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学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

戸田城聖の出獄:「黎明」の章を比較検討する

「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない」

この有名な一文から始まる、「黎明」の章。
治安維持法違反と不敬罪によって投獄された戸田城聖が、豊多摩刑務所を保釈されるシーンから始まります。

本記事は、2014年に改定された『人間革命』第2版と初版を比較検討するものです。ここでは、第1巻「黎明」の章を取り上げます。連載目次一覧は、下記をご覧くださいませ。

sanseimelanchory.hatenablog.com

「黎明」の章 あらすじ

1945年7月3日。後に創価学会第2代会長に就任する戸田城聖豊多摩刑務所を出獄する。その心中は、創価学会の再建と広宣流布の実現に燃えていた。迎えに来た家族とともに帰宅後、彼は御本尊(文字曼荼羅)を拝す。その姿が、自分が獄中で経験した「虚空会の儀式」と全く重なる事を知り、ますます広宣流布への決意を固くする。

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王仏冥合の削除

(初版)
彼の恩師、牧口会長は、この門を死によって帰られた。
彼はいま、生きてこの門を、出たのである。
生死の二法は一心の妙用なりーと。牧口会長も戸田城聖も、ともに、広宣流布王仏冥合の一心には、なんら変わりはなかった。(9頁)

(第二版)
戸田城聖の恩師である、創価教育学会の会長・牧口常三郎は、死によってこの門を出た。彼は今、この門を生きて出たのである。
生死の二法は一心の妙用なり、という。
そして牧口も戸田も、ともに人類の平和と幸福を実現する広宣流布の一念には、なんら変わりはなかった。(21頁)

《考察》
初版が執筆されたのは、昭和39年。公明党は飛ぶ鳥落とす勢いで、単独過半数を目指していたとも考えられる時代です。
しかし、昭和45年の「言論出版妨害事件」を経て、党紀から「王仏冥合」や「国立戒壇」の文言が削除されました。宗門との問題に加え、このような政治的問題に対する配慮も、改訂部分を考察する際のポイントであることがわかります。

邪宗、邪教の不使用

(初版)
仏法は勝負である。正しいものが、絶対に栄えるという事を実証するためにもー。
およそ不幸の根源は、一国の政治や社会機構のみでは決定できない。より本源的には邪宗、邪教にある、との日蓮大聖人の、するどい洞察が、寸分の狂いも無い真実である事を、彼は身をもって知った。(10頁)

(第2版)
およそ不幸の根源は、一国の政治や、社会機構の形態だけで、決定できるものではない。より本源的には、誤った思想や宗教によるものである。
戸田は、この日蓮大聖人の鋭い洞察が、寸分の狂いもない真実である事を、身をもって知った。(22頁)

《考察》
「邪宗、邪教」という言葉が、「誤った思想や宗教」に置き換えられています。
邪宗・邪教は、『折伏経典』などの過去の学会の出版物で頻出する言葉ですが、最近ではほとんど聞かなくなりました。これは、日蓮の「五重の相対」に基づいた他宗違反を、創価学会が行わなくなったことを反映しているのではないでしょうか。
つまり、他の仏教宗派に寛容の姿勢を見せるために、かつての激しい他宗批判を想起させる「邪宗・邪教」という言葉を放棄したと考えられます。

また、なぜか「仏法は勝負である」以下の文章が削除されています。
なぜ今日の学会でも頻繁に使われる言葉が削除されているのか、私にはわかりません。

敗戦の原因は「正法」への無知

(初版)
ー宗教の無智は、国をも滅ぼしてしまった。
神は非礼をうけたまわず、と大聖哲は仰せである。正法を尊ばずして、諸天善神の加護はないのだ。しかるに軍部政府は、正法を護持する牧口会長を獄において死に至らしめている。(16頁)

(第二版)

“宗教への無知は、国をも滅ぼしてしまった。”
「神は非礼を稟けたまわず」と、大聖人は仰せである。正法を尊ばずして、諸天善神の加護はない。しかるに軍部政府は、正法を護持する牧口会長を、獄において死に至らしめてしまった。(30頁)

《考察》
これは、太平洋戦争における敗戦の原因を記したものですが、全く変わっておらず、少々驚きました。
これは、「敗戦の原因は日蓮仏法を信仰しなかったから」、さらに乱暴に言えば「創価学会を弾圧したから日本は負けたのだ」というドラスティックな主張にも解釈可能です。
この敗戦の総括は、創価学会歴史観に不可欠なものですので、今後その記述に注意して読んでいきたいと思います。

「本門戒壇の大御本尊」と戸田会長の獄中の祈りの対象

(初版)(第二版)
大御本尊様、私と妻と子との命を納受したまえ。(新:52頁、旧:36頁)

《考察》
これは獄中で戸田会長が唱題をするシーンですが、新旧版で全く変更がありませんでした。
「大御本尊」ー即ちこれは、大石寺にある「本門戒壇の大御本尊」を指すと考えられます。
2014年に創価学会は会則を変更し、「本門戒壇の大御本尊を受時の対象としない」としました。
今回の『人間革命』改訂の理由の1つは、この会則の変更を反映することだと考えられます。

しかし少なくともこの箇所では、「大御本尊」という言葉が使われている。これは、戸田会長が曼荼羅のない獄中において、「富士大石寺にある大御本尊」を心に浮かべて祈りを捧げていた、という事を指していると思います。

戸田会長が書いた『人間革命』(池田名誉会長が書かれたものとは別物)を見てみると、獄中での唱題について以下のような記述があります。

「毎朝と同じように、今朝も、彼は大石寺の御本尊を心に念じながら題目を唱えているが、数が進むにつれて・・・」

このように戸田会長は、「大石寺にある大御本尊」を心に念じていたとはっきり書いている。そのため、この箇所を「大御本尊」と記さざるをえないのだと思います。

創価学会は、「御本尊のない獄中において、戸田会長は悟達を得られた。御本尊にこだわるなんて、信仰の本筋から外れている」と、日蓮正宗を攻撃することがあります。しかし、その戸田会長自身が、「本門戒壇の大御本尊」を念頭に唱題していたのだとしたら、このような事は言いづらくなります。

「常住本尊」の削除

(初版)
戸田城聖は、暗幕に遮蔽された二階の一室で、仏壇の前に端座していた。空襲下の不気味な静けさが、あたりを包んでいた。彼はしきみを口にくわえ、常住御本尊様を、そろそろ外した。そして眼鏡を外した。(33頁)

(第二版)
一方、戸田城聖は、暗幕に遮蔽された二階の一室で、仏壇の前に端座していた。空襲下の不気味な静けさが、辺りをつつんでいた。彼は、しきみを口にくわえ、御本尊をそろそろと外した。そして、かけていたメガネをとった。(54頁)

《考察》
「常住御本尊様」が「御本尊」に代わっています。
「常住御本尊」とは、日蓮正宗法主が直筆で書写した御本尊のこと。つまり、日蓮正宗からの分離独立した創価学会員は、もはや入手できないものなのです。そうである以上、「常住御本尊」という言葉を使う必要はないし、そんな言葉が流布するのは都合が悪い。こういった理由から「御本尊」という言葉に代わっているのだと考えられます。

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