織への「失望」でした。それまで純粋で美しい無謬の世界だと信じていた創価学会が、成果主義と閉鎖性に満ち満ちた組織であると発見したのです。
彼らは、創価学会に対して非常に「忠実」だったのでしょう。その忠誠心が強いほど、それが裏切られた時の失望は大きくなり、反逆の行動も派手になります。

私は「忠誠心」を否定しない。しかし、重要な事は、忠誠の対象をしっかりと認識することです。完全無謬のものなんて、この世にありはしない。それにもかかわらず、それが「完全無欠」であるかのように誤解すると、実態からかけ離れた「偶像」が出来上がってしまう。
その「偶像」は自分が勝手に作り上げたものです。そして、その「偶像」と実態の乖離に気がついた時、「裏切られた」と錯覚し、それまで忠誠の対象としていたものに対して、これでもかと反逆するのです。

ですから、天皇にしても、創価学会にしても、その良いところも悪いところもしっかりと見て、その上で信じて、忠誠を誓うべきです。

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