学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

戸田城聖の出獄:「黎明」の章を比較検討する

「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない」

この有名な一文から始まる、「黎明」の章。
治安維持法違反と不敬罪によって投獄された戸田城聖が、豊多摩刑務所を保釈されるシーンから始まります。

本記事は、2014年に改定された『人間革命』第2版と初版を比較検討するものです。ここでは、第1巻「黎明」の章を取り上げます。連載目次一覧は、下記をご覧くださいませ。

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「黎明」の章 あらすじ

1945年7月3日。後に創価学会第2代会長に就任する戸田城聖豊多摩刑務所を出獄する。その心中は、創価学会の再建と広宣流布の実現に燃えていた。迎えに来た家族とともに帰宅後、彼は御本尊(文字曼荼羅)を拝す。その姿が、自分が獄中で経験した「虚空会の儀式」と全く重なる事を知り、ますます広宣流布への決意を固くする。

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王仏冥合の削除

(初版)
彼の恩師、牧口会長は、この門を死によって帰られた。
彼はいま、生きてこの門を、出たのである。
生死の二法は一心の妙用なりーと。牧口会長も戸田城聖も、ともに、広宣流布王仏冥合の一心には、なんら変わりはなかった。(9頁)

(第二版)
戸田城聖の恩師である、創価教育学会の会長・牧口常三郎は、死によってこの門を出た。彼は今、この門を生きて出たのである。
生死の二法は一心の妙用なり、という。
そして牧口も戸田も、ともに人類の平和と幸福を実現する広宣流布の一念には、なんら変わりはなかった。(21頁)

《考察》
初版が執筆されたのは、昭和39年。公明党は飛ぶ鳥落とす勢いで、単独過半数を目指していたとも考えられる時代です。
しかし、昭和45年の「言論出版妨害事件」を経て、党紀から「王仏冥合」や「国立戒壇」の文言が削除されました。宗門との問題に加え、このような政治的問題に対する配慮も、改訂部分を考察する際のポイントであることがわかります。

邪宗、邪教の不使用

(初版)
仏法は勝負である。正しいものが、絶対に栄えるという事を実証するためにもー。
およそ不幸の根源は、一国の政治や社会機構のみでは決定できない。より本源的には邪宗、邪教にある、との日蓮大聖人の、するどい洞察が、寸分の狂いも無い真実である事を、彼は身をもって知った。(10頁)

(第2版)
およそ不幸の根源は、一国の政治や、社会機構の形態だけで、決定できるものではない。より本源的には、誤った思想や宗教によるものである。
戸田は、この日蓮大聖人の鋭い洞察が、寸分の狂いもない真実である事を、身をもって知った。(22頁)

《考察》
「邪宗、邪教」という言葉が、「誤った思想や宗教」に置き換えられています。
邪宗・邪教は、『折伏経典』などの過去の学会の出版物で頻出する言葉ですが、最近ではほとんど聞かなくなりました。これは、日蓮の「五重の相対」に基づいた他宗違反を、創価学会が行わなくなったことを反映しているのではないでしょうか。
つまり、他の仏教宗派に寛容の姿勢を見せるために、かつての激しい他宗批判を想起させる「邪宗・邪教」という言葉を放棄したと考えられます。

また、なぜか「仏法は勝負である」以下の文章が削除されています。
なぜ今日の学会でも頻繁に使われる言葉が削除されているのか、私にはわかりません。

敗戦の原因は「正法」への無知

(初版)
ー宗教の無智は、国をも滅ぼしてしまった。
神は非礼をうけたまわず、と大聖哲は仰せである。正法を尊ばずして、諸天善神の加護はないのだ。しかるに軍部政府は、正法を護持する牧口会長を獄において死に至らしめている。(16頁)

(第二版)

“宗教への無知は、国をも滅ぼしてしまった。”
「神は非礼を稟けたまわず」と、大聖人は仰せである。正法を尊ばずして、諸天善神の加護はない。しかるに軍部政府は、正法を護持する牧口会長を、獄において死に至らしめてしまった。(30頁)

《考察》
これは、太平洋戦争における敗戦の原因を記したものですが、全く変わっておらず、少々驚きました。
これは、「敗戦の原因は日蓮仏法を信仰しなかったから」、さらに乱暴に言えば「創価学会を弾圧したから日本は負けたのだ」というドラスティックな主張にも解釈可能です。
この敗戦の総括は、創価学会歴史観に不可欠なものですので、今後その記述に注意して読んでいきたいと思います。

「本門戒壇の大御本尊」と戸田会長の獄中の祈りの対象

(初版)(第二版)
大御本尊様、私と妻と子との命を納受したまえ。(新:52頁、旧:36頁)

《考察》
これは獄中で戸田会長が唱題をするシーンですが、新旧版で全く変更がありませんでした。
「大御本尊」ー即ちこれは、大石寺にある「本門戒壇の大御本尊」を指すと考えられます。
2014年に創価学会は会則を変更し、「本門戒壇の大御本尊を受時の対象としない」としました。
今回の『人間革命』改訂の理由の1つは、この会則の変更を反映することだと考えられます。

しかし少なくともこの箇所では、「大御本尊」という言葉が使われている。これは、戸田会長が曼荼羅のない獄中において、「富士大石寺にある大御本尊」を心に浮かべて祈りを捧げていた、という事を指していると思います。

戸田会長が書いた『人間革命』(池田名誉会長が書かれたものとは別物)を見てみると、獄中での唱題について以下のような記述があります。

「毎朝と同じように、今朝も、彼は大石寺の御本尊を心に念じながら題目を唱えているが、数が進むにつれて・・・」

このように戸田会長は、「大石寺にある大御本尊」を心に念じていたとはっきり書いている。そのため、この箇所を「大御本尊」と記さざるをえないのだと思います。

創価学会は、「御本尊のない獄中において、戸田会長は悟達を得られた。御本尊にこだわるなんて、信仰の本筋から外れている」と、日蓮正宗を攻撃することがあります。しかし、その戸田会長自身が、「本門戒壇の大御本尊」を念頭に唱題していたのだとしたら、このような事は言いづらくなります。

