学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

日蓮は念仏者だったのか?:日蓮遺文を「再読」するに当たって②

ある時期の日蓮に念仏者の姿を見出してもいいのではないだろうか

これは、高木豊日蓮 その行動と思想』における一文です。
この文章を読んだ時には、衝撃が走りました。それまでの私は、念仏を「諸悪の根源」のように認識しており、日蓮が念仏に惹かれたなど到底受け入れられなかったからです。

私は高木の本を「悪書」として退け、他の日蓮研究書を読み始めました。
しかし、どの本にも高木の本への言及があり、「戦後最大の日蓮研究の一つ」と認められているようなのです。
仕方がないので、再度、高木の本と向き合うことにしました。

(本記事は、連載企画「日蓮遺文を「再読」する」の一部です。目次一覧は、下記をご覧ください。)

sanseimelanchory.hatenablog.com

日蓮は念仏者だった??

前回に引き続き、今回も「テキスト解釈=本の読み方」について、記述させていただきます。

(前回の記事は以下)

日蓮遺文を「再読」するに当たって①:末法、大乗非仏、国立戒壇 - 学会3世の憂うつ


冒頭に紹介したエピソードは、私が創価大学生の時のものです。
高木豊日蓮 その行動と思想』は、現在の日蓮研究の「定本」と定められているような本であり、1970年の初版発行以来読み継がれています。
しかしそれを初めて読んだ私にとって、その日蓮像は受け入れがたいものでした。

当時「守護国家論」や「立正安国論」を読んで、私が描いていた日蓮は邪宗を弾劾する正義のヒーロー。
念仏は災厄の「一凶」であり、「三悪道」に落ちる原因だと断罪する。
その日蓮が「かつて念仏者だった」とはどういう事なのか?

後にテキスト解釈論を学んでわかりましたが、これは日蓮遺文に「歴史的アプローチ」をする事によって浮かび上がる日蓮像だったのです。

f:id:sanseiblog:20160817132355j:plain

歴史的アプローチ

前回の記事では、日蓮遺文や仏典といった古典を「普遍的真理」を開示したものとして読む「非歴史的アプローチ」を説明しました。
本日は、その反対に位置する、「歴史的アプローチ」です。

「歴史的アプローチ」ーそれは、思想家や理論家が説いた思想が、特定の歴史的状況や社会的状況などといった、時代的制約の中で思想的営為を行っているとみなすものです。

日蓮でいうならば、こうです。
前回、日蓮が「末法」時代ではなく、「像法」時代に生まれた人物である事を述べました。つまり、「自分は末法に生まれた」という前提で思想を展開している日蓮は、この点において間違っていたのです。
また、日蓮が「釈尊の説いた最高の教え」として格闘した『法華経』も、釈尊の死後約500年後に成立したものであり、それを釈尊の教えと見なすのには無理があります。

これは、「御本仏は絶対無謬である」という命題と矛盾します。
しかし、テキストに「普遍的真理」を見出そうとする「非歴史的アプローチ」から離れて、日蓮を「鎌倉時代という時代的制約の中で生きた1人の人間」として見ると、上述の矛盾に対する回答が浮かび上がるのです。

日蓮が誤った末法年代を用いたり、『法華経』を釈尊の説いた経典として扱った事は、決して本人の勘違いではありません。
今日でこそ釈尊の没年は紀元前5〜4世紀であるとされていますが、日蓮在世当時は、1052年が末法元年と考えられていました。
また、日蓮が『法華経』を「釈尊の説いた最上の教え」としたのは、中国の天台思想における「五時八教」に基づいたものでした。
つまり、どちらも当時の仏教界の定説に従っていたのです。

この「歴史的アプローチ」をする時、私たちは鎌倉時代の中に生きた日蓮」という時代的状況に制約された存在を見る事ができる。それは、日蓮が思想を説いたコンテキストを再現してくれるものなのです。

日蓮念仏者説

「ある時期の日蓮に念仏者の姿を見出してもいいのではないだろうか」という高木の言葉を冒頭で紹介しました。
この主張の背景には、日蓮が青春期に修行をした最澄寺において浄土信仰が盛んに行われていたという史実があります。つまり日蓮は念仏が盛んに唱えられる中において、青春を過ごしたのです。さらに、日蓮の師・道善房も念仏者であったから、彼から浄土信仰を学んだと考える事はごく自然でしょう。
さらに日蓮が留学した当時の鎌倉では、法然の念仏説は万人を救済する革新的な教えとして、大流行していました。

そもそも日蓮の遺文を読むと、その浄土宗への理解の深さに驚かされます。
果たして、「邪宗を撃て!」という心構えだけでそれを読んだのだろうか。
むしろそれに魅力を感じた側面もあったのではないだろうか。
このように考えるのは、あながち不合理ではないと思います。

私は高木のように、「日蓮が専修念仏者だった」という考えには賛同しかねますが、法然説に強い影響を受けたのではないかと思っています。
これは後日記事にて詳述したいと思いますが、法然が万人の即身成仏のための「易行」として念仏を説いた事は、日蓮の題目に通ずる面があると思うのです。

日蓮法然の関連は、また「守護国家論」や「立正安国論」を読む際に考えましょう。
ここで強調されるべきは、日蓮を当時の思想的な文脈の中に置く時、新たな日蓮像が浮かび上がってくることです。
即ちそれは、法華・真言を伝統とする天台宗の寺社で修行を積みながら、法然説という新しい仏教の潮流に触れた日蓮
そしてそれを乗り越えんと法華経などの諸経を読んで、念仏と格闘しながら思想を生成していく日蓮

これらは、念仏を「一凶」と断じて、国家による弾圧を直訴する日蓮遺文を読むだけでは見えてきません。
「歴史的アプローチ」を取ることにより、その時代状況との有機的な関連に注目しながら、躍動的にその思想を構築していく、活き活きとした日蓮を見ることができるのです。

国立戒壇論について

前回の記事において、日蓮の「三大秘法抄」における「国立戒壇」について論じました。
それによれば日蓮は、国家権力によって「戒壇」という「南無妙法蓮華経」の実践をする場所を建設することを提唱しているのです。

これを字義通り「普遍的なもの」として解釈し、現代において「国立戒壇」の実現を目指すこともできましょう。
しかし、この「三大秘法抄」に対して「歴史的アプローチ」をすると、全く異なる様相を呈してくるのです。

そもそも「戒壇」とは、授戒を授ける場所のことを言います。つまり、一人前の僧 になろうという人に戒律を授けることで 、仏教教団への入門儀礼として重要な意味を持っていました 。
注目すべきは日本の歴史において、この「授戒」には国家の許可が必要であったことです。それは誰でも彼れでも勝手に出家をしてしまうと、租税において悪影響を及ぼすという政策的判断に基づいていました。
奈良時代には、奈良東大寺 ・下野薬師寺 ・筑紫観世音寺が「天下の三戒壇」として定められ 、授戒はこの3か所に限られていたのです。

