学会3世の憂うつ

学会3世として生まれた僕は、創価学園・創価大学を卒業した。 しかし結局、バリ活にもアンチにもなれなかった。懐疑的性格という自らの原罪を呪いながら、それでも信仰を志向して生きる煮え切らない日々を過ごしている。

「池田先生が仰るのだから、絶対正しい」:嗚呼、恥ずべき哉、此の『未成年状態』

「お前の意見は、池田先生の仰っていることと違うから、間違っている」
15歳で創価高校に入学して以来、何度言われたかわからない言葉です。
こんな事を大真面目でいう人間に会う度に、嫌気がさし、全身が重くなるような疲労感を覚えました。
「池田先生の思想と違う!」という言葉は、高校卒業後も止むことがなく、創価大学や学生部でも盛んに使われました。ようやく創価教育の学舎を卒業して、この言論封殺から解放されたかと思いきや、男子部の先輩に同じ言葉を言われ続ける日々が待っておりました。
最近では、もうこの類の言説からは一生逃れられないのだと、半ば見限っております。

カント『啓蒙とは何か』における「未成年状態」

「池田先生が言われているのだから、絶対正しいのだ」等と公言して憚らない人間は、自らの頭で考える事を放棄した、如何に恥ずべき状態にあるかをまったくわかっていない。

ここでカントの『啓蒙とは何か』から言葉を引きましょう。言うまでもなく、牧口常三郎初代会長がその思想形成において多大な影響を受け、獄死の間際まで格闘された哲学者です。また、池田名誉会長とトインビーの対談を少しでも読めば、カント哲学が下敷きになっている箇所の多いことに容易に気づかされます。 

「啓蒙とは、人間が、自らに責任がある未成年状態から抜け出ることである。 未成年状態とは、他人の指示なくしては自分自身の思慮分別を用いることができない無能力状態のことである。
自らに責任があるというのは、この未成年状態の原因が、思慮分別が欠けているからではなくて、他人の指示なしに、自分の思慮分別を用いるだけの決意と勇気を欠いている点にあるからなのである。
『Sapere aude! 自分自身の思慮分別を用いる勇気を持て!』、すなわちこれが、啓蒙の標語なのである。」

カントの言葉を借りれば、池田名誉会長の言葉(他人の指示)を全ての判断基準・物差しとして用いることは、「未成年状態」である。そういった人間は、自分自身の思慮分別(理性)を用いる勇気がないのです。

この「池田先生が言うから正しい」という主張の主語は、容易に拡大されていきます。
創価学会が言うことなのだから正しいのだろう」と言って、その教義や会則に一切の疑問を持たない。「絶対正しい」という命題を覆す現実に直面しても、それにフタをしてしまう。
公明党が推進しているのだから正しいのだろう」と言って、その中身を見る事をせず、一切の政策に賛成する。「公明党が推薦するなら信頼できる」と、知りもしない自民党候補に投票する。

「お前もカントを使ってるじゃないか」と言われそうですが、全く異なります。私は「カントは絶対正しい」という命題から出発していない。その主張の根拠を見て批判し、取捨選択する。現実とその主張を目の前に並べて、それに妥当性があると判断したら、その言を引用する。こういう態度で臨んでいます。またこれは、教団内部でしか通用しない「特殊用語」から脱却し、学問・哲学という「共通言語」を用いて意見を主張しようという試みです。

師匠の「ご了承」を得なければ前に進めない悲劇

このような「未成年状態」は、至る所に見られます。

安保関連法の成立を巡り、創価学会創価大学の中で、公明党に批判を加える人たちが注目されました。私は当初、彼らの動きに対して期待を持っておりましたが、それはすぐに失望に変わりました。
彼らの主張は結局のところ、「池田先生の言葉と違うから、反対だ」というものに終始していたからです。たまにそれ以外の意見が聞こえてきたかと思えば、「憲法学の偉い先生が違憲と言ってるから反対だ」という、権威に盲従したものに過ぎませんでした。
勿論、自分なりの意見を持っていらっしゃる方もいるでしょう。しかし私がお会いした方はほとんど、法案を読んだこともない。憲法学の偉い先生の意見についても、「集団的自衛権違憲だ」という結論部分しか知らない。こういった方が大半だったのではないかと思います。

この「未成年状態」の極致は以前紹介した、創価学会を造反した3人の元本部職員のブログに現れていると思います。

3名について紹介した批判記事は以下。

sanseimelanchory.hatenablog.com

彼ら3人の内2人は、創価学園創価大学の同窓の先輩ですので、何度も批判するのは憚られますが、やはり彼らは「病んでいる」と言わざるを得ません。

彼らが安保法案についての態度を表明した記事「■① 安保法制に対する私たちの考えと決意」から引用しましょう。

今回の安保法制は、創価学会の存在意義、そして師匠の築いてこられた民衆城である創価学会の根本にかかわる問題だと私たちは感じています。
だからこそ私たちは、今回の安保法制について、私たちの師匠であり、命がけで「平和主義」を訴えてこられた「創価三代の永遠の師匠」であられる池田先生の「ご了承」が果たしてあったのかどうか、師匠の弟子として、確認しなければならないと考えております。

