読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

創価学会員として「靖国問題」を考える

哲学・思想史

終戦記念日を迎えるに当たり、「靖国問題」について考えたいとは前々から思っていました。
稲田防衛大臣靖国参拝の動向ばかりが注目されていますが、それはあまりに矮小化された議論です。靖国神社は、生々しい宗教的感情と、罪深い国家的な意図が交錯する複雑怪奇な存在であり、私も信仰者の端くれである以上、慎重に発言せざるを得ません(結果的に、問題を単純化している閣僚の靖国参拝には怒りを覚えています)。

哲学者の高橋哲哉は、ベストセラーとなった『靖国問題』において、以下のように書いています。

私たちに必要とされるのは、これらの感情(筆者註:靖国を取り巻く様々な遺族の感情)を直視し、それらが何に由来するのかを可能な限り「理解」した上で、靖国問題について自らの判断を形成することです。

靖国神社」を「国家が戦死者を美化するために利用した悪質な装置」と評価するのは、ある意味正しい。しかし、それを主張する人間は、それが多くの方々の「感情」をズタズタに傷つけるかもしれない事に自覚的であらねばなりません。
高橋は同書において、夫が靖国神社に合祀されている岩井益子の言葉を引いています。

私にとって夫が生前、戦死すればそこに祀られると信じて死地に赴いたその靖国神社を汚されることは、私自身を汚されることの何億倍の屈辱です。愛する夫のためにも絶対に許すことの出来ない出来事です。靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺してください。たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流して溢れ出し、それが見渡す限り、戦士たちの血の海となって広がっていくのが見えるようです。

この言葉にはかなりのレトリックが込められていると思いますが、その心情は偽りないものでしょう。靖国神社をこれほど大切に思っている人間がいるーこの事を無視して、靖国問題を語る事は出来ないと私は思っています。別に靖国神社を擁護せよと言っているのではない。靖国神社というものが罪深い存在である事は、私は百も承知ですが、靖国批判をする際には、こうした感情の存在を認識した上で主張しなければならない。だから、靖国神社は非常に重たい問題なのです。

靖国神社には、様々な語り方があるでしょう。今日よく聞くのは、憲法上の判定や、国際関係、政治上の影響などがほとんどです。
この記事で私はそのような問題ではなく、靖国神社の果たしてきた歴史的機能を認識した上で、「国立追悼施設」や「戦争責任」の問題について考えてみたいと思います。未熟ながらも日蓮仏法を信ずる一信仰者として、宗教を信じるという人間的感情を最大に尊重しながら論じてみたいと考えています。

f:id:sanseiblog:20160817124247j:plain

靖国神社が果たしてきた歴史的機能

まず、靖国神社をめぐる史実を見ながら、それが日本近代史において果たしてきた機能について概観します。端的に述べるならば、それは「死」という究極の宗教的課題を国家の対外戦略の中に位置付けて解消したというのが、私の考えです。
ここでは、①靖国神社の淵源、②対外戦争と「死の意味」の付与、③日中・太平洋戦争と英霊の神聖化に分けて見てみたいと思います。

靖国神社の淵源

靖国神社の前身である「東京招魂社」は、1870年に創建され、それが1879年に現在の名前に改称されました。建立の理由は、薩長を中心とする明治新政府と、奥羽越が同盟した旧幕府勢力が戦った戊辰戦争です。東京招魂社は、この時代の転換に際して起きた内戦の戦没者を祀るために建立されました。
ここで注目すべきは、靖国神社がその建立から政治的意図に基づいていたものだという事です。そこに祀られたのは、政府軍の戦死者(官軍)だけであり、幕府軍の戦死者(賊軍)は祀られていない。西南の役で明治政府に反旗を翻した西郷隆盛が、靖国神社に祀られていない事はしばしば言及されます。つまり、あくまで「日本政府」という立場から見て「正しい」と認定された死者だけが合祀されたのです。
また島田裕巳は、明治政府が東京招魂社への政府軍戦没者の合祀を進めた理由として、

●政府軍の指揮を高揚させる
●権力としての正当性を誇示する 

の2点を挙げています。
靖国神社が、国家の政治的意図の達成の為の性格を持たされて発足した事は、見逃してはならない事実です。

②対外戦争と「死の意味」の付与

この靖国神社の性格を大きく変える事になったのが、対外戦争です。1874年の台湾出兵を皮切りに、日清戦争日露戦争と、日本は対外戦争を推進し、それらの戦死者が靖国神社に合祀されるようになります。日清・日露戦争で合祀された戦死者の数は、なんと10万人に上りました。これは同時に、10万世帯の遺族を生んだ事を意味しており、全国からの集団参拝も始まるようになりました。こうして、靖国神社は、国民にどんどん広く、そして遺族感情という心の内奥において拡大していくのです。

