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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

ゆとり世代学会員の本音①:「本門戒壇の大御本尊なんて知らない」

有給休暇を取得できましたので、私は今日から連休に突入しています。
貴重なお休みを利用して、ヘビーな話題を書いてみようと思います。
それは、創価学会の会則の変更」です。

飲み会での一幕:「本門戒壇の大御本尊って知ってる?」

創価学会は2014年に、かつて宗祖・日蓮の「出世の本懐」であると定め、自分たちの正統性の根拠としていた「本門戒壇の大御本尊」を「受時の対象」から外しました。
「この本尊以外は、例え日蓮真筆でも功徳はない」と言って排他的に信仰し、日蓮系の教団をガンガン攻撃していたわけですから、これはかなりの自語相違です。

しかしこの「本門戒壇の大御本尊」は、喧嘩別れした日蓮正宗に独占されております。日蓮正宗を「大謗法」の教団として弾劾することは、創価学会の正統性を主張する上で必要不可欠。そんな教団に信仰の中核である「御本尊」を握られ、それに依存することは創価学会としては我慢ならないわけです。
ですから、このように過去の教義を捨て去る事は、遅かれ早かれ必要だったと言えましょう。

最近私は、改めてこの話題に関心を持ちました。
昨日、創価大学の卒業生の友人5人とお酒を飲む機会がありましたので、この会則変更について意見を聞いてみたのです。
すると全員がポカンとした顔をして、「そんなことあったっけ?」という反応でした。

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創価学会日蓮正宗と喧嘩別れしたのは1991年(平成3年)。
私たちの世代(平成生まれ)は、日蓮正宗から独立する以前の創価学会を知りません。
私も「本門戒壇の大御本尊」を拝したことはないし、はっきり言って何の思い入れもない。
「まぁこんなものか」と思って、「本門戒壇の大御本尊を受時の対象から外したやつだよ」と解説すると、返ってきた反応は次のようなものでした。

本門戒壇の大御本尊って何?信濃町の学会本部にあるやつ?」

何と、5人全員が知らなかったのです
創価学会の活動に無関心な5人ではなく、むしろかなり熱心に活動に励み、土日もあちこちに奔走しています。この飲み会でも、「選挙が大変だった」という話題に終始していました(「選挙活動=信仰活動なのか!」というご批判は、ご容赦くださいませ・・・)

飲み会終了後、私は酔いに任せて、7人ほどの熱心な活動家の友人にLINEをしました。
回答が返ってきた6人全員が、「本門戒壇の大御本尊」を知らない、もしくは意味を誤解しておりました。

創価学会パラダイムシフトが起きる

サンプルはたったの11です。
しかし、私たちのような平成生まれのゆとり世代学会員は、「本門戒壇の大御本尊」に思い入れがないどころか、存在も知らない。こういう仮定に立って物事を考えても、無駄ではないと思います(機会があればしっかり調査してみたいですが・・・)。

よくよく考えてみれば、私が「本門戒壇の大御本尊」を知っている理由も、昔の学会や日蓮正宗の本を読んだことがあったからです。学会活動の中では、1度も聞いたことがないし、「教学試験」でも出題されませんでした。
ですから、彼らがしたなかったことも、自然と言えば自然です。

私はこの事実に直面して、創価学会において、「パラダイムシフト」が起きようとしていると感じました。
即ち、「本門戒壇の大御本尊図顕こそ日蓮の出世の本懐」というパラダイムが消え去り、学会教学部が言うところの「民衆仏法」、さらには「池田大作は永遠の指導者」というパラダイム創価学会を完全に席巻するということです。

創価学会本部が会則を変更した程度では、まだまだ「パラダイムシフト」なんて起きやしない。彼らが提示した新しいパラダイムが、創価学会員にとって「当たり前」になった時、それが完了するのです。

私は同世代の状況を見たことにより、20〜30年後の学会の姿を見たような気がしました。恐らくその時の学会は、「池田教だ」「日蓮大聖人の精神を忘れた新興宗教だ」と批判されるでしょう。それらの批判は、当たっている。しかし、そういった批判が全く響かない学会になるのだろうと思います。

ゆとり世代創価学会員の本音」シリーズのテーマ

というわけで、この会則変更に関しての論考を数回に分けて掲載させていただきたいと思います。

「平成生まれ学会員の多くは、本門戒壇の大御本尊を知らない。知っていたとしても何の思い入れもない」
このような仮定の下で論を進めさせていただきます。本当であれば、統計学的に信頼できる社会調査をすべきなのでしょうが、一末端会員でサラリーマンの私には、リソースが完全に不足しています。また、組織の中で「異端児」扱いされるのは、しばらくは御免です。
いずれ着手したいとは思いますが、今回は上述の命題を真であると仮定させていただきます。ただ、決してトンデモな仮定ではない、現役学会員の方も受容しやすいものではないかとは思います。

次回から、以下のようなポイントを考察することを考えています。

●そもそも教義とはどのようにできるのか?
●「本門戒壇の大御本尊」を捨てることなんて、本当にできるのか?
創価学会の新しいパラダイムとは?
パラダイムシフトが完成するには?

どうかお付き合い頂けますと幸いです。

続きは、下記をご覧くださいませ。

sanseimelanchory.hatenablog.com

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