学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

創価学会と憲法9条:戦後日本における議論から考える

共産党は護憲、護憲と言っているが、日本国憲法制定時に反対したのは、共産党じゃないか!」

共産党が「国民連合政府」構想を掲げた頃から、公明党はこのような批判を好んでするようになりました。

私はこれを初めて聞いた時、「流石にそんな批判はないだろう」と思いました。もしも私が共産党議員だったら、「お前らだって王仏冥合国立戒壇建立を掲げていただろう!」と言い返しますが、公明党はなんと反論するのでしょうか。

それにしても、創価学会公明党共産党は仲が悪いですね。その理由として、「ターゲット層が重なっているから」という紋切り型の答えがありますが、十分ではない気がします。私は共産党の事を別になんとも思っていないのですが、周囲の学会員の共産党アレルギーはすごい。これでもかというほど悪口が飛び出します。これについては、機会を改めて、じっくりと考えてみたいと思います。

さて、本日も「『人間革命』の時代を読む」と題して、戦後日本の思想史を考えていきます。今回のテーマは、「日本国憲法」。当時の日本共産党や保守派の政治家などを取り上げ、憲法制定時の日本における議論を考察していきます。
さらに、創価学会憲法9条についても末尾において考えたいと思います。

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(本記事は、連載中の「『人間革命』の歴史を読む」の一部です。連載の目次一覧は、下記をご覧くださいませ。)

sanseimelanchory.hatenablog.com

憲法9条に「新しい日本像」を見出そう

未曾有の敗戦を迎えた日本。戦後の日本人が求めたのは、「ナショナリズムの廃棄」ではなく、「新しいナショナリズム」の探求でした。これまでの連載において、丸山眞男南原繁を見ながら、戦前の皇国思想に代わる新しいナショナリズムの探求を概観してきました。

そのような「新しいナショナリズム」探求の土壌の上に、憲法9条も登場しました。

政治、軍事、経済、全てが壊滅してしまった日本。そんな日本にとって新しいナショナルアイデンティティを構築するための鍵として、「文化」と「平和」が見出されました。
京都学派の高崎正顕は「文化戦争に勝て」と述べ、河上徹太郎も「我が国唯一のホープはぶ文化である」と述べている。

また、軍事的に壊滅した日本にとって、欧米に対抗する唯一の根拠は、平和主義に基づいた「道義」であったことも注目すべきです。戦後、アメリカの原子爆弾投下を道義的に非難する声が高まりを見せます。昭和天皇玉音放送でも、東久邇首相による記者会見でも、原爆投下が「人道無視」の行為であると批判されています。
しかし、そうした道義的な非難をする為には、自らが道義に適っている事が求められます。石原莞爾はこの理論に沿って、非武装中立を掲げて、米国の非道行為を非難しています。

これらの当時の日本人が抱えていた「心情」を見るとき、非武装と平和を掲げる憲法9条は、決して「押し付け」でなかったことがわかります。「道義」と「平和」は、プライドを完全にズタズタにされた日本人が、誇りを失わないための「最後の砦」だったのです。

保守派は憲法9条を大歓迎した

日本国憲法は押し付けだ!」「自主憲法を制定すべきだ!」

今日、保守派の政治家から盛んに聞かれる主張です。しかし日本国憲法案がGHQによって示された時、保守派の政治家たちは、一様にそれを歓迎しました。
その主な理由として、以下の3点が挙げられます。

第一に、憲法9条が日本の新しいナショナリズム構築の一環として認識されたことです。これは前節でも述べましたが、完敗を喫した日本人は、新しいナショナリズムの拠り所を求めていました。9条の非武装平和主義が「新しい日本のあり方」の規定として、肯定的に解釈されたのです。

第二に、憲法草案の制定が保守政治家たちにとって、非常に都合が良かったからです。保守化の政治家たちが恐れていた1番の事、それは天皇の処遇でした。天皇主権はさすがに認められないものの、「象徴天皇」として天皇制を維持する日本国憲法は、彼らにとって都合の良いものだったのです。当時の国際世論を見ると、「ヒロヒトを処刑せよ」という主張も多かったため、これは彼らにとって僥倖と言えましょう。
また、共産党の躍進に伴い、保守政権が自分たちの体制護持に危機感を覚えていたことも挙げられます。日本国憲法という思い切った改革案をした結果、自由党などの保守政党は1946年の選挙で躍進し、政権を獲得することができました。