「常住本尊」の削除

(初版)
戸田城聖は、暗幕に遮蔽された二階の一室で、仏壇の前に端座していた。空襲下の不気味な静けさが、あたりを包んでいた。彼はしきみを口にくわえ、常住御本尊様を、そろそろ外した。そして眼鏡を外した。(33頁)

(第二版)
一方、戸田城聖は、暗幕に遮蔽された二階の一室で、仏壇の前に端座していた。空襲下の不気味な静けさが、辺りをつつんでいた。彼は、しきみを口にくわえ、御本尊をそろそろと外した。そして、かけていたメガネをとった。(54頁)

《考察》
「常住御本尊様」が「御本尊」に代わっています。
「常住御本尊」とは、日蓮正宗法主が直筆で書写した御本尊のこと。つまり、日蓮正宗からの分離独立した創価学会員は、もはや入手できないものなのです。そうである以上、「常住御本尊」という言葉を使う必要はないし、そんな言葉が流布するのは都合が悪い。こういった理由から「御本尊」という言葉に代わっているのだと考えられます。

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ゆとり世代学会員の本音①:「本門戒壇の大御本尊なんて知らない」

有給休暇を取得できましたので、私は今日から連休に突入しています。
貴重なお休みを利用して、ヘビーな話題を書いてみようと思います。
それは、創価学会の会則の変更」です。

飲み会での一幕:「本門戒壇の大御本尊って知ってる?」

創価学会は2014年に、かつて宗祖・日蓮の「出世の本懐」であると定め、自分たちの正統性の根拠としていた「本門戒壇の大御本尊」を「受時の対象」から外しました。
「この本尊以外は、例え日蓮真筆でも功徳はない」と言って排他的に信仰し、日蓮系の教団をガンガン攻撃していたわけですから、これはかなりの自語相違です。

しかしこの「本門戒壇の大御本尊」は、喧嘩別れした日蓮正宗に独占されております。日蓮正宗を「大謗法」の教団として弾劾することは、創価学会の正統性を主張する上で必要不可欠。そんな教団に信仰の中核である「御本尊」を握られ、それに依存することは創価学会としては我慢ならないわけです。
ですから、このように過去の教義を捨て去る事は、遅かれ早かれ必要だったと言えましょう。

最近私は、改めてこの話題に関心を持ちました。
昨日、創価大学の卒業生の友人5人とお酒を飲む機会がありましたので、この会則変更について意見を聞いてみたのです。
すると全員がポカンとした顔をして、「そんなことあったっけ?」という反応でした。

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創価学会日蓮正宗と喧嘩別れしたのは1991年(平成3年)。
私たちの世代(平成生まれ)は、日蓮正宗から独立する以前の創価学会を知りません。
私も「本門戒壇の大御本尊」を拝したことはないし、はっきり言って何の思い入れもない。
「まぁこんなものか」と思って、「本門戒壇の大御本尊を受時の対象から外したやつだよ」と解説すると、返ってきた反応は次のようなものでした。

本門戒壇の大御本尊って何?信濃町の学会本部にあるやつ?」

何と、5人全員が知らなかったのです
創価学会の活動に無関心な5人ではなく、むしろかなり熱心に活動に励み、土日もあちこちに奔走しています。この飲み会でも、「選挙が大変だった」という話題に終始していました(「選挙活動=信仰活動なのか!」というご批判は、ご容赦くださいませ・・・)

飲み会終了後、私は酔いに任せて、7人ほどの熱心な活動家の友人にLINEをしました。
回答が返ってきた6人全員が、「本門戒壇の大御本尊」を知らない、もしくは意味を誤解しておりました。

創価学会パラダイムシフトが起きる

サンプルはたったの11です。
しかし、私たちのような平成生まれのゆとり世代学会員は、「本門戒壇の大御本尊」に思い入れがないどころか、存在も知らない。こういう仮定に立って物事を考えても、無駄ではないと思います(機会があればしっかり調査してみたいですが・・・)。

よくよく考えてみれば、私が「本門戒壇の大御本尊」を知っている理由も、昔の学会や日蓮正宗の本を読んだことがあったからです。学会活動の中では、1度も聞いたことがないし、「教学試験」でも出題されませんでした。
ですから、彼らがしたなかったことも、自然と言えば自然です。

私はこの事実に直面して、創価学会において、「パラダイムシフト」が起きようとしていると感じました。
即ち、「本門戒壇の大御本尊図顕こそ日蓮の出世の本懐」というパラダイムが消え去り、学会教学部が言うところの「民衆仏法」、さらには「池田大作は永遠の指導者」というパラダイム創価学会を完全に席巻するということです。

創価学会本部が会則を変更した程度では、まだまだ「パラダイムシフト」なんて起きやしない。彼らが提示した新しいパラダイムが、創価学会員にとって「当たり前」になった時、それが完了するのです。

私は同世代の状況を見たことにより、20〜30年後の学会の姿を見たような気がしました。恐らくその時の学会は、「池田教だ」「日蓮大聖人の精神を忘れた新興宗教だ」と批判されるでしょう。それらの批判は、当たっている。しかし、そういった批判が全く響かない学会になるのだろうと思います。

ゆとり世代創価学会員の本音」シリーズのテーマ

というわけで、この会則変更に関しての論考を数回に分けて掲載させていただきたいと思います。

「平成生まれ学会員の多くは、本門戒壇の大御本尊を知らない。知っていたとしても何の思い入れもない」
このような仮定の下で論を進めさせていただきます。本当であれば、統計学的に信頼できる社会調査をすべきなのでしょうが、一末端会員でサラリーマンの私には、リソースが完全に不足しています。また、組織の中で「異端児」扱いされるのは、しばらくは御免です。
いずれ着手したいとは思いますが、今回は上述の命題を真であると仮定させていただきます。ただ、決してトンデモな仮定ではない、現役学会員の方も受容しやすいものではないかとは思います。

次回から、以下のようなポイントを考察することを考えています。

●そもそも教義とはどのようにできるのか?
●「本門戒壇の大御本尊」を捨てることなんて、本当にできるのか?
創価学会の新しいパラダイムとは?
パラダイムシフトが完成するには?

