学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

公明党の原点は軍部政府へのアンチテーゼ:『人間革命』を読み比べる

人間革命の新旧版を読み比べる本企画。
今回は、「終戦前後」の章を取り上げたいと思います。

今年も終戦記念日がやってこようとしています。
改めて『人間革命』を読めば読むほど、太平洋戦争の記憶が池田名誉会長と今日の創価学会の思想に不可欠なのもであると感じさせられます。

 

(本記事は『人間革命』新旧版を読み比べる企画の一部です。連載の目次一覧は、下記URLまでお願いいたします)

sanseimelanchory.hatenablog.com

「終戦前後」の章あらすじ

時代は敗戦直前の日本。広島、長崎への原爆投下、さらにソ連参戦を受けた日本は、いよいよ八方塞がりとなり、無条件降伏の道を選ぶ。戸田城聖は、日本の指導者の無能を憎みながらも、日蓮仏法の流布に闘志を燃やす。通信教授の新事業を開始した彼だったが、それは活況を呈する。

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作者の観察者化

太平洋戦争時の米ソの指導者についての記述です。比べてみましょう。

【第1版】

一国の暴君も、世界の暴君も、所詮、普通の人間の範疇を出ていないものだ。一体、彼等は、世界を、誰人のものだというのであろうか。(83頁)

【第2版】

今にして思えば、既に米ソの対立は、この時から兆し始めていた。彼らは、戦後の世界に君臨することを考えていたのであろうか。それは、言うまでもなく、大国の横暴というものである。人間は、権力の絶頂に登ると、皆、暴君的な一面を持つのと同じように、大国になればなるほど、いよいよ暴君的な色彩を増す。(104頁)

《考察》
読み比べればわかる通り、明らかに当時の指導者に対する疑義・怒りがトーンダウンしています。
第1版では、「暴君も所詮人間にすぎない」「世界を誰のものだと思っているのだ」という極めて感情的な怒気のこもった記載がされている。
それが第2版では、「大国の横暴である」「暴君的な色彩を増す」という、第三者的、観察者的なものに穏健化されています。
これまでの読み比べでも、第2班の特徴は、「客観的歴史叙述」の色彩を増すことであることがわかってきました。本箇所のトーンの穏健化も、その一環かと思われます。

また『人間革命』では何度も戦時中の日本の指導者を弾劾する記述が出てきますが、池田名誉会長は日本だけでなく、米ソの指導者に対しても否定的であったことがわかります。

「福運」説の削除

【第1版】

国の命運が尽きた時は、大政治家も、名将も、ともに福運がなくなり、懸命な知恵も革新も喪失して、先手を打てなくなってしまうものだ。否、それらの指導者階層の福運が尽きたがゆえに、国の福運が消えたとも言える。この方程式は、いかなる国でも、家でも、同じことである。(84頁)

《考察》
これは、第2版では削除されている記述です。
以下、2つの命題が述べられています。
●国の命運が尽きる→指導者の福運がなくなる→有効な対策ができなくなる
●指導者の福運が尽きる→国の福運が消える

「命運」を「福運」と同じものとみなした上で、この2つを総合すると、
「国の福運が尽きる→指導者の福運が尽きる→国の福運が尽きる・・・」というスパイラルを描いているようです。

私には着目すべき点は、以下の2点であるように思われます。
まず、国の指導者の失政が「国の福運の欠如」に帰せられるというものです。『人間革命』では、戦時中の日本の指導者を「愚かな指導者」として糾弾する記述が見られます。しかし、この記述を勘案すると、「愚かな失政」をしてしまうのは単に指導者が無能であるからではない。たとえ名将であったとしても、「国の福運」がなくなれば「賢明な知恵も革新も喪失」してしまうというのです。
そして、その「国の福運」を決定する要素の1つとして挙げられているのが、「指導者の福運」です戸田城聖が、時の石橋湛山首相を日蓮宗であることを理由に、非難していたことを聞いたことがあります(確か岸信介との絡みで、『人間革命』にも出てきていた気がします)。

これらを総合すると、「国の指導者がどんな宗教に帰依しているかは、その指導者の福運を決定する。そして、その指導者の福運は、国の福運、そしてその国の国家運営に重大な影響を与える」という立正安国的な思想になるかと思われます。

