池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか①:「国家神道」の定義を考える
「池田名誉会長は国家神道の何に反対しているのか?」
終戦を間近に迎えた今日この頃、上述の問いについて考察したいと考えています。17歳の時に終戦を迎えた池田名誉会長は、その青春を戦争によって大きく狂わされたと言えます。折に触れて、国家神道に対して否定的な主張をされており、『人間革命』初版をみると、異常なまでの怒りが描かれている事に驚きます。
しかし、池田名誉会長は国家神道の何に反対したのでしょうか?それを全面的に否定したならば、池田名誉会長は、天皇制や神社も無くなるべきと考えたのでしょうか?
創価学会の活動をしていると、他宗教を盛んに批判する方に出会いますが、私は他宗批判はかなり慎重に行わなければならないと考えています。
例えば、「神道は戦争を招いたから、邪教だ!」などと軽々しく口にすると、「お前らだって日蓮主義を生んだだろう!」とブーメランが返ってきます。
他の宗教を批判する際には、その宗教を徹底否定するというような安易なものではなく、
「何を批判するのか」という論点を明確にし、その上で議論すべきだと私は思っています。
国家神道も同じです。左翼などは、それを「絶対悪」だと認識して攻撃しますが、それが往々にして「国家神道が何であるか」という認識を怠った知的怠慢の結果である事が多いように思います。これは学会にも言えることであり、真言宗でも、念仏でも、日蓮宗でも、日蓮正宗でも、批判する時にはそれをしっかり認識すべきです。つまり、学会内の教義から見た(偏狭な)理解ではなく、その宗派に立った人物の著作や学術書を読んで理解を深めて、論点を明らかにしてから批判すべきだと私は思っています。
そこで、「池田名誉会長は国家神道の何に反対したのか?」という点を考えるにあたり、国家神道とは何なのかという問題を考えたいと思います。
国家神道の構成要素
「国家神道」という定義は難しく、学者の間でもかなりの議論になっているようです。
村上重良は、名著『国家神道』において、その構成要素を以下の3つに分けています。
①神社神道とは、キリスト教でいうところの「教会」、つまり神社という宗教団体だと理解していいと思います。その民間の教団である神社が皇室祭祀を中核とする②「皇室神道」に結び付けられ、国家主導の祭祀に組み込まれたと、村上は述べています。
「国体」とはこれも難しい言葉ですが、「神々の系譜を受け継ぐ天皇が統治してきた日本は、特別な国家だ」という観念です。皇室祭祀は、天孫降臨や神武天皇の即位を祝するなど、「万世一系」の歴代天皇の特別性に基づいた祭祀です。日本の国家の優越性を強調する根拠が、「万世一系」の天皇であり、皇室神道と国体の教義が深く結びついている事がわかります。そして、その皇室祭祀を全国的に行う組織が神社なのです。
これに対し、神道学者の葦津珍彦は、「本来神社神道は素晴らしい存在なんだ。国家神道は、悪巧みを持った国家によって利用された特別な一形態に過ぎないんだ」としています(私のかなりの意訳なので、原書を読んでいただきたいです)。つまり、「神社が国家と結託して戦争を巻き起こした」「神道は戦争を誘発しかねない危険な宗教だ」という主張に対する反論なのです。これは神道学者ならではの回答だとは思いますが、私も一信仰者としてこの意見をある程度擁護したいと考えています。
また、宗教学者の島薗進は、葦津のような「国家神道=神社神道の一形態」と見なすような意見を偏狭だとしています。つまりそれは、神社神道という祭祀組織という一観点から見た国家神道に過ぎず、皇室祭祀や国体論、国民への教化などの別の側面を捨象したものだというのです。島薗は、「戦後も残る国家神道」ということを強く意識しているので、このような主張をしているのだと思います。末木文美士もまた、同じような見方をしています。
島薗は、上述の村上説にも一定の評価を示しますが、②皇室神道と③国体論の結びつきの弱さを指摘しています。そして、天皇崇拝や国体論の観念がどのように国民に広がったのかという点を考察し、「教育勅語」やメディア、祝祭日のシステムなどを考察しています。
国家神道の定義と考察すべき諸側面
上述の諸先生方の著作を読み、私は国家神道を以下のように定義したいと思っています(ご指摘いただいて、成る程と思ったら随時修正)。
定義:戦前の日本が国家として主導した神道の一形態。記紀神話に基づいた皇祖皇宗の権威を根拠に、日本国の特別性を強調する。それを制度化するために、皇室祭祀を整備・強化し、皇室祭祀という国家的祭祀を行う機関として神社神道を全国組織化。さらに、それを国民に教化するために、さらに教育・メディア・祝祭日などの諸政策を実行した。
分解すると、以下のようになります。
(教義)万世一系の天皇の神聖性を根拠に、日本の優越性を強調。
(制度)皇室祭祀・伊勢神宮を頂点に全国の神社を組織化。
(政策)教育・メディア・祝祭日などを通じた教化政策の実行。
(目的)国民への天皇崇拝・国体論の教化、浸透
それぞれ、詳細を検討していきましょう。
教義:国家公認の神話と皇室祭祀