どうかお付き合い頂けますと幸いです。

続きは、下記をご覧くださいませ。

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「『人間革命』新旧版を読み比べる」序章:連載開始にあたって

これから複数回に分けて、『人間革命』の第1版と第2版を比較検討する「読み比べ・『人間革命』新旧版」を始めたいと思う。

2014年に、創価学会の歴史を描いた小説『人間革命』の改訂が行われることが発表された。

改訂は既に完了されており、全12巻の第2版全てが現在入手可能である。

第2版発行の理由として、創価学会は以下の2点を挙げている。
①宗祖に違背して腐敗堕落し、仏意仏勅の団体である創価学会を破壊しようとした日蓮正宗からの分離・独立を考慮に入れて、推敲すべきであるということ。
②原稿執筆後に発見された新資料が存在するため、それらを加味して改訂すべきであること。
さらに、「50年後の若い読者が読んでもわかりやすいような表現にする」という点を、池田名誉会長本人に確認したとされている。

私は第2版発刊当初、この事には無関心だった。
『人間革命』は初版を何度か通読しており、今更読み直す気もなかったし、どうせ日蓮正宗礼賛箇所の削除や分離独立に伴う教義変更の反映など、自分たちの正統性を強調するための内輪的な改訂に過ぎないだろうと考えていたからである。

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改訂箇所の検討に至った理由

しかし今回、その改訂箇所を検討するに至ったのには、理由がある。
第一に、この問題に関心を持っている人間が、私の周りに一定数いたらからである。私には、創価学会の動向をウォッチしている物好きの友人が何名かいるが(恐らく私は彼らに利用されている)、彼らに何度もこの事を質問されていた。しかし、「暇がないのでチェックしていない」という回答を繰り返すのも嫌になり、一度調査をしてみようとした。またこのブログを開始してから、法華講員の方からこの件について質問を頂いたことも、きっかけとなった。
本当は、第1版と第2版を比較するなどという面倒な作業は誰かにお願いしたかったのだが、ネット検索をしても、詳細に検討したHPが見つからない。脱会者や日蓮正宗の信者の方などがこのような作業をしてくれているだろうと期待していたのだが、「人間革命改訂は池田本仏論を確立するため」などと主張するものしか見つからなかった。
そこで止むを得ず、自分でこの作業をすることにした(もしこのような取り組みをされている方を知っておられたら、ご一報いただけると幸いです。中止するか、独自性を出すことを考えるか、何らかの対応をします)。

第二に、他宗教との関係や学会の過去の歴史について、現在の創価学会本部がどのような公式見解を持っているのか、わからない点が多々あったからである。
はっきり言って創価学会は、かなりの「自語相違」を繰り返してきた。学会書籍は、その出版年代によってその主張が大きく異なる。私に限らず、今の学会本部が何を考えているのか、わからない人は多いのではないかと思う。
現今の学会本部の考えを理解するにあたり、『人間革命』を考察することは、適当な方法ではないかと、私は考えるに至った。
なぜなら『人間革命』は数ある学会書籍の中でも、最重要の位置を占める作品だからである。当然、その推敲とあらば、自分たちの教義・見解を矛盾なく反映しようと、学会本部の職員も本気を出して取りかかるはずだ。
さらに前述の通り、『人間革命』第2版は、「50年後の若い読者」も想定した上で改訂されており、今後の学会の「スタンダード」を示しているとも言える。

主に上述の2つの理由から、このような取り組みへの着手を決意するに至った。

比較検討の指針

比較検討をするに当たり、いくつかの指針を示しておきたい。

①教義・見解の変更を反映したと考えられる改訂部分のみを取り上げる
今回の改訂理由の1つは、「よりわかりやすくするため」であるとされている。
第2版は初版よりもかなり読み易く、簡単になっている。私の周りの友人も「読み易くなった」という感想が大半(というか全て)であった。

「人間革命は読みづらい」とは、私が子供の頃から何度も聞いてきた感想である。読書が嫌いという会員には、本書を読むのはかなりの苦痛を伴うものであろう。
しかし、創価学会の教義の根幹は、牧口・戸田・池田という3代会長の人生を師匠として、手本にする事にある。『人間革命』は、戸田会長と池田会長が共に生きた時代を描いたものであり、それを会員に認知させるのは学会にとって最重要命題である。
「難しい」という理由で会員が『人間革命』を忌避するという事態は、学会本部としても避けたいに違いない。

「文章をわかり易くするのはカムフラージュで、本当は自分たちに不都合な歴史を隠蔽するのが目的だ」という批判をよく聞く。
しかし、「文章をわかり易くする」という点も、上述の学会本部の意図を考える時、改訂の重要な理由だったのではないかと私は考えている。

しかし、「文章がどのように簡易化されたか」という点を考察する事は、この企画の趣旨に反する。
そこであくまで、初版発刊以降の創価学会の教義・見解の変更を反映したと考えられる箇所のみを取り上げて、考察する事とする。

②当面は発刊された順に考察をしていく
当面は、第1巻第1章から順に、時系列的に『人間革命』新旧版を比較考察していきたいと思う。

「当面は」と書いたのには、理由がある。
現在の私は、第1巻から第12巻までの全てを網羅的に考察する事を目指しているが、所詮私も一介のサラリーマンである。仕事が忙しくなれば、当然そちらを優先するし、このような取り組みが結局私の興味関心に起因している以上、いつ飽きるかわからない。
また、本ブログにも一定数のご批判をいただいているので、メンタルの弱い私の心が折れてしまい、予告なしの閉鎖をしないとも限らない。

そのような事情を鑑みる時、網羅性に固執することなく、より学会の教義・見解の相違が先鋭的に現れていそうな箇所を優先的に考察するということも必要かと思われる。
現在視野に入れているのは、日蓮宗との法論を描いた「小樽問答」や、日蓮正宗との衝突のきっかけとなった「狸祭り事件」などである。また、牧口・戸田両会長と共に獄に繋がれ、非転向を貫きながらも、後に「裏切り者」と弾劾されるに至った元理事長の矢島周平に関する記述も、気になっている。
時系列を無視して、これらの章の考察が始まったとしても、どうかご容赦願いたい。