この箇所が削除されている理由は、このような思想を学会が捨てたからではなく、あまりにエッジが効きすぎているからだと思います。また、「創価学会員を総理大臣に」という主張に見られかねません(当時の学会も、今日の学会も、果たして公明党のゴールをどこに定めているのかは私には判断がつきかねていますが)。

かなり丸くなっているにせよ、このような発想は、今日の学会でも生きています。
学会員が保守政治家の靖国参拝を非難するときに、上述のロジックに基づいた主張はよく聞きます。また、学会員の公明党支援も、それが全てはありませんが、「正しい宗教を信じる福運ある政治家を政界に」という思いに基づいています。

思うに、『人間革命』第1版執筆当時の昭和40年頃は、言論出版妨害事件以前です。つまり、学会と公明党が猛批判を受けて「丸くなる」前なのです。ですから、この時代の学会の書籍を読むことは、創価学会公明党の目指すものを非常に先鋭化された形で学ぶことにつながります。

「民間外交」の役割強調の穏健化

続いて、当時の和平工作に絡めながら、「民間外交」について言及されている箇所を読み比べます。

【第1版】今度の大戦では、日露戦争の時と異なり、我が国の和平工作が悉く失敗していったことは、当然なことであった。すべて、政界、軍部の上層部の工作のみであって、民間人の和平工作は皆無の状態であったからだ。

国民の中からの、国民の立場に立っての和平工作の運びは、全く影を潜めてしまった。それほど軍部政府の強圧は、言語を絶していたのである。

いつの時代でも、上層部の外交の大切なことは言うまでもない。しかし、それよりも、はるかに重大な外交は、民間と民間との交流であり、結合である。この自然に成立する外交こそ、強靭な鎖であり、価値があり、かつ永遠に続くことを、指導者たちは常に忘れてはならないのである。(84頁〜85頁)

【第2版】

今度の大戦では、わが国の和平工作が、ことごとく失敗を重ねていったのも、当然なことであった。

むろん、いつの時代でも、最高指導部による外交が大切なことは、言うまでもない。しかし、一切の基盤となるのは、民間人と民間人との交流であり、人間と人間の信頼の絆である。いわば鉄の鎖のように強い、心の結びつきである。この民衆次元の幾重もの交流こそが、平和の大河となるのである。

戦時には、外交交渉の当事者が戦争の渦中にある。和平工作の糸口を見出すためにも、民間の自然な結びつきが大事になる。だが、独裁的な軍部政府の圧力は、それさえも封じ込めてしまっていたのである。(106頁)

《考察》
「民間外交」に関する記述が明らかに変わっています。
まず第1版では、民間外交が「上層部の外交よりはるかに重大」とされ、国家間の外交よりも圧倒的に優位なものとされています。さらに、それが「永遠に続くもの」としてその永続性が強調されており、短期的な利害関係や情勢の変化に左右される国家間外交と対置されている。

それが第2版では、民間外交が「一切の基盤」「平和の大河」と述べられている。これは、第1版において国家間外交と民間外交を比較して後者の絶対的優位が述べられていたのとは、大きく異なっている。つまり、民間外交と国家間外交の明確な比較をすることを避け、民間外交の「絶対的優位性」ではなく「重要性」を説くものに変わっています。

「民間外交の方がよっぽど大事」という主張は、かなりエッジが効いており、「何で創価学会が外交の場に出てくるんだ」という批判を浴びそうなので、穏当な記述に変わったものとみられます。しかし、第2版のものは、大学生の国際交流サークルのホームページにも載っているような物なので、あまり面白くない。
本連載後の池田名誉会長の中国・ソ連訪問などを考えるとき、私には非常に感慨深いものがあります。これは、当時(今日も?)の池田名誉会長の本音だったんだろうなと思います。さらに、池田名誉会長が中国などとの民間関係を重視したのは、戦前の軍部政府の圧迫に対するアンチテーゼだったこともわかります。
これについては、また池田名誉会長の外交の歴史を改めて学びなおしながら、考えたいと思います。

「大衆」という言葉の持つ意味

続いて、ポツダム宣言が提示されながらも、「黙殺」を選択した時の政権を非難した箇所です。この「黙殺」によって終戦が後ろ倒しになり、広島と長崎に原爆が投下されました。