高橋は、福沢諭吉が主宰していた論筆文を用いながら、当時靖国神社が果たした役割について論じています。
日清戦争に勝利した日本おいて、戦地から生きて帰還した兵士たちは英雄として持て囃されたし、その家族も誇らしかった。しかし、多くの戦死者たちの遺族は、悲しみに打ちひしがれるだけだった。
このような状況にあっては、家族が戦死した遺族の感情は、行き場がなくなってしまいます。また、次に戦争が起きた時に、「生きて帰ろう」と及び腰になる兵士が出てしまうかもしれない。そこで、「戦死」に積極的意義を与える必要が出てくる。それを果たしたのが、「靖国に祀られる」という戦死者の神聖化だったのです。
靖国合祀によって、「死の恐怖」は「大義への殉死」となり、遺族の「悲しみの感情」は「最大の名誉」となる。これを高橋は、「感情の錬金術」と呼んでいます。

これまで「池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか」などにおいて、国家神道について考察してきましたが、神道仏教キリスト教のような救済宗教ではないため、「死」の問題に対する大した教義がありません。あくまで「神話に基づく天皇の神聖性」「万世一系の天皇を戴く日本の優越性」を強調するだけだった神道が、「死」という人間にとって最重要の問題に踏み込んできた。その役割を果たしたのが靖国神社だった。私はそう考えています。

とはいえ、まだ日露戦争の時点では、「死んだら靖国で会おう」という言葉に象徴されるような、お国のために命を投げ出そうというような発想は、希薄だったようです(大江志乃夫『靖国神社』より)。
それが国民に浸透し、日本のために命を投げ出す事に大義が与えられるのは、日中戦争から太平洋戦争です。

③日中・太平洋戦争と「戦死」の神聖化

靖国神社が軍事体制の中に組み込まれ、軍国主義的対外政策に活用されていくのは、昭和10年台です。この頃になると、「国・天皇のために死ぬ」ことに究極の宗教的意義が与えられるようになりました。
時代は遡りますが、河上肇は、「日本独特の国家主義」において以下のように書いています(私による現代語訳)。

現代の日本人には、宗教的な煩悶が恐ろしいほど見られない。現代は恐るべき同様の時代であり、宗教的煩悶の大いに起きるべき時であるにもかかわらず、である。その理由は、多くの日本人が「国家教」の信者だからである。彼らにとっては、国家こそが人生の目的である。国家のために生き、国家のために死ぬことこそ、彼らの人生の目的なのである。(中略)既に国家主義は、日本の宗教になってしまった。ゆえに見てみよ、この国家主義に殉じた人間は皆、死後神として祀られている。靖国神社はその第一である。

私は、国家神道は本来「エセ宗教」だと思っています。そこには、「死」という究極の宗教的課題に対する答えがないからです。ただ、日本国を統一するための物語を提供しているに過ぎません。しかし国家神道は、「靖国神社への合祀」という祭祀によって、「死」の領域に踏み込んでくるのです。「国家のために死ぬ」事に最大の意義を与える事によって、不条理な死に意味を与える。兵士は元気付けられ、残された遺族たちは最大の名誉に浴する。
靖国神社が単なる「日本統合のシンボル」くらいの位置付けだったら、これほどの問題にならないのかもしれません。しかしこれが「肉親の死」という人間の感情のど真ん中に関わるような、センセーショナルな問題を孕んでいるからこそ、ここまでこじれるし、到底全員が納得できるような解決はできないのです。

また、ここで着目しなければならないことは、「英霊」とされた兵士が殺した外国の人々は合祀の対象ではないという事です。あくまで日本という一国家の政治的都合に基づいて、合祀者が選別されている。日本人にとっての「英霊を讃える聖地」は、中国人からすれば「侵略者を賞賛する機関」なのです。
✳︎日本軍に動員された朝鮮の方々が祀られていたり、外国人慰霊を主目的とした鎮霊社が後年建設された事を、念のため付記しておきます。

「信仰者」として靖国問題を考えるために

以上、靖国神社の建立から太平洋戦争までの歴史を概観し、それが果たしてきた歴史的役割を見てきました。それは即ち、日本政府の内戦・対外戦略によって亡くなった戦死者を祭神として祀ることによって、その死を神聖化する事。それによって、①残された遺族の悲しみを喜び・名誉という肯定的感情に転化し、②戦地に行く兵士に「戦死」を名誉ある大義と認識させることでした。さらに、国家神道に欠如していた「死の意味づけ」という宗教的課題に対する解答を補完することにより、ナショナリズムを強化したとも言うことが出来るでしょう。