③使用する『人間革命』の版について
第2版については、現在販売されているものを使えば、問題ないだろう(流石にこんな短期間で大きな記述の変更はないと信ずる)。

問題は、初版の方である。
今回、大々的に『人間革命』の改訂が報じられたが、果たしてこれ以前に記述の変更がなかったかと言うと極めて怪しい。日蓮正宗からの分離独立から20年以上経過しており、その間に改訂が全くされていないとは考えにくい。そこで少なくとも、分離独立以前に出版された初版本が必要となる。

幸いにも比較的古参会員である我が家の本棚には、昭和40年の初版本発刊元年のものがあったので、これを使用すれば問題ないと考えられる。

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しかし、第11巻は1980年に聖教新聞紙上で連載が開始されたが、単行本化は1992年、つまり日蓮正宗からの分離独立以後である。当然、分離独立に伴う教義・見解の変更を反映したものになっていることが予想される。
本来であれば、聖教新聞に連載された文章と単行本化されたもの、さらには第2版を比較すべきなのだろうが、現在の私は過去の『聖教新聞』を閲覧できる環境にない(どういう意図が働いているのかわからないが、過去の聖教新聞へのアクセスは、驚くほど限られている)。
そうである以上、第11巻以降の第1版・2版の比較検討は、どちらも日蓮正宗からの分離独立を経たものにならざるを得ない。

とはいえ、この取り組みも全く無駄であるとは考えていない。分離独立から20年間の間にも、創価学会は大きく変化をしてきた。その変化を描く事は、十分可能であると考えている。

終わりに

以上が、「読み比べ・『人間革命』新旧版」の序説である。
私は専門の研究者でもない、浅学の一会社員に過ぎないので、多くの問題が生じると思う。ご批判やご指摘等を随時いただきながら、進めていきたいと考えているので、遠慮なくご連絡いただければと思っている。
自説にこだわることなく、積極的に修正・加筆していきたい。

本連載の目次一覧は、下記をご覧くださいませ。

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日蓮は念仏者だったのか?:日蓮遺文を「再読」するに当たって②

ある時期の日蓮に念仏者の姿を見出してもいいのではないだろうか

これは、高木豊日蓮 その行動と思想』における一文です。
この文章を読んだ時には、衝撃が走りました。それまでの私は、念仏を「諸悪の根源」のように認識しており、日蓮が念仏に惹かれたなど到底受け入れられなかったからです。

私は高木の本を「悪書」として退け、他の日蓮研究書を読み始めました。
しかし、どの本にも高木の本への言及があり、「戦後最大の日蓮研究の一つ」と認められているようなのです。
仕方がないので、再度、高木の本と向き合うことにしました。

(本記事は、連載企画「日蓮遺文を「再読」する」の一部です。目次一覧は、下記をご覧ください。)

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日蓮は念仏者だった??

前回に引き続き、今回も「テキスト解釈=本の読み方」について、記述させていただきます。

(前回の記事は以下)

日蓮遺文を「再読」するに当たって①:末法、大乗非仏、国立戒壇 - 学会3世の憂うつ


冒頭に紹介したエピソードは、私が創価大学生の時のものです。
高木豊日蓮 その行動と思想』は、現在の日蓮研究の「定本」と定められているような本であり、1970年の初版発行以来読み継がれています。
しかしそれを初めて読んだ私にとって、その日蓮像は受け入れがたいものでした。

当時「守護国家論」や「立正安国論」を読んで、私が描いていた日蓮は邪宗を弾劾する正義のヒーロー。
念仏は災厄の「一凶」であり、「三悪道」に落ちる原因だと断罪する。
その日蓮が「かつて念仏者だった」とはどういう事なのか?

後にテキスト解釈論を学んでわかりましたが、これは日蓮遺文に「歴史的アプローチ」をする事によって浮かび上がる日蓮像だったのです。

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歴史的アプローチ

前回の記事では、日蓮遺文や仏典といった古典を「普遍的真理」を開示したものとして読む「非歴史的アプローチ」を説明しました。
本日は、その反対に位置する、「歴史的アプローチ」です。

「歴史的アプローチ」ーそれは、思想家や理論家が説いた思想が、特定の歴史的状況や社会的状況などといった、時代的制約の中で思想的営為を行っているとみなすものです。

日蓮でいうならば、こうです。
前回、日蓮が「末法」時代ではなく、「像法」時代に生まれた人物である事を述べました。つまり、「自分は末法に生まれた」という前提で思想を展開している日蓮は、この点において間違っていたのです。
また、日蓮が「釈尊の説いた最高の教え」として格闘した『法華経』も、釈尊の死後約500年後に成立したものであり、それを釈尊の教えと見なすのには無理があります。

これは、「御本仏は絶対無謬である」という命題と矛盾します。
しかし、テキストに「普遍的真理」を見出そうとする「非歴史的アプローチ」から離れて、日蓮を「鎌倉時代という時代的制約の中で生きた1人の人間」として見ると、上述の矛盾に対する回答が浮かび上がるのです。

日蓮が誤った末法年代を用いたり、『法華経』を釈尊の説いた経典として扱った事は、決して本人の勘違いではありません。
今日でこそ釈尊の没年は紀元前5〜4世紀であるとされていますが、日蓮在世当時は、1052年が末法元年と考えられていました。
また、日蓮が『法華経』を「釈尊の説いた最上の教え」としたのは、中国の天台思想における「五時八教」に基づいたものでした。
つまり、どちらも当時の仏教界の定説に従っていたのです。

この「歴史的アプローチ」をする時、私たちは鎌倉時代の中に生きた日蓮」という時代的状況に制約された存在を見る事ができる。それは、日蓮が思想を説いたコンテキストを再現してくれるものなのです。