この知識を前提に「三大秘法抄」を読むと下記の解釈が可能になります。
つまり日蓮は、当時の時代状況から独立して、「国立戒壇」を唱えたのではない。国家権力と戒壇が密接に関係していた日本の歴史的文脈の中で、天皇勅令と幕府の命令によって、「題目を唱える修行の場=戒壇」の建設を主張したのである、と。

このように日蓮が生きた歴史を知り、その中に自分を置いて日蓮の思考を「追体験」する時、明らかになる日蓮思想があるのではないかと思います。
それは、日蓮が現代に生きていたら、国立戒壇を提唱するだろうか」という知的緊張度の高い思考も、可能にすると思います。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

(続く)

【参考文献】
高木豊日蓮 その行動と思想』

マンハイムイデオロギーユートピア

●クェンティン・スキナー『思想史とはなにか』

自公政権:「お試し改憲」としての環境権

予想が外れたので、大変に驚きました。
官房長官が、「環境権」から改憲議論を開始すると発言したのです。

www.news24.jp

僕のような公明支持層の方はよくご存知だと思いますが、これは公明党が長らく「加憲」の立場から主張してきたものです。
環境権。公明党によればこれは、国民に「良好な環境で生きる権利」を付与し、国に「環境問題に取り組む義務」を課すものと定義されています。
ドイツやスペイン、韓国などの諸外国でも憲法において規定されているようです。

f:id:sanseiblog:20160817132522j:plain

「環境権」を口に出さなくなった公明党議員

しかし、「最近公明党議員の口から、『環境権』って聞かないな?」と思ってらっしゃる方もおられるのではないでしょうか。
2016年参議院選マニフェストを見ても、「環境権」という言葉は全く出てきません(というか憲法改正に関して言及無し)。

その理由は何故なのでしょうか。
ここで、2015年2月23日の毎日新聞における報道を見てみます。

公明党憲法を改正し新たな条項を加える「加憲」の対象から、環境権を除外する検討に入った。環境権の加憲は、同党が選挙公約で掲げており、憲法改正に関する中心的な主張だが、欧州諸国で環境権に関する違憲訴訟が相次ぎ、開発や投資の妨げになっていることを受け慎重姿勢に傾いた。早期の改憲を目指す自民党は、環境権加憲に応じることで公明党の抱き込みを狙ってきたが、戦略の練り直しを迫られることになりそうだ。【高本耕太】

つまり、「環境権必要だと思っていたけれど、外国見たら難しそうだ・・・やっぱりやめようかな?」という事です。
公明党から「環境権」と言い出して、自民党が乗ってくれたのに自分たちは引っ込める。これは少々滑稽です。

また、憲法学者の木村草太は、与党の原発政策の観点から環境権を「加憲」することの難しさを指摘しています(ラジオでの発言のためURLを末尾に記載します)。
原子力発電所をめぐる自民党公明党のスタンスは、「再稼働容認」で一致しています。
しかし「環境権」が「加憲」されれば、原発差し止め訴訟において原告側にかなり有利に働く可能性がある。つまり、現政権の方向性に反してしまうのです。
公明党原発をめぐるスタンスは、はっきり言ってよくわかりません。「原発ゼロを目指す」とは言っているが、期限などはマニフェストに見当たらず、自民党との違いがわかりにくいのです。

私は、このような理由から、自公政権は環境権には手を出さないだろうと思っていましたが、予想が裏切られてしまいました。

「環境権」は「お試し改憲」?

とはいえこれは、自民党改憲に対する本気度を示しているのかもしれません。
自民党が「環境権」を望んでいるとは、到底思えないからです(改憲草案には一応入っていますが)。
ここで、2014年に自民党の船田元・憲法改正推進本部長の憲法フォーラムでの発言を引きます。

「姑息かも知れないが、理解が得やすい環境権などを書き加えることを1発目の国民投票とし、改正になれてもらった上で9条を問うのが現実的」

やはり、「環境権」という国民的理解の得やすい、かつ公明党の賛同を得やすいテーマから着手したように思われます。その先にあるのは、やはり憲法9条改正でしょうか。

安倍晋三氏はいつまで総理をやるつもりなのか?

しかしここで1つの疑問が湧きます。安倍総理の任期です。

最近話題になっている安倍総理自民党総裁としての任期は、2018年9月で終わってしまいます。つまり従来の自民党のルールに従うならば、あと2年で安倍総理の時代は終わる。
果たして2年で「環境権」を「加憲」し、9条改正にまで持ち込む事ができるのか?
これは難しいでしょうから、安倍総理は任期の延長や党則の改正を図っていることでしょう。

「安倍しかいない」という空気を党内に充満させるには、やはり「選挙」です(我々公明支持層は、「また選挙か・・・」と胃が痛いことでしょう)。
果たして解散カードを切ることがあるのか、切った時に自民党は大勝できるのか。

参考までに、今回の参院選の得票数を衆院選に当てはめたら、というシュミレーションをした記事をアップさせていただきます。

www.chunichi.co.jp

どうやら自公で369議席(約78%)の議席を確保するとのこと。
やはり現政権の強さを感じざるを得ません。ですが、いつまで衆参両院で圧倒的勢力を築くことができるか、という点には疑問符がつきます。

憲法議論は避けられない

間もなく「環境権」の議論が本格化するのでしょう。
「環境権」を「お試し改憲」のように考えている自民党議員が一定数いるだろう事は、非常に気にくわないですが、この問題はこの問題としてしっかり考えていきたい。

たとえ「環境権」が「憲法9条」改正 の準備段階の取り組みだったとしても、我々はその議論を拒否することはできません。

自公政権を選んだのは、他ならない我々国民なのですから。

 

木村草太の見解は、下記ラジオ番組から。

m.youtube.com

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

末法、大乗非仏、国立戒壇:日蓮遺文を「再読」するに当たって①

 

日蓮遺文を再読する事を決めました。

「再読」ーこの表現を使ったのには、理由があります。
私はまだまだ若輩者ですが、創価学会学生部や男子部での活動の中で、日蓮遺文を学んできました。「教学試験」という創価学会の教義が出題される試験も、何度か受けてきた。
その中で、立証安国論、守護国家論、開目抄、観心本尊抄、三大秘法抄、撰時抄・・・など代表的な遺文に目を通してきました。

しかし、その読み方が果たして十分だったのだろうか。そう自問自答しています。

私は創価学会員ですから、日蓮遺文を「御本仏の仰る絶対無謬の普遍的真理」として拝してきました。幹部や先輩による講義も、そのような前提で進められていました。
このような読み方によって得られるものも多いでしょう。
しかし遺文を崇め奉る事により、見落としてしまう事も多いのではないだろうか。

私が創価大学で学んだ事の中で最大の財産の一つは、「テキスト解釈の方法」です。
これは日蓮遺文に限らず、カント哲学でも、丸山眞男著作でも、池田名誉会長のスピーチにも言える事ですが、本の読み方は一つではありません。

