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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

3.16ノ思ヒ出

雑文

今年も、3月16日がやってきました。
この日が近づくと私は何だかそわそわした感じというか、平穏とは程遠い心境になります。

3月16日―。
1958(昭和33)年のこの日に、「広宣流布の模擬試験」と呼ばれる式典が開かれたことが、その淵源です。
当時飛ぶ鳥落とす勢いだった創価学会は、時の首相で安部晋三のおじいちゃんである岸信介を招き、「広宣流布が達成された暁には、政治家のトップが出席するような巨大式典が開催されるんだ、その予行演習をやるんだ!」というコンセプトの下、会合を企画。若手会員を中心に、6000名が参加しました。
結局、岸信介はドタキャンしたものの、会のコンセプトを「広宣流布を全て青年に託す式典」に急遽転換。「創価学会は宗教界の王者である!」「未来は君たちに任せる。頼むぞ広宣流布を!」など、今日まで伝えられる戸田会長の名言が発せられ、内部的な創価学会史においては欠かせない1日となりました。
この式典の約半月後に戸田会長はご逝去。その事実もあって、3月16日は「戸田会長が遺言を残され、後事を託された日」として語られる事が多いです。

そしてこの日は、創価学園の卒業式でもあります。創価学会的にトップレベルに重要な日ですから、学会の会合が行われてもよさそうなものですが、池田会長は基本的に毎年、創価学園の卒業式に出席されてきました。

第40回卒業式(2010年)を最後に、池田会長が出席をすることはなくなりましたが、私が在学していた頃は毎年池田会長はご来学され長時間のスピーチを下さいました。

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我ながら、どうして未だに創価学会員として生き続けているのだろうと考える事がよくあります。
まず、男子学生部や男子部の活動は大嫌い。どこに行っても話の合わない先輩や年長者ばかりで、本当に疲れることばかり。
F活動もしていないどころか、公明党に投票すらしていない(これは別記事で詳述したいですが、私は「日本の政治の中心点、一番考察すべき論点は公明党にはない、と考えているため)。
またこれはかなりそもそもの話ですが、私は「人間革命」「宿命転換」といった思想が大の苦手。私は同語をカント的な自由論の文脈で考えていますが、絶対他者としての神を描くキリスト教が大好きで、なおかつ経験論/宿命論者的な傾向の強い私には、「人間革命」や「宿命転換」は傲慢かつお花畑な言葉に聞こえてしまうことが多い。
さらに「永遠の生命」についてもあまり好きではなく、肉体の消滅とともに生は跡形もなく消え去るという反定立命題的な主張が、体幹に染み付いているように思います。

しかし未だに学会に所属し、そこから離れられず、何だかんだでかなりのロイヤリティを抱いている理由は、池田会長(以下、池田先生)に拠る所が大きい。
私は性格が悪く、ごちゃごちゃと文句ばかり言っている人格破綻的人間ですが、池田先生のことは大好きなのだろうと思います。先述の3月16日も、池田先生に直接お会いした忘れられない思い出になっています。未だに夢に見ることがあり、目覚めたら涙を流しているなんていう精神的に不安定な側面もあります。

創価学園生、創価大学生は、池田先生の事を「父親」と位置づける事が多いように思いますが、私もそれと同部類です。思うに、「師匠」は選ぶ事ができるが、「親」は選ぶ事ができない。もはや遺伝子に情報を組み込まれているくらい、池田先生という存在は私の人生にとって「不可避な課題」となってしまっている。
さらに子どもの頃から大の生意気だった私は、小学生の頃には両親を「阿保」と決めつけ、「親孝行」の重要性を強調する人格者を多く輩出している創価学園/大学で教育を受けたにもかかわらず、親に対してかなり無関心です。結局親と呼べるような存在に1番近いのは、池田先生になる。

元職員の御三方に代表される、学園/創大を出たにもかかわらず、頭の悪い形でしか池田先生を語れない方々に怒りを覚えてしまうのも、池田先生が父親のような存在だからでしょう。

やや自分語りが多くなり恐縮ですが、学園的、創大的に「3.16」は”決意を新たにする日”です。
同学校の卒業生として、本日を迎えての”決意”を素直に書くと、以下の2点に要約されます。

1)学園/創大卒業生として社会的に影響力を持てるようになる
2)高学歴な方にも理解できる形で池田先生を語る言葉を手に入れる

1については、私が特に広告・メディア業界にいるから感じることでしょうが、学園/創大卒業生が非常に少ない。一方で、東大京大はもちろん、早稲田や慶応の卒業生が非常に強く、大学的な人脈が仕事の成果に影響する局面を多く見ました。「社会で実証を示す」の私なりの俗的理解は、「学園/創大出身者が出世して、癒着する」ことです。自分自身も仕事をしっかり頑張って、同業界に進みたい後輩をサポートできるようになりたい。

2については、「池田大作率いる創価学会は、反知性的な馬鹿集団」と思っているエリートの方々に、限定的に反論できるようになる事です。「池田大作率いる創価学会は、反知性的な馬鹿集団」という命題には、私も完全な反駁ができませんが、部分的には主張できる事があるのではないかと思います。それは、池田先生がかなりのインテリであり、その主張も学術的に評価できるのではという(希望的?)観測に基づいています。これは牧口会長も同じく。

折伏や選挙がねぇじゃねぇか」という叱責が私の中にこだましていますが、先述の通り私は現在の日本の政治状況では、少なくとも国政では公明党支援をするつもりはない。さらに折伏についても、「創価学会に入れば誰でも幸せになれる!」と全く思っていないため、他人にそれを勧めることは難しい(ローティの影響?)。

結局褒められた卒業生にはなれませんでしたが、一応学園/創大卒業生として今後も頑張ろうと思います。