日蓮念仏者説

「ある時期の日蓮に念仏者の姿を見出してもいいのではないだろうか」という高木の言葉を冒頭で紹介しました。
この主張の背景には、日蓮が青春期に修行をした最澄寺において浄土信仰が盛んに行われていたという史実があります。つまり日蓮は念仏が盛んに唱えられる中において、青春を過ごしたのです。さらに、日蓮の師・道善房も念仏者であったから、彼から浄土信仰を学んだと考える事はごく自然でしょう。
さらに日蓮が留学した当時の鎌倉では、法然の念仏説は万人を救済する革新的な教えとして、大流行していました。

そもそも日蓮の遺文を読むと、その浄土宗への理解の深さに驚かされます。
果たして、「邪宗を撃て!」という心構えだけでそれを読んだのだろうか。
むしろそれに魅力を感じた側面もあったのではないだろうか。
このように考えるのは、あながち不合理ではないと思います。

私は高木のように、「日蓮が専修念仏者だった」という考えには賛同しかねますが、法然説に強い影響を受けたのではないかと思っています。
これは後日記事にて詳述したいと思いますが、法然が万人の即身成仏のための「易行」として念仏を説いた事は、日蓮の題目に通ずる面があると思うのです。

日蓮法然の関連は、また「守護国家論」や「立正安国論」を読む際に考えましょう。
ここで強調されるべきは、日蓮を当時の思想的な文脈の中に置く時、新たな日蓮像が浮かび上がってくることです。
即ちそれは、法華・真言を伝統とする天台宗の寺社で修行を積みながら、法然説という新しい仏教の潮流に触れた日蓮
そしてそれを乗り越えんと法華経などの諸経を読んで、念仏と格闘しながら思想を生成していく日蓮

これらは、念仏を「一凶」と断じて、国家による弾圧を直訴する日蓮遺文を読むだけでは見えてきません。
「歴史的アプローチ」を取ることにより、その時代状況との有機的な関連に注目しながら、躍動的にその思想を構築していく、活き活きとした日蓮を見ることができるのです。

国立戒壇論について

前回の記事において、日蓮の「三大秘法抄」における「国立戒壇」について論じました。
それによれば日蓮は、国家権力によって「戒壇」という「南無妙法蓮華経」の実践をする場所を建設することを提唱しているのです。

これを字義通り「普遍的なもの」として解釈し、現代において「国立戒壇」の実現を目指すこともできましょう。
しかし、この「三大秘法抄」に対して「歴史的アプローチ」をすると、全く異なる様相を呈してくるのです。

そもそも「戒壇」とは、授戒を授ける場所のことを言います。つまり、一人前の僧 になろうという人に戒律を授けることで 、仏教教団への入門儀礼として重要な意味を持っていました 。
注目すべきは日本の歴史において、この「授戒」には国家の許可が必要であったことです。それは誰でも彼れでも勝手に出家をしてしまうと、租税において悪影響を及ぼすという政策的判断に基づいていました。
奈良時代には、奈良東大寺 ・下野薬師寺 ・筑紫観世音寺が「天下の三戒壇」として定められ 、授戒はこの3か所に限られていたのです。

この知識を前提に「三大秘法抄」を読むと下記の解釈が可能になります。
つまり日蓮は、当時の時代状況から独立して、「国立戒壇」を唱えたのではない。国家権力と戒壇が密接に関係していた日本の歴史的文脈の中で、天皇勅令と幕府の命令によって、「題目を唱える修行の場=戒壇」の建設を主張したのである、と。

このように日蓮が生きた歴史を知り、その中に自分を置いて日蓮の思考を「追体験」する時、明らかになる日蓮思想があるのではないかと思います。
それは、日蓮が現代に生きていたら、国立戒壇を提唱するだろうか」という知的緊張度の高い思考も、可能にすると思います。

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(続く)

【参考文献】
高木豊日蓮 その行動と思想』

マンハイムイデオロギーユートピア

●クェンティン・スキナー『思想史とはなにか』

自公政権:「お試し改憲」としての環境権

予想が外れたので、大変に驚きました。
官房長官が、「環境権」から改憲議論を開始すると発言したのです。

www.news24.jp

僕のような公明支持層の方はよくご存知だと思いますが、これは公明党が長らく「加憲」の立場から主張してきたものです。
環境権。公明党によればこれは、国民に「良好な環境で生きる権利」を付与し、国に「環境問題に取り組む義務」を課すものと定義されています。
ドイツやスペイン、韓国などの諸外国でも憲法において規定されているようです。

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「環境権」を口に出さなくなった公明党議員

しかし、「最近公明党議員の口から、『環境権』って聞かないな?」と思ってらっしゃる方もおられるのではないでしょうか。
2016年参議院選マニフェストを見ても、「環境権」という言葉は全く出てきません(というか憲法改正に関して言及無し)。

その理由は何故なのでしょうか。
ここで、2015年2月23日の毎日新聞における報道を見てみます。

公明党憲法を改正し新たな条項を加える「加憲」の対象から、環境権を除外する検討に入った。環境権の加憲は、同党が選挙公約で掲げており、憲法改正に関する中心的な主張だが、欧州諸国で環境権に関する違憲訴訟が相次ぎ、開発や投資の妨げになっていることを受け慎重姿勢に傾いた。早期の改憲を目指す自民党は、環境権加憲に応じることで公明党の抱き込みを狙ってきたが、戦略の練り直しを迫られることになりそうだ。【高本耕太】

つまり、「環境権必要だと思っていたけれど、外国見たら難しそうだ・・・やっぱりやめようかな?」という事です。
公明党から「環境権」と言い出して、自民党が乗ってくれたのに自分たちは引っ込める。これは少々滑稽です。

また、憲法学者の木村草太は、与党の原発政策の観点から環境権を「加憲」することの難しさを指摘しています(ラジオでの発言のためURLを末尾に記載します)。
原子力発電所をめぐる自民党公明党のスタンスは、「再稼働容認」で一致しています。
しかし「環境権」が「加憲」されれば、原発差し止め訴訟において原告側にかなり有利に働く可能性がある。つまり、現政権の方向性に反してしまうのです。
公明党原発をめぐるスタンスは、はっきり言ってよくわかりません。「原発ゼロを目指す」とは言っているが、期限などはマニフェストに見当たらず、自民党との違いがわかりにくいのです。

私は、このような理由から、自公政権は環境権には手を出さないだろうと思っていましたが、予想が裏切られてしまいました。

「環境権」は「お試し改憲」?