これらの靖国の歴史を鑑みる時、その罪深さを感じざるをえません。しかしそれでも、靖国問題を簡単に語ることはできない。冒頭で引用した高橋の言葉通り、その罪深さを認識しながらも、靖国を汚されるなら私を殺してください」というような、遺族が持つ宗教的感情を無視するわけにはいかないからです。

特にこの事は、私のような信仰者には重要であると考えています。
いつだったか、私の嫌いな男子部の先輩の事をブログに書きました。その先輩は、「靖国神社は焼き討ちにしろ」「大川隆法はレイプ魔だ」なんて事を、平気で口にします。

私はその先輩を、糞尿以下の最低の人間だと思っています。
別に他宗教を批判するのは自由ですし、大いにやればいいでしょう。ですが、宗教という人間の心の最奥に関わる問題に触る時には、それを信じる人間の心を想像しなければならない。
我々創価学会員にも、「池田先生」という大切な存在がいます。週刊誌で池田名誉会長が人格攻撃を受ければ、心から血が噴き出るくらい傷つきます。そういう感情を持っているのに、「幸福の科学」の信者の方や、遺族の会の方々の心を慮る事はできない。そんな人間は、単なる狂信者に過ぎません。

とはいえ、今の創価学会には、その「感情」と逆のベクトルの「理解」が致命的に欠けているとも思います。もう1度冒頭で引用した高橋の言葉を引いていみましょう。

私たちに必要とされるのは、これらの感情(筆者註:靖国を取り巻く様々な遺族の感情)を直視し、それらが何に由来するのかを可能な限り「理解」した上で、靖国問題について自らの判断を形成することです。

「理解」とは、靖国神社でいうならば、それが「国家の目的に奉仕する施設」として機能してきた歴史をしっかりと批判して、認識することです。「批判」とは、「非難中傷」と同義語のように扱われることが多いですが、哲学的な意味は違います。
「critique(批判)」とは、「独断論」でも「懐疑論」でもない、理性を用いて対象をしっかりと認識することです。やや乱暴に創価学会に当てはめるならば、「創価学会は仏意仏勅の素晴らしい団体だ!」と手放しに礼賛するのでもなく、「創価学会は犯罪者集団だ!」と中傷することでもない。しっかりと学問に基づいて、それを評価すること、それが否定的なものであっても正しい批判ならば受け入れることです。

創価学会の内部では、池田名誉会長への多数の名誉学術称号を理由に、「創価学会は学術的にも評価されている」と「誤解」されているように思います。しかし、創価学会に関するまともな学術的研究は驚く程少なく、ほとんどが学会内部や御用学者による礼賛か、ゴシップ・スキャンダルの域を出ない中傷ばかりです。
こうした状況が生まれている最大の原因の1つは、学会本部があまりに閉鎖的であることだと思います。そして、創価学会の「批判」を一切受け入れられない独善的な体質にあると思っています。
創価学会が問題だらけなのは当たり前であり、むしろそれは健全であるとすら思いますが、「賞賛」しか受け入れられず、「批判」を受け入れる覚悟がない。これは私の母校の創価学園創価大学の卒業生に顕著でした。池上彰信濃町に行けば「仏敵」と罵り、学会の教義や公明党の政策に疑義を挟めば「信心が足りない」と「指導」をされる。私が在学していた創価大学でも、教授たちがしている池田思想に関する授業などは、明らかに「プロパガンダ」の域を超えないものでした。あれではもう学術機関ではない。ただの宗教施設であり、世間の学者を納得させられるような創価学会研究なんて生まれるわけがありません。
いい加減、カトリックのように「反省」するくらいの度量を持った団体になってほしいと思います。

・・・と、かなり話題が逸れてしまいましたが、要するに靖国神社という宗教問題を語る時には、それを批判的に「理解」すると同時に、靖国を取り巻く「感情」を忘れてはならないということです。

靖国神社」という固有名詞の重要性

靖国問題を語る際に話題になるのが、「国立追悼施設」の問題です。最近では下火になりましたが(そもそも存在しているのか?)、小泉時代靖国参拝への批判が高まったことを背景に、新しい「国立追悼施設」の建設が議論されました。
菅原伸郎の『戦争と追悼』によれば、その時に構想された追悼施設の特徴は以下のようなものです。

