学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

日蓮思想

日蓮の本尊義の鳥瞰図(日蓮遺文を「再読」する番外編)

日蓮思想をめぐる議論は様々あるが、その第一は本尊論である。これは創価学会員にとっても非常に重要である。なぜなら、今日学会が「謗法教団」として攻撃する日蓮正宗との論戦において、本尊義は一大論点となっているからである。 1991年に創価学会が分離独…

日蓮遺文を再読するに当たって③:別に「池田教」と言われたって胸を張っていればいい

「文証を出せ!」嗚呼、こんな言葉を全く無反省にいう人間が大嫌いです。 創価学会員である私は、大学生の頃から、何度も日蓮正宗との「対論」に駆り出されています。「対論」とは、要するに「創価学会こそ日蓮正統の教団だ!日蓮正宗は邪教だ!」ということ…

日蓮は念仏者だったのか?:日蓮遺文を「再読」するに当たって②

「ある時期の日蓮に念仏者の姿を見出してもいいのではないだろうか」 これは、高木豊『日蓮 その行動と思想』における一文です。この文章を読んだ時には、衝撃が走りました。それまでの私は、念仏を「諸悪の根源」のように認識しており、日蓮が念仏に惹かれ…

末法、大乗非仏、国立戒壇:日蓮遺文を「再読」するに当たって①

創価学会員は池田大作ばかりで日蓮を読まなさすぎ。そう言われて悔しかったので、読み直す事にしました。ブログで少しづつ上げていきます。大学の頃かじったスキナーなんかを使いたいけど・・・日蓮遺文を「再読」するに当たって①:末法、大乗非…https://t.c…

目次一覧~日蓮遺文を「再読」する~

創価学会の活動の中で、何度も学んできた日蓮の遺文。 しかし、その読み方は果たして十分だったのだろうか? 政治思想史家のクェンティン・スキナーは、以下のように書いている。 教義の神話のうちでも代表的なものの中心をなすのは、何といっても、古典的理…