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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

法然は日蓮並みの迫害を受けた異端者だった:初期日蓮を読むに当たって

日蓮思想

「念仏を国家弾圧せよ!」

日蓮遺文を読むこの企画、ようやく序論を終えて遺文に取り掛かることができます。
全体の構成はまだ朧げにしか考えておりませんが、まず考察したいと考えているのは、初期日蓮の代表作守護国家論」「立証安国論」です。

日蓮遺文の中で1番有名なのは、おそらく「立正安国論」でしょう。日本史の教科書にも出ていたような記憶があります。
しかし、改めて「立正安国論」を読んでみると、もうかなり危険な書です。突き詰めればそこに書かれているのは、「念仏を国家弾圧しろ!」という事です。

私はこれまで何度も創価学会の中で、「守護国家論」「立正安国論」の講義を受けてきました。そのほとんどは、「邪宗が国と人生を滅ぼす」や、「宗教は積極的に政治に参加すべき」、「日蓮仏法、ひいては創価学会こそ唯一の正しい団体」というものでした。
これらの解釈を否定する気はありませんが、それらの主張が「日蓮正宗などの他宗批判」「公明党の支援」「創価学会の正統性証明」という、アクチュアルな活動と結びついて語られている事には、自覚的であるべきだと考えています。

これまで、テキスト解釈の方法について考察してきました。
この「守護国家論」と「立正安国論」を読むにあたっては、当時の思想状況との関連を重視したいと考えています。そこで本日の記事では、(まだ日蓮遺文に入る事はできません・・・)、法然の『選択本願念仏集』を読んで、その基本的思想について考えてみたいと思います。

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(本記事は、連載企画「日蓮遺文を『再読』する」の一部です。連載目次一覧は、下記URLをご参照ください)

sanseimelanchory.hatenablog.com

法然日蓮並みの弾圧を受けた異端者だった

これは創価学会ではほとんど知られていない事ですが、法然は「選択念仏」を説いた事により、流罪に処せられ、その著作は焼かれ、死後は墓まで暴かれています。彼もまた日蓮と同じく、既成勢力に逆らい、自分の信念を貫いた時代の先駆者だったのです。
私は、法然という人物に非常に魅力を感じています(念仏思想も実はかなり好きです)。学会が日蓮遺文を表層的に解釈するだけで、念仏批判に終始している事は、この法然という日本仏教史における人間国宝にフタをする、もったない事だと思っています。また、日蓮の思想的発展の認識を阻害する要素にもなっていると思います。

それではなぜ法然は弾圧されねばならなかったのか。それは、彼の「選択念仏」という思想に理由があります。

そもそも念仏とは、法然が発明したものではありません。中国仏教界に端を発する、伝統的な由緒ある修行の1つです。1052年に「末法」に突入したと信じられていた当時の時代状況と相まって、念仏は誰にでも実践できる「易行」として流行していました。若き日の日蓮が修行をした最澄寺においても、念仏を唱える浄土信仰は実践されていました。

伝統的な行として確立していた念仏。しかし法然が主張したのは、「念仏以外に救いの道はない」というものだったのです。これは、極楽に往生できる修行は無数にあるというのが、当時の伝統仏教における一般的な見方でした。法然排他主義は、こうした仏教界における「融和主義」に抵触するものだったのです。

法然が『選択本願念仏集』にて展開している思想を図示すると、以下のようになります。

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(A)聖道門を捨てよ

まず法然は、聖道門と浄土門を区別する。聖道門とは、「自分の力で現世において悟りを得る仏教」であり、浄土門とは「他力によって浄土で救いを得る仏教」です。法然は、末法の悪世では自力で悟りを得る事は難しいとします。

(B)雑行を捨てて正行を選択せよ

その「浄土門」、「雑行」を捨てて「正行」を選択せよと言う。「正行」、「ただ一心に阿弥陀仏の名前を唱えたり、礼拝したり、賛嘆すること」です。「雑行」とは阿弥陀仏の浄土経典以外のものを読む事です。