日蓮遺文を、「絶対無謬の普遍的真理」として読むのも、一つの読み方でしょう。
しかし、その読み方に固執している限り、日蓮遺文の理解は限定されてしまうと思うのです。

そこで、日蓮遺文の再読を始める前に、「本の様々な読み方(=テキスト解釈の方法)」について、簡単にまとめてみようと思います。

非歴史的アプローチ:普遍的真理の探究

まず「非歴史的アプローチ」という本の読み方について、考えてみようと思います。

「真理とは何か」「死後人間はどうなるのか」「どうすれば幸福になれるのか」・・・

こういった問いは、遥か昔から人間を悩ませ続けてきました。
古代ギリシアの哲学者の本は、我々現代人が読んでも学ぶところが多くあります。原始仏教の仏典もそうでしょうし、聖書やコーランもそうでしょう。
それは、数千年の歴史を超えて、我々人間に共通した「普遍的な課題」について考察しているからだと言えます。

日蓮遺文もそうです。
「ガンになってしまった」「会社をクビになってしまった」「夫の浮気が発覚した」・・・
我々はあらゆる悩みに対する回答を求めて、700年以上前に書かれた文章に体当たりする。
また、「立正安国論」を読んで、現代日本にも通用するような、政治と宗教のあり方を考える。

つまり、時代を超えて通用する「普遍性」をテキストの中に見出そうとするのです。
私のこれまでの日蓮遺文の読み方も、この一種だと言えましょう。

ですがこの読み方をしていると、壁にぶつかる事があります。
日蓮は、自分を「末法」に生を受けたと認識しています。しかし、今日の歴史学では、釈尊の生誕は西暦紀元前463年~西暦紀元前383年頃とされている。つまり、日蓮の生まれた時代は、「像法」時代なのです。

また日蓮は、「法華経」を釈尊が説いた最高の教えであるとして、「法華経至上主義」を唱えました。日蓮の教義は、この前提の上に成立しています。
しかし今日の研究では、「法華経」が釈尊の死後約500年後に成立した事が通説になっている。つまり、「法華経」は大乗仏教を信奉するグループの活動の中で成立したものであり、法華経をそのまま釈尊の教えとみなす事は、無理があるのです。

このような諸事実を見ると、「日蓮無謬説」に立つ事が難しくなります。
日蓮がこのような記述をしたのは、当時の仏教界における共通見解を踏襲していたからであり、本人の勘違いではありません。
ですが、「末法の御本仏である日蓮大聖人は、その内証に全ての真理をおさめられていた」という命題の主張は出来なくなってしまう。やはり、当時の時代的制約の中で生きられていたのだという事は、明らかだからです。

また、このような「非歴史的アプローチ」を採用する時、思わぬ難題にぶつかる時があります。
次節ではその例として、「国立戒壇」を取り上げます。

「三大秘法抄」という問題作

日蓮遺文の中で「三大秘法抄」ほど、今日の日本で「タブー視」されているものはないのではないでしょうか。

f:id:sanseiblog:20160817132748j:plain

それは、戦前の国家主義者達によって盛んに用いられ、戦後も創価学会の「政教一致王仏冥合」運動の根拠とされたからです。また、長らく「偽書説」も唱えられていましたが、近年コンピューターによる解析によって「真撰」であるとされたようです。

問題とされる箇所を引いてみましょう(小松邦彰による現代語訳を用います)。

戒壇というのは 、王法 (世俗権力)が仏法と一体化し 、仏法が王法と合一して 、国王も臣下もみな本門の三大秘法を受持し 、有徳王が (正しい法を受けて迫害された )覚徳比丘 (を護って戦死した )という過去の話と同様の事態が末法濁悪の未来にも実現したとき 、 (天皇の )勅宣並びに (将軍の )命令 (御教書)を下して 、霊山浄土に似た最勝の土地を探して 、戒壇を建立すべきであろうか 。

この遺文の中で主張されていることは、以下の2点に要約できます。
①政治権力と宗教が一体化する(=王仏冥合
②国家権力によって、「国立戒壇」を建設すべきである。

戒壇」とは本来、「戒律を授ける場所」の意ですが、日蓮は「南無妙法蓮華経を唱える実践の場」という意味で使っています。そのような「戒壇」を、天皇勅令と幕府の命令の下で建設せよというのです。

これを現代的な視点から見ると、明らかに「政教分離」の原則に違反しますし、実現にはかなりの困難が伴うでしょう。
公明党はかつて「王仏冥合」「国立戒壇」の実現を掲げていましたが、言論出版妨害事件を契機に、それを取り下げています。

これらの今日の世界においては到底受容できない教義も、我々は「普遍性」を持つ真理として受け止め、実現を目指すべきなのか。それとも、現代という時代に合っていないという理由から、放棄すべきなのか。
「非歴史的アプローチ」をとっていると、このような袋小路に陥ることがあります。

(本連載の目次一覧は、下記をご覧くださいませ)

sanseimelanchory.hatenablog.com

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

山口公明党代表の発言に戸惑っています:「9条加憲は自己否定?」

表題の通り、山口公明党代表の発言に戸惑っています。
これまでの私の「加憲」理解を覆すものだからです。

山口代表が、記者会見で「9条加憲」について言及したそうです。
残念ながら、会見全文や前後の文脈がわからないのですが、複数のニュースサイトで「9条加憲を当分問題にしない」と発言したと報道されています。
ここでは、毎日新聞の報道を引用させていただきます。

公明党山口那津男代表=似顔絵=は21日の記者会見で、憲法9条自衛隊の存在を明記する「加憲」について、当面議論の対象としない考えを示した。2014年の衆院選公約で9条加憲を「慎重に検討する」としていたが、憲法改正論議の本格化を前に、慎重姿勢を明確にした。

山口氏は「現行9条の解釈を示したうえで安全保障関連法を作った。それを自己否定するつもりはない」と説明した。3月施行の安保関連法には自衛隊の任務拡大が盛り込まれており、改めて憲法自衛隊を位置づける必要はないとの認識とみられる。  

<公明・山口代表>「9条加憲」封印、慎重姿勢を明確化 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

私の「戸惑い」の理由を示す前に、この報道からわかることについてまとめましょう。

「9条改憲」はしばらく様子見、「緊急事態法」などから着手

衆参両院で「改憲勢力」とされる党・議員が3分の2を超え、休眠状態だった憲法審査会が始動します。果たしてどの条項が議論されるのか、注目が集まっていました。
山口代表の発言から、与党第2党の公明党として「9条は議論しない」という明確な態度を示したことになります。

f:id:sanseiblog:20160817132945p:plain

これを自民党の意向を無視した、公明党の「独走」と見ることができますが、私は違うと思います。やはり、自民党とある程度協議し、「9条は今回は議論しない」という合意に至ったのではないかと考えられます。なぜなら、9条改憲にかなり意欲的な安倍首相を全くシカトして、このような「議論拒否」をすれば、自公関係に大きな悪影響を与えると考えられるからです。
これは、自公として、「しばらく9条については、様子を見ますよ」という事を示しているのだと思います。

恐らく、「緊急事態条項」「国家緊急権」(社民党福島瑞穂に言わせれば「ナチスの全権委任法」に匹敵)か、「プライバシー権」など、9条よりも国民の合意を得やすそうな条項から議論をして、国民の「改憲恐怖症」を少しでも緩和させ、その上で9条の議論に乗り出そうとしているのだと考えられます。

