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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

牧口・戸田会長の投獄・獄死の意味を再考しなければならない:日本共産党とリベラリストの思想から

哲学・思想史

「牧口会長と戸田会長は、勇気を出して軍部政府に反対した。だから偉かった」

創価学会初代・二代会長の牧口・戸田両氏は、治安維持法不敬罪によって逮捕され、投獄されています。牧口会長は、獄中にてお亡くなりになられている。
この両会長の投獄の記憶は、今日の創価学会の「反戦平和」「反権力」というアイデンティティ・ブランド構築にも不可欠なものとなっています。また池田会長が創価学会に入会した理由も、「戸田先生は戦争に反対して牢獄に入られた。その人なら信頼できる」というものだとされている。つまり、戸田会長と池田会長を結ぶ交差点も、「戦争反対」なのです。

この牧口会長と戸田会長の投獄の歴史は、創価学会の対外宣伝にもよく使われますし、左派知識人への学会理解の推進にも一定の役割を果たしてきたように思われます。

しかし私は、今の創価学会の牧口会長・戸田会長の投獄に対する認識は、かなり甘いと思っています。それが象徴的に表れているのが、「軍部政府に反対したから偉い」という、冒頭の文章です。今日の学会において両会長の投獄が語られる時、それ以上の中身はほとんどない。

明らかにしなければならない事の1つは、「両会長が当時の日本の何に反対したか」という点です。これをはっきりさせていないから、一部の史料を過度に取り上げて、「牧口は法華経信仰を貫いただけで、戦争には肯定的だった」などという浅い言説が跋扈するのです。こんなに偉大な牧口・戸田両氏を会長に持っているのだから、神話化して「偉い偉い」と言うのではなく、しっかりと学問によって明らかにすべきです。

そしてもう1点、「戦争に否定的だった」「獄死するまで戦った」だけでは、はっきり言ってそんなに偉くないのです。戦争に反対した最大勢力は、日本共産党です。また、宗教弾圧に関しても、大本教などの弾圧に比べれば、創価教育学会へのそれはまだまだ甘い。他にも思想犯とされた人間は沢山います。さらに世界史に視野を広げれば、反戦・反権力を貫いた人物なんて、一々取り上げていられない程います。
果たして、牧口・戸田両会長と日本共産党大本教は何が違うのか。両氏の戦いは、世界史的に見ても特筆すべきなのか。そうだとしたら、その理由は何なのか。

そこで本日は、戦時下において時の政府に否定的だった「日本共産党」と「オールドリベラリスト」について考えます。どちらも戦争に反対した人たちです。
「戦争に反対した」ーその1点だけでは牧口・戸田会長と同じです。彼らと両会長を差別化するためにどうしたらいいか。それを考えるための準備作業の1つとして、本稿を位置付けたいと思っています。

(本稿は「『人間革命』の時代を読む」という企画の一部です。連載目次は下記をご覧くださいませ。)

sanseimelanchory.hatenablog.com

戦後、日本共産党は絶大な精神的権威を誇っていた

1945年の終戦から約10年間、日本共産党の精神的権威は、絶大なものでした。これには色々と理由がありますが、何と言ってもそれは「戦争に反対した唯一の政党だった」からです。
徳田球一宮本顕治などの戦中非転向を貫いた共産党幹部は、今日の我々からは想像もつかない程の尊敬を勝ち得ていました。
それはマルクス主義に惹かれた人物に限りません。マッカーサー徳田球一などを高く評価していたように、反共のアメリカでさえ彼らを尊敬していたのです。さらに、反マルクス主義の学者たちにとっても、共産党は批判する事の難しい権威となっていました。

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共産党が絶対的な尊敬を勝ち得た背景には、戦後の人々が共有していた「罪悪感」「悔恨」という感情が挙げられます。
戦争中の為政者や知識人のほとんどは、程度の差はあれ戦争を推進・賛美していました。その自身の人生における汚点は、深い悔恨を生み、汚点を持たない清廉潔白共産党にひれ伏すしかなかったのです。
さらに積極的に戦争を賛美しなかった人間や、当時ほとんど影響力のなかった丸山眞男のような若手知識人も、敗戦という破綻を迎え、それまでの自身の態度を省みる義務に直面していました。
さらに注目すべきは、「戦死者の記憶」です。戦友を亡くした復員兵は、「友の代わりになぜ自分が生き残ったのだ」という悔恨に苛まれ、夫や息子を戦場に送り出した女性たちもその行為を悔いました。