 何て師匠に忠実な弟子なのだろうと涙が出ます。「安保法制の可否」という政治的見解を持つために、師匠の「ご了承」が必要だと言うのですから。とりあえず彼らには、小学校に入り直す事をすすめたいと思います。

「池田先生」という安全地帯への逃避

とはいえ、こういった類の意見は、創価学園、大学でもよく耳にしたのも事実です(やはりこの元職員の御三方は、卒業生に見られる悪習を悉く体現している)。

安楽死の是非」「死刑廃止の必要性」といった倫理学的なテーマについて、同窓の友人と語る事がよくありました。こういった場においては、過去の議論の蓄積を批判的に考察しながら、自分なりの立場・態度を決定して、その根拠を述べるのがオーソドックスなものでしょう。
しかし多くの友人は、『21世紀への対話』などの池田名誉会長の著作を開いて、「先生は生命尊厳、死刑廃止と言われているから、反対だ」と言い出します。あまりに低レベルな主張に腹が立ち、「死刑賛成論」をぶつけてやると、返ってくるのはあの言葉です。

「おまえの意見は、池田先生の思想と異なっているから間違っている」

私の感じた疲労感が、少しはおわかりいただけましたでしょうか?

こういう主張をする人間は、要するに「答えがない問題に耐えられない」のだと思います。
安楽死や死刑制度などといった倫理学的なテーマは勿論の事、安全保障や憲法改正といった政治的な問題にも、絶対的な答えは存在しない。

我々はこういった問題に直面するとき、賛成と反対の両極を揺れ動き(賛成・反対という二分法でないことも多い)、確かな足場を得られない不安に苛まれながらも、自分の頭で考えて答えを出そうと努力します。
この不安定な状態は、とても辛い。
ましてや、「神は存在するか」「人生に生きる価値はあるか」「なぜ自殺してはいけないのか」といった根源的な問いは、それと本気で格闘した人間を、狂気に誘い込むだけの魔力を持っています。

こういった動揺に立ち向かう勇気が持てない。
だから、自分の頭で考える事をやめ、「池田先生」「創価の思想」といった絶対的な安全地帯に逃避したくなるのです。
さらに厄介なことに、そういった信仰という名の盲従に堕した人間は、自分と違う意見に対してひどく不寛容になる。そして、「師弟の精神に反する」「信心が足りない」などといった言葉を使って、反抗者を罵るのです。これはとんでもない愚行、暴挙と言わざるを得ません。

「学園生がかわいそうだ」

最後に、私が創価高校にいた頃に読んだ、ある逸話を紹介します。

これは、斎藤ベンツえく子女史という創価大学出身のロシア語通訳の方が語っておられたものです(学園在学時に読んだのですが、いくら調べても出典が見つかりませんでした。趣旨の説明にならざるを得ませんが、基本的な内容は間違っていないはずです)

斎藤女史は、池田名誉会長が高校生向けの著作『青春対話』を出版されるにあたり、「学園生はかわいそうだ」と言われたのを耳にしたそうです。斎藤女史のお子様も学園で学ばれており、「なぜこんな素晴らしい教育を受けている学園生がかわいそうなのか」と怪訝に思われたとのこと。
すると、池田名誉会長は、次のように言葉を続けました。
学園生の前にはあまりに偉大な結論が突きつけられている。もっと自由に考える機会があってもいいのではないだろうか。そう考えて、今回の『青春対話』発刊に踏み切ったんだ」

私はとてもすごいエピソードだと思います。

池田名誉会長は、客観的に見て創価学会の「ワンマン」です。
同じく「ワンマン」である、一代で大事業を築き上げた創業社長などを見ていると、その自己批判性のなさに辟易とすることがあります。それは、彼らの成功哲学が社会的実証によって完全に支えられており、その圧倒的権威から異を唱える人間が周囲から消えていくため、自らを省みる契機を持たないからでしょう。

池田名誉会長にも、そういうところがあると思います。
ただ、自分という絶対的権威の言葉が組織内の人間を圧迫する危険を認識し、その潜在的被害者の状況に思いを馳せ、そして現実的な取り組みに着手するのは、なかなかできないことだと思います。

「池田先生の意見と異なるから、間違っている!」という常套句を頻発していらっしゃる皆様。
どうかその喉元まで出かかった言葉を一旦飲み込んで、それが池田名誉会長の本意なのか自問自答してください。