よくわからない「加憲」の定義

問題は山口代表の発言において、「9条加憲」が安保関連法成立への取り組みを「自己否定する」ものと位置付けられていることです。このことが私には、全くよくわからないのです。

その事を説明するために、まず公明党が言う「加憲」を定義してみましょう。
以下の文章は、2014年のの衆議院選挙における公明党マニフェストからの引用です。

基本的人権の尊重、国民主権恒久平和主義。この3原則は、日本国憲法の骨格をなす優れた人類普遍の原理です。 (中略)時代に合わせて憲法を発展させるに当たっては、この3原則を堅持しつつ、新たに必要 とされる理念・条文を現行憲法に加える「加憲」が最も現実的で妥当な方式です。(中略)

憲法第9条については、戦争の放棄を定めた第1項、戦力の不保持等を定めた第2項を堅持した上で、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記や、「平和主義の理念」を体現した国際貢献の在り方について、「加憲」の論議の対象として慎重 が進むよう取り組みます。 」

このマニフェストから判断すると、「9条加憲」とは、

戦争放棄を定めた第1項、戦力不保持などを定めた第2項については一切手をつけない。

現行の第1項・第2項の範囲内で許容される自衛隊のあり方・海外派遣について定めた第3項を追加する」

ということになるでしょう。

ですが、このように定義すると、先ほどの山口代表の発言と矛盾が起きるのです。

山口代表は、昨年成立した安保関連法を「現行の憲法9条の内部で、ギリギリ可能な安全保障・国際貢献のあり方を解釈した」と解釈しているようです。これは従来の公明党の説明と整合的です。
「いやいや、あれは違憲だよ」という反論も聞こえそうですが、ここでは触れません。少なくとも山口代表ら公明党議員は、あの法案をそのように位置づけているということです。

ただ、「9条加憲」がこの安保関連法の「自己否定」になるのか、理由が全く不明なのです。
なぜなら上述の通り、「9条加憲」とは「憲法第1項・第2項を堅持しながら、第3項を追加する」ものです。
なぜその議論をする事が、「現行憲法を堅持・解釈した平和安全法制を成立させた」ことを「自己否定する」ことになるのか?
むしろ、「現行憲法を解釈する」という平和安全法制の成立は、「現行憲法の論理を受け継いだ第3項について議論する」ことの、前段階における取り組みに当たるのではないか?

報道を見た限り、この理由が全くわからないのです。

「加憲は自己否定」発言の真意は?

上述の「加憲は自己否定」発言に関して、考えられる解釈は以下のものでしょうか。

①「加憲」は、憲法9条の第1項、第2項改正を含むから。
まず考えられるのは、公明党の「加憲」は、第3項追加だけでなく、第1項・第2項改正を含むというものです。
即ち、「我々はあんなに苦労して安保関連法を成立させ、憲法第9条第1・2項を解釈した。その後に第9条第1・2項を改正するなんて、あの努力が無駄にすることになり、自己否定だ」というものです。
もしこのような立場をとっているのだとしたら、「加憲」なんて言うべきではない。はっきりと「改憲」と言うべきです。

②安保法制の議論において「法改正で十分」と主張していたから

「法案を成立させたいなら、憲法改正すべきだ」
これは安保関連法の議論において、野党・マスコミから何度も発せられた批判です。
これに対して与党は、「合憲なのだから法案成立で十分」と述べてきました。

しかし、「現行憲法の範囲内なのだから、法案で十分」と言ってきたのに、その舌の根も乾かぬうちに「現行憲法の範囲内で成立可能な、9条第3項を追加する」というのは、おかしい。
「何で法案で可能なのに、わざわざ憲法に手をつけるのか」という話になります。

これは、公明党の「9条加憲」という立場の中途半端さを表しているとも言えます。
どうして、法案の成立で可能であるのに、「加憲」する必要があるのか。その説明が十分ではありません。

「9条の平和の理念をより体現するため」などという抽象的な説明ではなく、
せめて、「9条加憲」草案を作成・公開し、必要な理由をしっかりと主張すべきだと思います。

③メディアに山口代表の真意が伝わらなかったから。
上記の毎日新聞のように、多くの報道機関は「加憲は自己否定」なる旨を報道しました。
しかしもしかしたら山口代表は、「改憲は自己否定だが、加憲は自己否定ではない」と考えている可能性があります。

即ち、
●「改憲」・・・現行憲法の9条の第1項と第2項を否定し改正するため、現行憲法を堅持・解釈した安保法案の取り組みの自己否定になる。
●「加憲」・・・現行憲法の9条の第1項と第2項を堅持しながら新たな第3項を加えるため、現行憲法を堅持・解釈した安保法案の自己否定にはならない。
というものです。

もしそうだとしたら、山口代表の真意がうまく伝わっていないという事になります。
これは、メディアの責任か、山口代表の責任かは、会見を見ていない現在の私には判断出来ません。
しかし、結果的に多くの報道機関には「加憲は自己否定」と報道されてしまいました。
改憲ではない、加憲だ」と述べるならば、「改憲」と「加憲」をしっかりと分けて、誤解を生まないようにすべきです。

また、「改憲は自己否定だ」と述べているならば、それは「9条を議論の対象にしない」理由にはなりません。「改憲」がダメでも、「加憲」がオッケーならば、その立場から議論に参加すべきだからです。するとやはり、「自己否定」発言は不要だったと思います。

流石に①はかなりの暴論ですので、②か③であると思います(そう信じたい)。
ただ、これらは9条改正における公明党の中途半端さが現れていると思います。

私が公明党に期待すること

参議院選挙期間中、9条改正に関する公明党の主張は、「国民の議論が不十分」の一点張りでした。
「結局公明党は、憲法9条の改正に賛成するのか、しないのか?」と思っている方は、創価学会員・非学会員問わず、大勢いると思います。

はっきりした説明ができない第一の理由は、支持母体である創価学会の会員の「9条改正アレルギー」が強いからでしょう。私の周囲の会員、特に上の世代の会員は、9条改正に反対する人間は多い。公明党の「加憲」にすら疑問を持っている方も大勢います。
であるから、正面だって議論・主張すること自体が難しいのです。

しかし私は、公明党に「改憲」を掲げて欲しいと思っています。なぜなら今日の日本の政治における悲劇は、「マトモな改憲派」がいないことだと考えているからです。
つまり、「トンデモ改憲草案」を掲げる自民党と、非現実的な護憲派の代表・共産党というような対立様式ができ、他にオプションがない。
先の参議院選挙で話題になった、小林節氏のような「マトモな改憲派」(私の評価です)が「護憲派の代表」のように見られてしまったことも、悲しく思います。

現在私は、同世代の学会員の友人と共に、憲法9条についての勉強会や平和思想の読書会などを行っています。我々の世代の学会員は、憲法について固定的な価値観は弱く、自由な議論をすることができる。
池田名誉会長の言葉を金科玉条のように振りかざした護憲派運動ではなく、しっかりと会員以外の方も理解できるような立場をとっていきたい。そう考えております。