とはいえこれは、自民党改憲に対する本気度を示しているのかもしれません。
自民党が「環境権」を望んでいるとは、到底思えないからです(改憲草案には一応入っていますが)。
ここで、2014年に自民党の船田元・憲法改正推進本部長の憲法フォーラムでの発言を引きます。

「姑息かも知れないが、理解が得やすい環境権などを書き加えることを1発目の国民投票とし、改正になれてもらった上で9条を問うのが現実的」

やはり、「環境権」という国民的理解の得やすい、かつ公明党の賛同を得やすいテーマから着手したように思われます。その先にあるのは、やはり憲法9条改正でしょうか。

安倍晋三氏はいつまで総理をやるつもりなのか?

しかしここで1つの疑問が湧きます。安倍総理の任期です。

最近話題になっている安倍総理自民党総裁としての任期は、2018年9月で終わってしまいます。つまり従来の自民党のルールに従うならば、あと2年で安倍総理の時代は終わる。
果たして2年で「環境権」を「加憲」し、9条改正にまで持ち込む事ができるのか?
これは難しいでしょうから、安倍総理は任期の延長や党則の改正を図っていることでしょう。

「安倍しかいない」という空気を党内に充満させるには、やはり「選挙」です(我々公明支持層は、「また選挙か・・・」と胃が痛いことでしょう)。
果たして解散カードを切ることがあるのか、切った時に自民党は大勝できるのか。

参考までに、今回の参院選の得票数を衆院選に当てはめたら、というシュミレーションをした記事をアップさせていただきます。

www.chunichi.co.jp

どうやら自公で369議席(約78%)の議席を確保するとのこと。
やはり現政権の強さを感じざるを得ません。ですが、いつまで衆参両院で圧倒的勢力を築くことができるか、という点には疑問符がつきます。

憲法議論は避けられない

間もなく「環境権」の議論が本格化するのでしょう。
「環境権」を「お試し改憲」のように考えている自民党議員が一定数いるだろう事は、非常に気にくわないですが、この問題はこの問題としてしっかり考えていきたい。

たとえ「環境権」が「憲法9条」改正 の準備段階の取り組みだったとしても、我々はその議論を拒否することはできません。

自公政権を選んだのは、他ならない我々国民なのですから。

 

木村草太の見解は、下記ラジオ番組から。

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末法、大乗非仏、国立戒壇:日蓮遺文を「再読」するに当たって①

 

日蓮遺文を再読する事を決めました。

「再読」ーこの表現を使ったのには、理由があります。
私はまだまだ若輩者ですが、創価学会学生部や男子部での活動の中で、日蓮遺文を学んできました。「教学試験」という創価学会の教義が出題される試験も、何度か受けてきた。
その中で、立証安国論、守護国家論、開目抄、観心本尊抄、三大秘法抄、撰時抄・・・など代表的な遺文に目を通してきました。

しかし、その読み方が果たして十分だったのだろうか。そう自問自答しています。

私は創価学会員ですから、日蓮遺文を「御本仏の仰る絶対無謬の普遍的真理」として拝してきました。幹部や先輩による講義も、そのような前提で進められていました。
このような読み方によって得られるものも多いでしょう。
しかし遺文を崇め奉る事により、見落としてしまう事も多いのではないだろうか。

私が創価大学で学んだ事の中で最大の財産の一つは、「テキスト解釈の方法」です。
これは日蓮遺文に限らず、カント哲学でも、丸山眞男著作でも、池田名誉会長のスピーチにも言える事ですが、本の読み方は一つではありません。

日蓮遺文を、「絶対無謬の普遍的真理」として読むのも、一つの読み方でしょう。
しかし、その読み方に固執している限り、日蓮遺文の理解は限定されてしまうと思うのです。

そこで、日蓮遺文の再読を始める前に、「本の様々な読み方(=テキスト解釈の方法)」について、簡単にまとめてみようと思います。

非歴史的アプローチ:普遍的真理の探究

まず「非歴史的アプローチ」という本の読み方について、考えてみようと思います。

「真理とは何か」「死後人間はどうなるのか」「どうすれば幸福になれるのか」・・・

こういった問いは、遥か昔から人間を悩ませ続けてきました。
古代ギリシアの哲学者の本は、我々現代人が読んでも学ぶところが多くあります。原始仏教の仏典もそうでしょうし、聖書やコーランもそうでしょう。
それは、数千年の歴史を超えて、我々人間に共通した「普遍的な課題」について考察しているからだと言えます。

日蓮遺文もそうです。
「ガンになってしまった」「会社をクビになってしまった」「夫の浮気が発覚した」・・・
我々はあらゆる悩みに対する回答を求めて、700年以上前に書かれた文章に体当たりする。
また、「立正安国論」を読んで、現代日本にも通用するような、政治と宗教のあり方を考える。

つまり、時代を超えて通用する「普遍性」をテキストの中に見出そうとするのです。
私のこれまでの日蓮遺文の読み方も、この一種だと言えましょう。

ですがこの読み方をしていると、壁にぶつかる事があります。
日蓮は、自分を「末法」に生を受けたと認識しています。しかし、今日の歴史学では、釈尊の生誕は西暦紀元前463年~西暦紀元前383年頃とされている。つまり、日蓮の生まれた時代は、「像法」時代なのです。

また日蓮は、「法華経」を釈尊が説いた最高の教えであるとして、「法華経至上主義」を唱えました。日蓮の教義は、この前提の上に成立しています。
しかし今日の研究では、「法華経」が釈尊の死後約500年後に成立した事が通説になっている。つまり、「法華経」は大乗仏教を信奉するグループの活動の中で成立したものであり、法華経をそのまま釈尊の教えとみなす事は、無理があるのです。