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公明党は「変質」したのか:創価学会の自画像の投影

公明党は変質した」「自民党化している」「平和の党の看板を捨てた」・・・

昨年の安保法案成立ををめぐり、何度となく発せられた公明党への批判です。
私も当時その一部始終を見ながら、同じような感想を持ち、公明党の「変質」を嘆いていました。

しかし、公明党がどう「変質」したのかといえば、答えられずにいました。
例えば、「公明党は平和の党ではなくなった」という主張は、「かつては平和の党だったが、今は違う」という認識に基づいています。しかし、その「かつての公明党」とはどのようなものだったのか。

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本日の記事では、公明党の歴史を振り返ってみたいと思います。結党50年を経る中で様々な変節を経てきた公明党ですが、今日につながる「同質性」があることを明らかにできればと考えております。
憲法改正を巡り日本が大きく動こうとしています。その中で一定の役割を果たすだろう公明党の性質について考えることは、決して無駄ではないでしょう。

公明党は「平和の党」か?

公明党は平和の党」とは、よく聞くと思います。それは、結党以来、左派な立場をとり続けてきたのだろうという印象を与えます。
しかし、これまでの公明党の外交・安全保障保障をめぐる議論は、その時々によって、「保守」から「革新」まで、大きく変わっています。

一例として、同党の「日米安保」を巡る立場を見てみましょう。
1964年の党大会において公明党は、「将来どこからも侵略されないと保障が出来次第、日米安保体制を解消する」としています。「どこからも侵略されない」状況を想定するのは困難ですので、安保解消に積極的でないやや保守的な立場と読み取る事ができます。
それが、1973年の党大会では、「日米安保条約」の即時撤回を主張するに至ります。これはかなり革新的な主張です。
しかし、1981年には「存続はやむを得ない」と保守路線に舵を切るのです。

また、自衛隊を巡る立場も確認しておきましょう。
今回の参院選で、公明党候補は、「共産党自衛隊違憲と言っている」と批判しました。
しかしその公明党自身も、1973年に「自衛隊違憲の疑いがある」という見解を示していたのです。
とはいえその見解も、1981年には覆しており、条件付きながらも「合憲」と認めています。

さらに1992年にはPKO協力法が成立しますが、これは公明党も強く推進しました。さらに2000年代初頭には、テロ特措法や有事法制イラク特措法に賛成しています。
そして、2015年には安保関連法を成立させてたのです。

このように、公明党の外交・安全保障政策は、「ブレブレ」です。
これは、社会党左派との連携を模索しながらも挫折し、結局自民党との協力せざるをえなかったという政局判断に基づいています。

このような歴史を鑑みる、公明党の「平和の党」が意味するものは、社会党左派や共産党のような左翼的な強いイデオロギーに基づいたものではない事がわかります。
それは、国際情勢や政局判断によって変わる、非常に現実主義的なものなのです。これは、自民党ハト派に非常に近かった。だから両党は連立できたのです(ただし森喜朗首相の就任以降、今日の安倍首相まで自民党の総理はタカ派です)。

公明党は平和の党ではなくなった」と語る学会員の方がいらっしゃいます。しかし、その多くは公明党の変化を指摘するものではなく、「創価学会の平和思想に反する」というものではないでしょうか。学会思想の内実はどうあれ、この場合の「創価学会の平和思想」とは、「戦争絶対反対」「軍・戦力不保持」「9条遵守」といった左派的な言説として解釈されています。

しかしそのような強いイデオロギーは、公明党にはもともと薄かったというのが私の考えです。
公明党は、是々非々でその外交・安全保障政策を変更してきた。そのような歴史の延長として昨年の安保関連法の成立を見るとき、1つの「連続性」を見る事ができるのではないでしょうか。

公明党は「反権力」か

続いて考えたいのは、「公明党は権力の魔性に取り憑かれてしまった」というものです。
これも安保関連法の成立をめぐり、創価学会の中で聞かれるようになった主張です。その意味するところは、「反権力の精神を忘れ、政権の座に居座り続ける事が自己目的化している」というものでしょう。

しかし公明党が「反権力・反政権」であるかというと、疑問符がつきます。公明党はその歴史において、ずっと政権入りに固執してきたからです。

上述の通り、公明党は1973年に「自衛隊違憲」「日米安保条約即時撤回」といったかなり左寄りの主張をしました。これは、社会党などの野党と連携し、政権入りを模索していたからです。
しかしその試みは成功せず、今度は自民党との協力を目指します。1992年には当時自民党幹事長だった小沢一郎公明党市川雄一書記長が急接近し、蜜月関係を築きます。
その後自民党を割って出た小沢とともに、細川政権を組閣。果てには分党して新進党に合流しましたが、これらの取り組みは失敗に終わりました。
これらの変遷の果てにできたのが自公政権なのです。

このように公明党は、ずっと政権入りを目指してきた政党であり、権力を弾劾し続ける「反権力」的な野党ではありません(結党当時はこの色彩が強かったとは思います)。
政権奪取のために、その政策を右から左に柔軟に変え、「自民」とも「反自民」とも巧みに連携してきたのです。

さらに森喜朗小泉純一郎安倍晋三といったタカ派のリーダーとも、公明党は付き合ってきました。
妥協に妥協を重ねながら、今日まで自公の協力は継続しているのです。

安保関連法成立の際に、公明党が連立を離脱するのではないかと予想されました。
しかし成立の約1年半前にあたる2014年1月の時点において、山口公明党代表は「政策の違いで連立離脱はありえない」と明言しています。
民主党政権下であっという間に離脱をした社民党などとは異なり、公明党の与党へのこだわりは強いと考えられます。

なぜ公明党はかくも変遷するのか?