私の考える「マトモな改憲」や、公明党の「改憲」「加憲」に関する考察は、引き続き考察していきたいと思います。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

 

「池田先生が仰るのだから、絶対正しい」:嗚呼、恥ずべき哉、此の『未成年状態』

「お前の意見は、池田先生の仰っていることと違うから、間違っている」
15歳で創価高校に入学して以来、何度言われたかわからない言葉です。
こんな事を大真面目でいう人間に会う度に、嫌気がさし、全身が重くなるような疲労感を覚えました。
「池田先生の思想と違う!」という言葉は、高校卒業後も止むことがなく、創価大学や学生部でも盛んに使われました。ようやく創価教育の学舎を卒業して、この言論封殺から解放されたかと思いきや、男子部の先輩に同じ言葉を言われ続ける日々が待っておりました。
最近では、もうこの類の言説からは一生逃れられないのだと、半ば見限っております。

カント『啓蒙とは何か』における「未成年状態」

「池田先生が言われているのだから、絶対正しいのだ」等と公言して憚らない人間は、自らの頭で考える事を放棄した、如何に恥ずべき状態にあるかをまったくわかっていない。

ここでカントの『啓蒙とは何か』から言葉を引きましょう。言うまでもなく、牧口常三郎初代会長がその思想形成において多大な影響を受け、獄死の間際まで格闘された哲学者です。また、池田名誉会長とトインビーの対談を少しでも読めば、カント哲学が下敷きになっている箇所の多いことに容易に気づかされます。 

「啓蒙とは、人間が、自らに責任がある未成年状態から抜け出ることである。 未成年状態とは、他人の指示なくしては自分自身の思慮分別を用いることができない無能力状態のことである。
自らに責任があるというのは、この未成年状態の原因が、思慮分別が欠けているからではなくて、他人の指示なしに、自分の思慮分別を用いるだけの決意と勇気を欠いている点にあるからなのである。
『Sapere aude! 自分自身の思慮分別を用いる勇気を持て!』、すなわちこれが、啓蒙の標語なのである。」

カントの言葉を借りれば、池田名誉会長の言葉(他人の指示)を全ての判断基準・物差しとして用いることは、「未成年状態」である。そういった人間は、自分自身の思慮分別(理性)を用いる勇気がないのです。

この「池田先生が言うから正しい」という主張の主語は、容易に拡大されていきます。
創価学会が言うことなのだから正しいのだろう」と言って、その教義や会則に一切の疑問を持たない。「絶対正しい」という命題を覆す現実に直面しても、それにフタをしてしまう。
公明党が推進しているのだから正しいのだろう」と言って、その中身を見る事をせず、一切の政策に賛成する。「公明党が推薦するなら信頼できる」と、知りもしない自民党候補に投票する。

「お前もカントを使ってるじゃないか」と言われそうですが、全く異なります。私は「カントは絶対正しい」という命題から出発していない。その主張の根拠を見て批判し、取捨選択する。現実とその主張を目の前に並べて、それに妥当性があると判断したら、その言を引用する。こういう態度で臨んでいます。またこれは、教団内部でしか通用しない「特殊用語」から脱却し、学問・哲学という「共通言語」を用いて意見を主張しようという試みです。

師匠の「ご了承」を得なければ前に進めない悲劇

このような「未成年状態」は、至る所に見られます。

安保関連法の成立を巡り、創価学会創価大学の中で、公明党に批判を加える人たちが注目されました。私は当初、彼らの動きに対して期待を持っておりましたが、それはすぐに失望に変わりました。
彼らの主張は結局のところ、「池田先生の言葉と違うから、反対だ」というものに終始していたからです。たまにそれ以外の意見が聞こえてきたかと思えば、「憲法学の偉い先生が違憲と言ってるから反対だ」という、権威に盲従したものに過ぎませんでした。
勿論、自分なりの意見を持っていらっしゃる方もいるでしょう。しかし私がお会いした方はほとんど、法案を読んだこともない。憲法学の偉い先生の意見についても、「集団的自衛権違憲だ」という結論部分しか知らない。こういった方が大半だったのではないかと思います。

この「未成年状態」の極致は以前紹介した、創価学会を造反した3人の元本部職員のブログに現れていると思います。

3名について紹介した批判記事は以下。

sanseimelanchory.hatenablog.com

彼ら3人の内2人は、創価学園創価大学の同窓の先輩ですので、何度も批判するのは憚られますが、やはり彼らは「病んでいる」と言わざるを得ません。

彼らが安保法案についての態度を表明した記事「■① 安保法制に対する私たちの考えと決意」から引用しましょう。

今回の安保法制は、創価学会の存在意義、そして師匠の築いてこられた民衆城である創価学会の根本にかかわる問題だと私たちは感じています。
だからこそ私たちは、今回の安保法制について、私たちの師匠であり、命がけで「平和主義」を訴えてこられた「創価三代の永遠の師匠」であられる池田先生の「ご了承」が果たしてあったのかどうか、師匠の弟子として、確認しなければならないと考えております。

 何て師匠に忠実な弟子なのだろうと涙が出ます。「安保法制の可否」という政治的見解を持つために、師匠の「ご了承」が必要だと言うのですから。とりあえず彼らには、小学校に入り直す事をすすめたいと思います。

「池田先生」という安全地帯への逃避

とはいえ、こういった類の意見は、創価学園、大学でもよく耳にしたのも事実です(やはりこの元職員の御三方は、卒業生に見られる悪習を悉く体現している)。

安楽死の是非」「死刑廃止の必要性」といった倫理学的なテーマについて、同窓の友人と語る事がよくありました。こういった場においては、過去の議論の蓄積を批判的に考察しながら、自分なりの立場・態度を決定して、その根拠を述べるのがオーソドックスなものでしょう。
しかし多くの友人は、『21世紀への対話』などの池田名誉会長の著作を開いて、「先生は生命尊厳、死刑廃止と言われているから、反対だ」と言い出します。あまりに低レベルな主張に腹が立ち、「死刑賛成論」をぶつけてやると、返ってくるのはあの言葉です。

「おまえの意見は、池田先生の思想と異なっているから間違っている」

私の感じた疲労感が、少しはおわかりいただけましたでしょうか?