そして最後に、憲法9条の受容は、決してドラスティックなものではなく、「既成事実の順応」であったことです。既に日本は連合国に占領されており、非武装化も相当程度進行済み。とても再軍備や他国との戦争など考えられる状況ではない。憲法9条による戦争放棄と非武装化は、そうした敗戦後の既存の状況を是認する穏当なものでもありました

日本国憲法に反対した日本共産党

しかし、日本国憲法に反対した勢力の急先鋒は、前述の通り日本共産党でした。
とはいえ彼らが反対したことは、そのイデオロギーを考えれば当たり前です。

まず、日本国憲法に規定された「基本的人権の尊重」は、日本共産党にとって「絵に描いた餅」でした。日本国民は貧困のどん底にあり、苦しみの中にいる。その元凶は資本主義経済であり、いくら憲法で美麗字句を並べ立てても現実変革にはなんの役にも立たない、というのです。

また9条に関しては、主に2つの理由から反対を唱えていました。
まず、「全ての戦争の放棄」への反対です。共産党は、資本主義とその究極系である帝国主義による「侵略戦争」には異を唱えました。しかし、人民のために行われる(彼らのイデオロギー成就のための)「解放戦争」は正義だとしたのです。
また、9条が説くような「消極的平和主義」を彼らは批判したのでした。日本共産党は、戦後の日本において、「外国」という外部の視点を持った希少な存在でした。彼らは日本を単なる敗戦国と認識するではなく、アジア諸国に対する「加害者」であるとし、その罪過の解消のためには積極的に国際貢献する必要があると考えたのです

南原繁の9条批判

前回の記事でも取り上げた、東大総長・貴族院議員であり「人間革命」の提唱者でもあった南原繁もまた、憲法9条を批判した1人でした。

それは、今日の日本でも議論となっている「国際貢献」の問題と大きく関わっていました。
南原は、「自国さえ平和なら良い」という平和主義ではなく、侵略戦争という罪過を償った上で、国際社会における平和の確立に積極的に貢献すべきだと主張したのです。
このような立場をとっている政党は、おそらく今日の日本にはないですね。積極平和主義を唱え、国際社会における日本の役割を強調する自民党と安倍首相も、それは「侵略戦争への反省」に基づいたものではない。また、「侵略戦争への反省」を強調する共産党社民党などの左派政党も、「9条護憲」が第一のテーゼであり、積極的な国際貢献を唱えておりません(民進党の議員などにはいるのかもしれません)。

南原のような議論は、とても重要だと思います。今日の日本では、「日本の文明史的役割」のような大きな枠組みでの議論がほとんど無い。目につくのは、日本大好きの自民党がするような愛郷的国家観くらいでしょうか。そのようなヒロイックな自国観に基づいて、国際社会への貢献を考えるのは、非常に危険であると思っています。それが一切の自省的契機を持たないため、正義を振りかざした暴走になりかねないからです。私は、「侵略戦争の果ての敗戦」という歴史を日本の財産と受け止め、日本の国際社会における役割を考えるべきだと思っています。

公明党に関しましては、そのような大きな国家観や文明史的な視点は、ほとんど持っていないと思います。彼らはミクロな世界での実務能力は非常に高いですが、長期的視点に立った日本観は持ち合わせていない。田原総一郎が「公明党は日本をどんな国にしたいのか見えてこない」と言っていましたが、その通りです。佐藤優などは「宗教政党として独自色を出すべき」と言っていますが、公明党にそれができるか・・・。
自民党の補完政党」くらいの立ち位置でいいならば、今のままでもいいのでしょう。しかし、今後政界再編が起きたり、公明党の党勢がしぼんだ時などに、「公明党の存在意義」という根本的なテーマが問われるのかもしれません。