これまで、公明党が外交・安全保障分野においてその政策を大きく変えてきたことと、政権与党への志向が強いことを述べてきました。

それは、公明党が強い政治的イデオロギーを有しておらず、むしろ国民生活や福祉などの個別具体的な政策を実現する政党だからでしょう。
これは、独自の愛国観に基づいた改憲を党是とする自民党や、左翼的なイデオロギーを重視する共産党やかつての社会党と大きく異なります。
自衛隊」「憲法」「日米安保」「集団的自衛権」などの論点において、独自のイデオロギーに基づいて一貫した主張をするのではなく、その時の情勢や政局によって態度・主張を是々非々で変えていく。
安全保障・外交・国際貢献といった大きな国家観よりも、現場感覚に基づいた課題解決・政策実行に重きを置いていく。
このような政党が、政策の実現率において大きく勝る政権与党の立場にこだわるのは、合理的だと思います。

公明党の「変質」がこれまで批判されてきました。しかしその歴史を見るとき、安保関連法の成立もその延長線上に位置する出来事として、見ることが出来るのではないかと思います。

なぜ創価学会からの批判がやまないのか

最後に考えたいポイントは、特に支持母体である創価学会から、「平和の党ではなくなった」「自民党に媚びすぎている」といった批判が出てしまう理由です。

これは、学会員が創価学会のセルフイメージ(自画像・自己認識)を、公明党に投影しているからだと考えられます。

創価学会のセルフイメージは、初代・二代・三代会長の人生、主張によって構築されています。
即ちそれは、治安維持法不敬罪で投獄され獄死した牧口会長。同じく投獄され、出獄後「地球民族主義」を提唱した戸田会長。そして、世界市民思想を唱えながら民間外交を推進し、平和活動を行ってきた池田会長。
この御三方に象徴されるような、「反体制・反権力」「戦争反対・平和推進」が創価学会のセルフイメージ・アイデンティティ構築に不可欠な要素です。

公明党議員は、基本的に全員が創価学会員です。
つまり学会員にとって彼らは、同じ信念を共有する「同志」である。
その「同志」に自らのセルフイメージを重ね合わせ、「反権力」「平和の党」であることを期待するのはごく自然でしょう。
しかし、公明党の実態はそのような強い主張を持つものではなく、現実主義的な政策実行を重視するインテリ集団であると思います。

池田会長の思想を背景に、公明党を批判する学会員が話題になりました。
三宅洋平が主催した選挙フェスには、現役創価大学生が参加・主張し、注目を集めたようです。
もちろんそのような主張は自由ですし、最大限に保障されるべきです。

当初私は彼らに期待をかけていましたが、失望に変わりました。
厳しい言い方になりますが、公明党を批判する現役創価大学生の主張は、旧態依然の左翼となんら変わりない。そこに「池田先生」「創価学会」といった固有名詞が加わっているだけです。
結局、従来の「池田先生が仰るから正しい」的な発想を脱け出せておりません。わが母校から、そういう運動は出ないものでしょうか・・・。

今後憲法の議論が始まるでしょう。早晩9条についても向き合わなければならない日が来るはずです。
創価学会員として、一公明党支持者として、現実的な状況と創価学会の平和思想、そのどちらも重視しながら、賢い判断をしていきたいものです。

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造反した創価学会職員3名の救いようのない「病い」:創価同窓の後輩としての苦言

創価学会職員3名によるブログが話題になっている。

元創価学会職員3名のブログ

この3名の内2名は、創価学園創価大学を卒業後、学会本部に就職した経歴を持ち、僕の同窓の先輩でもある。
絵に描いたような「創価エリート」の彼らだが、2012年に学会本部を懲戒解雇された。

ブログによれば、彼らが創価学会を解雇・除名されるに至ったのは、当時の所属組織の幹部の成果主義的な活動の進め方や(いわゆる折伏・選挙の数)、閉鎖的な組織運営に疑問を持ち、「積極的に建設的な意見を伝える」ようになったという。その結果、地方転勤などの理不尽な人事を受け、果てには懲戒解雇に至った。
その過程において、原田会長や長谷川理事長などの最高幹部に不正人事を直訴したり、池田名誉会長に組織の腐敗を訴える手紙を届けようと試みたらしい。