こういう主張をする人間は、要するに「答えがない問題に耐えられない」のだと思います。
安楽死や死刑制度などといった倫理学的なテーマは勿論の事、安全保障や憲法改正といった政治的な問題にも、絶対的な答えは存在しない。

我々はこういった問題に直面するとき、賛成と反対の両極を揺れ動き(賛成・反対という二分法でないことも多い)、確かな足場を得られない不安に苛まれながらも、自分の頭で考えて答えを出そうと努力します。
この不安定な状態は、とても辛い。
ましてや、「神は存在するか」「人生に生きる価値はあるか」「なぜ自殺してはいけないのか」といった根源的な問いは、それと本気で格闘した人間を、狂気に誘い込むだけの魔力を持っています。

こういった動揺に立ち向かう勇気が持てない。
だから、自分の頭で考える事をやめ、「池田先生」「創価の思想」といった絶対的な安全地帯に逃避したくなるのです。
さらに厄介なことに、そういった信仰という名の盲従に堕した人間は、自分と違う意見に対してひどく不寛容になる。そして、「師弟の精神に反する」「信心が足りない」などといった言葉を使って、反抗者を罵るのです。これはとんでもない愚行、暴挙と言わざるを得ません。

「学園生がかわいそうだ」

最後に、私が創価高校にいた頃に読んだ、ある逸話を紹介します。

これは、斎藤ベンツえく子女史という創価大学出身のロシア語通訳の方が語っておられたものです(学園在学時に読んだのですが、いくら調べても出典が見つかりませんでした。趣旨の説明にならざるを得ませんが、基本的な内容は間違っていないはずです)

斎藤女史は、池田名誉会長が高校生向けの著作『青春対話』を出版されるにあたり、「学園生はかわいそうだ」と言われたのを耳にしたそうです。斎藤女史のお子様も学園で学ばれており、「なぜこんな素晴らしい教育を受けている学園生がかわいそうなのか」と怪訝に思われたとのこと。
すると、池田名誉会長は、次のように言葉を続けました。
学園生の前にはあまりに偉大な結論が突きつけられている。もっと自由に考える機会があってもいいのではないだろうか。そう考えて、今回の『青春対話』発刊に踏み切ったんだ」

私はとてもすごいエピソードだと思います。

池田名誉会長は、客観的に見て創価学会の「ワンマン」です。
同じく「ワンマン」である、一代で大事業を築き上げた創業社長などを見ていると、その自己批判性のなさに辟易とすることがあります。それは、彼らの成功哲学が社会的実証によって完全に支えられており、その圧倒的権威から異を唱える人間が周囲から消えていくため、自らを省みる契機を持たないからでしょう。

池田名誉会長にも、そういうところがあると思います。
ただ、自分という絶対的権威の言葉が組織内の人間を圧迫する危険を認識し、その潜在的被害者の状況に思いを馳せ、そして現実的な取り組みに着手するのは、なかなかできないことだと思います。

「池田先生の意見と異なるから、間違っている!」という常套句を頻発していらっしゃる皆様。
どうかその喉元まで出かかった言葉を一旦飲み込んで、それが池田名誉会長の本意なのか自問自答してください。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

公明党は「変質」したのか:創価学会の自画像の投影

公明党は変質した」「自民党化している」「平和の党の看板を捨てた」・・・

昨年の安保法案成立ををめぐり、何度となく発せられた公明党への批判です。
私も当時その一部始終を見ながら、同じような感想を持ち、公明党の「変質」を嘆いていました。

しかし、公明党がどう「変質」したのかといえば、答えられずにいました。
例えば、「公明党は平和の党ではなくなった」という主張は、「かつては平和の党だったが、今は違う」という認識に基づいています。しかし、その「かつての公明党」とはどのようなものだったのか。

f:id:sanseiblog:20160817133543j:plain

本日の記事では、公明党の歴史を振り返ってみたいと思います。結党50年を経る中で様々な変節を経てきた公明党ですが、今日につながる「同質性」があることを明らかにできればと考えております。
憲法改正を巡り日本が大きく動こうとしています。その中で一定の役割を果たすだろう公明党の性質について考えることは、決して無駄ではないでしょう。

公明党は「平和の党」か?

公明党は平和の党」とは、よく聞くと思います。それは、結党以来、左派な立場をとり続けてきたのだろうという印象を与えます。
しかし、これまでの公明党の外交・安全保障保障をめぐる議論は、その時々によって、「保守」から「革新」まで、大きく変わっています。

一例として、同党の「日米安保」を巡る立場を見てみましょう。
1964年の党大会において公明党は、「将来どこからも侵略されないと保障が出来次第、日米安保体制を解消する」としています。「どこからも侵略されない」状況を想定するのは困難ですので、安保解消に積極的でないやや保守的な立場と読み取る事ができます。
それが、1973年の党大会では、「日米安保条約」の即時撤回を主張するに至ります。これはかなり革新的な主張です。
しかし、1981年には「存続はやむを得ない」と保守路線に舵を切るのです。

また、自衛隊を巡る立場も確認しておきましょう。
今回の参院選で、公明党候補は、「共産党自衛隊違憲と言っている」と批判しました。
しかしその公明党自身も、1973年に「自衛隊違憲の疑いがある」という見解を示していたのです。
とはいえその見解も、1981年には覆しており、条件付きながらも「合憲」と認めています。

さらに1992年にはPKO協力法が成立しますが、これは公明党も強く推進しました。さらに2000年代初頭には、テロ特措法や有事法制イラク特措法に賛成しています。
そして、2015年には安保関連法を成立させてたのです。

このように、公明党の外交・安全保障政策は、「ブレブレ」です。
これは、社会党左派との連携を模索しながらも挫折し、結局自民党との協力せざるをえなかったという政局判断に基づいています。

このような歴史を鑑みる、公明党の「平和の党」が意味するものは、社会党左派や共産党のような左翼的な強いイデオロギーに基づいたものではない事がわかります。
それは、国際情勢や政局判断によって変わる、非常に現実主義的なものなのです。これは、自民党ハト派に非常に近かった。だから両党は連立できたのです(ただし森喜朗首相の就任以降、今日の安倍首相まで自民党の総理はタカ派です)。

公明党は平和の党ではなくなった」と語る学会員の方がいらっしゃいます。しかし、その多くは公明党の変化を指摘するものではなく、「創価学会の平和思想に反する」というものではないでしょうか。学会思想の内実はどうあれ、この場合の「創価学会の平和思想」とは、「戦争絶対反対」「軍・戦力不保持」「9条遵守」といった左派的な言説として解釈されています。

しかしそのような強いイデオロギーは、公明党にはもともと薄かったというのが私の考えです。
公明党は、是々非々でその外交・安全保障政策を変更してきた。そのような歴史の延長として昨年の安保関連法の成立を見るとき、1つの「連続性」を見る事ができるのではないでしょうか。

公明党は「反権力」か

続いて考えたいのは、「公明党は権力の魔性に取り憑かれてしまった」というものです。
これも安保関連法の成立をめぐり、創価学会の中で聞かれるようになった主張です。その意味するところは、「反権力の精神を忘れ、政権の座に居座り続ける事が自己目的化している」というものでしょう。

しかし公明党が「反権力・反政権」であるかというと、疑問符がつきます。公明党はその歴史において、ずっと政権入りに固執してきたからです。

上述の通り、公明党は1973年に「自衛隊違憲」「日米安保条約即時撤回」といったかなり左寄りの主張をしました。これは、社会党などの野党と連携し、政権入りを模索していたからです。
しかしその試みは成功せず、今度は自民党との協力を目指します。1992年には当時自民党幹事長だった小沢一郎公明党市川雄一書記長が急接近し、蜜月関係を築きます。
その後自民党を割って出た小沢とともに、細川政権を組閣。果てには分党して新進党に合流しましたが、これらの取り組みは失敗に終わりました。
これらの変遷の果てにできたのが自公政権なのです。

このように公明党は、ずっと政権入りを目指してきた政党であり、権力を弾劾し続ける「反権力」的な野党ではありません(結党当時はこの色彩が強かったとは思います)。
政権奪取のために、その政策を右から左に柔軟に変え、「自民」とも「反自民」とも巧みに連携してきたのです。

さらに森喜朗小泉純一郎安倍晋三といったタカ派のリーダーとも、公明党は付き合ってきました。
妥協に妥協を重ねながら、今日まで自公の協力は継続しているのです。

安保関連法成立の際に、公明党が連立を離脱するのではないかと予想されました。
しかし成立の約1年半前にあたる2014年1月の時点において、山口公明党代表は「政策の違いで連立離脱はありえない」と明言しています。
民主党政権下であっという間に離脱をした社民党などとは異なり、公明党の与党へのこだわりは強いと考えられます。

なぜ公明党はかくも変遷するのか?