●「無宗教」➡︎宗教施設のように対象者を「慰霊する」のではなく、死者を「悼み、思いを巡らせるもの」。追悼の形式も、訪問者の自由に基づく。
●「対象者の拡大」➡︎明治維新以降日本の関わった対外紛争におけるすべての戦没者が対象。外国人も含む。
●「平和祈願」➡︎追悼と「不戦の誓い」「平和祈願」は一体のものであるとする。

「無宗教」と「対象者の拡大」に関しては、神道に基づき、その合祀者を限定している靖国神社への対抗を強く意識していることがわかります。

私は、海外における「無名戦士の墓」のような、全戦没者の追悼を目的にした国立追悼施設は建設してもいいという立場です。
しかし違和感を覚えるのは、こうした国立追悼施設が靖国神社を代替するというような、安易な主張です。国立追悼施設を作ったとしても、それが靖国神社を代替することはありえない。それは論理では割り切れない、人間の「宗教的感情」に基づいているからです。

例えば、自分の息子や恋人、夫、父親、友人が「死んだら靖国に祀ってくれ」「靖国に祀られることが本望だ」と言い遺して戦死したとしましょう(わざわざ仮定しなくても、実際に起きたことです)。その遺族の感情を受け止められるのは、「靖国神社」しかありません。いくら平和を叫んで無宗教の追悼施設をつくっても、そこに祀られる事は死者の本懐ではない。その施設に、遺族の宗教的感情を満たす力は無いのです。
いくら靖国神社のことを批判したとしても、それは無駄です。亡くなっていった死者の声は、遺族にとって無限の重みを持つのです。

高橋哲哉の「国立追悼施設」論の検討

続いて、本稿で何度も言及している高橋哲哉の議論について考察したいと思います。高橋は、上述の「国立追悼施設」について否定的です。その理由は、「国立追悼施設」が「第二の靖国」になる可能性があるからという事です。

どういう事でしょうか。
それは、日本が未だに「戦争をする国」だからです。例を挙げて考えてみましょう。
尖閣諸島に中国の不審船が来たとします。それが海上保安庁の船と衝突して、小競り合いになったとしましょう。結果、中国人と日本人、それぞれに死者が出たとします。その時に追悼対象になるのは、「日本人」だけです。

これは、国立追悼施設が日本による「国立」である以上、避けられない事です。日本にとって、海上保安庁の日本人は「平和のために亡くなった」方ですが、中国人は「平和を乱そうとした賊」になってしまう。このような日本の「政治性」が存在する限り、合祀する死者を選別してきた靖国神社となんら変わり無いのです。さらに、これは高橋が書いた時点では起きていなかったことですが、2015年に平和安全法制が可決され、海外で自衛隊員が死ぬ可能性が高まりました。彼らをどのように追悼するのかーこれは非常に重い課題です。

さらに高橋は、日本の「戦争責任」についても論及しています。「国立追悼施設」を巡る議論では、日本の戦争責任については曖昧にされている。否定できない事実は、戦死した日本人兵士が侵略を働き、大勢の人間を陵辱し殺害した「加害者」でもあった事です。
創価学会の中では有名な話ですが、日中国交正常化の際に周恩来総理は、日本の戦争責任の所在を「軍部指導者」に限定し、日本人も侵略を受けた中国人と同じく「被害者」であるとしました。このロジックに基づいて、賠償権を放棄したのです。
これを偉大だと持て囃す人が多いのですが、この歴史観には、完全に「中国の民衆の視点」が欠けています。彼らの肉親を殺したのは、紛れも無く「日本人兵士」なのです。また、先の戦争が日本人の国民的熱狂によって支えられた事は(少なくともそういった時期があった事は明白)、中国人にとって看過できない。私は、日中国交正常化時に中国側が戦争責任追求をしなかった事は政治的判断として凄いと思いますが、それも完璧で無い事は理解しなければならない。
結局、この日本の戦争責任を曖昧にしたまま、「過去の戦争を受け止めて、未来の平和を祈る」といっても、それは欺瞞だと高橋は言うのです。

真に靖国神社と異なる国立追悼施設を作るための2条件として、高橋は以下の2点を挙げています。

●完全なる平和国家の実現
戦争責任の明確化

高橋の論の検討

高橋の議論は説得的なのですが、私はどうしても賛同できない。まずそれが現実的な提案というよりも、理念の提示にとどまっているからです。とはいえその事には、高橋も自覚的でありましょう。哲学者として、国立追悼施設の理念を示そうとしたのだと思われます。