このような諸事実を見ると、「日蓮無謬説」に立つ事が難しくなります。
日蓮がこのような記述をしたのは、当時の仏教界における共通見解を踏襲していたからであり、本人の勘違いではありません。
ですが、「末法の御本仏である日蓮大聖人は、その内証に全ての真理をおさめられていた」という命題の主張は出来なくなってしまう。やはり、当時の時代的制約の中で生きられていたのだという事は、明らかだからです。

また、このような「非歴史的アプローチ」を採用する時、思わぬ難題にぶつかる時があります。
次節ではその例として、「国立戒壇」を取り上げます。

「三大秘法抄」という問題作

日蓮遺文の中で「三大秘法抄」ほど、今日の日本で「タブー視」されているものはないのではないでしょうか。

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それは、戦前の国家主義者達によって盛んに用いられ、戦後も創価学会の「政教一致王仏冥合」運動の根拠とされたからです。また、長らく「偽書説」も唱えられていましたが、近年コンピューターによる解析によって「真撰」であるとされたようです。

問題とされる箇所を引いてみましょう(小松邦彰による現代語訳を用います)。

戒壇というのは 、王法 (世俗権力)が仏法と一体化し 、仏法が王法と合一して 、国王も臣下もみな本門の三大秘法を受持し 、有徳王が (正しい法を受けて迫害された )覚徳比丘 (を護って戦死した )という過去の話と同様の事態が末法濁悪の未来にも実現したとき 、 (天皇の )勅宣並びに (将軍の )命令 (御教書)を下して 、霊山浄土に似た最勝の土地を探して 、戒壇を建立すべきであろうか 。

この遺文の中で主張されていることは、以下の2点に要約できます。
①政治権力と宗教が一体化する(=王仏冥合
②国家権力によって、「国立戒壇」を建設すべきである。

戒壇」とは本来、「戒律を授ける場所」の意ですが、日蓮は「南無妙法蓮華経を唱える実践の場」という意味で使っています。そのような「戒壇」を、天皇勅令と幕府の命令の下で建設せよというのです。

これを現代的な視点から見ると、明らかに「政教分離」の原則に違反しますし、実現にはかなりの困難が伴うでしょう。
公明党はかつて「王仏冥合」「国立戒壇」の実現を掲げていましたが、言論出版妨害事件を契機に、それを取り下げています。

これらの今日の世界においては到底受容できない教義も、我々は「普遍性」を持つ真理として受け止め、実現を目指すべきなのか。それとも、現代という時代に合っていないという理由から、放棄すべきなのか。
「非歴史的アプローチ」をとっていると、このような袋小路に陥ることがあります。

(本連載の目次一覧は、下記をご覧くださいませ)

sanseimelanchory.hatenablog.com

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山口公明党代表の発言に戸惑っています:「9条加憲は自己否定?」

表題の通り、山口公明党代表の発言に戸惑っています。
これまでの私の「加憲」理解を覆すものだからです。

山口代表が、記者会見で「9条加憲」について言及したそうです。
残念ながら、会見全文や前後の文脈がわからないのですが、複数のニュースサイトで「9条加憲を当分問題にしない」と発言したと報道されています。
ここでは、毎日新聞の報道を引用させていただきます。

公明党山口那津男代表=似顔絵=は21日の記者会見で、憲法9条自衛隊の存在を明記する「加憲」について、当面議論の対象としない考えを示した。2014年の衆院選公約で9条加憲を「慎重に検討する」としていたが、憲法改正論議の本格化を前に、慎重姿勢を明確にした。

山口氏は「現行9条の解釈を示したうえで安全保障関連法を作った。それを自己否定するつもりはない」と説明した。3月施行の安保関連法には自衛隊の任務拡大が盛り込まれており、改めて憲法自衛隊を位置づける必要はないとの認識とみられる。  

<公明・山口代表>「9条加憲」封印、慎重姿勢を明確化 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

私の「戸惑い」の理由を示す前に、この報道からわかることについてまとめましょう。

「9条改憲」はしばらく様子見、「緊急事態法」などから着手

衆参両院で「改憲勢力」とされる党・議員が3分の2を超え、休眠状態だった憲法審査会が始動します。果たしてどの条項が議論されるのか、注目が集まっていました。
山口代表の発言から、与党第2党の公明党として「9条は議論しない」という明確な態度を示したことになります。

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これを自民党の意向を無視した、公明党の「独走」と見ることができますが、私は違うと思います。やはり、自民党とある程度協議し、「9条は今回は議論しない」という合意に至ったのではないかと考えられます。なぜなら、9条改憲にかなり意欲的な安倍首相を全くシカトして、このような「議論拒否」をすれば、自公関係に大きな悪影響を与えると考えられるからです。
これは、自公として、「しばらく9条については、様子を見ますよ」という事を示しているのだと思います。

恐らく、「緊急事態条項」「国家緊急権」(社民党福島瑞穂に言わせれば「ナチスの全権委任法」に匹敵)か、「プライバシー権」など、9条よりも国民の合意を得やすそうな条項から議論をして、国民の「改憲恐怖症」を少しでも緩和させ、その上で9条の議論に乗り出そうとしているのだと考えられます。

よくわからない「加憲」の定義

問題は山口代表の発言において、「9条加憲」が安保関連法成立への取り組みを「自己否定する」ものと位置付けられていることです。このことが私には、全くよくわからないのです。

その事を説明するために、まず公明党が言う「加憲」を定義してみましょう。
以下の文章は、2014年のの衆議院選挙における公明党マニフェストからの引用です。

基本的人権の尊重、国民主権恒久平和主義。この3原則は、日本国憲法の骨格をなす優れた人類普遍の原理です。 (中略)時代に合わせて憲法を発展させるに当たっては、この3原則を堅持しつつ、新たに必要 とされる理念・条文を現行憲法に加える「加憲」が最も現実的で妥当な方式です。(中略)

憲法第9条については、戦争の放棄を定めた第1項、戦力の不保持等を定めた第2項を堅持した上で、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記や、「平和主義の理念」を体現した国際貢献の在り方について、「加憲」の論議の対象として慎重 が進むよう取り組みます。 」