これまで、公明党が外交・安全保障分野においてその政策を大きく変えてきたことと、政権与党への志向が強いことを述べてきました。

それは、公明党が強い政治的イデオロギーを有しておらず、むしろ国民生活や福祉などの個別具体的な政策を実現する政党だからでしょう。
これは、独自の愛国観に基づいた改憲を党是とする自民党や、左翼的なイデオロギーを重視する共産党やかつての社会党と大きく異なります。
自衛隊」「憲法」「日米安保」「集団的自衛権」などの論点において、独自のイデオロギーに基づいて一貫した主張をするのではなく、その時の情勢や政局によって態度・主張を是々非々で変えていく。
安全保障・外交・国際貢献といった大きな国家観よりも、現場感覚に基づいた課題解決・政策実行に重きを置いていく。
このような政党が、政策の実現率において大きく勝る政権与党の立場にこだわるのは、合理的だと思います。

公明党の「変質」がこれまで批判されてきました。しかしその歴史を見るとき、安保関連法の成立もその延長線上に位置する出来事として、見ることが出来るのではないかと思います。

なぜ創価学会からの批判がやまないのか

最後に考えたいポイントは、特に支持母体である創価学会から、「平和の党ではなくなった」「自民党に媚びすぎている」といった批判が出てしまう理由です。

これは、学会員が創価学会のセルフイメージ(自画像・自己認識)を、公明党に投影しているからだと考えられます。

創価学会のセルフイメージは、初代・二代・三代会長の人生、主張によって構築されています。
即ちそれは、治安維持法不敬罪で投獄され獄死した牧口会長。同じく投獄され、出獄後「地球民族主義」を提唱した戸田会長。そして、世界市民思想を唱えながら民間外交を推進し、平和活動を行ってきた池田会長。
この御三方に象徴されるような、「反体制・反権力」「戦争反対・平和推進」が創価学会のセルフイメージ・アイデンティティ構築に不可欠な要素です。

公明党議員は、基本的に全員が創価学会員です。
つまり学会員にとって彼らは、同じ信念を共有する「同志」である。
その「同志」に自らのセルフイメージを重ね合わせ、「反権力」「平和の党」であることを期待するのはごく自然でしょう。
しかし、公明党の実態はそのような強い主張を持つものではなく、現実主義的な政策実行を重視するインテリ集団であると思います。

池田会長の思想を背景に、公明党を批判する学会員が話題になりました。
三宅洋平が主催した選挙フェスには、現役創価大学生が参加・主張し、注目を集めたようです。
もちろんそのような主張は自由ですし、最大限に保障されるべきです。

当初私は彼らに期待をかけていましたが、失望に変わりました。
厳しい言い方になりますが、公明党を批判する現役創価大学生の主張は、旧態依然の左翼となんら変わりない。そこに「池田先生」「創価学会」といった固有名詞が加わっているだけです。
結局、従来の「池田先生が仰るから正しい」的な発想を脱け出せておりません。わが母校から、そういう運動は出ないものでしょうか・・・。

今後憲法の議論が始まるでしょう。早晩9条についても向き合わなければならない日が来るはずです。
創価学会員として、一公明党支持者として、現実的な状況と創価学会の平和思想、そのどちらも重視しながら、賢い判断をしていきたいものです。

m.youtube.com

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

造反した創価学会職員3名の救いようのない「病い」:創価同窓の後輩としての苦言

創価学会職員3名によるブログが話題になっている。

元創価学会職員3名のブログ

この3名の内2名は、創価学園創価大学を卒業後、学会本部に就職した経歴を持ち、僕の同窓の先輩でもある。
絵に描いたような「創価エリート」の彼らだが、2012年に学会本部を懲戒解雇された。

ブログによれば、彼らが創価学会を解雇・除名されるに至ったのは、当時の所属組織の幹部の成果主義的な活動の進め方や(いわゆる折伏・選挙の数)、閉鎖的な組織運営に疑問を持ち、「積極的に建設的な意見を伝える」ようになったという。その結果、地方転勤などの理不尽な人事を受け、果てには懲戒解雇に至った。
その過程において、原田会長や長谷川理事長などの最高幹部に不正人事を直訴したり、池田名誉会長に組織の腐敗を訴える手紙を届けようと試みたらしい。

その後この3名は、集会やサイレントアピール(「現執行部は退陣を!」「戦争法案反対!」などと書かれたプラカードを持って学会本部の前に立ち続ける)を通じて、「腐敗した学会本部を外部から変える」ことを試みている。また、ブログでは様々な学会本部の内情を暴露しており、メディアの取材にも「来るもの拒まず」で積極的に応じているようである。管見の限りでも、朝日新聞週刊ダイヤモンド日刊ゲンダイ週刊金曜日にて取り上げられている。

「学会本部を外部から変える」などという無理難題に自らの人生を捧げるというのだから、その熱意には大層感心するが、彼らを見ていると何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。

それは彼らの中に、創価学園創価大学生特有の「病い」を見てしまうからだろう(1名は創価教育を受けていないが)。
といっても、創価学園・大学の教育を全否定する気は毛頭なく、人格的に優れた人物を多く輩出しているし、その多くは常識的であり社会的に成功を収めている。
だが、卒業生によく見られる除きがたい欠点が存在し、それをこの諸先輩方は嫌という程体現している。

先輩を非難するのは憚られるが、同窓の後輩として、その「病い」におかされた行動に苦言を呈したいと思う。

f:id:sanseiblog:20160817130021j:plain

第一の「病い」:「悪の糾弾」に固執する短絡性

まず第一に、矛盾や不正に直面した際に、「悪を糾弾する」といったアプローチしかとることのできない短絡性である。

我々は社会において生きている限り、様々な矛盾や不正と出会う。自らの倫理観に反する仕事をしなければならないこともあれば、人格的に破綻した人間と協働せざるをえないこともある。圧迫された弱者に出会うことなど、日常茶飯事である。

そういった現実を甘受せず、理想を保ち続ける人間は立派であるが、現実から遊離して自らが「諸悪の根源」と認識したものを攻撃することだけに労力を費やすのは、全く幼稚と言わざるを得ない。