その後この3名は、集会やサイレントアピール(「現執行部は退陣を!」「戦争法案反対!」などと書かれたプラカードを持って学会本部の前に立ち続ける)を通じて、「腐敗した学会本部を外部から変える」ことを試みている。また、ブログでは様々な学会本部の内情を暴露しており、メディアの取材にも「来るもの拒まず」で積極的に応じているようである。管見の限りでも、朝日新聞週刊ダイヤモンド日刊ゲンダイ週刊金曜日にて取り上げられている。

「学会本部を外部から変える」などという無理難題に自らの人生を捧げるというのだから、その熱意には大層感心するが、彼らを見ていると何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。

それは彼らの中に、創価学園創価大学生特有の「病い」を見てしまうからだろう(1名は創価教育を受けていないが)。
といっても、創価学園・大学の教育を全否定する気は毛頭なく、人格的に優れた人物を多く輩出しているし、その多くは常識的であり社会的に成功を収めている。
だが、卒業生によく見られる除きがたい欠点が存在し、それをこの諸先輩方は嫌という程体現している。

先輩を非難するのは憚られるが、同窓の後輩として、その「病い」におかされた行動に苦言を呈したいと思う。

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第一の「病い」:「悪の糾弾」に固執する短絡性

まず第一に、矛盾や不正に直面した際に、「悪を糾弾する」といったアプローチしかとることのできない短絡性である。

我々は社会において生きている限り、様々な矛盾や不正と出会う。自らの倫理観に反する仕事をしなければならないこともあれば、人格的に破綻した人間と協働せざるをえないこともある。圧迫された弱者に出会うことなど、日常茶飯事である。

そういった現実を甘受せず、理想を保ち続ける人間は立派であるが、現実から遊離して自らが「諸悪の根源」と認識したものを攻撃することだけに労力を費やすのは、全く幼稚と言わざるを得ない。

声を上げるという判断が正しい事もあるだろう。しかしそんな事ばかりしていても、組織から排除されるだけであり、組織の改善には何の役にも立たない。

どうにもならない現実を受け止めながら、課題を認識して対策を立て、漸次的に改善していく。
大体の場合において、そういったアプローチをとるのが妥当であろう。

しかし我が同窓の先輩方は、組織内で「勇敢に声を上げる」以外の方途を見つけることができなかったようである。挙げ句の果てには、「池田先生に直訴する」という伝家の宝刀に頼ろうとしたようだが、叶わなかった。

そして現在も、ブログにおける内部告発やサイレントアピール、集会といった「言論活動」を精力的に行っており、全く成長していない。

しかも最近の彼らの活動は、安保法案を成立させた公明党の批判と、それを是認した創価学会執行部の退陣要求に、多くの時間を割いているようである。また、様々な学会本部の内情を暴露しているが、彼らが懲戒免職に至った過程と全く無関係な情報も多い。

つまるところ何をしたいのか、彼らが目指すものは何なのか、全くわからない。
彼らのような「破邪顕正」的な思考回路しか持たない人間は、現実的な目標やそれに至るまでの道程を示す能力が皆無なので、迷走するしかない。
要するに彼らは、信仰者としてではなく、一社会人として未熟なのである。

第二の「病い」:自らの正義を微塵も疑わない独善性

第二の「病い」は、自らの絶対的正義と相手の絶対悪を信じてやまない独善性である。

彼らのブログを読んでいると、その自己陶酔的な語調に強い吐き気がする。

引用するに堪えない文章ばかりだが、7月12日に更新されたばかりのブログから一部を紹介しよう。どうやら御三方は7月3日に、彼らを支持する一部会員とともに、「戦争法案を推進する公明党は支援しない!」「安保法案反対の会員を処分するな!」などと書いたプラカードを使ったサイレントアピールを敢行したようである(もはや「安保法案反対」「公明党批判」の団体になっている)。

誰もが創価が嫌いで声を上げているのではない。師の仰せを守りたいと血の涙を流しながら、懸命に声を上げ続けているのである。

しかし、権力の魔性に取り憑かれた学会本部は、そうした人間の声が聞こえなくなっているのである。

もはや彼らが罹患している病気は中二病ではないのかと思いたくなるようなポエムだが、この文章に、彼らの世界観が象徴的に表現されていると思う。

即ちそれは、
●自分=本当はそんな事をしたくないが、正義の為にやらざるを得ない極めて倫理的な存在
●相手=「権力の魔性」に取り憑かれ、師匠・池田先生に違背した絶対悪の学会本部・公明党
である。

このような非常に単純な善悪二元論的に物事を把握し、自らに正義がある事を微塵も疑わず、相手に絶対悪とレッテル貼りをして認識する努力を怠るその姿勢は、彼らが非難する日本共産党顔負けである。

