学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

個人主義者かつ愛国者であること:丸山眞男の思想を読む

『人間革命』の舞台となっている時代状況を学ぶために、戦後思想を学んでいる本連載。
今回は、丸山眞男という、「戦後知識人」の代表とされる人物を取り上げます。

本連載は、「『人間革命』の時代を読む」という連載の第1回です。連載目次は、下記をご覧くださいませ。

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丸山眞男は「近代」批判論者だった

私の丸山眞男のイメージといえば、「国民」や「ナショナリズム」といったヨーロッパの近代思想を再評価した人物というものでした。確か大学に入ったばかりの頃に丸山を読みましたが、特に感銘を覚えませんでした。「丸山も所詮日本人、ルソーやカントを読んだ方がいいな」と思ったのを覚えています。

しかし、丸山は戦前、「近代」に対して否定的だったのです。22歳の丸山が1936年に書いた論文「政治学に於ける国会の概念」には、以下のような記述があります。

我々の求めるものは個人か国家かのentweder−oderの上に立つ個人主義的国家観でもなければ、個人が等族の中に埋没してしまう中性的団体主義でもなく、況や両者の奇怪な折衷たるファシズム国家観ではありえない。

この「個人主義的国家観」を理解するために、ヘーゲルマルクスの「近代」批判を見ておきます。
ヘーゲルは、人々が村落やギルドに埋没する(丸山が言うところの)「中性的団体主義」は、歴史の進展により近代社会に進むと主張しました。この近代社会では、「国家」は個人を抑圧するものであると見做されます。それに対し「個人」の生きる社会では、国家の干渉を拒否する「自由主義」的な思想が生まれる。丸山が言う「個人主義的国家観」とは、このような個人と国家が対立するものです。
しかし、このような近代市民社会では、個人はアトム化して相互の闘争がやみません。そこでヘーゲルは、このような闘争状態が、「国家」という高次の次元に止揚されると考えます。様々異論あるでしょうが、私はこれはファシズム的だと思っています。
マルクスも、このヘーゲル歴史観を受け継いでいますが、彼は近代市民社会を「ブルジョアが支配する資本主義社会」と認識し、それが克服される社会像として「国家」の代わりに「共産主義社会」を想定しました。

丸山の近代批判も、こうした潮流に乗ったものでした。また彼がマルクス主義に惹かれていたことは、有名な話です。

しかし、この「近代」批判は、「近代」再評価へと転換される事になります。
それは、太平洋戦争がきっかけでした。

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個人主義者たる事に於いてまさに国家主義者」

丸山は1943年に、「福沢に於ける秩序と人間」という論文を書いています。これは、福沢諭吉を読みながら、「国民主義」の思想を表現したものです。

「一身独立して一国独立す」とは、有名な福沢の言葉です。丸山はこの言葉に、主体的な責任意識を持って能動的に国家の政治に参加する「国民」の姿を見出しているのです。
即ちそれは、私的利益ばかりを追求するのでもなければ、権威に受動的に盲従するのでもない。「個人主義者たる事に於いてまさに国家主義」である国民なのです。

さらに1944年に丸山は、「遺書のつもり」で「国民主義の形成」を書いています。
丸山はこの頃、召集されて朝鮮に駐屯している。後に病気になって除隊されますが、彼が所属していた連隊は、フィリピンで壊滅したそうです。さらに丸山は、広島で被爆もしています。そのライフヒストリーを念頭に本論文を読むと、鬼気迫るものがあります。

国民主義の形成」は、江戸時代批判の形をとって、戦中の日本を批判しながら、「国民主義」思想を展開したものでした。
即ちそれは、権力者と大衆が完全に分離し、大衆が政治に一切の関心を持たない無責任な社会。人々は国家よりも、自分が所属する中間団体の利益を優先して活動します。
このような国民的責任意識の欠如した社会の弱点は、「総力戦」体制において完全に露呈します。それは本論文では黒船の来航とされていますが、これは太平洋戦争における日本社会の弱体を批判したものであることは明らかです。

「戦中にこんな論文を書いていたのか」と私は非常に驚きました。
おそらくこれは、当時の時代状況の中でできるギリギリの反抗だったように思います。いや、完全にアウトだったのかもしれません。