「アメリカ主導」への批判

さて、今日の保守派政治家がする「押し付け憲法批判」も、当時から為されていました。
といってもそれは、米国が起草したという「出自」に関わるものではなく、それが日本人による十分な議論を経ずに安易に受容するという「受動性」を批判したものでした。

先述の南原の日本国憲法への批判の大きな理由も、それが米国によって主導され、日本人が創意と討議を経て「自分のもの」としていないことにありました。
さらに丸山眞男も、日本国憲法に対して、否定的だったといいます。日本人の「自立性」の欠如を指弾した彼ですから、当然といえば当然でしょう。竹内好も、その米国に与えられたという事実と安易な改正過程に冷淡な態度をとっていました。

しかし、当時の保守派政治家は、憲法を既成事実として受け入れました。このように後に改憲派に転ずる保守派政治家が憲法制定を推進し、南原などの護憲派に転ずる人々がそれに反対していた事は、注目すべき点です。
彼らの主張の評価は、また日本国憲法をめぐる議論の推移を見ながら、行っていきたいと思います。

創価学会日本国憲法

本記事では、戦後日本における憲法をめぐる議論を見てきました。
今日まで、日本国憲法をめぐる議論は止むことを知らず、早晩憲法審査会が本格始動しようとしています。

ところで私は、公明党を「9条改憲派」と位置付けています。これについては、また彼らの掲げる「加憲」についての考察とともに詳しく記事にしようと思っていますが、その理由の1つは、昨年成立した平和安全法制です。あんな明らかに違憲の法案を成立させておきながら、「9条護憲」を本気で唱えているとしたら、余程の法律素人だろうということになります。

公明党はかつて憲法9条については、議論の俎上にさえ上げないという立場をとっていましたが、それをタブー視しない「論憲」に変転し、さらに今日の「加憲」に至っています。彼らがなし崩し的に「改憲」に向かっているのは、その現実主義的な性格と整合的です。

とはいえ、憲法9条についてはっきりした態度をとれないのは、やはり創価学会の存在が大きい。詳しい調査はありませんが、学会員の9条改正アレルギーは強く、「公明党改憲勢力」と言っただけで怒り出す会員が大勢います。
これは、創価学会=平和主義」という自画像を公明党に投影しているからだと私は考えています。そしてその自画像は、牧口・戸田両会長の投獄、さらに牧口会長の獄死という戦時中の記憶と密接に結びついています。そして憲法9条は、その戦時中の記憶と不可分のため、戦争を知らない世代が大多数になった今日においても、9条護憲派の学会員は多いのです。
また、池田名誉会長が徹底した9条護憲派である事は、よく知られています。

私は、憲法9条と創価学会思想について、今後下記のアプローチをしたいと思います。

憲法9条と創価学会アイデンティティの関連の言語化
上述の通り、創価学会アイデンティティは、戦時中の軍部政府による弾圧が不可欠の構成要素となっています。この創価学会における「戦争の記憶」と憲法9条の関連性、さらに池田名誉会長によって戦後に主導された平和運動の影響を言語化することにより、学会の平和思想を客体化したいと考えています。

戸田城聖会長の憲法9条観
今回、9条をめぐる議論を概観して思ったのですが、私は戸田会長の憲法9条に対する見解を知りません。『人間革命』においても紙幅が大きく割かれているのは、信教の自由だったと思います。また、政界進出当時の創価学会が、憲法についてどんな見解を示していたのかわかりません。
現在、本企画と同時並行で、『人間革命』を読み進めておりますので、「戸田会長と憲法9条」という視点も加えて考察したいと思います。

●池田名誉会長の「9条護憲」思想の生成について
今日の創価学会では、池田名誉会長の「9条護憲」は既成事実化されており、それが学会の公式見解とみなされています。しかし、そのような固定化した見方ではなく、池田名誉会長を「生成する思想家」としてみる視点も必要でしょう。どのような思想遍歴を経て、池田名誉会長は「9条護憲」に至ったのか。これは資料収集などかなり大変そうですが、改憲が重要なテーマとなる日本において、創価学会が支援する公明党が与党に座を占めていることを考えるとき、非常に重要であると思います。というか、こういう仕事は、学会本部がやるべきだと思います。

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