このような独善的な人間が生まれてしまうのは、これは全く不幸なことであるが、彼らが「議論」をする機会に恵まれなかったことに一因があるだろう。

「議論」とは「折伏」と大きく異なる。
折伏」とは、自らが正しいと信ずるものを相手にも信じさせようとする試みである。つまり、その「折伏」というコミュニケーションにおいては、絶対的真理は折伏をする側の人間にあり、その人間は自らを反省する契機を持たない。ただ、自らの信念を相手に移植しようと試みるだけである。
それに対し「議論」とは、それに参加する人間は皆、完全な真理を有していない。むしろ、自らの不完全な意見・信念を他者の批判に晒すことにより、自らの意見の未熟さを認識してそれを改め、真理に近づこうとする試みである。
どうやら元本部職員の御三方は、「折伏」という思考回路しか持っていないのだろう(これは決して「折伏」という布教活動を否定するものではない。それしかできないのが問題なのである)

恐らく彼らは、これまでの宗教生活を通じて、「池田名誉会長・創価学会=絶対正義・無謬」という信念を確固たるものとしてきたのだろう。また同時に、「池田名誉会長・創価学会の指導を実践する自分=絶対正義・無謬」という自画像を形成してきたのだろう。
しかしそれは「池田名誉会長の指導に違背する学会本部=絶対悪」「池田名誉会長の指導を忠実に実践する自分=絶対正義」という等式に容易に転化してしまう。

そのような思考回路を持った人間は、簡単に「聖戦」というテロリズムに突入してしまう。

全く、彼らの「病い」は重いのである。

3名の行動に感じる新時代の到来

色々と手厳しく書いてしまった。今日ほど感情的に筆を走らせたことは珍しい。
これは彼らが私と似た経歴を持つことによる、同族憎悪なのかもしれない。

ちなみに、彼らは以前主催した座談会において、今回の選挙で話題になった小林節氏を招いて講演してもらっている。「今の公明党池田博士の思想に反している」という同氏の発言を受け、狂喜乱舞した3名の姿が思い浮かぶ。
この座談会は8月20日にも開催されるようであり、安保法案成立の過程においてスターになった憲法学者・木村草太氏が来るようだ。しかし木村氏の性格を考えると、小林節氏のようなリップサービスはせずに、憲法解説を粛々と行うことが予想される。また、これまで木村氏は公明党の果たした役割を評価する発言も重ねてきたので、この座談会でも自らの学問的良心に基づいた主張をして欲しいものである。
とはいえ本部職員の3名は、たとえ木村氏が公明党評価の発言をしても、自分たちの都合のいいように記事にすることは間違いないが。

ともあれ、彼らの造反劇に、新しい時代の到来を感じざるを得ない。
このような事態は、池田名誉会長が学会の中で存在感があった時にはあり得なかっただろう。
以前であれば彼らのように幹部糾弾をして徒党を組めば、池田名誉会長によって非難され、「池田名誉会長のご指導=自分たちの実践」という等式が音を立てて崩れ去ったはずだからである。
その「最後の砦」が崩れた後は、自らの意見を捨てて反省するしかない。もしくは、「池田名誉会長=絶対正義・無謬」という等式を捨て去り、日蓮や戸田会長、もしくは社会的規範を持ち出して、「日蓮仏法・戸田会長・社会的規範に反する池田名誉会長=絶対悪」「日蓮仏法・戸田会長の指導・社会的正義を忠実に実践する自分たち=絶対正義」という立場に立たざるをえないのである。
これまでに造反した学会本部や公明党議員は、そのほとんどが「池田名誉会長への造反」という形をとった(原島嵩氏や藤原行正氏、龍年光氏など)。

しかし今後は、池田思想の正統な実践者を自負する人物が大勢出ることだろう。彼ら3名の池田名誉会長の言葉を振りかざしての造反は、そのような時代の到来を予感させる。
また、1人の偉大なカリスマが圧倒的な支配力を持っていた組織は、そのカリスマを失うと分裂をしてしまう事は、歴史が教えるところである。

僕は一会員として、学会の分裂は決して望まない。
であるから学会本部職員の方々は、派閥が出来てしまうのは仕方ないにしても、組織の維持を重要視するという穏健な態度と、自らの誤りを認めて改める謙虚な姿勢を持ち、余程のことがない限り、組織を割るような真似はしてほしくないと思う。
動揺して迷惑を被るのは、現場の学会員であるから。

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A級戦犯はなぜ天皇誕生日に処刑されたのか:「生前退位」報道に際して

天皇陛下が「生前退位」の意向を示されていることが報道された。
もし本当ならば、日本における天皇制について、生涯をかけて熟慮されてきた末のご判断だと思う。
政権にとっては、大変な難題となってしまったが、今後の行く末を注視したい。
また、天皇制ついてこれまでの人生でほとんど考えてこなかったと猛省中であるので、勉強し意見構築していきたい。