③助業を抛ち、称名念仏を選択せよ

そしてその「正行」の中でも、「助行」ではなく、「正定行=称名念仏」を選択せよと主張するのです。

このように、仏教を分類した上で、正しい方を選択していき、最終的に念仏を選び取る。なんだか任用試験で習った「五重の相対」を思い出しました。

重要な点は法然が、阿弥陀仏の名前を唱える「称名念仏」こそ末法に相応しい救済の道だと主張した事です。

万人に浄土への道を開くための念仏

この念仏を唯一の救済の方法とした「選択念仏」思想が伝統仏教界の反発を招いた事は、先述の通りです。
我々が考えなければならない事は、法然がなぜ称名念仏を声高に主張したのか、という事です。

実は私は、法然が念仏以外の修行を否定する排他主義者ではなかったと考えています。彼は、念仏以外の修行を否定していない。

たとえば、『選択本願念仏集』で最初に否定される「聖道門」でも、それを選択しない理由は、末法では自力で悟りを得るのが難しい」からだと述べている。つまり、念仏以外を「邪教」だと決めつけるような排他主義ではなく、それを実践する「民衆」の立場に立ったからだと私には思われるのです。

当時の仏教界において、念仏は「他のいかなる行にも耐えられない愚かで下賤なものがする方便の行」だとされていました。念仏以上に重視されていたのは、寺院や仏像を建立したり、大量の経典を書写する修行でした。平安時代の貴族は、財力にものを言わせて、写経や阿弥陀堂の建立に熱心でした。
しかしこれでは、極楽往生は一部の金持ちや生まれのいいものに限定されてしまいます。法然の問題意識は、ここにあったのではないかと思うのです。

梅原猛は、『法然の哀しみ』の中で、『選択本願念仏集』を以下のように絶賛しています。

それ(筆者註:『選択本願念仏集』)は、では珍しくすがすがしい、論理的に一貫した無駄のない思想書である。そしてその思想は、インドにも中国にもない法然独自の思想である。そのような思想の根底には、彼が信ずる阿弥陀仏や釈迦の平等な慈悲がある。阿弥陀や釈迦が平等な慈悲を持つ以上は、どうして少数の人間しかできない行を往生の行とするかという強い確信が法然にはある。

極楽往生が一部の特権階級にだけ限定されている現実。今は末法の濁世であるという時代意識。そのような時代に対する強いアンチテーゼとして、伝統仏教の価値観を全て否定するような形で、称名念仏を主張したのではないでしょうか。そしてそれは、仏の救済の平等性への熱烈たる法然の信念に基づいていたと思います。

しかし法然は、伝統仏教と国家によって大弾圧を受ける事となりました。比叡山延暦寺と奈良の興福寺を中心に、糾弾は激化。当時の天皇家摂関家仏教の権威を利用して、荘園支配を行っていました。つまり、政治権力と伝統仏教の結びつきは非常に強かったのです。それは、公武政権からの大弾圧を招き、法然は流罪に遭い、その死後も弟子への弾圧が続いたのでした。

日蓮の思想課題

日蓮の思想生成を考えるとき、それが法然の選択念仏と強い関連を持っていたことに気づかされます。それは、単に念仏を「邪教」とレッテル貼りして非難するようなレベルの低いものではない。
念仏思想の卓越した点を吸収し、それに惹かれながらも、全力で否定して乗り越えようとする。日蓮思想は、そのように生成したのだと、私は考えています。

日蓮思想において最重要の「唱題行」は、法華経信仰を易行として確立したものです。私はこの唱題行は、法然の「万人に成仏の道を開く」という精神を継承したものに思われるのです。
しかし日蓮は、法然を乗り越えようとした。浄土教が「穢土」とした現世=娑婆世界をどのように肯定していくか。果たして人間は、生きたまま幸福になることはできるのか。
この日蓮が死力をかけて取り組んだテーマもまた、法然との格闘の中で生まれたと見ることができます。

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(続く)