【第1版】

時代こそ違っても、指導階層は、常に冷徹なる理性をもって、大衆の幸福と平和を招来する方向への分析を怠ってはならぬ。その決断に臨んでは、大感情を集中し、身命を賭して事に臨むべきである。所詮、大衆を根本とした思索であれば、衆議も速やかに決するはずであろう。(87頁)

【第2版】

いつの時代にあっても、指導者階層は、常に冷徹な理性をもって、民衆の幸福と、平和への方向性の分析を怠ってはなるまい。その決断に臨んでは、大感情を集中し、それぞれ命をかけて事に臨むべきだろう。民衆の利益を根本とした思索であれば、衆議も速やかに決しなければならないはずだ。(109頁)

《考察》
「大衆」ーこの言葉を聞いて、創価学会員が真っ先に思い浮かぶのは、公明党だと思います。
公明党は、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」が立党の原点とされています。

この「大衆」という言葉が「民衆の利益」に変わっており、それに基づいた思索ならば「衆議が速やかに決するはず」という記載から「決しなければならない」に変わっています。

まず、「衆議」をめぐる記載の変更についてですが、私は意味は変わっていないと思います。つまり、どちらも「日本の民衆のことを根本に考えていれば、議論は速やかに決したはずだ」という道理を述べている。これは、「自分たちの都合や国体の維持ばかり考えて、モタモタして決断できなかった」政府を批判していると言えます。

問題は、「大衆」から「民衆の利益」への変更です。前述の通り、「大衆」という言葉が公明党と密接に結びついていることを考慮に入れる必要があります。
そのことを念頭に置いて、第1版の記述は、以下のように解釈できます。

「戦時中の愚かな指導者は、大衆を忘れて自分たちの地位や面子に固執し、ポツダム宣言を黙殺した。その結果、広島長崎に原爆が投下され、多くの無辜の大衆が死んだ。この戦時中の愚かな政府ではなく、大衆を根本にした公明党が必要なのである」

乱暴な解釈であることは承知していますが、創価学会の政界進出、そして公明党の結党は、戦争を推進したかつての日本政府へのアンチテーゼであったと、私は思っています。
つまり、「大衆」という言葉は、税金を集めて再配分しようというような社会民主主義的な思想に回収されるものではない。それは、「大衆」を忘れて戦争を推進したかつての日本の指導者たちへの怒りに基づいた、反戦」「反権力」思想であるということです。

この事を考える時、私は、今日の公明党に物足りなさを感じてしまいます。
公明党議員は、非常に課題解決能力が高い専門家集団になりました。「福祉の党」と呼ぶにふさわしい党ではあると思います。
しかし問題は「平和の党」の看板です。私は、2014年の平和安全法制の事を言っているのではありません(ちなみに私は様々な論点において、同法制に異論がありますが、基本的には「容認」の立場です)。
自民党の右傾化と野党の弱体化。国際環境・安全保障環境の変化。
これらを背景に、憲法9条改正に象徴されるように日本のあり方が問われています。そうした中で、公明党が「現実主義」以上の路線を示せていないことは、残念に思います。

過去の戦争の記憶にルーツを持つ党として、護憲を掲げるのもいい。ただし、その場合は憲法9条を持つことの積極的意義を思想的に構築して欲しいし、同時に現実的な外交の場でどのような役割を果たしていくのかという日本像も示して欲しい。
別に9条改憲を掲げてもいいと思います。しかしそれは、これまで日米安保自衛隊、そして改憲に関する見解を「なし崩し」的に変えてきたようにではなく、公明党なりの国家観、日本観に立って欲しいと思います。
今のままの現実路線の公明党では、北朝鮮のミサイルが日本に着弾したら、簡単に再軍備論者になりそうに見えてくるのです。「自民党の補完勢力」「短期的政策実現に注力する政党」と自らを位置付けるのならいいですが、『人間革命』を読んでいると、そのような公明党のあり方は、一学会員として寂しく思います。

・・・さて、かなり脱線してしまいましたが、上述の「大衆」記述が「民衆の利益」に変わっている理由について、私が思い浮かぶのは以下のものです。

●「大衆」という言葉があまりに公明党を連想させるため、「政治一般の事を語っているのだ」という普遍性を持たせる事を企図している

●第1版執筆当時は、公明党結党からまだ2〜3年。当時の創価学会は、「公明党を通じて、戦時中の日本とは異なる大衆のための政治をやるんだ!」というような気概に溢れていた(当時はまだ原島や辻など学会の幹部が公明党議員をやっていた)。しかし、社会からの「政教一致」批判が止まない昨今、公明党を連想させるタームは削除することにした