今上天皇について考える際に、おすすめの本がある。
猪瀬直樹氏の『ジミーの誕生日』である。

猪瀬氏といえば、都知事時代の政治資金問題の悪印象ばかりが持たれていることが非常に残念だが、少なくとも作家としては一流であると思う。近現代日本史を考察する際に、彼の本から教えられるところは大きい。

ジミーの誕生日の件、心配です」

この本は、猪瀬氏に送られてきた1通の手紙から始まる。
差出人は、ある貴族(子爵)の孫にあたる女性。
彼女は、子爵夫人であった祖母の戦時下から戦後にかけての日記を見つけた。その日記は、昭和23年12月7日に「ジミーの誕生日の件」に言及したまま終わっていた。
この謎が気がかりで仕方がなかった彼女は、猪瀬氏に調査を依頼したのである。

猪瀬氏は、この「ジミー」が「皇太子明仁」(今上天皇)であると考えた。
ジミーとは、連合軍に日本が占拠された後、学習院に赴任したアメリカ人英語教師が、皇太子明仁につけたニックネームである。
その英語教師の授業では、生徒は皆英語名で呼ばれていた。

この事を文献を通じて知っていた猪瀬氏は、「ジミー」が今上天皇であると仮説を立てた。
さらに猪瀬氏が、手紙の差出人に彼女の父親について尋ねたところ、学習院において皇太子明仁と同級生であったことがわかったのである。

それでは、「誕生日の件」とは一体なんなのか。

これは、「A級戦犯」絞首刑が、昭和23年の12月23日、つまり天皇誕生日に執行されることへの危惧だったのである。
子爵夫人は、GHQの中心人物の1人だったケーディスと親交があった。彼から東条英機の死刑執行が皇太子明仁の誕生日になることを告げられたと考えられる。

昭和23年12月23日0時1分30秒、東条英機ら4名の絞首刑が執行された。
まるでその日を迎えるのを待っていたかのように。

アメリカ世論の中でも、「裕仁を死刑にすべきだ」という声があったが、東京裁判では天皇戦争責任は問われなかった。昭和天皇戦争責任が問われた場合、皇太子明仁も捕らえられ、アメリカに輸送される可能性もあったが、実現しなかった。

しかしアメリカはA級戦犯をその日に死刑にすることにより、皇太子明仁に一生消えることのない「死の十字架」を背負わせたのである。

本の終盤、手紙の差出人である子爵夫人のお孫さんは、猪瀬氏にこう尋ねる。
「でも、東条が殺された日など、今では誰も覚えていませんよね」
それに対し、猪瀬氏はこう答えた。
「ただひとりを除いてはね」

このことを念頭に、今上天皇のこれまでの平和活動を見ると、実に感慨深いものがある。
日本について考察するとき、天皇制への問題を避けて通ることはできない。

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公明党支持層の4人に1人が野党統一候補に投票:学会の自公政権離れは進むのか

昨日投開票が行われた参議院選挙において、公明党は全選挙区で当選、比例区でも7人の候補が当選した。

比例区での得票数は、約750万票と、政権復帰時の約710万票や2年前の衆院選の際の約730万票を上回るものとなった。

「安保法制に反対した学会員は多く、公明党は票を減らすだろう」という観測を述べる人もいたが、実現しなかった。

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それもそうだろうと思う。
学会員の選挙活動に対する宗教的動機は確固たるものであり、公明党議員に対する信頼も篤く、安保法制の些末な議論に拘泥するよりも、自らが信頼する議員に国政を託すという思いの方が強いだろう。

しかし、自民党に対する反感は高まっているのかもしれない。
宗教学者島薗進氏が公明支持層の24%が一人区において野党統一候補に投票したという出口調査を引き、下記のようなツイートをしていた。

Twitter

www.asahi.com

 

公明支持層の4人に1人が自民党ではなく、野党統一候補に投票したという事だが、これが多いのか少ないのか判断がつかない。
安保法案が話題になる前から、僕の親や祖父祖母世代の学会員における自民党アレルギーはすごい。僕の周囲にも過去の投票の際に、自民党への反感から非自民候補に投票する人が一定数いた(流石に共産党はいなかったが)。四月会などに代表される反学会的な動きは、記憶から拭いがたいのだろう。

自公の選挙協力は約20年の歴史を誇るが、果たしてこれまでの選挙において公明支持層のどれくらいが自民党候補に投票しているのだろうか?
それらと比較すれば、安保法案が与えた公明支持層へのインパクトを計れるのかもしれない。

とはいえ、公明支持層の多くが公明党への支持をやめ、公明票が減るというのは余程のことがないかぎりあり得ないだろう。
安保法案に反対し、天野達志氏など公明党を批判する学会員に注目が集まったが、あそこまでやる学会員はなかなか出ない。