丸山の「悔恨共同体」という言葉は、当時の日本の思潮をよく表現しています。

また、当時はマルクス主義が最先端の「科学」と見なされていた事も挙げられます。戦後日本の経済的格差は凄まじく、いたるところに窮乏の惨状が溢れていました。こうした日本の状況を現実的に解決するサイエンスとして、マルクス主義経済学は期待を集めたのです。

「左翼」とは本来、「人間の理性に信頼を置き、理想社会の実現を目指す」ものです。
この原義を見るとき、今日の左派政党にはがっかりさせられます。戦後の世界経済史を見ると、60年代くらいは資本主義と社会主義は、「経済成長」という点で対抗し合っています。しかしいつの間にか、今日の共産党社民党のように「成長より国民の生活」というような主張がされるようになりました。
彼らの口から聞かれるのは、極端な理想論ばかり。「理性」を忘れて「理想」だけを保持しているように見えます(彼らの「理想社会」像も今日ではかなり瓦解している)。
今の日本政治において、左翼的な「理性主義」は非常に重要であると思います。左派政党が存在感を示すなら、左翼の原義と科学的姿勢に立ち返るべきだと思います。

共産党の「民族」観

本企画の冒頭で述べた通り、日本共産党は「真の愛国の党」を掲げていました。
これは、当時の国際共産主義路線に沿っていました。当時の国際的な共産主義運動の思想的基盤となったバルティスキーの論文を見てみると、「共産主義者やすべての左翼労働者には愛国心が欠けている」と述べた上で、「保守派」を打倒すべきと主張している。その「保守派」の例が、ナチスドイツの占領下で傀儡政権と成り下がった保守勢力です。彼らは、「愛国主義」を掲げていながら、その実態は「売国奴」そのものだった。それに対して、バルティスキーが「本当の愛国者」のしたのが、占領国においてレジスタンスを行った共産主義者たちです。

この主張において攻撃されているのは、一見「愛国的」に見える自国中心主義の帝国主義者たちです。バルティスキーいわく、彼らのような独善的で排他的な帝国主義は本当の愛国ではない。フランス革命や植民地独立運動に見られるように、自己民族のために戦い、かつ他民族を尊重する勢力こそ、本当の愛国者だというのです。

また、バルティスキーは、コスモポリタニズムも激しく非難しています。共産主義は国際的連帯を目指しているが、それは各国の共産主義者たちが祖国という基盤に立って行うものだというのです。自分の民族の利益から遊離した活動を行うコスモポリタニストは、「国際的なブルジョワ」に過ぎない。これは今日的にいうと、どんどん海外移転を進めるグローバル企業だと思います。またこのバルティスキーの批判は、今日の反グローバル主義者たちの主張にも似ています。

日本共産党も、このような国際的な潮流を受け、「真の愛国の政党」を掲げました。それは、皇統に基づいた日本中心観を持ち出し、アジアへの侵略を推進して、挙げ句の果てには米国との無謀な戦争に突入した戦時政府への批判でもある。彼らのようのな帝国主義者は、愛国者のようでありながら、その実態は全く異なる。自分たちのような戦争に反対した勢力こそが、真の愛国者だというのです。

池田名誉会長の愛国観

この「愛国」というキーワードは、戦後の創価学会の歴史を見る上でも重要だと思っています。理由は、池田名誉会長が戸田会長との初めての出会いの時にした質問の1つが、「本当の愛国者とはどんな人か」だった事です。19歳の池田青年は、「本当の愛国者」たることを希求して生きていたのです。
これは何度も書いている事ですが、池田名誉会長も「時代の子」です。会長が17歳までを皇国思想の中で生きた事を考えるとき、「日本」「天皇」「愛国」といった発想にとらわれ続けた事は、極めて自然です。
創価学会に入会した後の活動においても、この「愛国者」をめぐる問題は、池田青年の頭から離れなかったのではないでしょうか。もしかしたら、今日まで名誉会長にとっての大きなテーマかもしれない。少なくとも池田名誉会長は、日本の歴史認識問題や教育政策について積極的に発言されています。これは、名誉会長の「日本人」として、「愛国者」としての思いの発露かもしれません。

池田思想における「愛国」。
私は、「公明党」と「日中関係」の2つが、この問いに対する重要なキーワードだと思っています。それについては、また別記事にて考察したいと思っています。

オールドリベラリストとは

共産主義者たちに続き、戦後に保守論壇を形成した「オールドリベラリスト」について考えてみます。和辻哲郎津田左右吉・田中美知太郎、小泉信三などが代表例です。
この「オールドリベラリスト」という括り自体、結構乱暴であり、便宜的なものに過ぎないとも言えますが、その特徴を抽出してみます。