このマニフェストから判断すると、「9条加憲」とは、

戦争放棄を定めた第1項、戦力不保持などを定めた第2項については一切手をつけない。

現行の第1項・第2項の範囲内で許容される自衛隊のあり方・海外派遣について定めた第3項を追加する」

ということになるでしょう。

ですが、このように定義すると、先ほどの山口代表の発言と矛盾が起きるのです。

山口代表は、昨年成立した安保関連法を「現行の憲法9条の内部で、ギリギリ可能な安全保障・国際貢献のあり方を解釈した」と解釈しているようです。これは従来の公明党の説明と整合的です。
「いやいや、あれは違憲だよ」という反論も聞こえそうですが、ここでは触れません。少なくとも山口代表ら公明党議員は、あの法案をそのように位置づけているということです。

ただ、「9条加憲」がこの安保関連法の「自己否定」になるのか、理由が全く不明なのです。
なぜなら上述の通り、「9条加憲」とは「憲法第1項・第2項を堅持しながら、第3項を追加する」ものです。
なぜその議論をする事が、「現行憲法を堅持・解釈した平和安全法制を成立させた」ことを「自己否定する」ことになるのか?
むしろ、「現行憲法を解釈する」という平和安全法制の成立は、「現行憲法の論理を受け継いだ第3項について議論する」ことの、前段階における取り組みに当たるのではないか?

報道を見た限り、この理由が全くわからないのです。

「加憲は自己否定」発言の真意は?

上述の「加憲は自己否定」発言に関して、考えられる解釈は以下のものでしょうか。

①「加憲」は、憲法9条の第1項、第2項改正を含むから。
まず考えられるのは、公明党の「加憲」は、第3項追加だけでなく、第1項・第2項改正を含むというものです。
即ち、「我々はあんなに苦労して安保関連法を成立させ、憲法第9条第1・2項を解釈した。その後に第9条第1・2項を改正するなんて、あの努力が無駄にすることになり、自己否定だ」というものです。
もしこのような立場をとっているのだとしたら、「加憲」なんて言うべきではない。はっきりと「改憲」と言うべきです。

②安保法制の議論において「法改正で十分」と主張していたから

「法案を成立させたいなら、憲法改正すべきだ」
これは安保関連法の議論において、野党・マスコミから何度も発せられた批判です。
これに対して与党は、「合憲なのだから法案成立で十分」と述べてきました。

しかし、「現行憲法の範囲内なのだから、法案で十分」と言ってきたのに、その舌の根も乾かぬうちに「現行憲法の範囲内で成立可能な、9条第3項を追加する」というのは、おかしい。
「何で法案で可能なのに、わざわざ憲法に手をつけるのか」という話になります。

これは、公明党の「9条加憲」という立場の中途半端さを表しているとも言えます。
どうして、法案の成立で可能であるのに、「加憲」する必要があるのか。その説明が十分ではありません。

「9条の平和の理念をより体現するため」などという抽象的な説明ではなく、
せめて、「9条加憲」草案を作成・公開し、必要な理由をしっかりと主張すべきだと思います。

③メディアに山口代表の真意が伝わらなかったから。
上記の毎日新聞のように、多くの報道機関は「加憲は自己否定」なる旨を報道しました。
しかしもしかしたら山口代表は、「改憲は自己否定だが、加憲は自己否定ではない」と考えている可能性があります。

即ち、
●「改憲」・・・現行憲法の9条の第1項と第2項を否定し改正するため、現行憲法を堅持・解釈した安保法案の取り組みの自己否定になる。
●「加憲」・・・現行憲法の9条の第1項と第2項を堅持しながら新たな第3項を加えるため、現行憲法を堅持・解釈した安保法案の自己否定にはならない。
というものです。

もしそうだとしたら、山口代表の真意がうまく伝わっていないという事になります。
これは、メディアの責任か、山口代表の責任かは、会見を見ていない現在の私には判断出来ません。
しかし、結果的に多くの報道機関には「加憲は自己否定」と報道されてしまいました。
改憲ではない、加憲だ」と述べるならば、「改憲」と「加憲」をしっかりと分けて、誤解を生まないようにすべきです。

また、「改憲は自己否定だ」と述べているならば、それは「9条を議論の対象にしない」理由にはなりません。「改憲」がダメでも、「加憲」がオッケーならば、その立場から議論に参加すべきだからです。するとやはり、「自己否定」発言は不要だったと思います。

流石に①はかなりの暴論ですので、②か③であると思います(そう信じたい)。
ただ、これらは9条改正における公明党の中途半端さが現れていると思います。

私が公明党に期待すること

参議院選挙期間中、9条改正に関する公明党の主張は、「国民の議論が不十分」の一点張りでした。
「結局公明党は、憲法9条の改正に賛成するのか、しないのか?」と思っている方は、創価学会員・非学会員問わず、大勢いると思います。

はっきりした説明ができない第一の理由は、支持母体である創価学会の会員の「9条改正アレルギー」が強いからでしょう。私の周囲の会員、特に上の世代の会員は、9条改正に反対する人間は多い。公明党の「加憲」にすら疑問を持っている方も大勢います。
であるから、正面だって議論・主張すること自体が難しいのです。

しかし私は、公明党に「改憲」を掲げて欲しいと思っています。なぜなら今日の日本の政治における悲劇は、「マトモな改憲派」がいないことだと考えているからです。
つまり、「トンデモ改憲草案」を掲げる自民党と、非現実的な護憲派の代表・共産党というような対立様式ができ、他にオプションがない。
先の参議院選挙で話題になった、小林節氏のような「マトモな改憲派」(私の評価です)が「護憲派の代表」のように見られてしまったことも、悲しく思います。

現在私は、同世代の学会員の友人と共に、憲法9条についての勉強会や平和思想の読書会などを行っています。我々の世代の学会員は、憲法について固定的な価値観は弱く、自由な議論をすることができる。
池田名誉会長の言葉を金科玉条のように振りかざした護憲派運動ではなく、しっかりと会員以外の方も理解できるような立場をとっていきたい。そう考えております。

私の考える「マトモな改憲」や、公明党の「改憲」「加憲」に関する考察は、引き続き考察していきたいと思います。

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