前述の通り、創価学会員は公明党議員を人間的に信頼しており、それはなかなか崩しがたいものである。これまでも自衛隊イラク派遣やPKO法案、そもそも自公連立の成立など、学会員にとって受容が難しそうな事案はあったが、公明党への投票をやめる学会員はなかなか出なかった。
池田名誉会長は、学会員からの信頼性という点において、公明党議員とは別格である。しかし昨今よく耳にする「今の公明党は池田先生の指導に反している」という言は、池田名誉会長ではなく、その発言者である学会員自身の主張と見なされる場合がほとんどである。

とはいえ、考察すべきことは、天野氏らが「池田名誉会長の精神に反する学会執行部と公明党」に対して非難をしていることである。これは、池田名誉会長が組織において存在感があった頃には、あまり見られなかった現象である。

これについては引き続き考察が必要である。

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「政教一致」は必ずしも憲法問題に非ず

池上彰のことを嫌いな学会員は多いと思う。
世間で非常に人気の高い同氏の不人気たる所以は、選挙のたびに「政教分離」問題について言及してくるからであろう。

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昭和45年の言論出版妨害事件(学会内では「言論問題」と呼称)以来、40年以上学会と公明党は「政教一致」だという批判は止むことを知らない。

本来、「政教分離」問題は、憲法論の範疇で語られるものだろう。
非会員の方でも、「日本国憲法における『政教分離』は、国家と宗教の関係を規定したものであり、宗教団体の政治参加を禁ずるものではない」という事を聞いたことがあるのではないだろうか。
これは、オーソドックスな憲法解釈であり、僕も憲法を勉強した限りでは創価学会公明党の関係は憲法違反には当たらないと思う。

しかし、「政教一致」批判が無くならないのは、一般的な感覚に基づいた学会と公明党の関係に対する『違和感』が拭い去れないからだと思う。

「法戦」と呼称しながら宗教活動の延長として政治活動を行い、学会員のみで構成された政治団体を政界に送り出す。

この事に違和感を覚えることは全く自然であると思う。
だから学会と公明党は、「政教一致」批判を憲法論の範疇でのみかわすのではなく、こうした違和感・不信感に対しても回答をしていかなければならないと思う。憲法という「安全地帯」に逃げ込み、多くの人が抱いている疑問を覆い隠すことは、学会・公明党にとってもプラスにはなるまい。

今後機会を見て、非会員の方が抱く「政教分離」に関する疑問に答えられるような記事を書いていきたいと思う。

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目次一覧~日蓮遺文を「再読」する~

創価学会の活動の中で、何度も学んできた日蓮の遺文。

しかし、その読み方は果たして十分だったのだろうか?

政治思想史家のクェンティン・スキナーは、以下のように書いている。

教義の神話のうちでも代表的なものの中心をなすのは、何といっても、古典的理論家の主題にふさわしいと認められてはいるが、実はなぜか彼らが論じなかった教義を彼らに帰することである。(『思想史とは何か』)

 創価学会にしても、日蓮正宗にしても、それらの教義は、後世の人間が自分たちの都合に合わせて日蓮を読み、その意図を投影したものである側面が大きい。

「本文戒壇の大御本尊」、「血脈」、「師弟不二」・・・・

宗教の教義がそのようになってしまうのはやむを得ないにしても、私は自由な一個人。もっと他に読み方があるはずだ。

そこで本連載では、日蓮を「御本仏」としてではなく、「鎌倉時代の日本という特殊具体的な場を生きた一人の人間」として考察することを目指す。特定宗派の解釈ではなく、優れた学問的功績を用いながら、思想家・日蓮を再構成するという格好つけた目標を掲げる。

 

序論:日蓮遺文を「再読」するに当たって

「非歴史的アプローチ」とは何か:末法、大乗非仏、国立戒壇

護教敵でない日蓮遺文の読み方を探るにあたり、代表的なテキスト解釈論を振り返りたいと思います。それは2つに大別され、1つは日蓮遺文を普遍的真理を明かしたものとして読む「非歴史的アプローチ」。そしてもう1つは、日蓮思想を時代的制約との関連で読む「歴史的アプローチ」。ここでは、「非歴史的アプローチ」について考察します。

「歴史的アプローチ」とは何か:日蓮念仏者説を通じて

日蓮は念仏者だった」。この説を読んだ時、私は非常に驚かされました。それまで創価学会で教えられてきた日蓮像と、まったく違っていたからです。しかし、日蓮の人生とその時代背景を見るとき、その説が荒唐無稽でない、合理的なものであることがわかります。ここでは、日蓮遺文を、彼が生きた思想的状況と関連で読む「歴史的アプローチ」について考察します。

生成する思想家として日蓮を読むこと:田川建三、クェンティン・スキナーを手掛かりに

私は、「対論」が大嫌いです。それは所詮体制を維持するための言葉遊びに過ぎず、それに熱中する程、日蓮の「反・体制」の精神に外れていくからです。これまで「非歴史的アプローチ」と「歴史的アプローチ」について考察してきましたが、本企画で試みる第一のことは、日蓮が生きた歴史の場との関連でその思想を読むということです。