声を上げるという判断が正しい事もあるだろう。しかしそんな事ばかりしていても、組織から排除されるだけであり、組織の改善には何の役にも立たない。

どうにもならない現実を受け止めながら、課題を認識して対策を立て、漸次的に改善していく。
大体の場合において、そういったアプローチをとるのが妥当であろう。

しかし我が同窓の先輩方は、組織内で「勇敢に声を上げる」以外の方途を見つけることができなかったようである。挙げ句の果てには、「池田先生に直訴する」という伝家の宝刀に頼ろうとしたようだが、叶わなかった。

そして現在も、ブログにおける内部告発やサイレントアピール、集会といった「言論活動」を精力的に行っており、全く成長していない。

しかも最近の彼らの活動は、安保法案を成立させた公明党の批判と、それを是認した創価学会執行部の退陣要求に、多くの時間を割いているようである。また、様々な学会本部の内情を暴露しているが、彼らが懲戒免職に至った過程と全く無関係な情報も多い。

つまるところ何をしたいのか、彼らが目指すものは何なのか、全くわからない。
彼らのような「破邪顕正」的な思考回路しか持たない人間は、現実的な目標やそれに至るまでの道程を示す能力が皆無なので、迷走するしかない。
要するに彼らは、信仰者としてではなく、一社会人として未熟なのである。

第二の「病い」:自らの正義を微塵も疑わない独善性

第二の「病い」は、自らの絶対的正義と相手の絶対悪を信じてやまない独善性である。

彼らのブログを読んでいると、その自己陶酔的な語調に強い吐き気がする。

引用するに堪えない文章ばかりだが、7月12日に更新されたばかりのブログから一部を紹介しよう。どうやら御三方は7月3日に、彼らを支持する一部会員とともに、「戦争法案を推進する公明党は支援しない!」「安保法案反対の会員を処分するな!」などと書いたプラカードを使ったサイレントアピールを敢行したようである(もはや「安保法案反対」「公明党批判」の団体になっている)。

誰もが創価が嫌いで声を上げているのではない。師の仰せを守りたいと血の涙を流しながら、懸命に声を上げ続けているのである。

しかし、権力の魔性に取り憑かれた学会本部は、そうした人間の声が聞こえなくなっているのである。

もはや彼らが罹患している病気は中二病ではないのかと思いたくなるようなポエムだが、この文章に、彼らの世界観が象徴的に表現されていると思う。

即ちそれは、
●自分=本当はそんな事をしたくないが、正義の為にやらざるを得ない極めて倫理的な存在
●相手=「権力の魔性」に取り憑かれ、師匠・池田先生に違背した絶対悪の学会本部・公明党
である。

このような非常に単純な善悪二元論的に物事を把握し、自らに正義がある事を微塵も疑わず、相手に絶対悪とレッテル貼りをして認識する努力を怠るその姿勢は、彼らが非難する日本共産党顔負けである。

このような独善的な人間が生まれてしまうのは、これは全く不幸なことであるが、彼らが「議論」をする機会に恵まれなかったことに一因があるだろう。

「議論」とは「折伏」と大きく異なる。
折伏」とは、自らが正しいと信ずるものを相手にも信じさせようとする試みである。つまり、その「折伏」というコミュニケーションにおいては、絶対的真理は折伏をする側の人間にあり、その人間は自らを反省する契機を持たない。ただ、自らの信念を相手に移植しようと試みるだけである。
それに対し「議論」とは、それに参加する人間は皆、完全な真理を有していない。むしろ、自らの不完全な意見・信念を他者の批判に晒すことにより、自らの意見の未熟さを認識してそれを改め、真理に近づこうとする試みである。
どうやら元本部職員の御三方は、「折伏」という思考回路しか持っていないのだろう(これは決して「折伏」という布教活動を否定するものではない。それしかできないのが問題なのである)

恐らく彼らは、これまでの宗教生活を通じて、「池田名誉会長・創価学会=絶対正義・無謬」という信念を確固たるものとしてきたのだろう。また同時に、「池田名誉会長・創価学会の指導を実践する自分=絶対正義・無謬」という自画像を形成してきたのだろう。
しかしそれは「池田名誉会長の指導に違背する学会本部=絶対悪」「池田名誉会長の指導を忠実に実践する自分=絶対正義」という等式に容易に転化してしまう。

そのような思考回路を持った人間は、簡単に「聖戦」というテロリズムに突入してしまう。

全く、彼らの「病い」は重いのである。

3名の行動に感じる新時代の到来

色々と手厳しく書いてしまった。今日ほど感情的に筆を走らせたことは珍しい。
これは彼らが私と似た経歴を持つことによる、同族憎悪なのかもしれない。

ちなみに、彼らは以前主催した座談会において、今回の選挙で話題になった小林節氏を招いて講演してもらっている。「今の公明党池田博士の思想に反している」という同氏の発言を受け、狂喜乱舞した3名の姿が思い浮かぶ。
この座談会は8月20日にも開催されるようであり、安保法案成立の過程においてスターになった憲法学者・木村草太氏が来るようだ。しかし木村氏の性格を考えると、小林節氏のようなリップサービスはせずに、憲法解説を粛々と行うことが予想される。また、これまで木村氏は公明党の果たした役割を評価する発言も重ねてきたので、この座談会でも自らの学問的良心に基づいた主張をして欲しいものである。
とはいえ本部職員の3名は、たとえ木村氏が公明党評価の発言をしても、自分たちの都合のいいように記事にすることは間違いないが。

ともあれ、彼らの造反劇に、新しい時代の到来を感じざるを得ない。
このような事態は、池田名誉会長が学会の中で存在感があった時にはあり得なかっただろう。
以前であれば彼らのように幹部糾弾をして徒党を組めば、池田名誉会長によって非難され、「池田名誉会長のご指導=自分たちの実践」という等式が音を立てて崩れ去ったはずだからである。
その「最後の砦」が崩れた後は、自らの意見を捨てて反省するしかない。もしくは、「池田名誉会長=絶対正義・無謬」という等式を捨て去り、日蓮や戸田会長、もしくは社会的規範を持ち出して、「日蓮仏法・戸田会長・社会的規範に反する池田名誉会長=絶対悪」「日蓮仏法・戸田会長の指導・社会的正義を忠実に実践する自分たち=絶対正義」という立場に立たざるをえないのである。
これまでに造反した学会本部や公明党議員は、そのほとんどが「池田名誉会長への造反」という形をとった(原島嵩氏や藤原行正氏、龍年光氏など)。

しかし今後は、池田思想の正統な実践者を自負する人物が大勢出ることだろう。彼ら3名の池田名誉会長の言葉を振りかざしての造反は、そのような時代の到来を予感させる。
また、1人の偉大なカリスマが圧倒的な支配力を持っていた組織は、そのカリスマを失うと分裂をしてしまう事は、歴史が教えるところである。

僕は一会員として、学会の分裂は決して望まない。
であるから学会本部職員の方々は、派閥が出来てしまうのは仕方ないにしても、組織の維持を重要視するという穏健な態度と、自らの誤りを認めて改める謙虚な姿勢を持ち、余程のことがない限り、組織を割るような真似はしてほしくないと思う。
動揺して迷惑を被るのは、現場の学会員であるから。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村