まずは世代ですが、敗戦時に50代以上であり、大正時代に青年時代を送った事です。これは、若手保守派知識人との違いを考察する上で重要になります。年代だけならば、戸田会長とも近しい人たちだと言えます。
もう1つは彼らの多くが、戦争に否定的だったことです。これは後述しますが、「戦争に反対したから偉い」という至極単純な主張に対して、彼らの姿勢は疑問を投げかけてくれます。
さらに、天皇制という既存の体制を重視し、共産主義に対して強い抵抗感があったことが挙げられます。

まず彼らの思想を考察する上で欠かせないのが、彼らが上流階層に位置する「勝ち組」「文化人」だったということです。
このことは、彼らが共産主義を嫌ったことと不可分です。つまり、労働者が力を持ち、自分たちにとって都合の良い体制を崩壊させようとする共産主義には、否が応でも否定を貫かねばならなかったのです。
これは、彼らが戦争に否定的だった理由にも通じます。上層階級のエリートではなく、下層階級出身の軍人が影響力を増大させていくことは、彼らにとって我慢ならないことでした。
彼らが戦後に「天皇擁護」を掲げたのも、日本の既成秩序が崩壊することを恐れたからでした。
彼らの思想的立場は、体系的思想よりも一種の生活感覚に基づいていた。この事に注意するべきです。

若手知識人との隔絶

オールドリベラリストが描いたような心情は、若手のエリート知識人にも共有されていたものでした。例えば丸山眞男は、戦地に動員されるという経験によって、社会階層の低い軍人と多く接触しました。その結果、彼は「大衆への蔑視」を心情として持つようになりました。

しかし、オールドリベラリストたちが戦前体制への回帰を志向したのに対し、丸山や竹内好などは強く反発します。これは、世代間格差による戦争経験の違いが理由であると考えられます。
オールドリベラリストたちは、日本が戦争に突入した理由を、「軍人の台頭と暴走」であると考えていました。それは突発的な異常事態であり、軍人をコントロールできる仕組みさえ整えれば、慣れ親しんだ戦前の大勢の方が好ましいと考えたのです。津田左右吉などがこの例です。

それに対し、丸山は反発します。丸山も東大助手を務めていたエリートでしたが、従軍によって下層民との接触を経験し、自分たち知識人が抱いている観念的思想が大衆と隔絶していることを思い知らされていました。日本においてマジョリティを形成していたのは、知識人たちが抱いていたような近代的な国家観ではない。非常に情緒的で暴力的契機をはらんだ神がかり的なファシズムだったのです。
つまり、日本の敗戦は、「軍人の台頭と暴走」などという突発的な事件によるものではない。戦前の日本のあり方に関わる根本的な問題だったのです。
丸山の「国民主義」思想は、こういった経験と不可分と言えるでしょう。

牧口・戸田会長の偉大さとは何か?

「牧口・戸田会長は戦争に反対したから偉い」
この主張は、日本共産党やオールドリベラリストと両会長を、「戦争反対」を基礎に等値するものです。
しかし共産主義というイデオロギーと、エリート特有の保守的傾向・大衆蔑視を理由に戦争反対をした人物たちと、牧口・戸田会長は本当に同じだったのか?創価学会は、この点についてよく考察する必要があると思います。
戦前の研究は資料が馬鹿高く、私には到底できませんが、優れた研究を紹介するくらいの事は、このブログでもやっていきたいと考えています。そして、両会長の特異性について考えていきたいと思います。

そして、もう1つ。長年の疑問が「池田名誉会長はなぜ共産党に入らなかったのか」ということです。
私は以前、池田名誉会長と宮本顕治共産党委員長の対談集『人生対談』を読んだことがあります。本当は改めて購入したいのですが、かなりのレア本になってしまい、現在手元にはありません。私の記憶によれば、終戦間もない頃池田青年は宮本顕治の演説を聞きに行ったというエピソードが披瀝されていたように思います。これは、戸田会長と出会う前です。
池田名誉会長の入信の理由は、「戦争に反対して牢獄に入った戸田先生なら信用できる」ということだったとご本人が語られています。
しかし、戦争に反対した唯一の政党である日本共産党には入ることはなかったのです(宮本顕治はリンチ事件容疑もありましたが…)。
これはなぜなのだろう?これに対する答えの出し方自体検討がつきませんが、共産党が神聖視されていた時代に、池田青年がそれを選ばず、弱小宗教団体である創価学会を選んだことは、非常に興味深く思います。

 

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