国家神道の中核をなすのは、日本中心主義に結びついた「アマテラス=天皇」の系譜を強調する神話です。その神話については、覚書程度ですが、拙の別ブログでまとめています。
要するに、神々の系譜を継ぐアマテラスの孫であるニニギが天上から地上に降臨し(天孫降臨)、ニニギのひ孫が始祖である天武天皇となり、今上天皇までその皇統が継がれているというものです。その皇祖皇宗が統治する国は、日本しかなく、ゆえに日本は特別な国であるという日本中心主義が成立します。
この天皇を中心とした特別な国のあり方の観念を「国体」と呼びます。
そもそも古代から中世の思想を見ていると、日本の神々を仏の仮の姿だとする本地垂迹説や、日本を「辺土」として相対化するような思想が目立つのですが、いつの間にか日本が世界の中心になっています。その系譜も、簡単に下記記事にてまとめています。
この国家神道における神話を考える際に欠かせないのが「祭政一致」と「政教分離」の問題です。即ち、どのようにして仏教や儒教、キリスト教といった宗教と、この国家公認の神話が共存していたのかという問いです。これは、国家と教団の関係という「制度」的な問題と、国民の「内面」の問題に大別されます。それについては、追ってみていきましょう。
制度①:皇室祭祀と全国の神社の組織化
続いて、上述の神話に基づいた日本中心主義的な国家神道が、どのように組織に受肉したのかという「制度」面を見ていきます。
その完成系は、皇室祭祀と神社の祭祀を結び付け、アマテラスを祀った伊勢神宮を頂点に全国の神社を組織化したものです。
まず皇室祭祀の拡充が挙げられます。天皇陛下の生前退位をめぐり、その皇室祭祀の多さが注目を浴びましたが、それらの大多数は明治維新の後に整備・拡充されたものです。例えば、明治維新とともに新しく始められた「元始祭」は天孫降臨を祝うものですし、「紀元節祭」も神武天皇の即位を記念するものです。これらは、天地開闢からアマテラス、ニニギ、神武天皇、歴代天皇という系譜を強調するために創設されたのです。
そしてこの皇室祭祀と一致した祭礼を行う国家の機関として、全国の神社が組織化されていったのです。明治以前の神社は、それぞれの伝統や地域事情を反映した様々な儀礼を行っていましたが、皇室祭祀が神社祭祀の中核を占めるようになっていきます。1907年には内務省によって「神社祭式行事作法」が告示され、全国の神社の祭礼の方式まで規定され、アマテラスを祀る伊勢神宮を頂点にした「神社神道」という全国組織が出来上がったのです。
これは、神社が民間教団としての「宗教」ではなく、国家祭祀を行う「非宗教・国家機関」になったと解釈できます。
制度②:「日本型政教分離」という特殊形態
ここで問題になるのは、仏教や儒教、キリスト教などの他宗教との関係です。
これは、「国家神道」は国家統治のための祭礼や日本人としての道徳に当たるものであり、「宗教」ではないという奇妙な位置づけがされていました。
「宗教」という言葉は定義が難しいですが、政教分離などの制度的な問題を語る際には、「教会や教派などの自発的信仰者から成る宗教組織」と定義される事が多いです。この定義に従うならば、「国家神道」とは国民すべてが関与すべき「祭祀」や「道徳」という「公(パブリック)」な領域に属するものであり、個人の内面に関与する「宗教」という「私(プライベート)」なものとは、カテゴリーが違うものであるとするのです。このような奇妙な棲みわけによって、「祭政一致」と「政教分離」は両立することとなります。
とはいえ、このような特殊な「日本型政教分離」が確立するまでに、政府は紆余曲折を経なければなりませんでした。
維新後の明治政府は、キリシタン禁制といった宗教弾圧や全国民を神社に登録させようという「氏子調制度(うじこしらべせいど)」などのかなりラディカルな対策をしています。
しかしこれはさすがに激しい抵抗を呼び、1872年には「教部省(きょうぶしょう)」の設置というやや軟化した方策をとります。これは、神道以外の宗教勢力も認めるという比較的穏健なものでしたが、それは「大教」の流布という国家の意向に沿う教団のみを認定するというものでした。「大教」とは、「敬神愛国」や「皇上奉戴」など、要するに祭政一致的な国策に協力する教団だけは活動していいよ、というかなり乱暴なものです。
これも反発を招き、1880年代には、宗教団体はある程度の自由な活動を認められるようになりました。
そして1900年には、「日本型政教分離」が行政制度上確立します。つまり、神社神道を統括する「神社局」とその他宗教団体が属する「宗教局」という、二元的な体制ができたのです。「神道は宗教に非ず」ーこの事が法的に確立した画期であると見る事ができます。
(以下の記事に続きます)
sanseimelanchory.hatenablog.com
【参考文献】
神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)
- 作者: 安丸良夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1979/11/20
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