一人称的パースペクティブの消失

【第1版】

トルーマンは、原爆落下のその日、ラジオで演説した。
「(中略)もし彼等が、我々の条件を受理しないなら、彼等の頭上には崩壊の雨が降るであろう」
アメリカらしい言い草である。しかし原子爆弾があることを表明した、このラジオ放送を、日本の首脳部は聞いていたはずである。
この世のものともいえぬ、地獄界を現出した広島の惨状。戦争を呪う声は巷に満ちた。しかし政府は、単なる威嚇として、黙殺する他に智慧がなかったのだろうか。
戦争だけは、永久に、断じてあってはならぬ。(90頁〜91頁)

 

【第2版】

原爆投下のその日、トルーマンの声明が、ラジオで発表された。

「(中略)もし彼等が、我々の条件を受理しないなら、彼等の頭上には崩壊の雨が降るであろう」

原子爆弾があることを表明した、このラジオ放送を、日本の首脳部は、聞いていたはずである。だが政府は、単なる威嚇として、黙殺する他に知恵はなかった。(114頁〜115頁)

《考察》
「アメリカらしい言い草である」「戦争だけは、永久に、断じてあってはならぬ」といった作者(池田大作)が一人称的に感情を込めて語った文章が、削除されている。これは『人間革命』における歴史叙述を、第三者的なものにしようという試みの一環であると考えられる。同様に、以下の文章も削除されているが、同じ理由であろう。

悪夢の連続に終止符を絶対に打たねばならない。そして、平和な正夢の歴史を創ることに、世界の責任ある指導者達は、全魂をなげうつべきである。(94頁)

敗戦総罰論の維持

「総罰だ。日本一国の総罰だ。いよいよ末法の大白法の必要な時になったのだ。大聖人様の大仏法が、本当に光り輝く時が到来したんだ」(第1版:98頁、第2版:123頁)

《考察》
下記の文章は、敗戦を迎えての戸田城聖のセリフであるが、初版と第2版で変わっていない。
これは、「日本国の敗戦は国家神道という邪教を信じた事による」というものである。

この主張は、以下の2点に注目すべきであると考えられる。
①敗戦は国民全体に科がある罰であること
太平洋戦争における敗戦は、「総罰」という言葉の示す通り、国民全体の責任であると述べられている。これは今日からするとドラスティックであるが、敗戦後の思想状況から見れば決して奇異なものではない。例えば、丸山眞男なども、敗戦を国民一人一人が「近代的個人」でなかった事に求めている。

②誤った宗教を信じることが国を滅ぼすこと
ここでは、「敗戦」の原因が誤った宗教を信じたことにあり、「大聖人様の仏法」が必要になったと述べられている。これは、「誤った宗教は国を滅ぼす」という、「立正安国論」を彷彿とさせる記述である。この文章の指し示すところは、宗教は政治や国土の荒廃までを決定づける「下部構造」とも呼べるものであるということだろう。宗教は人間の思想や観念を作り上げるにとどまらず、物質的側面をも規定するという主張である。
「誤った宗教を信じる」という原因と、「敗戦を迎える」という結果を結ぶのは何であろうか。私には、以下の2つが思い浮かぶ。

(A)誤った宗教を信じた結果、誤った観念や思想を人間が構築する。その人間は、誤った観念や思想に基づいて行動するがゆえに、誤った行動をする。誤った行動の結果として、惨憺たる結果(=敗戦)が到来する。

(B)誤った宗教を信じた結果、神々は去り、国土を守る働きは無くなる。その結果、国は滅びる(=敗戦)。

(A)に関しては、ある程度合理的であり、一定の説得力を有するだろうと思われる。敗戦の一因になったとされる戦時中の過度な精神主義は、神話に基づく自国への過度な信頼と不可分ではないだろう。
しかし、(B)に関しては、特定の宗教体系の内部で説明されるものであり、かなり飛躍している。
しかし、『人間革命』では(B)が採用されており、これは第2版でも変わっていないようである。詳細は、以下記事で検討しているので、ご参照されたい。

長くなりましたので、「終戦前後」の章、次回に続きます。

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