しかし、高橋の言う「政治性の排除」は、「平和国家の実現」「戦争責任の明確化」と果たして等しいのでしょうか?
国際社会が暴力性に富んだ場所である以上、たとえ完全な平和(戦争放棄、交戦権放棄、戦力不保持)を達成したとしても、それは一時的な状態にすぎないのではないか。結局日本が一国単位で平和を達成しても、他国が武力を有している以上、日本もまた「潜在的には戦争をする国家」に当たるのでは無いかと思います。
そもそも最初から持っていないもの(交戦権・戦力)を、「放棄」「不保持」する事はできない。それを「放棄」「不保持」にするという選択ができるならば、「保持」「行使」する選択もできるのではないでしょうか。
結局、「政治性の放棄」は、「平和国家の実現」をしても達成されない。それは、日本国という「政治的主体」が「政治性」を放棄するという、矛盾した、つまり不可能な主張に見えます。可能であるとすれば、「世界同時革命」のように、「世界永遠平和」が達成された時でしょう。そうすれば、高橋の言う「国立追悼施設」はできるのかもしれない。しかし少なくとも、日本一国で「平和国家」を達成することはできないし、理想の国立追悼施設を建設することもできない。

また私は、「政治性の無い戦争責任の追及」「政治性の無い歴史観」が大嫌いです。日本の左翼や創価大学生などにも多いのですが、「戦前の日本を全否定する」「諸悪の根源は戦前の日本」という歴史観があります。これは私には、日本人として非常に無責任に感じられます。

戦後の日本は、戦前の日本を完全に否定して成立しているのでは無い。顕著な例が、「皇室祭祀」です。天皇陛下の生前退位をめぐって少し話題になりましたが、明治維新に伴って拡大・整備された記紀神話に基づいた儀礼は、今日まで継続している。
また何より強調すべきは、日本の首相は安倍晋三であることです。彼の国家観・歴史観については、よく知られた事でしょう。国民の支持があって、戦前と連続性のあるイデオロギーを持った人物が首相になっている。安倍晋三軍国主義者だ、などと低レベルな事を言っているのではありません。ただその思想は、戦前から弛まず流れ続けている日本的な神話に立脚しているのです。そうした思想を持つ日本人が一定数いる事も、否定できません。

安倍晋三に代表される日本の思想的系譜は、決して無視できないと思います。それを所与のものとして受け止めて、それを土台としながら日本的な歴史観を確立しなければならないと私は思っています。日本人として、歴史を語る、国立追悼施設を語る、というならば、過去の遺産を簡単に否定するのは、あまりにも無責任です。
「政治性の無い歴史観」は、所与の条件を無視した、おとぎ話にすぎない。少なくとも、右派的な物語に勝てるだけの思想構築の力を、左翼は持ち合わせていないように思われます。

右翼が侵略戦争の歴史を無視あるいは美化して、独善的な国家観を形成する。
それに対して左翼は、所与の歴史と安全保障環境の変化を無視した平和国家観を築く。
この両者を止揚するような議論が必要とされているというのが私の考えです。

「平和国家」と「戦争責任

さて、靖国について長々と論じてきましたが、結局収斂することの無い論考になってしまいました。
結局この問題は、靖国神社を取り上げるだけでは済まされず、高橋のように「平和国家」と「戦争責任歴史認識」という、アポリアに踏み込まなければならない問題だからです。しかし私には到底、その課題に取り組む力が無い。ただ、努力は続けようと思います。

今年の天皇誕生日はどのような日になるのか、まだわかりません。
しかし、今上天皇の誕生日であり、A級戦犯が絞首刑にされた日でもあるその日に向けて、この課題に取り組んでいきたいと思います。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

 

【参考文献】

●慰霊と招魂ー靖国の思想

 靖国の慰霊のシステムについて的確な言語表現で指摘する古典的名著。

慰霊と招魂―靖国の思想 (岩波新書)

慰霊と招魂―靖国の思想 (岩波新書)

 

 ●靖国問題

ベストセラーにもなった、哲学者・高橋哲哉による靖国観。戦争責任靖国問題について考えるとき、賛否はどうあれ、高橋の考え方は理解しなければいけない。 

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

 

靖国神社 

 手っ取り早く靖国神社の歴史を学びたいならこれ。高橋や村上のように特定的立場をとることなく、宗教学者として客観的叙述に努めた一書。

靖国神社 (幻冬舎新書)

靖国神社 (幻冬舎新書)

 

 ●倫理21

戦後日本最大の思想家・柄谷行人による戦争責任論。「そもそも責任とは何か?」という哲学的問いから始まり、目からウロコの連続。

倫理21 (平凡社ライブラリー)

倫理21 (平凡社ライブラリー)

 

 ●ゲンロン2 慰霊の空間

 視座は違うけれど、2016年に発刊された「慰霊」を巡る一書。

ゲンロン2 慰霊の空間

ゲンロン2 慰霊の空間