終戦を迎えた後の丸山は、有名な「超国家主義の論理と思想」において、日本社会を公然と批判しました。

超国家主義」とは、戦中日本の社会を指した言葉です。そこでは、主体的な責任意識を持った個人が存在しておらず、お上の言う事に従うだけである。
さらにそれは、権力者にも該当する。彼らも責任意識を欠いており、「陛下の下僕」にすぎない。自分より力のある人間によって加えられた抑圧を、弱い人間に向かって発散する。これは戦中日本において至る所で発生し、国際社会においてはアジアへの侵略という形をとった。そう丸山は分析しています。

このように丸山は、「近代」批判から「近代」再評価に転じました。しかし、「近代」という言葉は同じでも、その内容は異なっています。
丸山が批判した「近代」とは、ヘーゲルマルクスが批判したような「個人主義的国家観」です。それに対し丸山が再評価した「近代」とは、国民一人一人が主体的に政治に参与する「近代国家」観でした。

戦時中、「近代の超克」と題して、「個人主義的国家観」を超克する思想として、統制経済大東亜共栄圏を絶賛した知識人がいました。
それに対して「いや違う、超克どころか、お前らはまだ近代に到達していないんだ」と言った丸山の批判は痛快です。

丸山に学ぶ3つの事

この丸山の思想を、彼のライフヒストリーと当時の時代状況から見るとき、2つの着目すべき点があるように思います。

第一に、彼の思想がオーソドックスな西洋思想に基づいていたという事です。「身分制度から解放された近代的個人が愛国心の担い手になる」という思想は、フランス革命において成立したとされる、何ら新しいものではない。その意味において、丸山は何ら新しい事を言ったわけではないのですが、彼の偉いところは、戦中・戦後の日本という時代において、その社会の欠陥を批判するためにその思想を用いた事です。
私は丸山を初めて読んだとき、はっきり言ってあまり新しさを感じなかった。けれどもそれを時代状況の中に置くと、学ぶ所が多くあります。

思想は時代との連関で読まなければ、その価値はわからない。
これは、今後の創価学会において重要であると思います。池田名誉会長の思想を同時代的に読む時代は、はっきり言って終わったと思います。今後必要となるのは、池田名誉会長の主張を、その時代との関連において読むという事です。池田思想を普遍的真理として読むのではなく、昭和から平成という時代を生きた個別特殊的な人間の思想として読む。そういう姿勢に立った上での議論が、必要となるでしょう。
牧口・戸田両会長の思想研究にそれが必要な事は、言うまでもありません。

第二にそれが、丸山自身のライフヒストリーと密接に結びついていたことです。丸山が兵役に従事したことは先述の通りですが、彼はそこでの自分の振る舞いを「徳川時代の御殿女中」のようだったと言っている。つまり、上役という権威に追従する卑屈さを恥じている。これは彼が権威に対して「主体性」を強調する背景となっている。
またこの経験は、多くの日本人によって共有されたものでした。ですから、その経験で感じた「権威への追従」に対するアンチテーゼとしての丸山の「国民主義」は、広く読まれたと言えましょう。

第三に、丸山の思想が後世の人間によって非常に単純化されて理解されてしまったことです。
少なくとも丸山の「国民主義」においては、「民主」と「愛国」は緊張関係にありながら、両立していたと言えます。しかし、後世の人間によって丸山は、その一面だけを強調されてその内部の複雑性が無視されてしまいました。
それはある人には、「近代的自我の確立」を唱えてナショナリズムを否定したと読まれた。しかし、それは、「個人主義的国家観」を批判した丸山を見落としている。
またある人には、西洋を過度に理想化した「近代主義」だと受け入れられた。しかしそれは、日本が「国民国家」という近代的原理に達していないという現実認識に基づいていたという点を見落としている。
さらにある人は、「大衆」を嫌悪した大衆社会論者として、ある人は「日本人としての誇り」を掲げる歴史修正主義者として、丸山の後継者を自認した。
思うに、丸山だけではないが、偉大な思想家の思想は驚くほど複雑であり、その内部には相互に矛盾する要素が牽制し合いながら混在しています。それを単純化することなく、その知的緊張度を保ったまま理解しようと試みること。その事の必要性を、強く実感します。